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五代目菊之助の「隅田川」の狂女

令和4年8月13日すみだトリフォニーホール:謡かたり「隅田川」

五代目尾上菊之助(歌舞伎立方、狂女)、豊竹咲太夫(文楽・義太夫)、大倉源次郎(能・小鼓)


1)入れ物(劇場)の問題

謡かたり「隅田川」は、平成17年(2005)に野村四郎(能、後に野村幻雪)・豊竹咲大夫(文楽)・村尚也(演出)が参画する謡かたり三人の会によって初演したもので、当時、能・文楽の異種交流の試みとして話題となりました。その後、野村幻雪の監修で、歌舞伎から尾上菊之助を迎えてスタジオ録画された映像が、平成26年(2014)9月26日にNHK・Eテレ「にっぽんの芸能」で放送されました。これについては、別稿現世の芸能〜歌舞伎の表現を考えるヒント」にて取り上げました。菊之助は、その後、平成31年(2019)8月25日、渋谷セルリアンタワー能楽堂で観客を入れて再演。(野村幻雪は、昨年・令和3年・2021・8月に没。)菊之助の謡かたり「隅田川」としては、今回(令和4年・2022・8月13日)の、すみだトリフォニーホール公演が、三演目となります。墨田区には木母寺の梅若塚がありますから、いわばご当地での上演という意義もあったかも知れません。

ところで、謡かたり「隅田川」公演について書く前に、まず入れ物(劇場)について触れておきたいのですが、何となく演者のみなさんに、「入れ物が大き過ぎる」ことへのとまどいがあったように感じました。収容人員が多いと云うことではなく(トリフォニーは1801、歌舞伎座は1964)、伝統芸能の常識感覚からすると、コンサートホールはタッパが高く、客席の奥行きが深く、入れ物の容積があまりに大きく感じられる。自分の声が・楽器の音が、ちゃんと客席の向こうの方まで届くのか何だか不安になってしまうと云うところがあったかと思います。終演後のトークでもみなさん何だか頭の上の方が気になる風でありましたね。能楽堂での上演ならばそう云う不安はまったくないわけですが、例えて云えば、いつもは背が立つ深さのプールで泳いでいたものを、海で沖合いに漕ぎ出して深いところで泳げと云われて竦(すく)むと云うのに似た感覚です。この感覚は理解できる気がします。浮いてしまえば関係ないはずなのですがね。

この対策として今回はマイクを使用していましたが、これは一長一短あったようです。マイクの音量が大きくて、かなり興を削ぎました。言葉がよく聞き取れて良かったと仰る向きもあったかも知れませんが、吉之助にはせっかくの臨場感、生(なま)感覚が弱められてしまった不満を覚えました。吉之助はトリフォニーで演奏会をよく聞きますから承知のことですが、トリフォニーは、数多い東京のホールのなかでも、音響が良いホールのひとつです。ピアノの繊細な弱音でもちゃんと届きますから、あまり気にする必要はないはずです。吉之助は今回もマイク無しでも十分だったのではないかと思いますが、まあマイクは補助的に添える程度の使い方にとどめて欲しかったと思います。

視覚的な問題も多少あったようです。これは昨年(令和3年)7月3日に玉三郎の地唄舞「雪」を同じトリフォニーで見た時にはあまり感じなかったことですが、今回は入れ物との相性みたいなことがチラと脳裏をかすめたのは、今回は舞踊ではなくて・ドラマであるから、舞台を見る者(吉之助)の作品への没入の具合が、地唄舞の場合と違っていたのかも知れません。そこからすると、今回の謡かたり「隅田川」は、地唄舞「雪」の時よりも、舞台と観客席との距離感覚がやや遠かったなと感じました。まあ吉之助の場合は能楽堂のサイズをそれなりに分かっているつもりなので・そこは脳内補正して見ましたが、そう云う意味において、伝統芸能の通常の入れ物(能楽堂や歌舞伎座など)は、やはり考えられてそのように作られているものだと云うことを改めて思いますね。

こんなことを書くと、今回の謡かたり「隅田川」の、コンサートホールでの上演は相応しくないと吉之助が言いたいと読まれそうですが、吉之助が申し上げたいのは・そう云うことではありません。これは伝統芸能を、専用の劇場でないところで上演する時には、必ず付きまとう問題です。本稿で吉之助が申し上げたいのは、舞台と観客席との距離感覚が遠く感じられる分、謡かたり「隅田川」は現世の芸能の印象から自然と遠ざかると云うことです。過去の出来事を遠巻きに眺めているような、遥(はる)かな感覚になるということですかねえ。「過去の芸能・現世の芸能・未来の芸能」というのは、前回謡かたり「隅田川」を批評するために吉之助が独自に設けた指標なんですがね。(この稿つづく)

(R4・8・18)


2)幽玄について

前回の謡かたり「隅田川」観劇随想でも触れたことですが、伝統芸能の異種交流の試みはいろんな場面で行なわれていることと思います。その場合、まず異種交流することの目論見があるべきだと思うのです。「何が起こるか分からないけど、とりあえずやってみましょうか」ではなく、異種交流で期待される化学反応は「まっこんなところかな?」くらいの見当は付けてから始めるものだと思います。しかし、実際やってみると具合の悪いところが出て来るのは・これは当然のことで、またそのような予想外のことが起こらないのであれば、そもそも異種交流の意義がないと言うべきです。だからそれは良いのですが、異種交流することの目論見を持っておきたいと思います。

ところで現代では、能は「幽玄」な芸能だとされていると思います。幽玄の一言だけで括ってしまうと・取りこぼす要素があると思うけれども・そこはしばし置くとして、「幽玄」というのは、奥深く深遠で・人知では計り知れないものがあると云うことです。佇まいとしては静謐(せいひつ)で、所作は象徴的で・そのなかにすべての情感を包含したかのような重みがあると、まあ能と言うのはそのような芸能であると、現代では思われています。

吉之助もずいぶん長く歌舞伎を見て来ましたけれど、「幽玄」と云うキーワードで能に比肩できる舞台を選ぶならば、挙げられるものはそう多くないと思っています。ひとつだけ挙げれば、それは昭和50年代の六代目歌右衛門(班女の前)と清元志寿太夫との共演による舞踊「隅田川」です。歌右衛門の所作のひとつひとつが、決して見逃してはならぬという緊張感で見る者に迫って来る、これを感覚的に下支えするのが喉を絞り切ったような志寿太夫の繊細な超高音でありました。これが、まさしく歌舞伎に於ける「幽玄」そのものでありました。江戸期以来、歌舞伎は武家の式楽であった・先行芸能である能に対して、ずっと複雑な思いを抱えて来ました。それは捻じれた憧れにも似たものでした。「幽玄」は、歌舞伎が是非とも手に入れたい要素だったのです。このためいろんな能取り物が試みられましたけれども、十全なものはなかなか出来ませんでした。遂にそれが成ったのが、歌右衛門-志寿太夫の舞踊「隅田川」であったと思います。当時でも、これはこのコンビでなければ有り得ない舞台だとは思いましたけれども、謡曲「隅田川」の細かいことは知らずとも、「幽玄」たる能のイメージを歌舞伎に移植するために、歌右衛門-志寿太夫が情緒に特化したアプローチをここまで徹底して取らねばならなかった背景を、今更ながら痛感させられます。

一方、謡かたり「隅田川」は咲太夫による義太夫語りをベースにしますから、語り物が持つ論理性が強く出て来るでしょう。語り物というのは、語り手が過去にあった出来事を、自分が見てきたことの如く真実めかして語る、そこに本義があるものです。だから、そこに幽玄とはちょっと異なる様相が出て来て当然だと思います。或いは、異なるアプローチから能の幽玄に迫ろうと云うことかも知れませんが、それは義太夫は清元ほどに情緒の方へ傾斜しない、良い意味において理性的な立場に留まるはずです。前回の謡かたり「隅田川」テレビ版では、そのどの辺りに目論見を置いたものか・よく分からぬところがありましたが、残念ながら、今回(令和4年・2022・8月13日)観劇でも、その疑問の解消はなりませんでした。

終演後のトークで、今回三演の大きな演出改訂は、最後に狂女が梅若丸の亡霊を追いかけて隅田川へ入水する結末にしたことであると明らかにされました。ただしこれは、吉之助が舞台を見た限りでは、必ずしもそのように見えなかったと思います。確かに狂女(菊之助)が橋掛かりを行く時に息子の幻影を見ている風ではありました。その向こうに何やら青い光が揺れていた、それを追い駈けるように狂女が舞台を去って行くとは見ましたが、その後入水したようには見えませんでした。トークの解説で、あれはその後の入水を「暗示」したつもりであったかと後追いで理解はしましたが、ただしあまり意味ある改訂であったとは思えませんねえ。これで「隅田川」の幽玄の余韻が深まったようにも思えません。吉之助が想像するには、元雅がこの改訂を受け入れたかは分かりませんが、世阿弥ならば否を唱えただろうと思います。(注:「申楽談義」のなかに、「隅田川」で元雅が梅若丸の亡霊を出したのに対し、世阿弥がこれをたしなめたとの逸話あり。)(この稿つづく)

(R4・8・20)


3)現世の芸能の可能性

終演後のトークで、咲太夫と菊之助が「能が無駄を削ぎ落したシンプルな芸能」云々とそれぞれ語っていました。まあ能の一般的なイメージと云うのは、そんなところかも知れませんが、これに対して、源次郎が、「能はシンプルな芸能と仰いますけれど、私共(能楽畑の人間)から言わせれば、今回の舞台(謡かたり「隅田川」)の方が能よりずっとシンプルなくらいです。何しろ今回は狂女独りしか舞台に出ないけれど、能「隅田川」には、舟人・旅の者おまけに梅若丸の幽霊まで出るんだから・・・」と語ったところを、興味深く聞きました。

ここはまず源次郎の指摘を素直に聞いてみたいと思います。登場人物が多い・或る意味入り込んだ感覚に、現在能たる「隅田川」の具象性が表れていると思います。能楽者の感覚からすると、やはり能「隅田川」は現世の芸能なのだと云う当たり前のことを思うわけです。能の「シンプル」と云うことを言う以前に、能は様々な具象性の追求を散々試みてきたということなのです。この認識はとても大事なことだと思います。しかし、江戸期に生まれた文楽・歌舞伎は、能からみれば「未来の芸能」になりますから、文楽・歌舞伎の側の感覚からすると、能楽が持つ「現代性」は自然と遠のいて見える。その感覚は、過ぎ去った「過去」の如く感じられるということかも知れません。またそれはどこかシンプルな、或いは幽玄な佇まいに見えて来るでしょう。これも大事な認識です。

もうひとつの指標は、語り物芸能である義太夫節が、語り手が過去にあった出来事を、自分が見てきたことの如く真実めかして語る、そこに語り物の本義があるわけですから、音曲のなかに自ずと「過去」を志向すると云うことです。この点においては、同じ江戸期の芸能であるけれども、文楽と歌舞伎とでは、志向する方向が微妙に異なります。歌舞伎は中世的な要素も残していますが、現代の自然主義演劇的な方向に連なる、つまり未来志向の要素も持った演劇なのです。今回の謡かたり「隅田川」では、咲太夫の語りのなかで済ませてしまったけれども、狂女の他に、舟人・旅の者も梅若丸の幽霊も役者として登場させれば、もしかしたら、現世の芸能(かぶき)の印象が強くなったかも知れませんね。

今回(令和4年・2022・8月13日)の謡かたり「隅田川」が、元々平成17年(2005)謡かたり三人の会からの流れの上にあるわけですが、その後、野村幻雪が亡くなって、新たに歌舞伎から菊之助を迎えたところで、当初コンセプトを変えざるを得ないと云うことが、当然起こると思います。真面目な菊之助のことですから、「咲太夫・源次郎両先輩の胸を借りながら一生懸命勤めます」と云うスタンスを崩せない遠慮があるだろうと思いますが、歌舞伎から立方を起用することになれば、謡かたり「隅田川」はやはり根本から作り直しをする必要が出ると思います。今回の舞台を見た感じでは、思い切ってそこまで踏み込めないまま、当初コンセプトを守り続けている印象です。しかし、それであると印象が中途半端になりはしないでしょうか。

意地悪な見方をすれば、我が子を失うた母親はいっそのこと正気を失ってしまった方が、我が子の死と向き合わないで良いから、精神的には楽なのです。狂気そのものに凝固してしまった方が、そんなものだとして見ていられるから、それを見る他人にとっても母親の悲しみを客観視できることになるのです。そのような狂気そのものに化して見せたのが、歌右衛門-志寿太夫の舞踊「隅田川」であったと思います。これが歌舞伎による「幽玄」の究極のアプローチであると位置付けられると思いますが、どこかに理知的なものを残した菊之助の狂女ならば、それとはまた異なるアプローチを目指さなければならないと思います。

菊之助は我が子を失うた母親の嘆き悲しみは、当然しっかり描けています。そこのところに如才はありません。ただし菊之助はどこかに理知的なものが残っており、完全に狂うてはおらぬように見えます。その印象は菊之助の理知的な芸風から来ると思いますが、恐らくここで完全な狂気を描くことは、現代の役者にとって難しいのだろうと思います。玉三郎の「隅田川」だって、完全な狂気のようには見えませんでしたから。我が子を失うた母親の悲しみを理性で凝視したところに、バロック的な・引き裂かれた要素、歌舞伎的な要素があるだろうと思います。現世の芸能を目指すのならば、取っ掛かりは、ここらにあるかも知れませんねえ。

(R4・8・23)



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