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五代目菊之助の小姓弥生

令和3年5月歌舞伎座:「春興鏡獅子」

五代目尾上菊之助(小姓弥生後に獅子の精)


菊之助の「鏡獅子」は平成26年5月歌舞伎座以来なので、7年振りということです。前回も前シテの小姓弥生の楚々たる美しさが印象的な舞台でした。この時・吉之助は「踊りが丁寧だと云う言い方も出来るが、振りの決めの形がまだ十分印象に残らない」と書きましたが、そこがちょっと不満でした。しかし、今回(令和3年5月歌舞伎座)での菊之助の「鏡獅子」ではこの点がすっかり改善されて、振りが完全に手の内に入ったものになりました。そこにこの7年の菊之助の確かな成長を感じますね。振りのひとつひとつに意味がある、振りの決めの形がしっかり決まった見事な踊りでした。

踊りの躍動感・リズム感と云う点では故・十八代目勘三郎の前シテも忘れ難いものがありますが、踊りの丁寧さと云うか、振りの決めがしっかり取れている点では、菊之助の方に勝るところがあると思います。無駄な動きがない・コンパクトな踊りで、しかも歌舞伎座の舞台のだだっ広さを微塵も感じさせません。菊之助の弥生はまったく気負うところがなく、それどころか静謐な印象さえします。吉之助はまるで座敷舞でも見るような気分でこれを見ました。これこそ「鏡獅子」が女形舞踊の獅子物系譜の上に在ることを実感させるものです。前シテに関しては、七代目梅幸以来の出来と言って良いのではないでしょうかね。

後シテの獅子の精に関しては、毛の振りの回数・勢いなどに、多分物足りないと感じる方がいらっしゃるだろうと思います。しかし、吉之助に言わせれば、真女形が踊る獅子物の狂いならば、これくらいに抑えて十分なのです。吉之助は「鏡獅子」での前シテと後シテの連関性は思ったほど強くないものと考えています。可愛いお小姓が勇壮な獅子に変身するように仕立てた九代目団十郎のロジックは伝統的な裏付けが弱い、つまり獅子を勇壮に仕立てる必然性はあまりないことになります。(別稿「真女形の獅子の精」をご参照ください。)昨今は毛をブンブン勢いよく振り回す獅子ばかりが横行しています。立役が「鏡獅子」を踊るならば、後シテの勇壮さがどうしても主眼になってしまうのは、まあ仕方ないところではあります。こう云う風潮を作り出したのは勘三郎でしたが、確かに勘三郎ならば前シテの弥生も愛らしく・後シテの獅子も勇壮に、そこに絶妙なバランスを生み出すことが出来たのです。これは勘三郎だけに可能なことでした。しかし、真女形の舞踊としての獅子物の系譜に立ち返るならば、大事なのは前シテ(小姓弥生)です。後シテ(獅子の精)は付け足しくらいに考えても良いと思います。吉之助は、今回の優雅さを失うことがない・菊之助の後シテを好ましいものと感じています。

菊之助がこのところ立役に傾斜気味であることを考えれば、この「鏡獅子」は今まさにこの時期だけのものなのかも知れませんが、菊之助の「鏡獅子」は、真女形が踊る「鏡獅子」として理想的なフォルムを見出したものと考えます。今後、児太郎や壱太郎・梅枝など後輩の若女形たちが「鏡獅子」を踊ろうと志すならば、この菊之助の「鏡獅子」をお手本に・よく研究することをお勧めしたいところです。

(R3・5・29)

追記:コロナ緊急事態宣言による行政(東京都)からの要請により、歌舞伎座5月興行は、当初3日初日であったのを11日まで休演とし、初日を12日として28日千秋楽まで興行を行なうこととなりました。




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