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八代目目三津五郎の弁慶

昭和43年5月30日国立劇場:「勧進帳」

八代目坂東三津五郎(武蔵坊弁慶)、十四代目守田勘弥(富樫左衛門)、六代目市川新之助(十二代目市川団十郎)(源義経)

(国立劇場・舞踊公演「天保嘉永の舞踊」)

*文中では八代目三津五郎を略する場合は「八代目」としています。


1)端正な弁慶

本稿で紹介するのは、昭和43年(1968)5月国立劇場の舞踊公演での、八代目三津五郎の弁慶による「勧進帳」の映像です。富樫で十四代目勘弥がここに付き合っていることも興味深いと思います。大和屋の代々では、踊りの名人と云われた七代目三津五郎は、多分柄にないという理由からでしょうが、弁慶をやっていません。また八代目三津五郎も弁慶を演じた記録を見ると本興行では3回・巡業で1回くらいで多くはありません。(以下八代目三津五郎を「八代目」と記する。)八代目に弁慶役者というイメージは世間にないだろうと思います。しかし、吉之助が八代目の弁慶の映像が見たいと前々から思っていたのは、八代目がこんなことを語っているからです。

『私の父(七代目)は執念に等しいくらい九代目団十郎の勧進帳を覚えておりました。私に十二、三の頃から謡の稽古をさせて・仕舞の稽古をさせて、七代目幸四郎がやりましても六代目菊五郎がやりましても、初代吉右衛門がやっても、堀越のおじさん(九代目)のはあそこはこうじゃない、ここはこうじゃないと言って私に教えてくれました。私の父は背の低い人で、声のない人だったんで、調子が悪かった。義経はできたんですが弁慶はできなかった。「どうかまともな勧進帳をお前は覚えてくれ」と言って、先輩が「勧進帳」をやるたびに、一緒に見ながら、あそこはこうだ、あそこはこうだと言って教えてくれた。(中略)ですから父の追善の意味で、父が自分でやりたくてできなかったもの、しかも父が私に一番たくさん教えてくれたものをやらせていただくということなんです。』(八代目坂東三津五郎:昭和42年6月6日玉川学園での講演記録、「歌舞伎・研究と批評」28号に所収)

ここで八代目が語っている「父の追善」と云うのは、この講演の翌月・昭和42年7月歌舞伎座で行なわれた七代目三津五郎七回忌追善興行において、八代目が「勧進帳」の弁慶を演じる予定であったことを指しています。追善興行であると普通は故人の得意であった演目を出すものですが、そこへ故人が演じることのなかった「勧進帳」を出したところに・八代目の先代(父)の芸への深い感謝があったと云うことなのです。(本稿で紹介する映像は、この翌年・昭和43年5月のものになります。)

残念ながら吉之助は八代目の生(なま)の舞台に接したことはありませんが、八代目は吉之助の師匠である武智鉄二の盟友でもあり、二人が対談した「芸十夜」などを通じて、八代目は吉之助にとっても師匠同然の・重要な役者です。八代目が語る父(七代目)の思い出話から、伝承とはなにか?型とはなにか?について、実に沢山のことを教えられました。そういうわけで八代目が演じる「勧進帳」の映像を期待して見ました。テーマは「勧進帳」の正しい感触とは何か?ということになりますかねえ。

八代目が演じる弁慶を見てまず感じる印象は、端正な「勧進帳」だなあということです。淡々と踏む二拍子のリズムが安定して決して激さないのです。安定したリズムが適度な様式感覚を醸し出しています。かと言って堅苦しい感じはしません。もちろん弁慶が声を大きくする場面はあるけれども、それは決して熱く興奮するわけではなく、グググと海面がゆっくりと盛り上がってくるような・弁慶の肚(スケール)の大きさとして実感されるということなのです。例えば花道で関所を踏み破らんといきり立つ四天王を抑えて云う弁慶の台詞、

「やあれしばらくおん待ち候へ、この関ひとつ踏み破って越えたりとも・・・」

という「この関ひとつ」の箇所は、誰がやっても大声を張り上げます。しかし、七代目に言わせると、九代目団十郎はここでただ大きな声を出したわけじゃないんだ、みんな団十郎の形(声を大きくする)だけを真似て、気持ちを真似ていない。団十郎はもちろん声は充分出ていたけれども、この関をひとつ逃れたところで・まだ他にも危ないところはあるんだから・ここで喧嘩をしては駄目だと仲間を抑える台詞なんだ、そういう気持ちが団十郎にはあったんだと云うのです。だから二拍子のリズムが安定して決して激さず、弁慶の沈着冷静で大きな印象が崩れないということです。八代目の弁慶の、この端正な印象は最後まで持続します。

もうひとつ、安定した二拍子のリズムが醸し出す端正な印象が、「勧進帳」が台詞劇・しゃべりの芸であることを実感させると云うことです。この件は別稿「台詞劇としての勧進帳」でも触れましたので・そちらも参照いただきたいですが、八代目が演じる弁慶を見ると、なるほど「勧進帳」は松羽目物の先駆なのだと云うことが実感としてよく分かりました。本行(能狂言オリジナル)との間にきっちり一線を引いて歌舞伎の独自性を保持しつつ、本行との距離感を適切に守っています。様式(本行)に傾き過ぎてもいけないし、写実(歌舞伎)に砕け過ぎてもいけない、この本行に付かず離れずの距離感覚が絶妙なのだなあ。

このことから「勧進帳」のオリジナルは能の「安宅」で、例えば松羽目舞踊の人気作「身替座禅」のオリジナルは狂言の「花子」ですが、このふたつは芝居の内容も・趣きも全然違うけれども、松羽目物の様式と云うことで括って考えるならば、これらはひとつの様式で処理できると云う確信が持てた気がしました。もちろん「勧進帳」は歌舞伎十八番の内・つまり荒事歌舞伎の系譜を引くものであり・弁慶の口調には荒事の要素が取り入れられているわけです。しかし、そのような荒事の要素を取り除いたところで考えるならば、「勧進帳」の様式は驚くほどシンプルなのです。そして、この様式は「身替座禅」など狂言タネの松羽目物にも適用できるものだということ、これすべて明治20年〜30年代の・つまり晩年の九代目団十郎・五代目菊五郎のフォルム感覚から来ていると云うことなのです。大事なことは、本行との適切な距離感です。裏返せば、本行へのリスペクトと云うことにもなります。(これと比べると現行の「勧進帳」を含めた松羽目物は、みな謡う口調によって本行の様式感覚を醸し出そうとする傾向が強いように思われます。それなのに本行のような品格はないというのも面妖なことです。つまりこれは本行との間の適切な距離感が見失われているということなのですね。)

もちろんこの端正な印象は弁慶だけで出来るものではありません。共演の勘弥の富樫も八代目の弁慶に照応した形で端正な印象がします。山伏問答はリズムをしっかり刻むように踏んで・次第に速めになって行きますが、決して極端なアッチェレランドになりません。勘弥も決して声を荒らげることはしません。ですから観客の興奮を煽る感じはなくて・派手な芝居っ気はないですが、しっかりと堅実な問答に仕上がっています。ここに「勧進帳」は台詞劇だという主張が見えます。(この稿つづく)

(R3・3・27)


2)八代目三津五郎の弁慶

恐らく八代目には、派手に面白い「勧進帳」を演ろうという意図はなく、あくまで正しい「勧進帳」を演ろうという意図なのです。もちろん何が正しいかは議論のあるところです。細かいところでは、あっちの方が面白い・こっちの方が好きと云うことはしばしば起こりますが、そう云うのは「正しいか・正しくないか」と云うことと何も関係ありません。「これは正しい」と感じるかどうかは、作品の本質を大掴みにしたところから立ち上がる印象(或いは佇まいとでも云うべきか)から来ます。今回の「勧進帳」の場合には、それは端正な松羽目物の印象だろうと思います。様式(本行)に傾き過ぎてもいけないし、写実(歌舞伎)に砕け過ぎてもいけない、この本行に付かず離れずの距離感覚を適切に取ると云うことです。そこから「これは正しい」という感覚が浮かび上がります。

しかし、「本行に付かず離れずの距離感覚」と書きましたが、「勧進帳」のなかでずっと一様にこの感覚が続くわけではありません。当然ドラマの流れには波というものがあります。局面において、グッと歌舞伎に近づく場面や、大きく本行に戻る場面があるわけです。

例えば山伏問答を終えた直後の弁慶の元禄見得ですが、八代目の元禄見得は特徴的です。ググッと腰を落すのですが・その腰の落し方が通常よりもずっと大きく、見得をする間(ま)がかなり長い。ドラマの流れのなかに、見得と云う・かぶき的なものが・それゆえ異質な形がはめ込まれたような違和感が生じます。八代目はこれを意図的にやっているのです。見得と云うものはそう云うもの(ドラマを堰き止めるもの・それゆえに異質なもの)なのです。八代目の弁慶の元禄見得は、そのようなゴツゴツした原初的な・かぶきの力を感じさせて、そこがひときわ印象に残ります。

弁慶が義経を打擲する場面でも、同様なことを感じますねえ。八代目の弁慶は金剛杖を高く振り上げません。金剛杖を振り上げた時の肘が肩より高くなってはいけない、犬を打つんじゃない・主人を打つんだということは、父(七代目)が八代目に語ったことで、八代目の芸談には何度も出てきます。(この芸談は「菊畑」で智恵内が虎蔵を打擲する場面にも適用されます。)八代目は、「通れとこそはののしりぬ」で弁慶の肘が肩から上がるか上がらないかで、その役者がどんな教養を持っているか、どんな教育を受けて来たかいっぺんで分かると言っています。八代目の弁慶のこの場面を見ると、弁解が金剛杖を振り上げた形を決めてから・ググッと腰を落す・この落し方が通常よりずっと大きくて、腰を落とした形のまま義経ににじり寄り・金剛杖を振り落とす、そこにかなり大きな間があって、この場面もやはり異質な形がはめ込まれたような違和感を感じさせます。

つまり「勧進帳」のドラマのなかで弁慶の荒事の原初的な力を感じさせる・それゆえに最も「かぶき的」な・ふたつのシーンをこのように処理したところに、八代目の意図があったことが明らかです。八代目の・この場面は、見る人によって好き嫌いが分かれるかも知れません。しかし、吉之助には、七代目団十郎が能「安宅」の歌舞伎化を考えた時「これこそ本作が歌舞伎であることの証左である」としたのが上記のふたつの場面であって、天保11年(1840)「勧進帳」初演で松羽目風の舞台を見て「何じゃ・こりゃ」と呆気にとられた江戸の観客はこのシーンを見て「ホウだから本作はかぶきなんだなア」と何となく納得したかなと思えました。この他、強力を義経だと見やぶられて弁慶が本舞台へ戻る時、八代目は足を強く踏み鳴らして戻りますが、この箇所も「かぶき的」・荒事的なシーンであると思います。

後半の舞いに至れば、ここは大和屋にとって得意の領分ですから悪かろうはずがありませんが、八代目はここでも独自の弁慶を見せてくれます。弁慶の大きさを表現する箇所では、後半・富樫が一行に酒を振る舞い、弁慶が「あら有難の大檀那、御馳走頂戴つかまつる」と云うところは、どの役者も緊張から解放された安心感という感じでやるが、七代目は九代目団十郎の弁慶はそれだけでなく・そこに非常に闊達な・スケールの大きいものを見せたと言ったそうです。これを察するに富樫と云う存在を心から受け入れて・弁慶は安心して自分をさらけ出し富樫のために舞うということだと思います。

芸談のなかで七代目は、「流れにひかるる曲水の・・」の箇所をとても煩く言っています。中啓をひろげてポンと流してよろけるわけですが、誰がやっても後ろへ足を高く跳ね上げる、九代目団十郎はあんな馬鹿なことはしなかった、あれじゃアまるで車引きだ、あそこは酒に酔ってよろけるんだから・ああいうことはしてはいけないと言ったそうです。この「流れにひかるる曲水の」の箇所での八代目の・よろけ方は、もちろん足を撥ね上げたりせず、とても上手いものです。恐らくここは踊りのワルミの応用で、例えば上半身の右を出した時に・左の足を出して折る・よろけ方です。喜撰を得意とする八代目ならばお手の物で・なるほどと思うところです。だから弁慶に洒脱な味わいが醸し出されることになります。弁慶に「洒脱」という言い方は相応しくないように思うかも知れませんが、それが弁慶という人物の余裕・大きさに繋がっていくと思います。

ところで、今回(昭和43年5月国立劇場)の「勧進帳」は「天保嘉永の舞踊」と銘打たれた舞踊会での演目でした。天保11年(1840)七代目団十郎による初演当時は、役者や舞踊家は(表向きは)能を見ることを許されなかった時代でした。歌舞伎は本行(能)そのまま演ることを許されていませんでした。このことを考慮して、恐らく確たる考証的根拠は薄いと思うけれども、今回上演では、敢えて能掛かりから離れた演出を付けた箇所があったことも、興味深いところでした。例えば弁慶の延年の舞いは丸く回っています。番卒が軍兵の衣装を着けたのは、歌舞伎風の様式を意図したものです。今回八代目の弁慶は、茶色の柿の棒縞に唐織の着付けを着けましたが、これは観世流の「安宅」の衣装ですが、これは初演の七代目団十郎の弁慶が観世流であったことに拠ります。(注:この1年前の歌舞伎座・七代目三津五郎七回忌追善興行での「勧進帳」では、八代目の弁慶はいつもの黒に金の梵字をあしらった金剛流の水衣であったことが当時の「演劇界」の写真で確認ができます。八代目の弁慶の棒縞の衣装は、あくまで今回だけに限った処置です。)

ひとつ今回の「勧進帳」でちょっと驚いたのは、幕が開いて登場した勘弥の富樫が、通常は下手で行なう名乗りを、舞台中央で行なったことです。これは本行(能)でそうやっているからという理由らしいですが、まあその考え方も分からないことはないですが、そうすると前述の通り、能掛かりから外す演出を付けた箇所のコンセプトが逆になると思うのですが、これで宜しいのでしょうかね。したがってこの後の八代目の弁慶も、読み上げ・問答・打擲・詰め寄りまで、ことごとく舞台中央を取ります。このため詰め寄りで、弁慶が一行の先頭に立って舞台中央で押すと、対する富樫一行が上手隅へ・一方的に追い込まれたように見えて、絵面的に力が均衡しません。この処置は再考の必要がありそうです。歌舞伎では舞台中央は「神のための場所」として空けておくのが、やはり正しいのではないでしょうか。

新之助(後の団十郎)の義経はどんなものかと心配して見ましたが、神妙な出来で意外と悪くありません。この時代の新之助の台詞はそんなに癖があるように聞こえませんでしたが、それは兎も角、新之助はこの八代目三津五郎の弁慶を傍で見てどんなことを感じたでしょうか。

(R3・4・2)



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