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荒事における「稚気」

平成16年5月歌舞伎座:歌舞伎十八番のうち「暫」

十一代目市川海老蔵(十三代目市川団十郎)(鎌倉権五郎)

       (比較参照)平成15年5月歌舞伎座:歌舞伎十八番のうち「暫」
                 十二代目市川団十郎(鎌倉権五郎)

(十一代目海老蔵襲名披露興行)


本稿で述べた時代的流れをご理解いただくために、ポイントになる歴史的事件を年代別に列記しておきます。

寛文3年(1663):武家諸法度が公布され、別紙で殉死が禁止される。この頃から「かぶき者」の弾圧が次第に強化され始める。
寛文4年(1664):旗本奴・水野十郎左衛門が切腹を申し付けられる。
寛文12年(1672):初代団十郎が14歳で「四天王稚立(してんのうおさなだち)」の坂田金時を演じて大当りを取る。
元禄10年(1697):「大福帳参会名護屋(だいふくちょうさんかいなごや)」で初代団十郎が鎌倉権五郎を演じる。これが「暫」の始まり。
正徳3年(1713):「花館愛護桜(はなだてあいごのさくら)」で二代目団十郎が初めて助六を演じる。
正徳4年(1714):江島生島事件により山村座が取り潰される。
享保8年(1724)幕府により心中物の出版や上演が禁止される。


1)童子の心

寛文12年(1672)中村座での「四天王稚立(してんのうおさなだち)」において初代団十郎は14歳の前髪立ちで坂田金時を演じて大当りを取りました。これが荒事の始まり だと言われています。

ところで「荒事芸は童子の心を以て演ずべし」という口伝があるのはご存知と思います。なぜ「童子の心」なのかということについては諸説があるようです。一説には村祭りにおいて童子が神に扮する時に、豊凶占いの意味を込めて 侍の扮装をして矢を射たり・相撲を取ったりすることがあることから来たともされます。童子が侍仕立てでない時は、力づけの帯を締めたり・大鉢巻を頭に結んだりしました。古来から童子はそのまま神にも成り得る純白な魂の持ち主とされました。十四歳の団十郎が顔に紅と墨を塗って・まさかりを持って大立廻りを演じたの も、こうした祭事の稚児芸が根源にあるものかも知れません。

「童子の心」というのはなるほど坂田金時(つまり金太郎)のことなら分ります。しかし、それだけなら坂田金時のためだけの口伝であってよかったと思いませんか。それだけなら曽我五郎や弁慶や鎌倉権五郎など荒事のキャラクターすべてに共通の口伝 となる必然があるようには思われないのです。荒事芸は「かぶき者の芸」であるとも言われます。 それならかぶき者と童子とは なおさら結びつかない。そこで少し荒事芸における「稚気・童子の心」ということを考えてみたいと思います。

団十郎が劇界に登場した寛文年間は、かぶき者の最後の時代でありました。旗本奴の水野十郎左衛門が町奴の幡随院長兵衛を自宅で手討ちにしたのは明暦3年(1657)のことですが、その十郎左衛門も寛文4年(1664)に幕府に呼び出されます。評定に呼ばれた十郎左衛門は髪も結わず白装束で席に着いたため、お上を恐れる振る舞いであると即日切腹を命じられました。そして嫡子百助も死罪 となり、お家は断絶となったのです。この頃から幕府はかぶき者の横行に手を焼いて規制を強化し始めていました。

かぶき者とは「ならず者・ごろつき」と考えてもいいのですが、その多くは土方・大工あるいは運搬人などとして初期の江戸の町作りに従事した人々でした。彼らは傍若無人で・暴力を振ったりする気の荒い連中ではありましたが、 一本気で・律儀で・威勢のいい奴らでもありました。「かぶき者の心情」(当サイトでは「かぶき的心情」と呼んでおります)はそうした人々の気風から発し・江戸前期を覆った時代的心情 なのです。そうした人々の 過剰なエネルギーが新しい時代・徳川将軍のお膝元である江戸の都市を築く原動力でありました。破壊と創造は紙一重 です。スサノオノミコトは暴力的な神様として恐れられると同時に・その荒々しさが荒野に秩序をもたらし活気を与えるものとして民衆に愛されました。同じように、かぶき者たちの過剰さが「元気の素」だとして 民衆に許容されて愛された・そういう時代があったのです。

荒事に見られる「稚気」には、かぶき者の過剰さが人々に愛された時代の名残りがあるのです。初代団十郎の頃には幕府はその過剰さを疎ましく思い・かぶき者の規制をすでに始 めてはいるのですが、芝居のなかのかぶき者にはその「元気の素」がまだまだしっかり残っているのです。「暫」の鎌倉権五郎は奇怪千万なメーキャップと衣装で虚仮脅し をしているようですが、役自体に自分の過剰さが観客に愛されているという甘えが見て取れます。かぶき者である自分が観客(民衆)に愛されているという確信があるから、観客に 媚びているのです。そして観客もそれを許すのです。それが童子のイメージに繋がるのです。その童子のイメージから「祭祀性」が照射されるのです。

 「荒事芸はつねに童子の心を以て演ずべし」という口伝はそこから来るものです。こうした幼児性は童子のようにまさかりを振り回す坂田金時ならもちろん ピッタリなのですが、母親や兄に甘える助六にもそれが現れていますし、天水桶に 敵の首をぶち込んで金剛杖でかき回す「芋洗い」の弁慶にもそれが言えます。

「暫」の権五郎は揚幕の方まで下がってくれと言われて「嫌だ」と拒否します。「イーヤーダー」と幼児がダダをこねるように 高調子で言えばよいのです。「睨み殺すぞ」というような台詞も・リアルに意味を込めて言わないで、「ニラミコーロースゾー」と子役の台詞みたいにわざと棒で言った方がいいのです。そうすることで荒事役者は童子のように観客に 媚びてみせるのです。それを観客が喜んで受け入れる。そこにかぶき者にとっての古き良き時代の記憶があるのです。

 しかし、かぶき者の心情に次第に時代の暗い影が差しはじめます。世の中が整備され・落ち着いてくるにつれ、人々の目にかぶき者の過剰さがうるさく・迷惑なものに 感じられるようになっていくのです。 この兆しが「暫」のなかにすでに見られます。権五郎の役割は、たとえ正義の味方のスーパーマンであったとしてもお家騒動を鎮圧する体制擁護の警察官であって、反体制的な・民衆の側に立つ はずのかぶき者には本来そぐわないものです。そこに初代団十郎の河原者としての屈折した意識を見ることができるのです。(別稿「身分問題から見た歌舞伎十八番・その1・暫と不動」をご参照ください。)

さらに「暫」よりも16年の歳月を下った二代目団十郎の「助六」を見れば、かぶき者の過剰さは次第に生産性を失って・エネルギーの持って行き場がないことの苛立ちが募ってくることになります。それでも芝居のなかのかぶき者は 吉原の花魁にモテて・意気がって見せることができるからまだいいのです。現実のかぶき者たちは次第に日陰者に追いやられていきます。


2)荒事の「雰囲気」

「暫」という芝居は、善男善女があわやという時に「暫く」と声が掛かって豪傑が登場して悪人どもをバッサリという単純な筋です。筋が単純なだけに、かえってそこが難しいのです。主人公(権五郎)だけではなく「暫」の登場人物すべてに言えることですが、うまく見せようとか・理屈を考えてみてもどうにもなりません。登場人物のキャラクターがはっきり色分けされていて・ただ並列しているだけの ような芝居ですから、役に陰影(言い換えれば深み)がないわけです。

荒事というのは若衆の芸だと言われます。しかし、この初期の荒事である「暫」の権五郎の場合は「若さとパワー」だけでは十分ではないようです。初期の歌舞伎の原形質的な「かぶき的なもの」が伝わっているものは「暫」とか「対面」とか、そういう誠に頼りない演目しか残っていません。こうした演目を綿々と受け継いでいくことは、じつは容易なことではありません。具体的には表現できない・「雰囲気 」としか言いようのない・誠に頼りないものだけがそれを繋ぎ止める糸口なのです。そのキーワードとなるのが「稚気・童子の心」です。

今回取り上げる「暫」のビデオは、平成16年5月歌舞伎座における十一代目海老蔵襲名の舞台です。 海老蔵の魅力のひとつは、その目付きのギラギラした鋭さであると思います。「口上」での成田屋恒例の「睨み」は瘧(おこり)が落ちると言われているのですが、この若者は「海老蔵」になるべくしてなったのだなあということを思わせるものでした。その目付きの鋭さは古来の荒事の心の復活を期待させるものです。「助六」の成功はそのことを示しています 。(別稿「ツッパリの助六」をご参照ください。)海老蔵の助六はカッコいいのですが、通りかかった者に難癖つけて喧嘩をしてしまいそうな・イライラした危ない感じがどこかにあります。機嫌が悪いと「オイ、なぜ俺を見ている、何か文句あるかい」と突っかかって来そうな不良性があります。そこが荒事としての助六の気分にピッタリはまるのです。

一方、今回の海老蔵の鎌倉権五郎は、冷静に観察してみると海老蔵の鋭さがやや生(なま)なように感じられました。権五郎は後三年の役で戦死した十六歳の若武者です。 左目に矢を受けながらなおも奮戦を続けた・その豪傑ぶりが人々に感銘を与えて、鎌倉坂の下の御霊神社に祀られた若い神様です。若い役者が演じればもちろんその若さがそのままに映えます。「若さとパワー」で押し切ることは大事なのですが、しかし、ギラギラとした鋭さを稚気のなかにもう少し隠してもらいたいと感じるのです。そうすれば「器の大きさ」が自ずから現れるようになると思うのです。まあ、このことは海老蔵が年季を経て・芸が成長していくことで自然と解消していくでしょうからそう気にする必要はないと思います 。

海老蔵の父・当代(十二代目)団十郎はその「稚気」の表出において得がたい役者です。平成15年5月歌舞伎座での「暫」のビデオを見ますと、団十郎の鎌倉権五郎は、その骨太いキャラクターと・何となく時代離れしたのんびりした台詞回し(失礼、クサしているわけではなく褒めているのです)が いい「雰囲気」を出しています。そこに荒事の魅力が自然に立ち現れています。団十郎は、現代の持つ「鋭さ」・生な感覚を稚気の雰囲気のなかに隠してしまうことができる稀有な役者なのです。いずれ海老蔵もそういう荒事役者になってくれると思います。

吉之助がビデオを見ていて興味深く思うのは、海老蔵の持つ「鋭さ」が助六ではあつらえたようにピッタリとはまるのに、鎌倉権五郎では (もちろん悪いということではないですが)まだそれほどでもないということです。それが何故なのかを考えてみるに、多分、それは「助六」と「暫」という芝居の性格の違いから来るものだろうと思います。「助六」は世話の荒事であるから、感覚が生(なま)であることが芝居のなかで生きるのです。設定からして助六は吉原の人気者(つまり観客に愛されている)ということになっていますから「祝祭」としての場が構築しやすいということもあるでしょう。時代物である「暫」の場合にはそこが難しいのかも知れません。「暫」を演じるには荒事における「稚気」を大づかみにすることから始めなければなりません。そしてかつて民衆にかぶき者が愛された時代の記憶を蘇られなければならないのです。

しかし、全体としてこの海老蔵襲名の「暫」の舞台は良い雰囲気に仕上がっていたと思います。それは観客を含めた劇場全体がこの若き役者の 襲名を祝福し・ その存在を愛していることがひしひしと感じられることから来るのでしょう。それが元禄の観客が「かぶき者」の過剰さを愛した時代の記憶と重なり合うのです。だから 結果として劇場が「 祝祭の場」たり得ている。劇場が役者と観客とが作り出す場であるということをつくづく感じます。海老蔵は幸福な役者だと思います。

(H16・7・4)



 

 

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