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二代目吉右衛門の大蔵卿

平成26年4月歌舞伎座:「一條大蔵譚」〜檜垣・奥殿

二代目中村吉右衛門(一條大蔵卿)、二代目中村魁春(常盤御前)、四代目中村梅玉(鬼次郎)

(注:以下の文章には初代と二代目のふたりの吉右衛門が交錯します。初代吉右衛門は「初代」と記し、二代目の方は「吉右衛門」と記しますので、そのようにお読みください。)


1)初代の芸の近代性

ここ数年の吉右衛門の芸の充実については改めて言うまでもありません。しかし、吉之助は別稿「初代の芸の継承〜吉右衛門の課題」で苦言を呈したことがあるので、吉之助は吉右衛門に対して批判的なスタンス だとお思いの方がいるかも知れませんが、そんなことはないです。吉之助でも「熊谷陣屋」で誰のを最初に見れば良いかと聞かれれば、まずは吉右衛門だろうと答えると思います。ただし、当代吉右衛門が演じる松王や熊谷は、初代の演じたそれらとはだいぶ感触が違うということを申し上げたかったまでのこと。というのは吉右衛門の劇評で「初代そっくり・初代の舞台を思い出した」などという文章を目にすることが多いからです。記憶だけに頼っていると残像が思いのほか美化されるものです。しかし、遺された初代の映像や写真を見るならば、吉之助の目からは、その違いは明らかなのです。そもそも吉右衛門は、初代と比較するとずっと恰幅が良い。(吉之助が歌舞伎を見始めた若い頃はヒョロヒョロでしたが。)武智鉄二が初めて初代の舞台を見た時の印象は「何という小さな・何という貧弱な役者か」というものであったそうです。吉之助も初代の映画「熊谷陣屋」を初めて見た時に、押し出しの印象の弱いことにビックリしました。そこで吉之助が知ったことは、初代の偉大さというものは、小柄で貧弱な押し出しの利かない身体を、シャープで写実で・等身大の ・近代的人間解釈でカバーして、それで六代目菊五郎と並び称される名優になったということです。大事なことは、初代の芸の近代感覚です。芸のスケールが大きいとか、そういうことではない。(このことは別稿「初代吉右衛門の写実の熊谷」などをご参照いただきたい。)

「初代は熊谷直実や加藤清正など英雄豪傑を当たり役とした」ということは、事実としては、その通りです。しかし、最近の歌舞伎の劇評など見ると、初代の芸は英雄豪傑を当たり役としたからスケールのでっかい役者だったみたいな話にいつの間にやらすり替わっている。そして談話などを聞けば吉右衛門自身もそう思い込んでいる節がある。これはちょっとまずいことだと思います。繰り返しますが、遺された初代の映画三本(熊谷陣屋・寺子屋・盛綱陣屋)を見れば、そんなことはすぐ分かることです。

もちろん歌舞伎役者の当代が先代の芸風をそのまま継がねばならぬという法はありません。時代も変り、世代が変れば 、歌舞伎も必然的に変わるのです。吉右衛門は当代として吉右衛門を作れば良い。しかし、初代を尊敬する吉右衛門に、吉之助が敢えて言いたいことは、(これは吉右衛門に限ったことではないですが)昨今の歌舞伎は重ったるい方向に傾いている・時代に納まることを歌舞伎らしいことだと感じる風が強い、それを是正するヒントが、実は初代の芸の近代感覚にあるのだということを、吉右衛門は再認識してもらいたいと、吉之助は考えるからです。
 

2)初代の芸の臭さ

ところで、初代は六代目菊五郎と併せて「菊吉」と呼ばれ た名コンビで、二長町市村座時代などは、それぞれの贔屓の応酬は凄まじいものでした。日本の見物の悪いところは、六代目の芸を賛美したいなら六代目のことだけ褒めてれば良いのに、それに対峙する位置にある役者を貶めることで、それをしようとする。「六代目菊五郎の○○の素晴らしさと比べて初代吉右衛門の○○は駄目だ」ということをすぐ言いたがる。フルトヴェングラーを賛美するのにカラヤンをけなす傾向があるのも同様です。そんなことだから日本では演劇評論も音楽評論も一向にレベルが上がりません。まっそれはともかく、六代目贔屓がよく言ったことは、「初代の芸は臭い・観客に媚びる芸をする」ということでした。初代はそのように批判されることが多かったのでした。

しかし、引っ掛かることは、初代の芸の近代感覚と「芸が臭い」ということは、まったく結び付かないと思える ことです。 近代性のイメージというのは、どちらかと云えばスッキリであるからです。「臭い」というのではイメージが逆のようである。だとすると六代目贔屓は初代の芸に一体何を見ていたのか。初代の芸が臭いというのは、ホントのことなのか。そういうことを考えてみる必要があるのです。しかし、結論を先に言えば、初代の芸にそういう一面があったことは事実なのです。例えば折口信夫は次のように語っています。

「(初代)吉右衛門のためには、(六代目)菊五郎ということは必要だ。菊五郎がいないと、もっとすさまなくても、小芝居になる。いないときは貞任のように、つまり歌六になる。しかし、吉右衛門のいることは、新しい見物に対して、歌舞伎の面白さを会得させるから重要です。」

折口信夫:戸板康二編:「折口信夫坐談 」

折口は質の悪い六代目贔屓とは違いますから、誤解のないように。折口は分かって言っているのです。折口の談話に は重要な指摘があります。つまり、「播磨屋は芸が臭い」と言われるのは、初代の父・三代目歌六の芸筋から来るということです。歌六は大坂の小芝居出身でしたが、後に明治になって東京に移りました。江戸育ちの歌六の妻・つまり初代の母嘉女(かめ)は夫のこってりした大坂の芸風を嫌って、「九代目団十郎を手本にしなさい」と口うるさく言って息子に芸を仕込みました。だから初代の芸の根本は九代目ということになりますが、ちょっとしたところに父の血が出たのかも知れません。ということは初代の芸のなかにもふたつの要素があったことになりますね。

それは良い面からすると、観客を心底から震わせ熱くする芸、歌舞伎の面白さを倍加させる芸となりました。映画「盛綱陣屋」終盤で盛綱が小四郎を「褒めてやれ褒めやれ・・」という場面はその好例で、その台詞廻しの素晴らしさ・息の良さ・そしてパッと扇子を掲げ見せるなど、見ている観客の気分がどんどん煽られるが如くに高揚させられます。これは悪い見方をすれば、臭くなる寸前ということに通じるのであろうかと、とりあえず仮定をしてみることにしましょう。

熊谷陣屋」は主題的にシリアスなものであるし、明治になって自然主義演劇・近代的人間理解の立場からそこに一貫した直実の性格を作り上げたのが九代目の型でした。初代の直実の演技はそこから来ています。初代の「熊谷陣屋」の映像を見て芸が臭いと感じる人がいるとは思えませんが、しかし、敢えて非常に意地悪な六代目贔屓の目付きで初代の直実のなかに臭さを探すならば、直実の花道引っ込みの演技にそれが出ているように思われます。それは昭和25年という時代の・終戦直後の世間の厭戦気分と強く結び付いています。吉之助はこれを「観客に媚びている」と決して受け取りませんが、あるいはこれが初代の臭みなのかも知れません。

一方、「陣屋」の別の行き方としては「陣屋」前半を主筋に当たる敦盛卿を討った悪い奴だから赤面で通し、後半で討ったのは直実の息子・小次郎であったことが分かって直実は実は忠義の人であったことを明かすということも、考えられます。つまりモドリの手法であって、これが本来の江戸歌舞伎的な丸本理解でした。そのような解釈は決して間違いではなく、歌舞伎的なドラマツルギーのプロセスからすれば、むしろそうなる方が自然であるとさえ言えます。前半と後半の直実の性格に一貫性を求める必要などない。むしろその落差を楽しむことこそ、歌舞伎の芸の楽しみ方だとするのです。 四代目芝翫の型はその流れです。芸の臭みのことを言うならば、本来こちらの方が臭いと言うべきでしょうが、臭気というものを芳香と感じるか・臭いと感じるかは多分に感覚的な問題です。映画に遺された初代の三役では、初代の芸が良い方向に、芳香として現れたと考えます。それが芳香であるならば、これを近代性と結びつけて良いと思います。芸の臭いことが必ずしも悪いわけではない。いずれにせよそれが作品の本質と密接につながるものでなければなりません。

そのような初代の芸の臭さ、良く言えば観客を徹底して楽しませようという気持ちが生きたであろう演目を初代の当たり役から挙げるならば、それは多分、世話物では「法界坊(隅田川続俤)」・「お土砂(松竹梅湯島掛額)」、時代物ならば「一條大蔵譚鬼一法眼三略巻)」ということになります。

ちなみに吉之助の著書「十八代目中村勘三郎の芸」の副題が「アポロンとディオ二ソス」となっていますが、これは故・勘三郎が「アポロン的な六代目菊五郎とディオ二ソス的な初代吉右衛門の芸を一身に兼ね備えることは可能か」という主題に拠っています。ここで云う「ディオ二ソス的な要素」とは、上述のような初代の要素を指しているのです。故・勘三郎が「法界坊」や「大蔵卿」で優れた演技を見せたことは、これは芸筋から見て当然のことです。そこに故・勘三郎のディオ二ソス的な面が見えるわけです。

山本吉之助:「十八代目中村勘三郎の芸 」(アルファベータ)

そこで「一條大蔵譚」のことですが、一般的には、阿呆造りの大蔵卿と・平家討伐の意思を秘めたシリアスな大蔵卿の性格の二面性をどう描き分けるか、というところが芸の興味となります。作り阿呆と本性との切り替えは、下手をすれば作為的になりやすく鼻白むものです。かと言って、これら相反する要素をひとりの人間のなかに統合しようとすると、分裂症的な様相を呈して、やはりそこにも無理が生じます。大蔵卿というのは演じるのが、なかなか難しい役なのです。

ところが 故・十八代目勘三郎の大蔵卿(平成17年3月歌舞伎座・十八代目勘三郎襲名披露興行)は、そこを技巧は技巧だとして割り切って、カチャカチャとチャンネルを切り替えるが如きに二面性を切り替えて行くのです。勘三郎のなかで大蔵卿の二面性は相反するものではなく、並列するもの なのです。その切り替えの鮮やかさ、軽やかさ。こういう大蔵卿もあるんだなあと、吉之助は感心して見たものでしたが、観客を徹底して楽しませようという気持ちで割り切ってやるならば、本人には別に難しいことをしているつもりはないのかも知れません。やはりこれは勘三郎のなかのディオ二ソス的な面、「菊吉」のなかの吉の部分なのです。初代が演じた大蔵卿も、こんな感じに近かったのだろうと吉之助は想像をします。
 

3)吉右衛門の大蔵卿

そこで今回(平成26年 4月歌舞伎座)の吉右衛門の大蔵卿のことです。これは大蔵卿の性格の一貫性を感じさせる作り方でした。つまり、本性の大蔵卿を性根の根本に置き、大蔵卿が作り阿呆を装っているということが明確に分かるのです。こういうやり方だとその性格の二面性に齟齬をきたすことが多いものですが、吉右衛門がこれを見事にバランス良くやってのけたので、吉之助は実に巧いものだと感心しました。この行き方が実事役者としての吉右衛門の芸風によく合っています。

まず大蔵卿が作り阿呆を装うということは、いつかは平家討伐の大望を果たす・そのための時節を待とうということです。ホントの阿呆かと思っていた大蔵卿が実は颯爽としてカッコ良いというサプライズは、芝居としては面白い。そこまではどこの歌舞伎の解説書にも書いてることですが、本当の「一條大蔵譚」の主題はもうちょっと別のところにあると思いますね。大蔵卿は武士ではなくお公家さんですから、本来源氏と平家の争いからはちょっと離れた立場にあるわけです。だから大蔵卿は作り阿呆を装って世の争いから身を守るわけですが、これは決して現実から逃避しているということではなく、これは大蔵卿なりの時勢への抵抗・反逆の手法であったと考えなければなりません。しかし、それは現在の自分が不本意ながら本当の自分を偽っているということでもあります。自分は本当の人生を生きていない・・・この状況が大蔵卿の悲哀なのです。ここは大事な点ですが、平家が壇ノ浦に亡びるのはまだまだずっと未来のことです。「命長成、気も長成、ただ楽しみは狂言舞」と言って大蔵卿は作り阿呆に戻ります。これは聞き流して良いように軽く書かれていますが、そこに吉之助は何となく大蔵卿の自嘲の響きを感じます。大蔵卿は、もっとシリアスに捉えられて良い要素を持っています。そのポイントを吉右衛門はよく押さえています。

まず檜垣茶屋ですが、ここでの吉右衛門の大蔵卿を阿呆で通して、本性を匂わせることをしません。幕切れ花道引っ込みでは、遠くから鬼次郎がこちらを窺っている様子を見やって目付きをギロッと正気に一瞬変えるのが普通ですが、吉右衛門はそれを しません。鬼次郎の方に視線を向けても阿呆のままの目付きでチラリとそちらを見やるだけです。本性を現すことは、御殿の最後の場面まで取っておく。本性の大蔵卿を性根の根本に置こうとする時には、技巧主義的に陥らないためにこれは正しい処置だと思います。

吉之助が特に感心したのは、大蔵卿がその本心を明かし・源氏の没落を回顧する物語りの巧さです。本性と阿呆が交錯する場面においても、大蔵卿が作り阿呆を装ったことの意味が明確に見えてきます。ですから阿呆は阿呆としてそれなりにおかしいけれども、どこかにシリアスな印象が漂います。これが「現在の自分は、不本意ながら本当の自分を偽っている・今は虚構の人生である」ということを基調に置いた大蔵卿の正しい感触です。これは初代の行き方、六代目贔屓が 貶すところの、臭い行き方とは確かに違いますが、吉右衛門は当代なりの見事な大蔵卿を作り上げました。近代的な視点から大蔵卿を捉えた・臭みのない大蔵卿なのです。この大蔵卿ならば、嫌味な六代目贔屓も文句は言えまい。吉之助としては、初めて心底納得が出来る大蔵卿を見たと思いました。

(H26・8・24)


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