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九代目幸四郎の内蔵助・孝太郎のおみの

平成26年6月歌舞伎座:「元禄忠臣蔵〜大石最後の一日」

九代目松本幸四郎(二代目松本白鸚)(大石内蔵助)、片岡孝太郎(おみの)


昨年4月の歌舞伎座再開場以来、菊五郎にしても吉右衛門にしても幹部連中の活躍充実ぶりは目を見張るものがありますが、幸四郎もまた例外ではありません。それにしてもこのところの幸四郎は、芸の感触がはっきり変わってきたことを感じさせますねえ。別稿「柿葺落興行の勧進帳」でも触れましたが、角々の決まりに余計な力を込めるところがなくなって・演技が滑らかに変化してきたようで、「他の時代物の役どころにおいても、幸四郎は変化していくかも知れない期待を抱かせる」と書きましたが、今回(平成26年6月)歌舞伎座での「大石最後の一日」の幸四郎の内蔵助の舞台を見て、この考えは吉之助にとって確信に変わりました。

壮年期には派手な技巧を売り物にしていたピアニストが、晩年に至って渋く落ち着いた芸に変化して行くということがあります。それは決して技巧が衰えて来たということでなくて、人生経験を以て楽譜を深く読み内面から滲み出たものを聴かせるものだから、もう技巧なんぞに頼らなくても良いのです。それを枯淡の境地なんて云ったりしますが、晩年のアルトゥ―ル・ルービンシュタインあるいはクラウディオ・アラウ などがそうであったでしょうか。

吉之助は別稿「左団次劇の様式」で触れた通り、真山青果と二代目左団次との提携作においては二拍子の急き立てるリズムが基調であることを申し上げています。初代白鸚(八代目幸四郎)の内蔵助は素晴らしかったですが、言葉ひとつひとつを噛み締めるように、しっかりしたリズムで台詞を喋ったものでした。これは青果の台詞が非常に理屈っぽいこと、内蔵助という役がどことなく分別臭いこととも関係しています。勢いで台詞をまくし立てても、内蔵助にならないのです。現・九代目幸四郎もそういうところから出発して自分の内蔵助を作ってきたわけですが、今回(平成26年6月)の舞台を見ると、前回(平成21年3月歌舞伎座)あるいは前々回(平成18年12月国立劇場)の時と比べても、演じ方が明らかに変化しています。言葉ひとつひとつにあまり力を込めず淡々と言う感じに変わりました。台詞を張り上げる場面でも極力抑えている。(そのせいか台詞がよく聞き取れないという声もあったようですが。)だから台詞のリズムが全面に出る感じはない。だから吉之助が良いことを書かないように思うかも知れませんが、実はその逆で、台詞の息がしっかり押さえられている。だから淡々としているようであっても、台詞に深みがあり説得力があって感服しました。まったく晩年のルービンシュタインがこうであったなあと、吉之助は幸四郎の内蔵助を見ながら、そんなことを思いました。そこにこれからの幸四郎の芸の深化をまざまざと見た気がしました。ただし幸四郎の内蔵助は、役の年齢をもう少し若く作っても良いのにと思うところがちょっとありますね。(史実の内蔵助の享年は45歳です。)

「大石最後の一日」の内蔵助は幸四郎の持ち役ですから良いのは当然としても、今回(平成26年6月)の舞台の成功の立役者は、何と言っても孝太郎のおみのです。もともと孝太郎は発声が明確で、客席の隅々まで台詞がよく通る役者です。どのおみの役者も十郎左を想う心情においては性根を置き方を間違ってはいません。そこのところはしっかりやっています。しかし、その想いが最後に自害まで突き進むという強さという印象において、孝太郎のおみのは、吉之助がこれまで見たどのおみのより優れていました。それは恐らくは声の芯の強さから出て来るのです。孝太郎はもっと重用されて良い女形だと思いますね。

ところでこれは別稿「言わずに・・聞かずに・・」でも書きましたが、もう一度触れておきますと、 原作脚本ではおみのと十郎左衛門との対面のシーンにおいて、

おみの)「十郎左さまの御肌身に、あの琴爪が・・・今の今まで、お持ち下されたという・・それだけで、おみのはお嬉しうござります。その上の御尋ねは、もはや御無用に存知ます。」
(磯貝)「おみの殿・・・」
(おみの)「十郎左さま・・・」
(内蔵助)「・・聞くなというのか。言うなというのか。聞かずに通してくれるか。言わずに通してくれるか。それはわしから頼むことじゃ。ふふふ、はははは。」

とありますから、ここで内蔵助の言うように「言わずに・聞かずに」ふたりの対面が終っていれば、おみのは死ななかったに違いありません。(ちなみに今回の幸四郎は内蔵助の最後の「ははは・・」の部分を あまり強くしませんでしたが、これは賢明な処置であったと思います。)ところが十郎左衛門が口走ってしまうのです。そこを青果はさりげなく、まったくドラマチックに描いていませんが、この場面こそが芝居の重要な転換点なのです。

(磯貝)「御親父杢之進さまにも・・・十郎左は婿に相違ござらぬ、婿でござると・・・申し上げて下され。」
(おみの)「はい・・・」
(内蔵助・・十郎左をへだてて)「おみの殿、さらば。」
(おみの)「お頭さま。」
内蔵助、ジッとおみのを見下ろして・・・。(第二場幕)

ここで十郎左が「十郎左は婿に相違ござらぬ、婿でござる」と言ってしまったこと が、おみのを自害させることになるのです。内蔵助は内心シマッタと思ったでしょう。だから、さりげなく十郎左衛門をへだてて、「おみの殿、さらば」と言うのです。内蔵助がジッとおみのを見下ろして幕となるのは、内蔵助は恐らくこの娘は死ぬであろうと思ったからです。そうさせないために、内蔵助は「聞かずに通してくれるか。言わずに通してくれるか」と言っていたのです。

ところが、いつの頃からこうなったかは分かりませんが、現在の第2場の終りは、まず内蔵助は十郎左衛門を奥へ下げて、次に「おみの殿、さらば」と言って内蔵助も去り、舞台はおみの一人だけになって泣きながらその場が暗転します。今回の上演も真山美保演出とクレジットされており、平成18年歌舞伎座での映像でも確かに同じやり方です。しかし、吉之助が所持する同じく真山美保演出の昭和52年12月京都南座での初代白鸚(八代目幸四郎)での上演映像では、原作通りのやり方です。だから真山美保がいつ頃からか演出を変えたか・九代目幸四郎が意図あって自分で変えたか、そこのところは良く分かりませんが、これは原作通りの方がずっと良いです。おみのの自害は、おみのが内蔵助に「一端の偽りは、その最後に誠に返せば、偽りは偽りに終りますまい」と言ったことの実行で、そうさせたくなかったから こそ内蔵助は「聞かずに通してくれるか、言わずに通してくれるか」と言っていたのです。そこのところの脚本の読みが、この演出ではちょっと甘い。まあそういうところはあるにせよ、そのような演出の弱さを救ったのは、孝太郎のおみの功績です。今回の「大石最後の一日」の舞台は、近年の上演のなかでも特筆すべきものと言えると思います。

元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)

元禄忠臣蔵 下 岩波文庫

田辺明雄:「真山青果―大いなる魂 (作家論叢書)(沖積舎)



 
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