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追悼:二代目猿翁(三代目猿之助)の舞台

二代目猿翁は、令和5年・2023・9月13日没。


本日(16日)松竹発表によれば、先日(13日)に二代目猿翁が亡くなったとのことです。吉之助には三代目猿之助と呼んだ方が実感があるので・そう書きますが、吉之助にとっての猿之助は、ちょうど歌舞伎に入れ込み始めた昭和50年代にまさに八面六臂の活躍を見せていた役者でした。吉之助の観劇歴は猿之助を抜きにしては語れません。

三代目猿之助については、いずれ別の機会を以て総括することとしたいと思います。突然のことゆえ、まだ気持ちの整理が付かないので、本稿では、吉之助の手元にある当時のチラシからいくつか紹介したいと思います。これで猿之助の活動の一端がお分かりいただけるでしょう。猿之助ほど「通し狂言」にこだわった役者はいません。通し上演することで・込み入った歌舞伎の筋を出来るだけ分かりやすく仕立てようとする考え方が、猿之助歌舞伎の根本にあるのです。このことは巷間あまり指摘されないようだけれど、猿之助は決して早替り・宙乗りばかりやっていたわけではないのです。そこのところをしっかり踏まえたうえで、いずれ猿之助歌舞伎論を書きたいと思っています。ご冥福をお祈りします。

(R5・9・16)


〇昭和54年・1979・11月・池袋サンシャイン劇場

通し狂言「奥州安達原」

開場間もないサンシャイン劇場で、映画と舞台を組み合わせた連鎖劇の形式を取って、珍しい二段目「鶴殺し」を復活し、難解な三段目「袖萩祭文」は地芝居の型を取り入れて、端場も付けて分かりやすく見せた意欲的な通し上演。写真は猿之助の安倍貞任。もちろん袖萩も猿之助です。

*当時のチラシはB5判でした。


〇昭和55年・1980・5月明治座

通し狂言「双絵草紙忠臣蔵」(にまいえぞうしちゅうしんぐら)

「東海道四谷怪談」初演(文政8年江戸中村座)での上演形式に則って、「忠臣蔵」と「四谷怪談」を一日でテレコ上演してしまおうと云う試み。写真は、猿之助のお岩と由良助。


〇昭和55年・1980・7月歌舞伎座

通し狂言「義経千本桜」全段通し上演

千本桜・三役は名優の証しと云うけれど、これを1日で全部演ってしまったのは、多分猿之助一人だけではないでしょうか。写真は猿之助の碇知盛。


〇昭和55年・1980・10月池袋サンシャイン劇場

通し狂言「源平布引滝」

通し上演によって「義賢最期」から「琵琶湖御座船」・「実盛物語」までを繋げて、斎藤実盛を巡る時代背景を分かりやすく描き出そうと云う試み。写真は猿之助の源義賢。


〇昭和56年・1981・4月明治座

通し狂言「裏表太閤記〜千成瓢猿顔見勢」(せんなりひさごましらのかおみせ)初演

猿之助と奈河彰輔のコンビによる、昼夜1日掛かりで「太閤記」の世界を描く通し狂言。真柴久吉が出世して天下を取るまでの本筋を表とし、これに関連する光秀などのエピソードを裏とする構成。


〇昭和56年・1981・7月歌舞伎座

通し狂言「独道中五十三駅」(ひとりたびごじゅうさんつぎ)復活初演

猿之助と奈河彰輔のコンビが四代目南北の幻の作品を再構築してエンタテイメントに仕立てたもの。猿之助十八役早替りと宙乗り。本公演で宙乗り千回を達成。


〇昭和57年・1982・7月歌舞伎座

通し狂言「天竺徳兵衛新噺」(てんじくとくべえいまようばなし)復活初演

前年の「独道中五十三駅」の」続編として猿之助と奈河彰輔のコンビが四代目南北の幻の作品を再構築してエンタテイメントに仕立てたもの。猿之助十八役早替りと宙乗り。公演中に足を骨折して13〜20日まで休演(代役は段四郎)を余儀なくされましたが、21日からはギプスを着けたままで舞台に復帰する猛優ぶりを見せ付けました。吉之助は復帰後の舞台も見ましたが、猿之助の動きからはどこを怪我したか分かりませんでした。


〇昭和57年・1982・10月新橋演舞場

通し狂言「新装鏡山再岩藤」(かきかえてかがみやまごじつのいわふじ)

同年4月に新装再開場したばかりの演舞場での、猿之助の御初御目見得は、お得意の「骨寄せの岩藤」。


〇昭和58年・1983・7月歌舞伎座

通し狂言「当世流小栗判官」(とうりゅうおぐりはんがん)復活初演

猿之助と奈河彰輔のコンビが近松門左衛門やその周辺作品を再構築してエンタテイメントに仕立てたもの。


〇昭和58年・1983・10月歌舞伎座

通し狂言「義経千本桜」・忠信篇の初演

昭和55年7月歌舞伎座での「千本桜」全段上演を元に、鳥居前・吉野山・四の切と狐忠信の件を抜粋して再構成した「忠信篇」の最初の公演です。

*昼の部は、孝夫の「馬盥の光秀」・歌右衛門の「春日局」。


〇昭和59年・1984・10月歌舞伎座

通し狂言「菊宴月白浪」(きくのえんつきのしらなみ)復活初演

猿之助と奈河彰輔のコンビが四代目南北の(文政4年河原崎座)初演以来埋もれていた作品を163年ぶりに復活。猿之助歌舞伎の復活物のなかで最も出来が良かったもののひとつ。

*昼の部では菊五郎による四代目南北の「玉藻前雲居晴衣」復活(武智鉄二演出)があったのですが、こちらも珍しい上演でした。


〇昭和61年・1986・2〜3月新橋演舞場

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」初演

梅原猛原作・長沢勝俊音楽・猿之助脚本演出による・まったく新しいスタイルの歌舞伎。

*実物は38pX38pの大判チラシです。


〇昭和61年・1986・7月・歌舞伎座

通し狂言「極付 伊達の十役」(慙紅葉汗顔見勢はじもみじあせのかおみせ

猿之助と奈河彰輔コンビの復活狂言の最大のヒット作・「伊達の十役」は昭和54年・1979・4月明治座での初演ですが、これはさらにアレンジの凝らし「極付」と冠しての歌舞伎座での再演。


〇昭和62年・1987・5月・新橋演舞場

「義経千本桜〜碇知盛・吉野山」(ニュー・ディレクション歌舞伎)

演舞場の舞台機構を駆使して、平面的な歌舞伎の舞台装置に、三次元の奥行きを持たせようとした猿之助の新演出「千本桜」。舞台上での大船での合戦、桜満開の森のなかでの静と忠信の幻想的な道行。チラシに「パート1」とあるけれど、残念ながら古典新演出は1回切りでしたが、この試みはその後のスーパー歌舞伎の演出のなかで生かされたと思います。


〇番外編:平成4年・1992・11月8日愛知県芸術劇場

R.シュトラウス:歌劇「影のない女」(猿之助による新演出プレミエ)

歌舞伎ではありませんが、猿之助の業績のなかでも特記しておきたいのが、バイエルン国立歌劇場からの依頼によって行った歌劇「影のない女」の新演出です。歌舞伎役者が本場ミュンヘンでR.シュトラウスを演出するのは、外国人が歌舞伎座で歌舞伎を演出するに等しいものです。

(R5・9・16)

(追記)

別稿「二代目猿翁(三代目猿之助)歌舞伎の思い出〜同時代的歌舞伎論」もご参照ください。


 




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