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文楽の「蝶々夫人」と「ハムレット」


先日雑誌である役者さん(歌舞伎畑の方ではないが・お名前を失念)のコラムを読んでいたら「洋物の芝居をなぜ恥ずかしくもなく、平気でやれるのか。どうして日本人の顔して、金髪かつらでロミオ・ジュリエットとか平気で呼び合えるのか実に不思議、日本の設定に置き換えればいいのに」と書いてありました。役者は別の人格になり切る事に喜びを感じるもので・金髪の外人に変われるなんてサイコーの別人格で役者は大喜びで演じるものと思っていた吉之助はちょっと驚きました。役者さんは観客の視線を意外と気にするものなんですねえ。しかし、そういう場合、筋をそのままでロミオとジュリエットを例えば与次郎とお梅とでも日本人の名前に置き換えればそれで 恥ずかしくなく演りやすくなるものなのでしょうか。吉之助にはそうは思えないのですけどねえ。そんなに恥ずかしいなら翻案なんてケチなこと考えないで、原作からコンセプトだけいただいて、始めから新作を書く 方がもっと自由に演れてよろしいのではないでしょうか。そうまでしてもやっぱり「ロミオとジュリエット」が演りたいのですかね。

先日(平成20年8月)歌舞伎でオペラの「アイーダ」を歌舞伎化した「野田版・愛陀姫」が話題になりましたが、これは戦国時代の日本への翻案でした。歌舞伎とオペラの類似性は吉之助が以前から言っていることですが、オペラを歌舞伎にするなら原作そのまま正々堂々無国籍歌舞伎風俗にしちゃえば良いのに・・などと吉之助は思うわけです。昔の近松門左衛門の「国性爺合戦」なんてそんなものなのです。吉之助のイメージのなかにあるのはニナガワ・カブキと呼ばれた昭和55年(1980)日生劇場での「NINAGAWAマクベス」です。ああいう過激さで無国籍風の衣装 (この時の衣装デザインは辻村ジュサブローでした)をデザインして芝居を演ればそれで良いと思うのです。しかし、その蜷川さんさえ歌舞伎座での「NINAGAWA十二夜」(平成17年7月)ではおとなしくなって、日本への置き換えで済ましちゃうのだからなあ。現代は世の中全体が保守的になっていることも影響しているかも知れません。

ところで下の写真をご覧ください。新作のリカちゃん人形のようにも見えますが、そうではありません。これは昭和31年(1956)の文楽の新作「蝶々夫人」でのお蝶夫人とピンカートンです。凄いと思うのは、ヒロインが日本人であるとは言え、原作に真正面からぶつかって、これをそのまま人形浄瑠璃化しようとしている点です。ほぼオペラの筋に忠実な浄瑠璃化で、オペラで有名なアリア「ある晴れた日に」に相当する場面は「思いは晴るる朝の海、沖に煙のたなびくは・・」という擬古文の文章になっています。この興行は当時なかなか評判が良かったそうです。やはり戦後という時代の雰囲気もあったと思います。

もうひとつ紹介する写真は、同じく昭和31年の文楽「ハムレット」のハムレットとクローディアスです。ハムレットの有名な「生きるか、生きざるか」という台詞ももちろん入っています。これも設定を日本に置き換えようなんて小細工は全然しない・まるごと人形浄瑠璃化なのに驚きます。当時の文楽ではずいぶん意欲的かつ実験的な作品が作られたのです。吉之助が子供の頃に見たNHKテレビの人形劇「八犬伝」(この時の人形デザインは辻村ジュサブローでした)などは案外こういう流れから来ているのかも知れません。

もちろんこうした試みは文楽が急速に人々の生活感覚と乖離していくことの危機感から出てきたものですから、この辺は昨今の歌舞伎の新作の動き(ちょっとブームとまでは行かないようですが)とはちょっと事情が違います。

(H20・9・15)


 

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