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軽やかな伊右衛門〜ドン・ジョヴァン二と伊右衛門

〜「東海道四谷怪談」

*「吉之助の雑談」に連載した「ドン・ジョヴァン二と伊右衛門」を改題したものですが、「吉之助の音楽ノート:モーツアルト・歌劇「ドン・ジョヴァン二」としてもお読みいただけます。


1)とっても古い歌

別稿「時代物としての四谷怪談」の冒頭に、モーツアルトの歌劇「ドン・ジョヴァン二」第2幕フィナーレの六重唱の歌詞を掲げておきました。これは石像の訪問者の「悔い改めよ」と言う要求をドン・ジョヴァン二が拒否して地獄に落ちた後に、ドンナ・アンナほかの登場人物たちが歌うフィナーレです。本稿はこのことについて考えてみたいと思います。

『そんなら、あの悪党は、プロセルピーナ(冥府の女王)やプルトーネ(冥府の王)と暮らせばいい。そして私たち、ああ、善人たちよ、私たちは楽しく繰り返そう、とっても古い歌を。これが悪人の最後だ!そして非道な者たちの死は、いつでも生と同じものなのだ!』

歌劇「ドン・ジョヴァン二」(1787年・プラハ初演)はロレンツォ・ダ・ポンテの台本ですが、ドン・ジョヴァン二(ドン・ファン)は中世期のスペインに伝わる伝説に出てくる人物です。女性を次々と誘惑する男が・その罪深い放蕩な人生のために罰を受け・地獄に落とされると言う・ファウストと同じ中世的な人物です。この作品には先行作がいろいろありまして、ダ・ポンテはそれらを参照しながら・台本を巧みにまとめています。このフィナーレの部分について言えば、1738年にヴェネチアの劇作家ゴルドー二が書いた5幕仕立ての悲喜劇「ドン・ジョヴァンニ・テノーリオ」の幕切れに典拠があるとされています。その幕切れは次のようなものです。

『なぜなら、人はその生にふさわしく死に、天はすべて堕落する者を憎んで、罪人を罰することを欲する』

この幕切れは当時のバロック演劇の形式に則ったものです。「この世は神によって完全に支配されており、神さまは「善は善・悪は悪」と正しく判断をしてくださる、神の栄光がそこに示されている」というのが、この時代の芸能(演劇でも音楽においても)の主題でありました。ダ・ポンテは「私たちは楽しく繰り返そう、とっても古い歌を」と書いていますが、ここでダ・ポンテは古い時代の演劇のテーマをリフレイン(繰り返し)しようとしているのです。(このリフレインがどういう意味を持つかは後ほど考えます。)

吉之助が「四谷怪談」の論考冒頭に「ドン・ジョヴァン二」の歌詞を掲げた意図はこれでお分かりでしょう。「私たちは楽しく繰り返そう、とっても古い歌を」という言葉を「四谷怪談」の場合に当てはめるならば、それは「仮名手本忠臣蔵」を指すということになります。そのように吉之助は見て論考を進めておりますので、以下をそのようにお読みください。

(H18・9・30)


2)同時代劇ということ

歌劇「ドン・ジョヴァン二」の時代設定は一見すると明確ではないですが、実は「ドン・ファン」伝説が誕生した17世紀のスペインではありません。それがはっきり分るのは第2幕第13場でレポレッロが晩餐の準備をしているところで・舞台上の楽師たちが奏でる音楽からです。それはその年(1787)にプラハで上演されて人気のヴィンセンテ・マルティン・イ・ソレルの歌劇「ウナ・コサ・ラーラ(珍事)」からの旋律、次に 前年(1786)にウィーンで初演され・当時やはりプラハで流行していたモーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」のアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の旋律です。「ウナ・コサ・ラーラ」には大喜びのレポレッロは、「もう飛ぶまいぞ」には「そいつはあいにくご存知さ」とそっけない態度です。これは楽屋オチということもありますが、歌劇の時代設定が1787年であること・つまりこれが同時代劇であるということを示しているわけです。

パリのバスティーユ監獄が襲撃されて・フランス革命が勃発するのは1789年のことです。(ちなみにモーツアルトが死去するのは1791年です。)つまり、歌劇「ドン・ジョヴァン二」は旧体制(アンシャンレジーム)期の作品ですが・すでに内面に沸々とたぎる革命への息吹きが時代のなかに漂い始めた時期の作品だと言うことです。実際、歌劇「ドン・ジョヴァン二」を読むためにはこれが同時代劇であるという認識が必要です。

一方、「四谷怪談」は文政8年(1825)江戸中村座での初演で「忠臣蔵」とテレコで上演されていることから分るように、世界を太平記に取っています。ということは室町時代ということなのですが、しかし、誰だって赤穂義士の討ち入りは元禄時代の事件であったこと・それを室町時代に当てはめて劇化していることくらいはご存知なのですから、「四谷怪談」もやはり間違いなく同時代劇なのです。(ここでは元禄と文政のタイムラグは同じ江戸時代のこととして無視できます。)「四谷怪談」には浅草寺雷門・隠亡掘・蛇山などまさに同時代の江戸であることを示す地名と風俗がたくさん出てきます。無理に「忠臣蔵」に関連付けようと言うなら・江戸を鎌倉に・浅草寺を極楽寺にでも移すことをしたのでしょうが、南北はそんな矛盾などへっちゃらで・同時代劇を堂々と主張しています。

したがって、歌劇「ドン・ジョヴァン二」も・「四谷怪談」も同時代劇なわけですが、その時代設定には二重構造があるのです。ひとつは主人公がアイデンティティーを発するところの古い時代です。もうひとつは、そこから発展変革して・新たなものを生み出していこうという新しい時代がすぐそこに来ているということです。大事な点は新しい時代が必ずしも旧時代のものを全否定しているわけでないということです。もちろん否定の要素もありますが・反発あり・ひねくれあり・愛情あり・郷愁あり、なかなかその思いは複雑なものです。旧時代は故郷であり・父親であることは間違いないからです。しかし、息子が成長するためには一度は父親と対決せねばならないということもあるようですね。

ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」(映画化もされました)冒頭では、「ドン・ジョヴァン二」序曲冒頭の和音が父レオポルドとの確執のなかでの・息子ヴォルフガングの想いとして印象的に扱われました。ドン・ジェヴァン二を地獄に落とす石像の訪問客に父レオポルドのイメージが重なります。したがって「私たちは楽しく繰り返そう、とっても古い歌を」という古い歌は、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキーナ)のように・劇の最後に取ってつけて歌われる形式的な歌ではあり得ないのです。しかし、リフレインされる古い歌は、 同じ歌であっても・もはや昔と同じようには歌えません。「四谷怪談」における「忠臣蔵」もそのように考える必要があると思います。

(H18・10・4)


3)引き裂かれたドン・ジョヴァン二

歌劇「ドン・ジョヴァン二」は1787年にプラハで初演され・成功を納めましたが、その後ただちに人気作というわけではなかったのです。モーツアルトの音楽の素晴らしさを認めつつも、不道徳で怪しからぬ内容のオペラであるとされた時代が長く続きました。19世紀には「ドン・ジョヴァン二」は「光と闇のドラマ」として上演されることが普通でした。主人公ドン・ジョヴァン二は黒い衣装を身にまとい、悪魔に魂を売ったデモーニッシュな人物として描かれました。そして、女性から女性へと永遠に彷徨えるドン・ジョヴァン二を救い出すのが、彼を憎みつつも・抗いがたく愛しているドンナ・アンナです。ハッピーエンド的なフィナーレの六重唱はカットされて、オペラは石像の訪問客によってドン・ジョヴァン二が地獄に落とされる場面で悲劇的に締められたものでした。19世紀的な感性は予定調和的なフィナーレを拒否したのです。この六重唱についてカーマンは次のように書いています。

『このエピローグは、問題に対する答えをいっさい与えてくれない。それはただ、ドンのいない人生がいかに退屈なものかということを示すだけである。』

つまり、ハッピーエンドの六重唱は取るに足らないと言うわけです。ドン・ジョヴァン二は飽くなき理想を求めて既成道徳に反抗した人物である・そのような不道徳な人間 は地獄に落とされなければならない・・・そう言いながら、逆に言えばそれほどに19世紀的感性はドン・ジョヴァン二の悪魔的な魅力に抗し難く捕われていたと言うことです。

歌手で言うならば、チェーザレ・シエピあるいはティト・ゴッビの歌うドン・ジョヴァン二の重厚かつ悪魔的なイメージでしょうか。幸い1954年ザルツブルク音楽祭でのシエピのドン・ジョヴァン二(指揮はフルトヴェングラー、演出:グラーフ)の映像がDVDで見られますが、その舞台は19世紀のドン・ジョヴァン二観の影響を濃厚に引きずっています。(注:この舞台ではフィナーレの六重唱は演奏されています。)

上は19世紀の有名なドン・ジョヴァン二歌手であったハインリッヒ・ブルーメ。1815年頃のベルリン王立オペラでの舞台。

黒い衣装に身を包み・虚無的かつ悪魔的な魅力を持つドン・ジョヴァン二のイメージ、これは歌舞伎の「色悪」のイメージにどことなく通じます。色悪の魅力とは何でありましょうか。彼らはまったくどうしようもない奴で、やっていることはとんでもない事なのです。しかし、彼らは自分を取り巻く閉塞した状況を自らの行動で打開しようとする意志は持っている人間と言えるかも知れません。状況に不満を感じながら何も変えようとしない善人たちより、もしかしたらその点においてのみ・ちょっとは見所がある奴なのかも知れません。多分そのことが(そのことだけが)歌舞伎の色悪を魅力的にしているのです。

(H18・10・7)


4)行き過ぎた急進性

中世以来、ドン・ジョヴァン二が不道徳であるとされてきた背景は、彼が単に女たらしであるということだけではありませんでした。(女にモテるということはある意味でいつの世でも男の願望なのですから。)彼が無神論者あるいは無政府主義者に見えたということにあります。ドン・ジェヴァン二の従者であるレポレッロの歌う有名な「カタログの歌」の歌詞を見てみます。

『可愛い奥様、これが目録です。私の旦那が愛した女たちの、この私が作った目録なんですよ。御覧なさい、私と一緒にお読みください。イタリアでは640人、ドイツじゃ231人、フランスで100人、トルコで91人、だがスペインじゃもう1003人。そのなかにゃ田舎娘もいれば、下女もいるし、都会の女もいる。伯爵夫人、男爵夫人もいれば、侯爵令嬢、王女さまもいるし、あらゆる身分のご婦人、あらゆる姿かたち、あらゆる年齢のご婦人がおりますよ。(略)お金持ちの女だろうが、醜くかろうが、美人だろうが我は張らぬ。ぺティコートさえつけてりゃ、あの方が何をするかはご存知でしょ。』(第1幕第5場:「カタログの歌」)

ドン・ジョヴァン二は、身分も金も・年齢も美醜も関係なく・女たちを分け隔てなく愛します。その意味でドン・ジョヴァン二は、当時は既に形骸化していた封建領主の特権である初夜権を振りかざし・使用人のスザンナを追い駆け回す歌劇「フィガロの結婚」(1786年ウィーン初演)のアルマヴィーヴァ伯爵の願望の延長線上にある存在です。アルマヴィーヴァ伯爵はひと夜を要求し、ドン・ジョヴァン二はすべての夜を要求するというわけです。 ドン・ジョヴァン二は飽くことを知りません。決して妥協をしないのです。だから、女たらしの貴族ドン・ジョヴァン二は中世に生まれた人間像であり、旧体制(アンシャン・レジーム)の落とし子なのです。まずこの点を押さえて置く必要があります。

さらにもうひとつ、女たらしのドン・ジョヴァン二はもちろん「女の敵」ですが、実はそれ以上に「男の敵」なのです。ドン・ジョヴァン二が 男にとって危険なのは・その男から妻あるいは恋人を奪い取るという意味ももちろんありますが、それだけではありません。ありとあらゆる階級の女を誘惑し・その魅力の虜とすることで、男たちが作り上げ・女たちもそこに組み込まれているところの社会構造・そして社会道徳を根底から揺さぶる ということです。女たちはドン・ジョヴァン二の魅力に取りつかれ、ドン・ジョヴァン二によって彼女たちが囲われていたところの社会的拘束から自由になれると感じるのです。それは一時的な幻想であり・後には破滅が待ち受けているのですが、しかし、女が一度は夢見るだけの価値がある幻想でありました。

これはあらゆる階級の男たちが阻止したいことでありました。だから男たちの抵抗が強ければ強いほど、ドン・ジョヴァン二の意欲は高まるのです。障壁が多いことがドン・ジョヴァン二をそそるのです。それが証拠に・カタログの歌の歌詞を見れば、ドン・ジョヴァン二の誘惑した女の数は一夫多妻のトルコで91人と一番少なく、宗教的 規制の強い保守的なスペインにおいて1003人と圧倒的に多くなります。

ドン・ジョヴァン二は女たちのみならず・男たちとも対立し、あらゆる階級と折り合いません。旧体制の出身でありながら旧体制と対立し、旧体制を否定しながら・旧体制のみならず・次の時代に台頭していく新体制とも折り合わないのです。そこにドン・ジョヴァン二の 行き過ぎた急進性・革新性があります。それゆえドン・ジョヴァン二は不道徳であるとされたのです。

(H18・10・13)


5)19世紀の伊右衛門

文政8年(1825)江戸中村座初演では「四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」とテレコで上演されました。しかし、その後の「四谷怪談」はお岩の怪談芝居として人気になり・単独での上演が繰り返されてきました。お化け芝居として上演されるにつれて・「忠臣蔵」との関連が次第に弱くなっていきます。お岩をさらに怖くしようとするならば、その怨念の対象である伊右衛門もそれにふさわしい残忍な悪人でなければなりません。こうしてお化け芝居としてのお岩の肥大化につれて、伊右衛門は極悪人に次第に仕立て上げられていきます。

幕末期に上演されていた南北作品は「四谷怪談」と「馬盥の光秀」くらいになって南北は影が薄くなりますが、明治になると西洋の近代劇のセンスで再評価されて、南北は再び脚光を浴びるようになります。伊右衛門は封建社会に敢然と反抗し、あくなき自由を求めるニヒルな近代人的性格を持つ人物であると解釈されました。「首が飛んでも動いてみせるわ」という台詞実はこれは初演の台本にはなく、大坂での再演で付け加えられた台詞です)が、伊右衛門のふてぶてしい反抗精神を示すものだとされました。現代の伊右衛門のイメージはこうした過程で出来上がったものです。

こうした伊右衛門の「色悪」の印象は、19世紀における「引き裂かれたドン・ジョヴァン二」解釈と似ているところがあります。その背景に19世紀の共通した時代感覚があるのです。ひとつには社会経済が大きく変化し・個人に対して状況が重く圧し掛かってくる世紀末的状況がありました。19世紀は社会倫理の基準が揺らいでいた時代であったのです。

ドン・ジョヴァン二は究極の恋を求めて苦悩する放浪者であると見なされました。ドン・ジョヴァン二ほどの色事師ではないにせよ・伊右衛門の「色悪」のイメージにもこれと似た・「色に掛けて世を渡ろうとする悪人」というイメージが重ねられています。そこでは個人に重く圧し掛かってくる状況の存在・その非人間性が強く意識されています。その非人間的なものは醜く恐ろしい顔をして・伊右衛門に重圧を掛け・どこまでも執拗に追いかけてくるのです。しかし、伊右衛門は決して妥協をしません。あくまでも自由を求めて逃げ回わります。19世紀的な感性は伊右衛門をそのような人間であると見たわけです。

(H18・10・16)


6)軽やかなドン・ジョヴァン二

19世紀の感性は、ドン・ジョヴァン二の地獄堕ちの場面を重要視しました。地獄堕ちの場面で物語は悲劇的に締められ、予定調和のハッピーエンドの六重唱は省かれました。

騎士長「悔い改めるのだ、生活を変えるのだ、最後の時なのだ。」
ドン「いやだ、いやだ、わしは悔い改めはせぬ、わしから離れてくれ。」
騎士長「悔い改めるのだ、悪党め」
ドン「いやだ、頑固な老いぼれめ。」
騎士長「悔い改めるのだ」
ドン「いやだ。」
騎士長「悔い改めるのだ」
ドン「いやだ!」
(第2幕第15場)

こうしてドン・ジョヴァン二は地獄に落ちるのですが、19世紀の感性はこのドン・ジョヴァン二の地獄落ちを彼の「選択」の結果であると読みました。ドン・ジョヴァン二は騎士長の石像に「悔い改めよ」と迫られ、これを「いやだ」と拒否します。これはつまり、ドン・ジョヴァン二を悔い改めることを敢然と拒否し、もう片方(地獄行き)を選択したと19世紀の感性は読んだのです。

これは「究極の選択」と言われるものです。例えばリンゴとミカンとどちらが食べたい?と聞かれて、もしあなたがリンゴを取るならば・あなたはミカンを拒否したことにになる。いや、別にミカンを拒否したつもりはないとあなたは言うでしょうが、究極の選択ではそういうことになるわけです。そこに選択の重みがあり、選んだことの責任・ 選ばなかったことの負い目が常につきまといます。ドン・ジョヴァン二の場合はそれは「悔い改めるか・さもなければ地獄落ちか」と言う究極の選択です。永遠の誘惑者は悔い改め・生活を正すくらいならば・あえて死を選んだと、19世紀の感性はそこにドン・ジョヴァン二の悲劇性を見たわけです。

しかし、別の見方ももちろんあり得ます。そもそも「悔い改めるのだ」と言われてドン・ジョヴァン二が「いやだ!」と叫んだのは「選択」したということなのだろうかということです。これがもし「選択」でないならば、ドン・ジョヴァン二はその重さから解き放たれることになります。そのような軽やかなドン・ジョヴァン二があり得るのではないでしょうか。なぜならばドン・ジョヴァン二は女性とあらば片っ端から誘惑するのですから。女性を選ぶなんてことは決してないのですから。ドン・ジョヴァン二は生まれながらの誘惑者 なのですから、選ぶなんてことは絶対しないのです。

実は「ドン・ジョヴァン二」には、黒い衣装を身にまとい・悪魔に魂を売ったデモニッシュなイメージとはまったく異なる・もうひとつの系統の演出が存在します。それは、きらめく純白の衣装に身を包んだ・華やかな伊達男ドン・ジェヴァン二です。その代表的なものは、イタリアの名歌手エツィオ・ピンツァの演じる軽やかな誘惑者としてのドン・ジョヴァン二で しょう。幸い1942年メトロポリタン・オペラでの素晴らしいライヴ録音(ブルーノ・ワルター指揮)が残されています。現代の舞台演出では、このような 「軽やかな」ドン・ジョヴァン二が主流になっています。

の写真はエツィオ・ピンツァの扮するドン・ジョヴァン二。20世紀の最も偉大なドン・ジョヴァン二歌手。

同じような役柄解釈の変化の例としてヴェルディの歌劇「オテロ」のイヤーゴが挙げられます。イヤーゴもちょっと昔まではいかにも腹に一物ありそうな・虚無的な暗い人物に描かれたものでした。これもいかにも十九世紀的なイメージです。しかし、現代ではむしろ優男で・明るい感じに描かれることが多くなっています。イヤーゴは優しい顔をしながらオテロに近づき・嘘をささやきます。オテロに対して悪意があるのか・それとも騙すのが楽しい性格なのか・それさえも分りません。

このようにドン・ジョヴァン二やイヤーゴの性格が「軽やかさ」の方に変化していくことは、そのまま現代の感性のある部分を映し出しています。それは複合的な状況の不条理性を問うものかも知れません。

(H18・10・21)


7)軽やかな伊右衛門

軽やかなドン・ジョヴァン二の理論的先駆けとなったのがキルケゴールです。キルケゴールは著書「あれかこれか」のなかでドン・ジョヴァン二論を展開し、当時一般的であった「魂の救済を求めて苦悩するドン・ジョヴァン二」の重苦しいイメージを取り払い、絶え間ない浮遊状態にあり・軽やかに誘惑するドン・ジョヴァン二像を作り上げました。

『モーツアルトの「ドン・ファン」は非道徳的だとよく言われる。だが今や正しく理解すると、それは賞賛でこそあれ、非難を意味するものではない。このオペラでは誘惑者について単に語られているだけではない。そこに誘惑者がいるのだ。そして、音楽が個々においてしばしば十分な誘惑的な効果を発揮していることも議論の余地がない。(中略)このオペラが決定づけている方向はすぐれて道徳的であり、このオペラがもたらす印象はと言 えばすぐれて善的なのである。と言うのも、すべてに偉大さが浸透しており、あらゆる情熱、喜びと厳粛、享楽と憤激、これらが作為のない・真のパトスとなってあふれ出ているからである。』(キルケゴール:「あれかこれか」)

キルケゴール:  ドンジョヴァンニ/音楽的エロスについて (白水Uブックス)

本稿をここまで読めば吉之助の意図は大体お分かりかと思いますが、吉之助は伊右衛門の色悪的イメージの解体を試みたいと思うのです。色悪の伊右衛門は明治期の南北解釈から一歩も発展していないように思われます。伊右衛門から色悪の重さを取り払いたいと思うのです。

もちろんドン・ジョヴァン二と伊右衛門はそれぞれ異なった性格を持っています。また作品が描いている状況もまたそれぞれ異なります。しかし、ドン・ジョヴァン二をデモーニッシュな性格に読み込もうとする感性と・伊右衛門を色悪に読み込もうとする感性には共通した19世紀の重苦しい 世紀末的感性が見られます。そう読み込むことに19世紀の感性の必然があるのは当然のことです。しかし、21世紀にはもう少し別の見方をして見たいと思うのです。その共通した重苦しさを取り除くと、恐らく鶴屋南北が初演時に想定したところの・軽くて薄っぺらな伊右衛門が現われてくるであろうという目算が吉之助にはあります。

その取っ掛かりがキルケゴールにあります。「このオペラでは誘惑者について単に語られているだけではない・そこに誘惑者がいるのだ」と言うことです。生まれながらの誘惑者には「選択」する必要などありません。なぜなら誘惑者そのものなのですから。だからドン・ジョヴァン二に「悔い改めろ」などと言っても意味がないことになります。そのことがドン・ジョヴァン二の軽やかさを生みます。ドン・ジョヴァン二は選択の負い目など負うことはないのです。

伊右衛門の場合を考えて見ます。伊右衛門は塩冶浪人ですから・もちろん武士です。しかし、御用金紛失の不祥事に深く関わりのある人間であり・忠義心に欠けた人間なのは明らかです。何かデカいことやってやるという気がないわけでもないのですが、浪人なのに・積極的に職を求めようとせず・フラフラとしており・努力する気がない。たまたま隣家の娘が惚れてくれたおかげで伊藤家の婿になって・高師直に仕官しようとするわけですから、反体制の意識があるようにも思えません。要するに伊右衛門は行き当たりばったりに生きている男です。「四谷怪談」が初演された文化文政期にはこのような禄を失って路頭に迷う浪人武士が多くなっていて・社会問題になりつつあったことを頭に入れておかねばなりません。定職につく気が無くて・働く意欲もなく・ただブラブラと暮らす若者が増えている現代もちょっとこれと似た状況があることに気がつくと思います。

つまり、伊右衛門は本来が軽い・薄っぺらな性格なのです。厳密に言えばこれは「軽やかさ」とは感じがちょっと違いますが、「重苦しさがない」ことでは共通していますし、役としてある種の魅力を帯びなければ面白い芝居にならないわけです。だから、吉之助はここで「軽やかな伊右衛門」のイメージを提起したいと思います。伊右衛門はお岩に付きまとわれながら「恨めしい、悔い改めよ、生活を変えるのだ」と言われて逃げ回っています。しかし、伊右衛門は「選択」する気などさらさらないのです。なぜならば彼はこうなってしまったのが自分のせいだと思っていない からです。何が悪かったのか・何を反省していいのか、伊右衛門は根本的に分っていないのです。だから、伊右衛門は「選択」する負い目も感じることはないのです。これが伊右衛門の「軽やかさ」の正体です。

「軽やかな伊右衛門」を「無責任な伊右衛門」と言い換えても良いと思います。古い流行語で恐縮ですが植木等的な無責任ということです。もっとも昭和30年代の無責任男はアッケラカンとしてましたが、平成の無責任男はやや投げやりの風があるかも知れません。無責任男を「いい加 減にしろ」とか「お呼びじゃない」とぶっ飛ばしてコントは終わりになるわけですが、まあ「四谷怪談」が道徳的だと言うのもあまり大げさに考えずに・その程度に考えておけばよろしいことだと思います。

(H18・10・27)


8)アイロニーとしてのお岩

「四谷怪談」において伊右衛門を討つのが封建社会の論理であるという見方があります。これは必ずしも間違いとは言えませんが、もう少し分析が必要です。伊右衛門を討つのは奉行所のお役人のような・お上の権威の直接的な執行者でないのです。伊右衛門を討つのは、四十七士のひとりである佐藤与茂七です。四十七士はもちろん武士ですが、正確には禄を離れた元武士(浪人)です。つまり、四十七士は封建社会の側の執行者ではないのです。しかし、彼らは正義の観念は正しく持っている人間であって・「まともな武士」であるということが言えます。「忠臣蔵」の四十七士は江戸の世にあっては武士の鑑であったということを忘れてはなりません。

つまり、伊右衛門を討つのは「体制」ではなく・「まともな武士」だということです。言い換えれば「真人間・道徳的に正しい人間」と言っても良いと思います。だから、与茂七が伊右衛門を討つ「四谷怪談」の大団円が倫理的な意味合いを帯びるのです。四十七士が守護する「忠臣蔵」の世界が「四谷怪談」を包み込むことになります。これが「四谷怪談」の大団円の意味です。

キルケゴールが「このオペラが決定づけている方向はすぐれて道徳的であり、このオペラがもたらす印象はと言えばすぐれて善的なのである」と言うことは、「四谷怪談」にもそのまま当てはまります。その幕切れを見れば「四谷怪談」 もまた道徳的であり・善的であると言うことができます。このことは「忠臣蔵」に絡め取られる時代物としての大団円から引き出されてくるものです。そこに南北の健康な批判精神が見えてきます。さらにキルケゴールの「ドン・ジョヴァン二像」を見ていきます。

『オペラの登場人物はキャラクターとして見通されるほど反省されている必要はない。したがって、当然、オペラにおいてはシチュエーションは完全に発展されたり、展開されたりはできないということになる。同じことが行為(ハンドリング)にもあてはまる。厳密な意味で行為(ハンドリング)と言われるものは、意識と結びついてある目的に向かう行動のことであるが、これは音楽の表現能力の手の届かないところのものだ。そしてオペラにあるのは、いわば直接的行為のみである。「ドン・ジォヴァン二」では、この両者が該当する。行為が直接的行為そのものなのである。私はここで、ドン・ファンがいかなる意味で誘惑者であるか、ということを思い出す。また、行為が直接的行為であると言う・そのことが反映して、この作品ではアイロニーが極めて大きい役割を果たすことになる。なぜなら、アイロニーは直接的な生の鞭・懲らしめであり、また常にそうなのだ。一例を挙げてみると、騎士長の登場はすさまじいアイロニーである。ドン・ファンはあらゆる妨害に打ち勝つ。が、人は亡霊を殺すことはできない。シチュエーションは徹底して気分によって運ばれる。』(キルケゴール:「あれかこれか」)

ここでキルケゴールは「ハンドリングHandling」という言葉を使っています。「ハンドリング」については別稿「近松心中論」で引用したように・ワーグナーも同じ言葉を使っています。なお、キルケゴールの「あれかこれか」は1843年の出版でして・ワーグナーが初めてこの言葉を使用した1859年より早いもので、これはワーグナーの影響を受けたものではないことが明らかです。また研究者に拠ればワーグナーがキルケゴール の本を読んだ形跡はないそうです。したがって、ふたりがそれぞれ独自の思索から「ハンドリング」という概念にたどり着いているわけです。

「ハンドリング」について、キルケゴールは「直接的な行動・行為」としており・ワーグナーは「劇(ドラマ)における内的な移行手法」のことを言っています。その共通したコア・イメージは「たゆまなく浮遊し・揺れる状態」ということです。つまり、存在そのもの・生き方そのものが揺れているということです。キルケゴールはそこにドン・ジョヴァン二の軽やかさを見ているわけです。

伊右衛門のイメージは絶えずユラユラと浮遊しています。ある時は極悪人のようでもあり・ふてぶてしく・虚無的でもあり、ある時は情けない小心者のようでもあります。そしてある時は伊藤家が婿に迎えようとするくらいだから立派な男にも見えたのでありましょう。お岩も一度は惚れた男です。また伊右衛門はある時はお岩を愛し・慕い・ある時は邪険に毛嫌し、またある時は怖れて逃げ回るのです。伊右衛門の行動は一貫性・持続性がなくて、実に「軽い」のです。恐らく伊右衛門なりにその時々の真情があるのだろうと思います。しかし、そのことは他人には分かりません。このような分裂した様相がある意味で現代的にも思えます。このような伊右衛門の生き方そのものを懲らしめる存在(アイロニー)としてお岩の怨霊があるのです。

騎士長「悔い改めるのだ、生活を変えるのだ、最後の時なのだ。」
ドン「いやだ、いやだ、わしは悔い改めはせぬ、わしから離れてくれ。」
騎士長「悔い改めるのだ、悪党め」ドン「いやだ、頑固な老いぼれめ。」
騎士長「悔い改めるのだ」
ドン「いやだ。」
騎士長「悔い改めるのだ」
ドン「いやだ!」
(第2幕第15場)

お岩の怨霊は伊右衛門の裏切りを責めているのではなく、もっと深いところで・伊右衛門と言う存在に対するアイロニーなのです。伊右衛門はお岩を裏切ったのではなく・つまり「選択」をしたのではなく・単に放り出して逃げただけなのかも知れません。ここにおいて「四谷怪談」の時代物としての幕切れの意味が見えてきます。

(H18・10・31)


9)鳴り響く気分

『あらゆる劇的シチュエーションと同じく、音楽的シチュエーションも同時的なものを持つが、力の働きは一種の交響、一種の共鳴であり、調和であり、音楽的シチュエーションの印象は、ともに鳴り響くものを共に聴くということによって生じる統一である。劇が反省しつくされていればいるほど、ますます気分は明白に行動(ハンド リング)として現われる。行動(ハンドリング)が少なければ少ないほど、ますます叙情詩的契機が有力になる。このことはオペラにおいてはまったく当を得ている。オペラは性格描写や行動のなかにはあまりその内在的な目的をおいてはいないが、それはオペラがあまり充分に反省的でないからである。それに反してオペラのなかでは、反省されない実態的な情熱が表現される。音楽的シチュエーションは、分離した声の多数における気分の統一に存する。音楽が声の多数を気分の統一のなかに保ちうるということこそは、まさしく音楽の特異な点である。」(キルケゴール:「あれかこれか」)

ここでキルケゴールは演劇とオペラのシチュエーションの対比を行っています。一般的に西洋近代演劇でのシチュエーションは作品の主人公に集中し・他の登場人物は主人公との関係において相対的な位置を占め るものです。言い換えれば、主題が明確になればなるほど・副人物たちはそのなかで相対的な絶対性を持つようになります。逆に演劇が気分に支配される要素が強い 場合には、そのような劇は主題が明確でないという印象になります。これは近代演劇においては欠点になるのですが、オペラにおいてはそうではないとキルケゴールは言っています。だからオペラにおける登場人物は徹底的に反省されている必要はないともキルケゴールは言っています。この意味において歌舞伎の劇的シチュエーションはオペラのそれに近いものであることが理解できると思います。歌舞伎においても登場人物は徹底的に反省される必要はないのです。

オペラの登場人物はそれぞれ勝手に振舞っているように見えますが、実はそれらはすべてひとつの「鳴り響く気分」によって支配されています。それは「一種の交響、一種の共鳴であり、調和であり、音楽的シチュエーションの印象はともに鳴り響くものを共に聴くということによって生じる統一」なのです。オペラの音楽の内的気分の統一は幕切れ・つまり最後の協和音による終結において果たされます。歌劇「ドン・ジョヴァン二」が古典的な構図を持つのはそれ故なのです。逆に言いますと、終結を果たすためにオペラは幕切れに古典的な構図を求めるのです。

「ドン・ジョヴァン二」という同時代オペラ(それは非常にラジカルな試みでありました)は無事に終結を迎えるために・もう一度ドン・ジョヴァン二芝居の原型を回顧する必要がありました。ダ・ポンテはゴルドーニの先行作の幕切れを振り返り、リフレイン(繰り返し)をしているのです。そこで繰り返される古い歌はもはや同じ歌ではあり得ないのですが。

『そんなら、あの悪党は、プロセルピーナ(冥府の女王)やプルトーネ(冥府の王)と暮らせばいい。そして私たち、ああ、善人たちよ、私たちは楽しく繰り返そう、とっても古い歌を。これが悪人の最後だ!そして非道な者たちの死は、いつでも生と同じものなのだ!』

「四谷怪談」幕切れにおける佐藤与茂七の討ち入り装束・繰り返される「仮名手本忠臣蔵」の古い歌もまさに同じ意味を持つのです。鶴屋南北は「四谷怪談」の同時代劇に古典的構図を持たせるために・古い歌をリフレインしているのです。「仮名手本忠臣蔵」は赤穂浪士の討ち入りという江戸の同時代の出来事を室町時代の架空の出来事として劇化したものでした。だから「忠臣蔵」は 伊右衛門にとっての古い歌なのです。伊右衛門はそこから発し・そこから逃げ出し・そして再びそれに取り込まれます。

ここで大事なことは、古典的構図を得るために幕切れは協和音で終結しなければならないということです。幕切れの協和音とはすなわち、すべてを「然り」と変えるものです。協和音は根本的に肯定を意味するものです。「四谷怪談」の世界が「忠臣蔵」の世界と対立し・これを否定 しようとするものではないことが、大詰「蛇山庵室」幕切れの古典性において理解できると思います。「四谷怪談」幕切れはすべてを「然り」と受け入れて・「鳴り響く気分」の統一によって締められるのです。

 

(H18・11・3)


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