武士道における「義」を考える
〜吉之助流「武士道論」・その2
1)「代表的日本人」
ジョン・F・ケネディが米大統領に就任した時のこと、ある日本人記者がインタビューで「日本人で尊敬する人はいますか」と質問した ところ、ケネディは即座に「 はい、それは上杉鷹山(ようざん)です」と答えて相手を驚かせました。その記者さんは鷹山を知らなかったそうです。 みなさんは鷹山をご存知ですか。鷹山は窮乏にあえぐ米沢藩の財政を立て直した名君として知られ、戦前は二宮尊徳と並んで「修身」の教科書で最も多くの頁を割いた人物でありました。
どうしてケネディが上杉鷹山を知っていたかと言うと、ケネディは内村鑑三の「代表的日本人」を読んでいたからでした。「代表的日本人」(原題:Representative Men of Japan, 1908年)は英語で書かれたもので、米国ではよく読まれた本でした。そこに取り上げられている日本人は、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人の五人です。ご存知の通り・内村はキリスト教徒ですが、日本人のなかにも西洋人に優るとも劣らない人物がいるということを世界に訴えようとしたのでした。
内村鑑三:代表的日本人 (岩波文庫)
正直言って米国の政治家にとっては・知っても知らなくても大勢に影響ないような東洋の一国の人物たちの話を、ケネディがどう考えながら読んだのかは興味あるところです。こういう場合は当然ながら、誰だって自分の尺度で計りながら物事を理解 しようとするでしょう。つまり、ケネディならばキリスト教徒の視点で読むということです。しかし、内村はことさら聖書にかこつける風でもなく・その辺はうまく話を進めています。それでも読んでいると聖書の一節が浮かぶ場面が確かにあるようです。
例えば、「献身とそれの持つ長所は、仕えるべき我が君主がいて、慈しむべき我が家臣があるところに生じるのです。封建制の長所は、この治めるものと治められる者との関係が、人格的な性格を帯びている点にあります。その本質は家族制度の国家への適用であります。」(「上杉鷹山」の項) この文章は例えばダビデ王の治世を思い起こさせます。
『私たちの救いの神よ、あなたの恐るべき御業が、わたしたちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てにいたるまで、すべてのものがあなたに依り頼ります。(中略)あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福してくださるからです。あなたは豊作の年を冠にして地に授けられます。』(旧約聖書・詩篇・第65番・ダビデの詩)
あるいは「東洋思想のひとつの美点は、経済と道徳とを分けない考え方であります。東洋の思想家たちは富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであると見ます。木によく肥料を施すならば、労せずして確実に結果は実ります。民を愛するならば、富は当然もたらされるでしょう。」(「上杉鷹山」の項)この文章は例えば聖書の次の ような一節を思い起こさせます。
『イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのかをその人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる、収穫の時が来たからである。』(新約聖書・マルコによる福音書・第4章)
こういう読み方は決して東洋の偉人を聖書に無理矢理こじつけるということではありません。それは物事の真理というものは洋の東西を問わぬものだという心境に まで至らせるものです。
ところで、大歌舞伎がNY公演をして好評を得たのは昭和57年(1982)のことでした。この時、十七代目勘三郎が「熊谷陣屋」を演じたのですが、その舞台を観 たアメリカ人の感想として「この芝居は反戦劇ですね、子供を失う両親の嘆きが伝わってきました」というのが多くあったそうです。 「熊谷陣屋」を反戦劇と読むのは、まあ、そういう読み方もできないこともないと思います。しかし、こういう感想はベトナム戦争(1975年に終結)が終ってそう間もないという時期 も関係している気 もしますが、芝居解説(パンフレットかイヤホンガイド)にも多いに影響されているように思います。
ところで、もし外人にこんな質問をされたらどう説明しますか。「・・なるほど反戦劇ねえ、しかし、主人が家来に子供を身替りにしろと命令するなんて酷い話ですね え。日本人はこんな封建論理を後生大事にしてきたのですか。」
その昔は主人の命じることは絶対に拒否できなかったのですと説明しても、直実が息子を身替りに殺した行為は とても外国人に納得してもらえないと思います。そのせいかどうか分りませんが、主人義経は「家来に犠牲を強いて・院の胤(敦盛)を手中に確保しようとする冷徹な政治的人間」であるという解説を 歌舞伎の解説本に見かけます。直実の悲劇を封建制度の非人間性のせいにして・義経を悪役に仕立てて熊谷をその被害者にしてしまえば、熊谷が涙ながらに子供を斬る行為もなんとか説明できるということ なのかも知れません。「熊谷陣屋」を反戦劇だとするのは、その延長線上的理解だと言えるかも知れません。
しかし、「熊谷陣屋」を封建論理の非人間性を描いた悲劇だとする見方は、じつは重大な論理的欠陥を持っているのです。こ れでは江戸時代に民衆の間にあった義経信仰と「熊谷陣屋」との関連がまったく説明できないということです。「判官びいき」という言葉に代表される江戸民衆の義経信仰、それは生半可なものではありませんでした。 世に「義経物」と呼ばれる作品、すなわち「一谷嫩軍記」・「義経千本桜」あるいは「勧進帳」などは、すべて義経信仰をその背景に持っています。
義経は小さい時から親兄弟に分れて苦労をして育ち・成長して平家討伐において華々しい戦勝を遂げ平家を滅亡に追い込み・しかし兄頼朝に疎まれて 各地うをさまよったあげく・奥州の地において寂しく散るという流転の生涯を送りました。「平家物語」が「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と伝えるならば、奢れる平家を壇の浦に討ち滅ぼした一方の義経の生涯もまた「諸行無常の響き」を伝えているのです。逆に言えば、そのようなこの世の無常を体現する人物であったからこそ・平家を討ち滅ぼす役割を神仏は義経に与え給うたとも言えます。義経は 「世のはかなさを知る人・無情を知る人」であると認めること、これが義経信仰の原点です。
出家と決意する直実に義経は次のように声を掛けます。「ホヽさもありなん。それ武士の高名誉を望むも子孫に伝へん家の面目。その伝ふべき子を先立て軍に立たん望みは、ホウもっとも。」この台詞のなかに義経の世の無常・はかなさ ・すべて受け取る感受性が感じられなければなりません。いわば義経はこの世の苦しみや矛盾を救いとって・微笑で返す菩薩であるのです。この義経の有難い言葉を戴くため だけに直実は我が子を斬ったのだということが実感されねばなりません。これを理解するためには義経信仰の背景が絶対に必要なのです。 (別稿「義経は無慈悲な主人なのか」をご参照ください。)
このことをどうしたら外人に理解させられるでしょうか。直実が我が子を斬ったことを西洋人に説明するのならば、聖書のなかの挿話を以て説明するのが一番よろしいのです。 吉之助ならば、聖書のアブラハムの挿話を引いて「熊谷陣屋」の説明をいたしましょうか。
2)「義」の絶対性
聖書において「信仰の父」とされるアブラハムは、神を信じ敬虔に暮らしていました。しかし、ある時、神はアブラハムをひとつの試練を与えるのです。
『神は彼に「アブラハムよ」よ呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』 (旧約聖書・創世記・22章)
翌朝、アブラハムは神の命じる通りに息子イサクを連れて山へ向かいます。
『アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わけ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。イサクはアブラハムに話しかけて言った。「お父さん」すると彼は「何だ、イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊はどこになるのですか。」アブラハムは答えた。「イサク、神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」こうしてふたりは一緒に歩き続けた。』 (旧約聖書・創世記・22章)
山についたアブラハムとイサクは祭壇の用意をします。薪を並べた後、アブラハムはイサクを縛り祭壇に供えます。
『アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。その時、主の使いが彼を呼び、「アブラハム、アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい、ここにおります」御使いは仰せらrた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子になにもしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよく分った。あなたは自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないで私に捧げた」』(旧約聖書・創世記・22章)
聖書において神の命じることは「絶対」です。「絶対」と言いますのは、それに対して良いとか悪いとかいう議論はないということです。神の命じることは疑いようがない ということです。ここが重要なところです。さらに「絶対」の意味を考えてみたいと思います。
神の「絶対」に対して人間はどういう反応をするのでしょうか。他者の支配に対しては人間は服従するか・それに対して反抗するという反応をするでしょう。「絶対」に対しては、そういう反応はないのです。神は対立 できるような存在ではなく・全自然の造物主なのであって・もっと高次元の圧倒的な存在なのですから、それに対して 人間如きが対立するなどということはあり得ないことです。「絶対」に対する人間の反応は「葛藤」なのです。私はこれで良いのか・これで正しいのか・どうすれば神の御心に沿うのであろうか、という苦しみです。苦しみは神の与えた試練なのであって、その試練に耐えられない者は堕落していきます。試練に耐えた者は祝福されます。神の「絶対」とはそういうものであります。
「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」の直実の心境を、神に試練を与えられたアブラハムの心境に重ねて読んでみます。
「義経花に心をこめ武蔵坊弁慶に筆を取らせし高札『此花江南所無也(こうなんのしよむなり)一枝折盗(せつたう)の輩(ともがら)に於ては天永紅葉の例に任せ、一枝を伐らば一指を剪るべし』この禁制の心をさとし若木の桜を守護せんもの、熊谷ならで他になし、その旨きっと心得よ」
初段「堀川御所」における義経の言葉こそ神が直実に与えた試練であります。その試練は謎の形で与えられています。もちろんその命じるところは「絶対」です。直実はその意味を解き、神が指し示すところを忠実に行なわなければなりません。(神の試練の提示 ・その絶対性の認識)
熊谷の家を継ぐべき我が子を殺すことが、直実にとって苦しいのは当然のことです。直実は苦しみ・悩みますが、神の指し示すところは疑いようがありません。 こうして直実は我が子を須磨の浦において斬ります。「創世記」にはアブラハムの葛藤は記されていません。その寡黙さがかえってアブラハムの内面の苦しみを深く感じさせます。アブラハムとイサク の親子が荷物を背負って黙って山を登っていく 場面をご想像ください。「嫩軍記」の直実もまた寡黙です。(悩みと苦しみ・葛藤)しかし、直実は自分の行為がはたして神の意に沿ったものだったのか・自分の行為は正しかったのかをずっと自問自答し続けています。(行為の意味を自問自答・煩悶)
「花によそへし制札の表、察し申して討ったるこの首、ご賢察に叶いしか、但し直実誤りしか、サ、ご批判如何に」
義経の前に敦盛の首(実は我が子の首)を差し出す直実の台詞にすべてが表れています。これは、私の取った行動は神の御心に沿うものであったでしょうか・私は今すべてを神の手に委ねます・どうぞ御判断を願いますということ なのです。(捧げ物をして・神の裁断を仰ぐ)
「ホヽヲ花を惜む義経が心を察し、アよくも討ったりな。敦盛に紛れなきその首。ソレ由縁の人もあるべし。見せて名残りを惜ませよ」
この義経の言葉によって直実の行為は受け入れられ・祝福されます。義経の言葉により、「直実が神を恐れることがよく分った。直実は自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないで神に捧げた」と認められたのです。直実の取った行動はまさにアブラハムの神に対する行動と同じであることが分ります。(神は捧げ物を受け入れ・祝福を与える)
付け加えますが、聖書の挿話ではアブラハムがイサクを殺す寸前で神がそれを制止するのですが、これは直実が息子を殺してしまった「熊谷陣屋」との本質的な相違ではありません。また、最後に直実が出家を志すのは・その 行為の結果の仏教的な受容と申すべきであって、これは日本独自のものであると言えます。しかし、義経の制札の謎に対する直実の態度は、旧約聖書にあるアブラハムの神に対するところの態度とまったく寸分違わず同じものであります。 直実はひたすらに謙虚であり・ひたすらに敬虔であります。そのことを西洋人は認めるでありましょう。
このような「熊谷陣屋」の読み方は決して聖書へのこじつけではありません。別にそれが神でなくてもいい・「絶対」という存在に対する時に人間は否応なしに謙虚にならざるを得ないのです。直実の「義」という概念は、 聖書の神に対する「絶対」とまったく似たようなもの です。それはほとんど宗教的な色彩を帯びているものです。
前述した通り、頭からの支配に対しては人間は服従か反抗という反応を示します。もし直実が義経に反抗して、どうして主人が俺の子供を身替りにせよなどと命令ができるのだ・ 同じ人間がそんな命令ができる権利がどこにあるんだ・俺はそんなことは御免だと言うのならば、 直実は主人義経と対等なのであって・義経は「絶対」ではないのです。その場合には、そこに絶対に対する「強い懐疑」が存在していると言えます。 しかし、「懐疑」というのは絶対を喪失したところから生じる近代的な概念です。そういう考え方が現代においては当たり前のものになっていますが、江戸時代 においてもそうだと考えてはいけません。(もちろん西洋においても「懐疑」は近代の概念であります。 付け加えますが、「懐疑」は絶対を否定するものでは決してなく・むしろ絶対に無条件に奉仕できなくさせている近代の状況への反抗と考える方がより自然です。)
「熊谷陣屋」において直実が我が子を身替りにする行為も、「寺子屋」において松王が我が子を身替りにする行為も、はたまた「忠臣蔵」で由良助が仇討ちを志す・勘平が腹を切るのも、結局は「義」に対して我が身をどう尽くすかという問題であります。ここにおいて武士が「義」を重んじることの理由がおぼろげながら見えてきます。「義」とは 人間における絶対です。何かしら守るべき高次元のもの、それが「義」であるのです。
(H16・12・5)
(後記)
別稿「守らなければならないものがある」もご参考にしてください。