義経は無慈悲な主人なのか
〜「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」
1)不憫なことを
「寺子屋」(菅原伝授手習鑑)終りで、松王の告白により菅秀才の身替わりになったのが松王の息子小太郎であったことが分かります。これを聞いた菅秀才が「我に代わると知るならばこの悲しみはさすまいに、不憫な 者や・・」と言うと、松王夫婦以下全員が「有難いお言葉・・」という感じで目をしばたたかせるのでした。この場面について、誰の批評か忘れましたが「お前のためにみんな苦労してるのに・・気楽なこと言いやがってと頭に来る」みたいなことを書いている人がいました。こういうことを考える人もいるんだなと思いました。
菅秀才のような若君は「不憫な者や・・」をいう科白を余計な思い入れなくサラリと言えないといけないのです。そして、そっと目頭に手を当てるくらいの仕草で十分なのです。それ以上の演技は不要なのです。なぜなら菅秀才のような尊い血筋のお方は身替わりという家来の献身的行為を当然のものとして受ける権利があるということが芝居の前提になっているからです。ここのところが納得できなければ悲劇は成立しません。
「大物浦」(義経千本桜)で生ける怨霊のような形相で奮戦をつづける知盛に、安徳帝が義経に抱かれて登場して「けふ又まろを助けしは義経が情なれば、仇に思うな知盛」と声を掛けます。これで知盛はガクッと戦意を失うわけですが、この安徳帝の科白について「苦労を共にしてきた知盛を安徳帝が裏切ったのだ」と書いている批評もありました。これにも驚かされました。
史実はともかくとして、芝居における天皇というのは「神に等しい存在」であり、政治的にニュートラル(中立)な存在なのです。天皇がどちらに味方するとか、裏切るなどというのはあり得ないことです。ただ「自分を敬い、守ってくれるこの人(義経)はいい人だ」と、安徳帝は言っているに過ぎません。天皇が政治的色彩を帯びるように見えるのは、その周囲にいる人間たちが政治的意図や私利私欲で以って動き、天皇を神輿に担ぎ上げるからに過ぎないのです。
知盛が愕然とするのは、安徳帝の一言によって「安徳帝=平家」という構図が知盛の中で崩れ去り、「安徳帝のため」という美名のもとにさんざんに奢り高ぶってきた平家の私利私欲と傲慢が知盛の目にまざまざと見えてきたからなのです。このことがこの後の「父清盛の横暴がわが一門に報いたのか」という知盛の述懐に続いていく訳です。ここが理解できないと知盛の入水は単なる「自殺」ということになってしまいます。
以上、ふたつの批評を引き合いに出しました。こうした見方は「主人も家来も同じ人間で対等のはずだ。どうして同じ人間が身分の違いだけでさんざん苦労して犠牲にならなきゃならないのか。そんなことは理不尽じゃないか。だから封建制度は否定されねばならないのだ」という見方から来るものでしょう。そういう見方もあり得るでしょう。良いとか悪いとかの問題ではなく、近代的自我がもたらす問題をこの見方は孕んでいます。現代人の視点で歌舞伎を見るならこういう問題にぶちあったっても当然かも知れません。
しかし、こういう見方をしていると歌舞伎のように封建社会を時代背景にしている芝居は馬鹿馬鹿しくて見てられないのじゃないかと思いますね。「忠義」なんてものは封建社会のカビの生えた論理で、「男と女の愛」と「親子の愛」、これだけが時代を超えて現代人に訴える歌舞伎のテーマだということになってしまうのではないでしょうか。古典をこのように強引に自分の方に引き寄せようとしていたら、古典の本質は見えてこないと思います。
2)義経は無慈悲な主人なのか
さて、本稿では「熊谷陣屋」において、義経が「一枝を折らば一指を切るべし」という制札を熊谷に与えて、「若木の桜を守護せん者熊谷ならで他にはなし」と謎をかけたことについて考えたいと思います。この義経の謎を解いて直実は我が子小次郎を敦盛の身替わりに斬ったのです。義経は「院の御胤である敦盛を守るためにお前の子供を犠牲にせよ」との命令を暗に下したのであるか。義経は「無慈悲で非情な主人なのか」、このことを考えたいと思います。
まず「敦盛は後白河院のご落胤であった」、このことは当時の人々にとって天皇が神に等しい存在であったということを理解すれば、これが敦盛が何としても守らなければならない尊い人であった絶対的な理由であることが分かります。このことを疑いはじめると後の芝居が成立し ないので、このことは絶対的な前提条件とします。
一方、直実には北面の武士であった時代に相模との不義が発覚した時に藤の方にとりなしてもらった恩がありました。したがって、義経の謎を解いた直実は「恩を返す時はこの時」と感じたのです。これが直実が我が子を自発的に(あくまでも強制的ではなく自発的にです)我が子を犠牲にした理由になっています。
義経は「一枝を折らば一指を切るべし」という制札を掲げた時、「この謎に必ず直実は応える」と考えたのです。謎掛けの形で命令を出したのは鎌倉殿の目もあるし、敦盛を秘密裏に逃がすためにはあからさまに命令を出すことは出来なかったということで す。
しかし義経はなぜ「この謎に必ず直実は応える」と思ったのでしょうか。直実が自分を裏切るとは思わなかったのでしょうか。もちろん義経は直実のことを毛の先ほども疑わなかったに違いありません。だからこそ義経は若木の桜を守護せん者、すなわち敦盛を守る者は熊谷以外に他にはないと言っているのです。それは「敦盛を守り、回向する人間としての直実の将来の姿」を義経が見抜いているからに違いありません。これは本文に書いているわけでは ないですが確信として言えます。直実は「その価値がある男」として見込まれているのです。
さらに申さば、義経自身もまた「神」であり、この世を無常を知りその哀しみを清めることの出来る男として芝居に登場してきます。このことは本サイト「歌舞伎素人講釈」では何度も取りあげてきましたから、読者の皆様にはご理解いただけていることと思います。主人義経は自分の苦しみ・悲しみをすべて受け止めてくれる。だから直実は心残すことなく出家ができるのです。これがこの芝居での義経と直実の主従関係です。
「花によそへし制札の表、察し申して討ったるこの首、ご賢察に叶いしか、但し直実誤りしか、サ、ご批判如何に」と直実は言って敦盛の首(実は我が子の首)を義経に差し出します。この時に直実は「我が子を殺したことの意味」を問います。義経は出家を決意した直実に対し、「ホヽさもありなん。それ武士の高名誉を望むも子孫に伝へん家の面目。その伝ふべき子を先立て軍に立たん望みは、ホウもっとも。」と声を掛けます。
部下に身替わりを指示しておいて「ホウもっとも」とは何と冷たい科白か、義経は無慈悲な奴だと現代人は憤るかも知れません。しかし、義経役者はこの科白を余計な思い入れなくサラリと言ってのけねばなりません。サラリと言って科白のなかに万感の想いを封じ込めなければならないので す。そこに余計な憂いを込めてしまうと悲しみが生なものになってしまいます。義経の悲しみはもっと澄みきったものです。
さらに直実出家の意味を考えてみたいと思います。直実は藤の方に恩があるわけですから、義経の命があってもなくても、どちらにせよ直実は(この芝居の設定ならば)我が子を身替わりにしなければならなかったはずです。義経の命がなくても直実は間違いなくそうしたと思います。したがって義経が直実を「その価値がある男」と見込んで直実に暗に命を下した時、そこにそれ以上の意味が込められていると考えねばな りません。
幕切れ近く、宗清(弥陀六)が義経に対し「もし又敦盛生返り、平家の残党かり集め、恩を仇にて返さばいかに」と言います。義経は「ヲヲそれこそ義経や、兄頼朝が助かりて、仇を報いしその如く、天運次第恨みをうけん」と言います。これはかつて幼い頼朝・義経兄弟が平家に殺されそうになったところを救われたわけですが、いわば恩を仇で返すように平家を頼朝兄弟が滅ぼすことになった、その時には同じような運命を自分も甘んじて受けようと言っているのです。これに対し、直実は次のように言います。
「実にその時はこの熊谷。浮世を捨てゝ不随者と源平両家に由縁はなし。互ひに争ふ修羅道の、苦患を助くる回向の役・・・・われは心も墨染に、黒谷の法然を師と頼み教ヘをうけんいざさらば。」
ここで明らかになのは、義経が直実に与えた任務は敦盛(実は我が子小次郎)の回向だけではなかったということなのです。義経は直実に、兄頼朝によって平泉で討たれる自らの運命を含めて、「平家物語」の世界に係るすべての人々の回向を任したに違いありません。直実は「その役目を受ける価値のある男」だと義経に見込まれたということです。そして直実はその期待に見事応えたということです。そのことは「平家物語」を通じて、敦盛・直実の挿話が人々にあれほどに愛されたという事実によって証明されてい ます。
さて、冒頭の問題に話題を返します。「寺子屋」も「大物浦」も、「熊谷陣屋」も「封建社会における人間の悲劇を描いている」というのは、これはその通りです。しかしこれらの作品は決して「封建社会の批判・忠義批判」を描いているのではありません。これらの作品は「個人が状況においてその人間としての真実を貫くためにはどうしたらいいのか」ということを問うているのです。そう考えなければなりません。この時、「封建社会」という設定は単なるプロットに過ぎなくなり、作品は時代の制約を超えるのです。
古典を見る時は「作品を自分の方に引き寄せる」のではなく、「自分が作品の方へ寄っていかねば」なりません。そうしないと古典の本当の姿は見えてこないのです。
(後注)本稿は別稿「かぶき的心情とは何か」以前の論文なので、「かぶき的心情」という言葉は文中に出てきませんけれど、「個人が状況においてその人間としての真実を貫くためにはどうしたらいいのか」ということこそ、かぶき的心情の原点であると感じています。
(H13・8・5)