死への憧れ〜ボヘミアンの生活
*本稿は「19世紀の西欧芸術と江戸芸術」の関連記事として書かれたものですが、吉之助の音楽ノート(プッチーニ:歌劇「ボエーム」)としてもお読みいただけます。
『1900年11月のその日が後に忘れえぬ日になろうとは思いもかけなかったのであるが、その日、私は道端で手回しのバレル・オルガンが鳴っているのに出会ったのである。(中略)私はそれまでプッチーニという人がいるのも、「ボエーム」という曲も聞いたことがなかった。風にのってかすかに流れてくるその調べは、私を思わず夢から呼び覚ました。私は立ち上がり、うっとりと聞き惚れた。恐らく魅惑的な女軽業師が、埃にまみれた敷物の上で軽やかに身体をあやつっているのを見たとしても、こんなにも長く私を魅了することはできなかっただろう。これは生きていることの実感を・情熱的にしかも完璧に表現しているものとの初めての出会いであった。そこには光輝くもの・飛翔するもの・そして死への憧れがあった。私はとある街道の一角で、第1幕で歌われるロドルフォの偉大なアリアを聞いたのだった。』(ハインリッヒ・マン:「一時代の検討」 )
ハインリッヒ・マンは、有名なノーベル賞作家トーマス・マンの兄です。プッチーニの歌劇「ボエーム」は1896年トリノで初演されたばかりの・当時の人気曲でした。「ボエーム」はパリの市井の貧しくとも一生懸命生きているボヘミアンたちの生活を描いた歌劇です。ハインリッヒが街角で耳にした 手回しオルガンの旋律は、第1幕終わり近くで貧しい詩人ロドルフォがお針子のミミの手を取って歌う「冷たい手を」というアリアの旋律です。ハインリッヒの聞いたのは歌付きではなくて・手回しオルガンの奏でる旋律ですが、しかし、ハインリッヒはそれに感動して「そこには光輝くもの・飛翔するもの・そして死への憧れがあった」と書いています。(名テノール:ジャン二・ライモンディのこの場面の舞台映像をご覧下さい。)
ちなみに弟のトーマス・マンの方も、「魔の山」の最終章の「妙音の饗宴」のなかで主人公ハンス・カストルプがサナトリウムで蓄音機(当時のことですから初期のラッパ吹き込みのSPレコード)で音楽を聴きながら生活をするのですが、ここで主人公が「ボエーム」の二重唱のレコードの旋律にじっと聞き入る場面を書いています。ふたりの兄弟は同じ旋律に魅せられていたのです。
『このイタリアの近代オペラのなかの二重唱は、世界的に有名なテノールと透き通った甘美な愛らしいソプラノによって歌われる、やや控えめではあるが細やかな感情表現の二重唱であったが、とりわけテノールで歌われる「腕をよこしなさい、私の可愛い人!」とそれに答えるソプラノの優しく甘美で息はずむ旋律の美しさ、愛らしさはまさに比類のないものだった。』(トーマス・マン:「魔の山」・1924年)
ここで主人公ハンス・カストルプが聴いたSPレコードは・小説中には言及がありませんが、世紀の名テノール:エンリコ・カルーソーがネリー・メルバと一緒に吹き込んだビクター録音(1906年)であったことが明らかです。(小説の設定は第1次大戦直前のスイスになります。)今ではオーディオ機器の響きについてそんなことを言う人はいないと思いますが、その頃はレコードを「音楽の缶詰」などと呼んだりしたものでして、まだまだ生の音楽の粗悪な代用品の位置を出ぬ扱いでした。「魔の山」では蓄音機は「近代的な機械化と音楽的精神との誠実な結合」と紹介されています。この言い回しには当時の科学の発展と芸術のちょっと卑俗でキッチュな出会いという印象があります。当時のSPレコードの響きは本物ではない大量生産の複製音楽だと言う印象が人々の心のどこかにありました。だから、蓄音機の響きのなかにどこか空虚な「死」のイメージがあったのです。蓄音機はほとんど同じ時期に書かれたマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に登場する写真機や電話と並んで・この時代に急速に民間に普及した文明の利器ですが、そう考えるとトーマスの「魔の山」に蓄音機が登場して、かなりの分量でカストルプの聴いたSPレコードの感想が長々と続くのはなかなか意味深なことであるのです。
一方、ハインリッヒが心惹かれた手回しオルガンの方は・蓄音機よりさらにひと昔前の複製音楽の形態だと言えます。しかし、ボエームの旋律に「死への憧れ」を聞き取ったハインリッヒの気持ちが気になるところです。プッチーニの旋律のなかのどういう要素がそうした気分を呼び起こすのでしょうか。ボヘミアンたちは自分たちの夢と才能を信じながら・日常を勝手気ままに生きています。金がない時は隠者のように禁欲的に暮らしていますが、ひとたび金が手に入れば・そこらじゅうにばら撒くように散財してしまいます。一攫千金と破滅が隣り合わせ・生と死が隣り合わせのところで生きているのがボヘミアンなのです。
歌劇「ボエーム」の原作は、フランスの作家アンリ・ミュルジュが書いた小説「ボヘミアンの生活情景」で、これは1845年〜49年雑誌に連載された小説ですから、歌劇の初演(1896年/トリノ)はその50年くらい後のことになります。ミュルジュはそのなかでボヘミアンの生活を「楽しくも・恐ろしい生活!・・・」と書いています。プッチーニはミュルジュの原作小説を読んで感動してそのオペラ化を決意したのですが、「ここには私が捜し求め・愛したすべてがあった。すがすがしさ、青春、情熱、陽気さ、黙って流される涙、喜びも苦しみもある恋。そこには人間性があり、感情があり、心がある。そして、特にそこにはポエジーが、神々しいポエジーがある。 私はミラノの音楽院で勉強していたその数年前に実際にこの生活をミラノでしていたのです」とプッチーニは後に書いています。
ボヘミアンというのは本来は「ボヘミア人」という意味の言葉でした。古くは「定住をせず、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの卑下をものともしない人々」という意味で使われた言葉だそうです。そして、19世紀になるとボヘミアンは定職を持たない芸術家たち、または世間に背を向けて・伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をする者たちを指して使われるようになりました。ボヘミアンは良く言えば「質素な暮らしをして、高尚な理想と夢を追い、自由奔放で不可解」、悪く言えば「貧困な暮らしをして、酒や麻薬に身を持ち崩し、不潔で身だしなみにだらしない」というイメージなのです。こうしたボヘミアンの若者たちが19世紀の半ば頃からパリに急速に増えてきたのです。
*上の写真は1898年の歌劇「ボエーム」パリ初演時での四人のボヘミアンの仲間たち。関係者がプッチーニに贈った写真。
ボヘミアンの生態は決して一筋縄で括れない多様なもので した。彼らの多くは急激に発展していく工業化社会のなかで・旧体制の慣習を否定し・未来に明るい夢を描いて地方から都会に出てきた若者たちでした。自らの才能を信じ・将来の富と成功を夢見て一生懸命頑張るのですが、しかし、その現実は決して甘くなくて、彼らを大量消費社会の使い捨てにするような扱いに失望して・世間に背を向けてシニカルに生きる若者たちもいたでありましょう。そのどちらもがボヘミアンでした。そうした投げやりの気分がボヘミアンたちをその日暮しの・刹那的な生き方にさせるのです。「ボヘミアンこそが来るべき革命を率いる」という見方が当時もあったようです。自身もボヘミアンであったフェリーチェ・カメロー二は次のように書いています。
『非市民的芸術家の世界は偏見を否定し、美と真実なるものを擁護し、無関心に対する個人のイニシアティヴを肯定している。反動勢力はボヘミアンを否定している。というのもボヘミアンは、群集蜂起を告げる声を轟かせるからである。美食家はボヘミアンを憎む。なぜなら彼らは美食家の消化を妨げるからである。知的な人々はボヘミアンを中傷する。なぜなら彼らはボヘミアンを理解できないからである。ボヘミアンは、オデュッセウスの棒がテルシテスの背中にあり、二重の目標を、つまり絶望的状況と、人がユートピアと名づけるものの実現に対する戦いを求めている。』(フェリーチェ・カメロー二・1872年)
逆にカール・マルクスのようにボヘミアンを「腐った反動勢力」と見なして軽蔑する向きもありました。マルクスは、1852年に書いた論文「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」において、「売春宿経営者、荷物運搬人、文筆家、オルガン回し、ばた屋、研ぎ師、鋳掛け屋、乞食、要するに不特定の疲れ切ったあちこちさまよう大衆、彼らをボヘミアンと呼んでいる」と書いています。
しかし、歌劇「ボエーム」に描かれているボヘミアンたちは政治にはあまり関心がないようです。甘くやるせない・若き日の夢のような詩情がそこから聞こえてくるのは、19世紀の末にはボヘミアンの生活も過ぎ去さった日の思い出になりかけていたのかも知れません。
「歌舞伎素人講釈」がボヘミアンになぜ関心を持つかは、別稿「かぶき者たちの心象風景」などを併せてお読みいただければご理解いただけると思います。かぶき者たちはもともと安土桃山のダイナミズムに憧れ・立身出世を夢見て地方から都市に飛び出してきた若者たちのことを言いますが、それが急速に固定化していく江戸時代の冷えた雰囲気のなかで・エネルギーを持て余して・感性が捻じれた状態の気分に変化していくのです。同じような精神状況がフランス革命後の変革の機運のなかで夢を描いた若者たちが・その後の反動化と・急速な産業革命による新興ブルジョアとプロレタリアートの二分化のなかで・その夢の行き場を失っていくボヘミアンの心情に見られます。つまり、ボヘミアンを知ることはかぶき者を知ることにもなるわけで、逆から云えば、かぶき者が分かればボヘミアンも分かります。彼らのなかには共通した強い「死への憧れ」が見えるのです。
かぶき者というと江戸初期から元禄時代までだけを考えるかも知れませんが・それは間違いで、かぶき者の精神状態は江戸時代を通じて持続するものです。正確に言えばこの精神状態は明治大正になっても大きく蛇行しながら持続します。だから、そのなかから類似のパターンを見出せます。ボヘミアンの生活を考えてみると・これは田沼時代から寛政の改革を経た文化文政期(1804〜1830)の若者に似た生態です。つまり、四世鶴屋南北の生世話作品に登場する人物たちの生活です。(このことは別の機会に考察します。)
ご注意いただきたいのは・「死への憧れ」とは、「もう生きていたくない・死んでしまいたい」という破滅衝動ではないと言うことです。これはまったく逆です。「死への憧れ」とは「もっと激しく生きたい」という衝動なのです。それは「・・そうでないのなら私が今ここに生きている意味がない」という気持ちと裏腹なのです。ハインリッヒが「死への憧れ」と記している心情はそういう意味です。だからこそ今この時の真実がたまらなく愛おしいのです。
ボヘミアンの気分を歌劇「ボエーム」に聞こうとするなら・例えば第1幕冒頭を10分ほど聞いてみるだけでもそれは分かります。「これこそボヘミアンの生活・・・」という気分はどこから出てくるのでしょうか。モンマルトルあたりの屋根裏部屋が目に浮かびます。魅力的な旋律がふっと浮かんではまた消えるように・次々と繰り出されます。そこには美しく熱い瞬間が確かにある(それはその時は確かに真実なのです)のですが・それは決して長続きすることはなく、幻想のように儚(はかな)くて・気まぐれで・決して落ち着くことはないのです。そして、また再びその美しく熱い瞬間を求めて音楽が続く、と云うよりも彷徨うのです。
*1896年のトリノ初演での「ボエーム」第1幕最終場面。仲間たちの待つカフェへ向かうロドルフォとミミ。ロドルフォはエヴァン・ゴルガ、ミミはセシーラ・フェッラー二。指揮はアルトゥーロ・トスカニーニ。
詩人ロドルフォは貧しいお針子ミミに恋をしますが、原作者のミュルジュは次のように書いています。
『ミミは美しい娘だった。ミミの病的な美しさがロドルフォを誘惑したのだ。しかし、ミミが彼を狂気のように夢中にさせてしまったのは、その手であった。彼女は家事をしながらも、怠惰の女神よりもそれを白く保つすべを知っていたその手だったのである。』
ハインリッヒを魅了した第1幕「冷たい手を」はそうした情感のなかで歌われるアリアです。しかし、ミミの美しさは儚さと裏腹なもので 、ミミの白さは実は病気から来るものでした。歌劇の第4幕ではミミは肺病ではかなく死んでしまいます。現実には肌の色が白いからと言ってその女性が早死にするわけじゃありませんが、しかし、舞台芸術ではその肌の色の白さに薄幸がどこかにイメージされているということです。「義経千本桜・椎の木」でも、いがみの権太が倅善太の手を取って「冷たい手だな・・」と言う場面がありますが、冷たい手にこの男の子の薄幸が暗示されているわけです。
ハインリッヒはロドルフォのアリア「冷たい手を」の旋律から「死」を感じ取りました。視覚が加わったオペラの舞台の歌唱ではなく・手回しオルガンという機械の素朴で感情のこもらない響きであったからこそ、ハインリッヒはその旋律から死の匂いを敏感に嗅ぎ取ったに違いありません。
「冷たい手を」とそれに続く「私の名はミミ」は美しいアリアですが・どちらもドラマティックな曲ではありません。短くさりげないアリアで、しかも・ふたりの歌は「おーい、ロドルフォ、へぼ詩人、そこで一体何をしているだ」と家の外からロドルフォを呼ぶ仲間たちの声に中断されてしまって、従来のオペラのカップルのような壮大な二重唱には発展しません。第2幕はカルティエ・ラタンのにぎやかな町並み。そこで繰り広げられる二組のカップルのドタバタ騒ぎが収まって・メデタシメデタシになるところですが、結局、突然割り込んでくる軍楽隊の行進によって妨げられて幕になってしまって、これも壮大な愛の四重唱のフィナーレになることはないのです。
(H19・2・18)
(吉之助の好きな演奏)
歌劇「ボエーム」ではまずカラス(ミミ)とステファーノ(ロドルフォ)ほかによるヴォットー指揮ミラノ・スカラ座のEMI盤を挙げたいですね。ほんとにポエジーのある演奏です。ステレオ録音ではフレー二とパヴァロッティによるカラヤン指揮ベルリン・フィル(デッカ盤)が吉之助のお好みです。特に第2幕が素晴らしい出来。
*プッチーニ:ラ・ボエーム全曲(1972年英デッカ録音)
ミレルラ・フレーニ(ミミ)、ルチアーノ・パヴァロッティ(ロドルフォ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
しかし、これからのオペラ鑑賞はやはりDVDが良いと思いますね。映像つきならば、フレー二とライモンディによるカラヤン指揮ミラノ・スカラ座のものがお奨めでしょう。ゼッフィレッリ演出の写実の舞台も見ものです。
*プッチーニ: ラ・ボエーム*歌劇 [DVD] (1965年収録)
ミレルラ・ブレーニ(ミミ)、ジャンニ・ライモンディ(ロドルフォ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
1964年フランコ・ゼッフィレッリ演出の舞台の映画化。