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十八年ぶりの「鏡山」〜六代目時蔵の尾上・八代目菊五郎のお初

令和8年1月新国立劇場・中劇場:通し狂言「鏡山旧錦絵」

六代目中村時蔵(中老尾上・畠山重忠二役)、八代目尾上菊五郎(召使お初)、初代坂東弥十郎(局岩藤・北条時政二役)、九代目坂東彦三郎(奴伊達平)、初代坂東楽善(大江広元)、七代目尾上菊五郎(右大将源頼朝)他


1)十八年ぶりの「鏡山」

初台の新国立劇場・中劇場での通し狂言「鏡山旧錦絵」を見てきました。そう言えば「鏡山」は久しく出てないなと思ったら、何と平成20年(2008)9月新橋演舞場以来の18年ぶりのことだそうです。最初に演し物が「鏡山」だと聞いた時、吉之助の頭のなかに浮かんだのは実は八代目菊五郎の尾上だったのですが、改めて配役を確認してみると、「時蔵の尾上・菊五郎のお初」であったのでホウと思いました。菊五郎はこの数年大役に挑戦して来ましたし(ただしそれらはみな立役でしたが)、今度は女形の最高峰の役どころである尾上に取り組むと云うのは菊五郎として自然な流れであろうし、菊五郎が尾上を演じたいと望めばスンナリ通ったと思えるのですが、恐らく今回は、菊五郎が敢えて尾上を時蔵に渡して・自分がお初に回る判断をしたと云うことであると推察します。(菊之助時代にお初は経験済み。)将来的に菊五郎が立役を演じていく時に女房役が時蔵であることがバランス的に理想であり、多分そう云うことまでも視野に入れたうえでの配役ではなかったでしょうか。しかし、昨年(令和7年)1月新国立での「彦山」通しのお園がなかなか良かったので、時蔵のお初もさぞかし良いだろうと思います。個人的には「菊五郎の尾上・時蔵のお初」の組み合わせに依然として未練が残るのですけどね。

さて「鏡山旧錦絵」のことですが、別稿「中老尾上と草履打ち」で触れた通り、歌舞伎での「鏡山」成立過程は入り組んでおり、一筋縄で行きません。通常であると営中試合−草履打ち−長局−奥庭仕返しの場割りになると思います。時間からすると半通しとちょっとくらいの分量ですが、「女忠臣蔵」としての纏まりはこれで十分だと思います。この方が奥御殿でのイジメ事件と・その仕返しのドラマが観客にストレートに伝わります。江戸の歌舞伎では3月に「鏡山」あるいはそれに類似する芝居を出すのが通例でした。それは大名家の奥御殿に勤める女中たちが年に一度里帰りを許される月(宿下がりの月)が3月であったからで、彼女らは意地の悪いお局が仕返しされる芝居を見て留飲を下げたと云うのだから、場面設定は変われども・似たようなことはいつの時代も数多くあったことだなあと思いますね。「鏡山」の今日的な側面がそこに在ると思います。

今回(令和8年1月新国立劇場)は、国立恒例の菊五郎劇団のメデタイ初春芝居のご趣向を兼ねて、新たに創作した「花見」の場を幕切れに付け加え、「悪は滅び善は栄えてイヤ目出度い目出度い」と云う「御家騒動物」の体裁に落ち着くのはそれなりに辻褄が付く処置ではあるのだが、この幕切れであると「鏡山」が隠し持っている「組織のなかで本来通るべきものが通らない理不尽さに対する強い怒り」がおざなりにされていると感じないこともない。マアそんなところもありますがね、そこは見る側(観客)が心得ておかねばならないことかも知れませんね。(この稿つづく)

(R8・2・6)


2)「女忠臣蔵」の論理(ロジック)

「鏡山」は、俗に「女忠臣蔵」と呼ばれます。長局でお初が師直と判官の例を引いて・軽率な行動で命を粗末にしないように・尾上をそれとなく諭す場面はもちろん「忠臣蔵」絡みですけど、これだけではありません。特に長局(返し)で尾上の死骸の傍でお初が懐剣と遺恨の草履を手に・泣きながら岩藤への仕返しの決意をする場面は、四段目・城外で由良助が血に染まった主人の九寸五分を手に悔し泣きする場面に意図的に重ねられていることがビンビン伝わって来ますね。お初の気持ちのなかに、四段目の由良助と同じかぶき的心情が熱く煮えたぎっています。両者の竹本の詞章を比べれば、このことが一層よく分かります。

『無念の涙血を注ぎ、凝り固まりし烈女の一念、義女のその名を末の世に錦と替る麻の衣、女鏡と知られけり。』(「鏡山」・元の長局)

『拳を握り、無念の涙はらはらはら。判官の末期の一句五臓六腑にしみわたり、さてこそ末世に大星が忠臣義心の名を上げし根ざしはかくと知られけり』(「忠臣蔵」・四段目)

「鏡山」初演(天明2年・1782)当時の江戸の観客が「忠臣蔵」のドラマをどのように読んだかが、ここから察せられます。またこれはその逆に、「忠臣蔵」の視点から「鏡山」のお初のドラマを読むことだって出来ると云うことでもあるのです。「忠臣蔵」の由良助の意志ははっきりしています。それは「亡君の無念を主君に代わって晴らす」と云うことです。さらに言うならば、由良助は「それを果たすのが家来としての自分の勤めである」と感じて職務としてそれを行ったというのではなく、「亡き主君の無念を、残された我々家来の無念とする」という一体化した信念を由良助は明確に持っているのです。(別稿「忠臣蔵をかぶき的心情で読む」をご参照ください。)

「鏡山」のお初の論理(ロジック)も、まさにこの「忠臣蔵」と同じであると云えないでしょうかね。主人尾上の無念を、召使お初は「我が無念」と受け止めて激しく怒るのです。それは「組織のなかで本来通るべきもの(正しいこと)が通らない理不尽さに対する強い怒り」・公憤(おおやけばら)です。この怒りはひたすらに無私なものですから、見ている側(観客)にも伝播する力を持っています。だから「鏡山」は「忠臣蔵」と同じく人気狂言になったわけですね。(この稿つづく)

(R8・2・9)


3)時蔵の尾上・菊五郎のお初

今回(令和8年1月新国立劇場)の「鏡山」は「時蔵(38歳)の尾上・菊五郎(48歳)のお初」の組み合わせですが、バランス的に中老尾上はお初より歳上の役者が勤めるものではあろうけれど、時蔵の場合は雰囲気が大人びていると云うか・成熟しているので、尾上を演じても若過ぎる感じがしなかったのは大したものでした。これから更に何度も演じていくなかで、尾上は時蔵の役になっていくでしょう。尾上はいわゆる辛抱役で、岩藤に虐められても不平不満の表情など決して見せず、ひたすら耐えに耐えて・感情を押し殺す難しい役です。しかも品格を保たねばなりません。注目の草履打幕切れの花道の引っ込みですが、時蔵の尾上は悔しさで低くすすり泣きながらも・決してヨヨと泣き崩れない、最後の一線で品格を保ちました。「尾上の引っ込み」と云うと吉之助が思い出すのはどうしても六代目歌右衛門になりますが、歌右衛門のは心が既に死んでしまっている尾上でした。時蔵の尾上の引っ込みの方が人間的なリアルさがあったかも知れません。これはどちらもそれなりで、どちらも良いです。

思うに草履打の尾上は、どうして自分が岩藤からここまで屈辱的な扱いを受けねばならないのか、全然理解が出来なかったと思います。イジメの原因が分からないから、その理不尽さに対する怒りが尾上のなかでますます募ります。浄瑠璃作者は尾上の怒りを意識的に忠臣蔵に重ねようとしています。「何だか分からないが、兎に角コイツは怒っている」と云うところが、江戸の観客に「荒ぶる神(怒れる神)」を想起させます。しかし、塩治判官は立役だから松の廊下で怒って刀を抜くことが出来ますが、尾上は女形であるからそれは許されません。次の場(長局)で尾上は寂しく自害するしかないのです。そのような尾上の怒りを救い上げるために、歌舞伎は独自の工夫を凝らしてきました。例えば尾上役者に、引っ込みで揚幕のなかに入った後、次の長局まで俯いたまま・誰とも口をきいてはならぬと云う口伝があったりします。また尾上が自害した後・その化粧衣装のままで駕籠に乗せられて・誰とも顔を合わせず家に帰ることをした役者もいたそうです。歌舞伎が歳月を掛けて四段目を儀式化して来たように、長局も大事に大事に精神的な儀式化がされて行くのです。ただし女形に相応しい手法で以てですが。このように考えると、長局でのお初の忠臣蔵談義も、女形に相応しい形で芝居をおしゃべりで世話に砕いて見せたと云うことになるでしょうか。「女忠臣蔵」の特質がそこにあります。

菊五郎は、その利発さと健気なところがお初にぴったりですねえ。長局返しでは主人尾上の怒りを「我が怒り」として奮い立ちますが、この場でお初が見せる「強さ」に、やはり菊五郎が演じてきた立役の経験が生かされたと云うことだと思います。だから「時蔵の尾上・菊五郎のお初」の組み合わせもなかなか結構なものでしたね。

弥十郎の岩藤はイジメ役の手強いところをしっかり押さえていますが、尾上に対する悪意がちょっと単純明快に過ぎる気がします。だから御家騒動の線に沿って・分かりやすい岩藤になっているわけだが、ホントはもっと陰湿な岩藤に仕立てて欲しいのです。どうして岩藤は尾上をここまでイジメなければならないのか、或いは尾上との相性が決定的に良くないのか、何故だか分からぬという感じにお願いしたいものです。

(R8・2・14)


 


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