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十三代目団十郎・久しぶりの熊谷直実

令和8年1月新橋演舞場:「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋」

十三代目市川団十郎(熊谷次郎直実)、五代目中村雀右衛門(相模)、三代目中村扇雀(藤の方)、初代中村寅之介(源義経)、三代目中村福之助(堤軍次)、六代目片岡市蔵(梶原平次景高)、六代目市川男女蔵(弥陀六)他

*この原稿は未完です。最新の章はこちら


1)団十郎・10年ぶりの熊谷直実

令和8年1月・新橋演舞場での初春大歌舞伎で、団十郎の熊谷直実による「熊谷陣屋」を見ました。団十郎の熊谷は平成27年・2015・7月歌舞伎座(当時は海老蔵)での初役以来ですから、10年ぶりの再演になります。初役時の舞台は見ましたが、団十郎が作品から感じ取ったもの(役の性根というか・解釈みたいなもの)はそれなりに納得はしたものの・感情表現が生(なま)に過ぎて、これが従来の九代目団十郎型(故・二代目吉右衛門による指導であったそうです)のうえに上手く乗ってこない。そのため様式的に甚だ落ち着かない出来になっていました。

吉之助は当時の観劇随想に「観終わった後・暗澹たる気分にさせられた」と書きました。これには色々な背景があります。現行歌舞伎の熊谷陣屋は古典的に収まり過ぎていて、熊谷のアンビバレントな感情(懐疑)が見え難いという不満があります。諦観し過ぎだと云うことです。一方、団十郎初役の熊谷は、アンビバレントな要素を臆面もなく前面に押し出したところに特徴がある。このようなことが誰にでも出来るものではありません。そこは吉之助が団十郎に一目置くところです。しかし、このままでは歌舞伎のフォルムを逸脱してしまいます。内面に湧き上がる懐疑を如何にして歌舞伎の枠のなかに押し込めるか、打開策が見出せなくて団十郎は苦しんでいたように思われました。だから再演のために・団十郎にはこの十年の歳月が必要であったのかも知れません。まあそんなことで団十郎の久しぶりの熊谷(再演)を興味深く見せてもらいました。

そもそも(九代目団十郎型の)熊谷の山は物語でも何でもなく、じつは出と引っ込みにあるのだ。直実は仏心に始まって仏心に終る。・・・要するに『陣屋』は花道の芝居である。』(杉贋阿弥:「舞台観察手引草」)

贋阿弥の云う通り、九代目団十郎型の最大の特色は、熊谷の冒頭の花道の出と幕切れの引っ込みにあるのです。歴代の熊谷役者もここに表現意欲のありったけを注ぎ込んで来ました。今回(令和8年1月新橋演舞場)での熊谷(再演)でも、花道の出と引っ込みに当代団十郎の人生観・作品解釈が端的に表現れます。

まず冒頭の花道揚幕からの熊谷の出を見ます。団十郎の熊谷の足取りの重さにハッとさせられました。沈鬱な印象である。吉之助も映像も含めて随分多くの熊谷役者を見ました。今回は花道すぐ脇の座席から見たせいもありますが、今回の団十郎の熊谷の足取りはとりわけ重く感じられました。熊谷は身替りとなって父に討たれた息子(小次郎)の菩提を弔うため須磨寺へ参った・その帰りでありましょう。しかし、身替り作戦はまだ終わっていません。義経に首を見せて・この首が敦盛だと認められて・それでやっと身替りが完成するのです。団十郎が演じる熊谷は、自分がしたことがこれで正しかったか・内なる疑問が湧き上がって、これから自分がせねばならぬ首実検さえ気が重くてならぬように見えました。

これは分からぬでもないのですが、ここでちょっと問題ありと思えるのは、この重い気分がそのまま本舞台での熊谷の物語にまで引っ張られてしまっていると云うことです。何だか熊谷が浮かない表情で・思い出したくない辛い過去を物語るかのような印象になる。このため陣屋の最初のクライマックスである熊谷の物語が映えて来ません。(熊谷の物語については、改めて後ほど論じることとします。)

幕外花道での熊谷の引っ込みに目を転じると、目立つのは陣触れ太鼓のドンシャンの多用です。普通であると三味線の憂い三重の最初の方、熊谷が立ち上がる場面でドンシャンの響き使われるくらいのもので、後は三味線の音が熊谷のあはれを掻き立てます。一方、今回の団十郎の熊谷引っ込みでは、編み笠で頭を隠した熊谷が揚幕に飛び込むまで、ずっとドンシャンが激しく鳴り続けていました。まるで熊谷がドンシャンの響きから逃げるかのように。或いはドンシャンの響きが熊谷を追い掛けるかのように。

まあこれも団十郎の意図を理解しないわけではないのだが、しかし、このために三味線の憂い三重がほとんどドンシャンの響きに掻き消されてしまいましたね。このためものの「あはれ」はほとんど感じられず、代わりに熊谷の胸中の鋭い痛みが吉之助に突き刺さるかのようでした。恐らくこれが団十郎が熊谷(再演)に意図したものであろうと思います。これを是とするか・否とするかで、今回の陣屋の評価は真っ二つに分かれるでしょうね。(この稿つづく)

(R8・1・12)


2)団十郎の熊谷の物語り

本舞台に入ってからの熊谷は、10年前(平成27年7月歌舞伎座)と比べれば、さすがに風格・落ち着きが出て来ました。何と云っても団十郎は押しが効きますから、多少のところは形を決めてキッと睨めばそれで良しというところはある。これは嫌味を言っているわけではなく、そのような細部にこだわらないアバウトな大きさが「おおらかさ・古風さ」に通じるという点こそ、これが団十郎の持ち味であろうと思っているのです。今回(令和8年1月新橋演舞場)の陣屋を見る限り・団十郎は大まかにその方向に向かっているようであり・ちょっと安心はしましたが、まだまだ発展途上です。将来的にどの辺に落ち着くかについては依然として不安が残ります。

前述の通り、前半のクライマックス・熊谷の物語があまり良い出来とは言えません。もちろん団十郎であるから形容が大きい物語りになっています。しかし、熊谷の内面の表出がその形容の大きさに見合っていないと云うか、却ってその形容の大きさの「空疎さ」が目立つという感じがしますねえ。それとも敢えて熊谷の物語りの「空疎さ」を訴えようと云う意図でしょうかね。もしかしたらそうかも知れないとも感じますが、これだと熊谷の物語が「古典」の感触にならないのですねえ。歌舞伎と云うよりも現代劇の感触に近くなる。冒頭の花道からの登場で・熊谷が沈鬱で重い気分を強調し過ぎたため、その気分がそのまま物語りにまで引っ張られて、団十郎の台詞も暗く沈んでモゴモゴ。そりゃあその気分では高らかに物語れないでしょう。だから思い出したくない辛い過去(息子を身替わりにしてしまったシーン)を無理に物語るかの如く見える。だから物語りが空疎な印象に映るのです。

ここは熊谷を「モドリ」の役どころだと割り切って、一の谷の戦いで花の様なる若武者敦盛を情け容赦なく斬った無慈悲な武士だと舞台の人物(相模・藤の方・奥で耳を澄ます梶原)だけでなく・観客をも騙し、次のクライマックス・首実検で・実は殺したのは実の息子小次郎でしたとアッと驚かせると云う、そのような作品本来のドラマ構造を素直に利用する、その方がはるかに楽ではないですかねえ。その方が歌舞伎の「おおらかさ」も「古風さ」もすんなり出せると思います。ところが団十郎は生憎「現代人」であって、実の息子を身替わりに殺さなければならぬ封建社会への批判・これを描かなければ歌舞伎は現代に生きられぬと云うことになるから話が面倒になる。まあ吉之助だって現代人ですから、その気持ちはよく分かるのですけどね。

今回の舞台では、前半の物語りと比べれば、後半の首実検は・実は熊谷が殺したのは実の息子小次郎だったと云うことで・そのアンビバレントなドラマの方向性が合致しますから、制札の見得などは団十郎の形容の大きさが生きておりましたね。だからこの後の相模(雀右衛門)の嘆きも引き立ちます。(この稿つづく)

(R8・1・16)


 


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