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「高野聖」のたそがれの味

平成20年7月・歌舞伎座:「高野聖」

五代目坂東玉三郎(美女)、十一代目市川海老蔵(十三代目市川団十郎)(旅の僧)

*本稿は別稿「たそがれの味〜鏡花をかぶき的心情で読む」との関連で書かれています。


)たそがれの味

高野聖とは中世期に高野山から諸国を巡り・勧進のために勧化・唱導・納骨などを行った僧のことを言いました。一般に行商人を兼ねていたそうで、また戦国時代には隠密として情報探索の役割もあったようです。織田信長はこのことを嫌って、天正6年(1578年)に高野聖約2千人を処刑しました。徳川幕府も高野聖の弾圧を続けたため、高野聖は江戸前期にほぼ完全に姿を消すことになります。

鏡花の「高野聖」(明治33年・1898年)は北陸敦賀への旅路でたまたま同宿になった旅の僧が・その若き日に飛騨山中で体験した怪異を物語るという話です。その怪異譚に登場するのが旅人を次々と畜生に変えてしまう という妖艶な美女です。美女は色仕掛けで僧を惑わしますが、僧の功徳に感応した美女が僧を許すのか・あるいはその妖力が僧に通用しなかったのか・僧は無事に下山します。後になって旅の僧は美女の正体を知ります。

吉之助がこの小説で重要であると考えるのは、実際には江戸前期で高野聖が絶えたにも係わらず(小説の時代設定は明治期です)鏡花が旅の僧を高野聖・つまり真言の僧であるとしていることです。妖怪が僧の功徳に感応したというだけの話ならば・ 「修練を積んだ旅の僧」と設定すればそれで十分なことです。それをわざわざ高野聖としたことに鏡花の意図があるわけです。このことは「桜姫東文章」で鶴屋南北が清玄を真言の僧であるとしたこととまったく同じ理由に拠ります。それは真言密教の根本経典である「理趣経」の思想に拠るのです。(別稿「桜姫という業(ごう)」を参照ください。)

『妙適清浄の句、是(これ)菩薩の位(くらい)なり。欲箭(よくせん)清浄の句、是菩薩の位なり。蝕(しょく)清浄の句、是菩薩の位なり。愛縛清浄の句、是菩薩の位なり。』 (理趣経)

真言密教の教えによれば「業(ごう)」というものは宇宙の律です。その律によって美女はその色を変えます。美女は高貴な女性にも・哀れな女性にも・汚辱にまみれた女郎にも姿かたちを変えることができ、生きたまま律そのものになるとすれば・愛欲の情念にも・母親の慈愛にも・聖女の清らかさにも身を変えることができるのです。それが真言密教の教えです。僧がそのように美女を捉えることが出来るように、鏡花は僧を真言の僧に設定しているのです。

『ちょいちょいと櫛を入れて、(まあ、女がこんなお天婆をいたしまして、川へ落こちたらどうしましょう、川下へ出ましたら村里の者が何と言って見ましょうね。)(白桃の花だと思います。)とふと心付いて何の気なしに言うと、顔が合うた。するとさも嬉しそうににっこりして、その時だけは初々しう年紀も七つ八つ若やぐばかり、処女の羞を含んで下を向いた。』(泉鏡花:「高野聖」)

別に高邁な言葉でもありませんが、若い素直な感性のなかに・さりげなく真言の教えが現れています。「白桃の花だと思います」、こういう言葉がすんなりと出るところにこの若い僧の功徳というものが現れています。このひと言だけで美女のなかの妖力は自然に弱まり・その清らかさが強まってきたであろうと感じられます。どちらも美女のなかにある本来の性(さが)に違いありません。別稿「たそがれの味」において、鏡花を読み解く時のキーワード「たそがれの味」ということを考えました。「たそがれの味」の感覚は その移ろいの表情において真言の教えに通じるわけです。

『たそがれ趣味は、単に夜と昼との関係の上にばかり存立するものではない。宇宙間あらゆる物事の上に、これと同じ一種微妙な世界があると思ひます。例へば人の行ひにしましても、善と悪とは、昼と夜のやうなものですが、その善と悪との間には、又滅すべからず、消すべからざる、一種微妙なところがあります。善から悪に移る刹那、悪から善に入る刹那、人間はその間に一種微妙な形象、心状を現じます。私はさう云ふたそがれ的な世界を主に描きたい。』 (泉鏡花:「たそがれの味」」・明治41年3月)

(H20・8・15)


2)真言の教え

「高野聖」に嫌な感じの富山の薬売りが登場します。結局彼は美女によって馬に変えられてしまうのですが、薬売りをブルジョア的俗物の象徴だとして・「高野聖」で鏡花はブルジョア的功利主義を批判しているなどという読み方はしない方がよろしいと思います。ストーリーの都合上・旅の僧の清々しさと対照するような格好になっているので、何となく嫌味な奴に描かれているだけのこと。富山の薬売りの人間性が卑しくて・旅の僧の方が高いなどと人間を値踏みするようなことは鏡花は全然書いていません。それがその人間の定めだったのであろう・・・ただそれだけのことです。

「高野聖」に登場する美女とは何者でありましょうか。本当に魔性の化け物であったのか。それとも普通の女性であったものが旅の僧の幻想でそう見えただけのでしょうか。これは「たそがれの味」で読むならば、そのどちらでもあるのです。そう考えれば「高野聖」はこの若い僧の儚(はかな)い恋愛譚にも見えてきます。それは間違いなく若い肉体から発するところの非常にピュアで健康的な性欲です。

『男滝の方はうらはらで、石を砕き、地を、堂々たる有様じゃ、これが二つの巌に当って左右に分れて二筋となって落ちるのが身にみて、女滝の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身をわすようで、岸に居てさえ体がわななく、肉がる。ましてこの水上は、昨日孤家婦人と水を浴びた処と思うと、気のせいかその女滝の中に絵のようなかの婦人の姿が歴々、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋に乱るる水とともにそのに砕けて、花片が散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足もき姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。らず真逆に滝の中へ飛込んで、女滝をしかと抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響打たせて。山彦を呼んでいて流れている。ああその力をもってなぜ救わぬ、よ!滝に身を投げて死のうより、孤家へ引返せ。らわしい欲のあればこそこうなった上に躊躇するわ、その顔を見て声を聞けば、かれら夫婦が同衾するのにを並べて差支えぬ、それでも汗になって修行をして、坊主で果てるよりはよほどのましじゃと、思切って戻ろうと・・・』(泉鏡花:「高野聖」)

理趣経の教えから見れば、この僧の思いを迷い・堕落と見ることはできません。むしろ、そのようになることさえ仏の導くところの道であるのです。同じことは「桜姫東文章」での僧清玄の有様にも言えます。迷うならとことん迷え・堕ちるならとことん堕ちるまで堕ちよ・そこから真理が啓けるであろうということです。ところが滝の傍で町から戻ってきた親仁は、若い僧に冷や水を浴びせるような真相を語って聞かせます。

『うまれつきの色好み、殊にまた若いのがじゃで、何かご坊にいうたであろうが、それをとしたところで、やがてかれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。いややがて、この鯉を料理して、大胡坐で飲む時の魔神の姿が見せたいな。妄念は起さずに早うここを退かっしゃい。』(泉鏡花:「高野聖」)

もし僧が弧家(ひとつや)へ引き返し美女と暮らすことになっていたら、どうなっていたでしょうか。「自分の真心で彼女を普通の人間に戻してみせる」としたところで無駄なことです。いつかは美女はその妖怪の性を現すでしょう。まあそれで畜生に変えられるなら・それも一生ということですが。親仁は「命冥加な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ」と言って去ります。親仁の言葉が僧に踏ん切りをつけさせます。それにしても「高野聖」が恋愛譚にどこか似るのは、結局、僧が弧家へ引き返さなかったからに違いありません。僧が弧家に引き返さなかったから・美女は魔神の姿を僧に見せないで済む・つまり僧の心のなかで美女は清らかな姿で生き続けることになる。それは美女が魔界から解き放たれて救われたということに等しいのです。

『お名残惜しや、かような処にこうやって老朽ちる身の、再びお目にはかかられまい、いささ小川の水になりとも、どこぞで白桃の花が流れるのをご覧になったら、私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったことと思え』(泉鏡花:「高野聖」)

僧の心のなかで美女は美しく生き続けることになります。僧が孤家に引き返さなかったことで、恋愛譚はそれ以上のものに高められています。それは真言の教えにも通じるわけです。

(H20・8・19)


3)鏡花のお化けの世界

小説「高野聖」の舞台化はなかなか難しいと思います。小説は旅の僧の語り(一人称形式)で書かれており、芝居では僧の内面描写が困難ですし・視覚的な興味がどうしても美女の妖艶さやお化けの怪異の方に行ってしまうのは仕方のないところです。それに芝居であると鏡花の持ち味である「たそがれの味」の微妙なところが出しにくいようです。観客は人間界と異界の対立構図で芝居を見勝ちです。まあ確かに芝居というのは空間的にも視覚的にも二元構造が成立しやすい芸能ではあります。舞台を見れば上手があり・下手がある。主役がしゃべり・相手役が返すという対話形式も二元的です。舞台と客席が仕切られている構造も二元的な感覚を引き起こします。男も女も二元的であり、人間と妖怪の構図も二元的に感じられるかも知れません。

歌舞伎での「高野聖」上演は昭和29年(1954)に吉井勇脚色・久保田万太郎演出で扇雀(現・藤十郎)・蓑助(八代目三津五郎)により上演されて以来のことです。当時扇雀は22歳、扇雀ブームの真っ最中でありました。この時の上演写真を見れば・着物を肩まで脱いで・背中を半分くらい見せた半裸姿の扇雀が写っています。良くも悪くも女形の伝統美から大きく逸脱したものです。その時の芝居がどんなものであったか・知る由もないですが、当時「女よりも美しい」と言われた扇雀の魅力(ただし女形本来の魅力ではないところの女優代用品としての扇雀)を売り出そうという興行側のいささか不純な動機が背景にあったと思います。「高野聖」はいろいろ物議を醸し・扇雀はその後まもなく映画の方に行ったりして・上方歌舞伎はゴタゴタが続くわけですが、現・藤十郎も「高野聖」にはあまり良い思い出がないのではないかとお察しをします。そういうわけで吉之助の歌舞伎での「高野聖」のイメージはあまり良くないものでした。

今回(平成20年7月歌舞伎座)での石川耕士・玉三郎の補綴・演出は原作に近いものに戻すとの触れ込みでした。まさか玉三郎が若き頃の扇雀の向こうを張って半裸になるとは思いませんが、今更何を思って玉三郎が「高野聖」を演る気になったのか・不思議に思ったのが正直なところでした。実際の舞台を見ると映像など交えて・小説の要点を巧く押さえて・なかなか良心的な舞台化という印象でした。歌舞伎には珍しい立体感ある山道の大道具も面白かったですし・作り物の化け物も一生懸命でしたし、背景音楽も興味深く聞きました。

水浴びの場面での期待された(?)玉三郎(美女)の露出度は、いまひとつ。歌舞伎の女形としてはこの辺が限界かも知れませんねえ。海老蔵(旅の僧)の方は若者の健康的なときめき・慄きをもう少し強く出しても良かったかも知れません。海老蔵の方はもうちょっと露出した方が良かったかも。どうせ芝居が二元的構図に捉われるものならば・それを逆手に取って旅の僧の心理に切り込んだ方が良かったように も思います。全体に玉三郎 ・海老蔵のふたりとも素材としてそれなりの雰囲気を出していたものの・演技の見せ場がさほどないままに終わっていました。この辺は脚本に更なる工夫が必要だと思います。例えば幕切れで親仁(歌六)が美女の正体を語る長台詞の間、旅の僧はほとんど演技をしないまま立っています。イヤ息を詰めて全身で聞き入っているということでしょうが、これでは視覚的に場を持ち切れない。ここは親仁の話を聞きながら、アッと声を出して驚いたり・今来た道を振り返ってワナワナと震えてみたり・イヤ恐ろしいことであったとのけぞってみたりしないと芝居にならぬのです。そのためには原作にない台詞を入れて・幕切れを親仁との対話形式に作り変える手法が必要であったかも知れません。親仁に出会う直前に行こうか戻ろうかと迷う場面も僧の独白に直して内面を吐露させた方が良いと思います。そうすると徳の高い僧に見えずに俗っぽくなってしまって・「高野聖」の世界から離れて しまうように思うかも知れませんが、こういう場合は意識的に二元的構図を持ち込んで処理する方が芝居としては面白くなると思います。山道の場面でも物の怪や蛇を見て驚いたり・先に進むのを躊躇するような演技がないと観客に怖さが伝わりません。小説と芝居は別作品と割り切った方が良ろしいのです。そういえば小説のなかにこういう場面がありました。

『そこでもう所詮叶わぬと思ったなり、これはこの山のであろうと考えて、杖をてて膝を曲げ、じりじりするに両手をついて、(誠に済みませぬがお通しなすって下さりまし、なるたけお午睡邪魔になりませぬようにそっと通行いたしまする。ごの通り杖も棄てました。)と我折れしみじみと頼んで額を上げるとざっというじい音で。心持よほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、へ一文字にさっといた、も山も一斉にいだ、恐毛って立竦むと涼しさが身に染みて、気が付くと山颪よ。』(泉鏡花:「高野聖」)

この場面は芝居でも是非生かしてもらいたかった箇所です。鏡花が芥川龍之介に次のように語ったそうです。

『犬がこわい、化け物なんか怖くない。その昔子供の頃金沢で、どちらの親御の薬とりに夜更けていく、こういうわけだから化物よ、でないでお呉れといえば化物はでなかった』(松原純一:「鏡花文学と民間伝承」)

鏡花のお化けは何の脈路もなく・ふっと理不尽に出るものと思われているようですが、鏡花のお化けは筋さえ通っていれば何の悪さもしないものです。お化けの出現に驚き騒ぐ本人たちの方に責任があるのです。そう考えれば鏡花のお化け物はどれもそれなりに筋が通っていると吉之助は思います。「高野聖」もその筋が通っているところにその劇化の取っ掛かりがあるのです。「高野聖」の場合は美女が妖術によって男たちを次々に畜生に変えるというより、むしろ男たちが自分のなかに潜むその性(さが)によって自然に変わってしまうと見るべきかも知れません。旅の僧にもその若い肉体にふさわしい性のときめき・ 慄きの感覚があります。一歩間違えば僧も畜生に変わりかねなかったのですが、僧は自分の感覚をとても自然に素直に・詩的とでも言えるような形で昇華して受け止めることができました。だから僧は畜生に変わらなかったということです。ただそれだけのことなのです。

(H20・8・22)



 

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