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初代壱太郎の「お染の五役」

令和7年3月京都南座:「於染久松色読販・お染の五役」

桜プロ:初代中村壱太郎(油屋お染・丁稚久松・久作娘お光・雷・土手のお六五役)、初代虎之介(猿廻し白蔵)、五代目中村米吉(猿廻しお龍)

松プロ:初代中村壱太郎(油屋お染・丁稚久松・久作娘お光・鬼門の喜兵衛・土手のお六五役)、初代虎之介(猿廻しお龍)、三代目中村福之助(船頭白蔵)


本稿は令和7年3月京都南座での、壱太郎のお染他五役による「お染の五役」の観劇随想です。「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり・通称「お染の七役」)は文化10年・1813・3月・江戸森田座初演で、四代目南北が名女形・五代目半四郎のために書き下ろした早替り芝居です。このなかから大切の道行の場を抜き出して上演するのが「お染の五役」で、五役が目まぐるしく入れ替わる・いわばこの早替り芝居のエッセンスみたいなものです。舞踊と云えば舞踊、芝居と云えば芝居なんだろうが、別に大した筋があるわけではありません。

今回の南座の花形歌舞伎では、五役をお染(町娘)・久松(若衆)・お光(田舎娘)・雷(道化)・土手のお六(悪婆)で勤めるヴァージョン(桜プロ)に、雷を鬼門の喜兵衛(敵役)に変えて段取りをアレンジし直したヴァージョン(松プロ)が用意されています。もちろん段取りが異なれば下座(常磐津)の曲も異なります。ちなみに雷は四代目藤十郎のやり方、喜兵衛は二代目猿翁のやり方であるそうです。

4年前(令和3年2月)歌舞伎座で土手のお六の件だけを抜き出して一幕三場の芝居に仕立てて上演した時、これはこれでやむを得ない事情があっての処置ではあったけれど、「お饅頭から皮を取って餡子だけにしたらお菓子になりません」と書きました。「お染の五役」はちょうどこれとは真逆のプロセスで、「お饅頭から餡子を抜いて皮だけをお客に出した」ようなものなので、やはりお菓子にはなりません。まあ見た目の変化を愉しめば良いだけのことなのですがね。

ところで、このような早替り芝居で大事なことは、「五役を適格に演じ分ける」と云うことでは必ずしもなく(もちろんそれも大事なことに違いないですが)、「アアまた壱太郎が出て来たぞ、あちらからも・こちらからも壱太郎、次はどうなる・・」という混乱の感覚にあるのです。それは「今舞台に見える姿は、私という人格が纏う仮の姿でしかない」という哲学的観念にも相通じるものです。又さらにこのことは上方和事の本質である「今私がしていることは、私が本当にしたいことではない。本当の私は別のところに在って、今の私は本当の私ではない」という考え方とも自然に重なり合って行くものです。(別稿「和事芸の起源」を参照ください。)だからこれはとても興味深い現象だと思いますが、それ故に伝統的に上方歌舞伎はケレン芝居・早替り芝居とどこか感覚的な親和性を持っているのですねえ。あの四代目藤十郎が「お染の五役」をやったと云うことはそう云うことなのであり、壱太郎も多分そう云うことを愉しむセンスを持っているのだなあと、今回の舞台を見ながら強く感じたことでした。

(R7・3・11)


 


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