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「趣向」のごった煮

令和6年12月・日生劇場:「天保十二年のシェイクスピア」

浦井健治(佐渡の三世次)、大貫勇輔(きじるしの王次)、木場勝己(隊長)、梅沢昌代(清滝の老婆・飯炊きのおこま婆)、唯月ふうか(お光・おさち二役)、土井ケイト(お里)、阿部裕(よだれ牛の紋太・蝮の九郎治・飯岡の助五郎三役)、玉置孝匡(小見川の花平・笹川の繁蔵二役)、瀬名じゅん(お文)、中村梅雀(鰤の十兵衛)他

(演出:藤田俊太郎、音楽:宮川彬良)


1)「趣向」のごった煮

本稿は令和6年12月に日生劇場で行われた「天保十二年のシェイクスピア」の観劇随想です。本作は井上ひさしが昭和48年(1973)12月に書き下したもので、初演は翌年の昭和49年(1974)1月西武劇場(現在のPARCO劇場)でのこと、演出・出口典雄、音楽・宇野誠一郎でした。本作は幕末の人気講談師・宝井琴凌の「天保水滸伝」など侠客講談を縦糸とし、これにシェイクスピアの全戯曲37篇を趣向の横糸として掛け合わせて、主要登場人物が残らず死んでしまうと云う、大量殺人不条理喜劇に仕立てたものです。

吉之助が今回この舞台を見ようと思ったのは、ご存知の通り歌舞伎には「綯い交ぜ」という作劇技法があって、二つ以上の異なる「世界」を絡め合わせて、まったく異なる様相の芝居を作り出すと云うものがありますから、井上ひさしがそのような伝統技法を踏まえたところで・どんな風に芝居を創ったのかなというところにちょっと興味がありました。そこから四代目南北の「綯い交ぜ」を考えるための新たなヒントが見い出せないものかと思ったのです。

まず今回の舞台を見た印象は、上演時間が4時間超(休憩含む)と云う長丁場であったこともありますが、後年のこまつ座の人情喜劇のイメージで「天保十二年のシェイクスピア」を考えていると、驚くほどブラックでヘヴィーな喜劇だなと云うことですねえ。兎に角登場人物たちが本音で・欲望丸出しで・全力で生きていて・そしてバタバタ死んで行く、それがシェイクスピアから来るのか・「天保水滸伝」から来るのか・まあそれはどうでも宜しいのですが、「趣向」のごった煮を突き付けられた気分で、ホントにワイルドな味わいなのです。

ところで吉之助は井上ひさしが原作のNHKのテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」(放送は昭和39年・1964・4月〜昭和44年・1969・4月)を見て育った世代です。「天保十二年のシェイクスピア」が書かれたのが昭和48年(1973)であるから、年代的に近い作品であるわけです。「ひょうたん島」は随所にナンセンス・ソングが挿入された音楽人形劇で、カラッと明るく軽めのパロディで笑わせる喜劇でした。(「ナンセンス」ってのはもう死語かな?)「天保十二年のシェイクスピア」も同じような歌芝居の形態ですが、受ける印象は一見すると真反対です。しかし、よく考えてみると両者はポジとネガの関係にあるようで、「ひょうたん島」を反転させれば、「天保十二年のシェイクスピア」になるのです。このように考えることで吉之助は随分と気持ちが楽になりました。「ひょうたん島」の主題歌に、

「苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけどボクらはくじけない、泣くのはいやだ、笑っちゃおう」

という歌詞がありますが、これを裏返して・ブラックかつへヴィーに仕立てるならば、まったく「天保十二年のシェイクスピア」の世界なのです。吉之助は子供時代にそれと気付かないままで随分凄いもの(「ひょうたん島」)を見ていたのだナアと改めて感じ入ってしまうわけです。(この稿つづく)

(R6・12・27)


2)戯作者の哀しさは

井上ひさしは「天保十二年のシェイクスピア」の初演(昭和49年・1974・1月)の公演筋書に「芝居の趣向について」という小文を寄せて、

『芝居においては、一が趣向で二も趣向、思想などは百番目か百一番目ぐらいにこっそりと顔を出す程度でいい。誤解をおそれずに言えば、芝居では思想でさえも趣向の一つなのだ。』

と書きました。このため井上ひさしは宝井琴凌の講談「天保水滸伝」を素材にし、どんな場面にもシェイクスピアの戯曲全37篇から何かの要素を取り込んで芝居を書いたのです。「何かの要素」と云うのは、例えば「ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」と云うような有名な台詞をもじった場合もあるし、リア王が三人の娘のうちで孝行な者に我が領地を与えるという設定(シチュエーション)を借りたような場合もあるし、リチャード三世の狡猾・残忍な詭弁家の性格をまるごと佐渡の三世次に移し替えたような場合もあったり、お光・おさちが生き別れた双子で・どちらがどちらだか見分けがつかないという状況に「十二夜」のラストシーンを重ねたような場合もある。兎に角いろんな場面にシェイクスピアの「何か」を忍び込ませて、そのそれぞれがことごとく「趣向」なのです。だから趣向は37どころではなく、恐らくもっともっと沢山あるのです。このため「天保十二年のシェイクスピア」は作品としての纏まりがちょっと悪い感じであるが、このように随所に散りばめられた「趣向」のごった煮から何が生まれて来るか、それが問題なのです。(この出典はもちろんお分かりですよね?)

ですから本作には芝居を見ながら「このどこにシェイクスピアがどんな形で入っているのだろう?」と探す愉しみがもちろんあるわけですが、今回公演筋書の解説ではシェイクスピア研究の大家・河合祥一郎先生が出典を確認できたのは27作までだそうで、「どなたか、もっと見つけた方がいらしたら教えてくださあい」と書いているくらいなので、吉之助は趣向を探す愉しみは置いておくことにしました。もう一度繰り返しますが、吉之助の本作への関心は、「趣向」のごった煮から何が生まれるかなのです。これを作品が持つ「思想」と呼ぶのであれば、そう云うことです。つまり作者井上ひさしが「芝居では一が趣向で二も趣向、思想などは百番目か百一番目ぐらいにこっそりと顔を出す程度でいい」と言っていたはずのもの(思想)が、回りまわって一番最初に来ることになるのです。

四代目南北の「綯い交ぜ」芝居でも、「これはただの冗談(パロディ)、ただのお慰み(エンタテイメント)ですから」とヘラヘラ笑って「趣向」を並べながら、その実、現実の切り口を生々しく・ドギつく見せ付ける、そこに南北の思想性があると云うことなのでしょうね。

ところで、吉之助は井上ひさしの芝居のすべてを知っているわけでないので・そこは文芸評論家扇田昭彦氏の助け(「井上ひさし全芝居・2」での作品解説・新潮社)を借りますが、「天保十二年のシェイクスピア」辺りを境目に、つまり時代としては昭和45年(1970)から50年(1975)辺りを境界に、井上ひさしは初期戯曲に見られる趣向の執拗さ・過剰さ、言葉遊びの奔流を抑制して、その後、主題と表現の釣り合いの取れた作風へと徐々に変化して行ったと扇田氏は指摘しています。

これはこの前後の時代の空気を知っている者には、なるほどナアと思うところがあります。当時は、君は右か左か?親米か親ソか?(当時はソビエト連邦という国がありました)という風に、何かと云えば主義主張を問われそうな雰囲気がありました。どちらかを表明できなければ、「ノンポリ」と呼ばれて馬鹿にされる。(注:ノン・ポリティカルの意味) まあそういう時代でありましたね。しかし、「ノンポリ」だって何か思想を持っているはずです。

扇田氏が解説のなかで引用していますが、井上ひさしは国文学者松田修との対談(昭和48年・1973)のなかでこんなことを語ったそうです。

『戯作者の哀しさというのは、たったひとりで必死になってこんな役にも立たぬことをやっているけれど、はたしてこんなことをしていていいのだろうかという問いかけがどっかでいつも聞こえてくる。(中略)世の中に背を向けて頭のなかを言葉でいっぱいにして、それをつかんだり、ひっくり返したり、ねじまげたりしながら、飯にありつくことに対する後ろめたさ。』

井上ひさしはこのように「戯作者の哀しさ」を前面に押し出す卑屈なポーズを取りながら、後ろ向きの姿勢で実はしっかり爪を研いでいたと云うことなのです。そう云う井上ひさしのポーズが「天保十二年のシェイクスピア」にはよく表れている気がしますね。(この稿つづく)

(R6・12・30)


3)分離される局面

しかし、もしかしたら「天保十二年のシェイクスピア」で作者井上ひさしが用いた「趣向」の一番は、この芝居を音楽劇に仕立ててしまったことではないかと思うのです。恐らくこの芝居からソングを抜いてしまえば、芝居はゴチャゴチャと整理の付かない印象にしかならないでしょう。この芝居に破天荒な活力を与え、なおかつ先行きの読めない芝居にきっちりと局面々々の仕切りを付けるのが、ソングの役割です。不思議なものですねえ、ここに登場するソングは19ほどあり(繰り返しを含む)、ソングのスタイルは様々で・全然統一は取れていないのですが、それぞれのソングが混沌とした・何を言いたいか分からぬ場面を総括したり・批評したり・或いは笑い飛ばしたり、そうやって場面にけじめを付けて次の場面に渡す、ソングがそのような仕切りの役目を果たすのです。つまり芝居の流れに弾みを与えるのがソングなのです。

ベルトルト・ブレヒトは「三文オペラへの註」のなかで、ソングが持つ機能についてこう書いています。

『歌を歌うことで、俳優はひとつの機能転換を行なう。俳優が普通の会話から無意識のうちに歌に移っていったような振りを見せるほどいやらしいことはない。普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない。高められた会話が普通の会話のたかまりであったりしては決していけないのだ。』(ブレヒト:「三文オペラへの註」〜ソングを歌うことについて)

このことはとてもよく分かります。思えば「ひょっこりひょうたん島」でのソングでも、あの頃は子供向けの他愛ないエンタテイメントと思って見ていたのですが、井上ひさしは子供向けだから・大人向けだからって分け隔てしなかったのですね。「普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきりと分離されねばならない」と云うことが吉之助に感覚的に理解できるのは、これは少年時代の井上ひさしからの仕込みのおかげかも知れません。

例えば「三人吉三・大川端」のお嬢のツラネ(月も朧に白魚の・・)によって、ここまで進行していた写実の芝居が七五調の様式のなかへトロトロ沈んでいく、それは「ひょっこりひょうたん島」のソングほど明確に分離されてはいませんが、実はお嬢のツラネも、ドラマの局面にはっきり仕切りを入れるものです。ツラネが(つまりソングが)「こいつア春から縁起がいいわえ・・」で終わったらば、芝居はただちに写実の感覚に引き戻されなければなりません。その後のお嬢とお坊の対決は様式の感覚を引っ張ってしまったらダメです。お嬢のツラネはソングとして、前後の場面から感覚的にはっきりと分離されねばなりません。

或いは「熊谷陣屋」のなかで熊谷の物語りに移り・床が「物語らんと座を構え・・」と語るところで、もちろんこれはソングとは異なりますが、芝居が一段と音楽的な局面に入ると云うことですから、ここでもやはり物語りのエッジが立つ感覚がなければなりません。物語りが終わったらば、サッと芝居の感覚に戻す。これは機能として、ソングとまったく同じことになります。或いは制札の見得の場面、幕切れの六重唱(すみ所さえ定めなき有為転変の世の中じゃなア)などもそうです。「熊谷陣屋」に限らず、義太夫狂言には核心の場面でこのように音楽的な方向に次元が歪む瞬間がいくつも見られます。このような芝居の音楽的な感覚に、昨今の歌舞伎役者は割と無頓着であるように思われますね。

話を「天保十二年のシェイクスピア」に戻しますが、今回の藤田俊太郎演出版では音楽を宮川彬良が担当し、親しみやすい旋律とポップな味わいのソングを聞かせて、場面の仕切りの役割を見事に果たしています。リズムの処理などなかなか面白く聞きました。(この稿つづく)

(R7・1・4)


4)境目が見えない時代に

今回公演筋書に掲載された出演者座談会での隊長役の木場勝己の思い出話ですが、2005年の「天保十二年のシェイクスピア」・蜷川幸雄演出版で同じく隊長役で出演した時、井上ひさしが木場に「ちゃんと時代劇をやってね。(新劇俳優は)シェイクスピアネタに引っ張られ勝ちだけど、「天保水滸伝」をネタにしているのだから、パロディにするためには・そこをしっかりやらないとダメなんだ」とアドバイスしたそうです。

この話はとてもよく分かります。趣向(パロディも趣向のひとつ)の面白さを際立たせるために、元ネタに趣向を加える前と後とで何が変わったか、その差異を観客に意識させねばなりません。差異は何であっても良いのです。音であっても・形であっても・意味であっても、それが差異であれば何でも良いのですが、兎に角、観客に差異を感知させることが大事なのです。そこから笑いが・或いは批評が、更には思想が生まれるかも知れません。

それにしても「天保十二年のシェイクスピア」の「趣向」のごった煮の、混沌として濃厚な味わいをどのように形容したら良いのでしょうかね。ここでは「思想」と呼べるような方向性を持つものが未だ明確な形を成していないようです。創造の方向を見定めようと作者が必死にあがいている印象ですね。扇田昭彦氏が指摘した通り、作者井上ひさしは、このような格闘の末に本作以降、趣向や言葉遊びを抑制して、主題と表現の釣り合いの取れた作風へと次第に変化して行ったと云うことなのでしょう。

とりあえず「天保十二年のシェイクスピア」に於いては、「趣向を加えた前と後とがすべて等価」というところが大事であるかも知れません。例えば本作の実質的な主人公・佐渡の三世次(=リチャード三世)のソングに、

平和と戦さの ごたまぜが好き
きれいはきたない きたないはきれい
平和は戦さ 戦さは平和
この混沌にしか おれは生きられぬ
   (三世次のブルース)

とあります。「きれいはきたない きたないはきれい」は、もちろん「マクベス」の三人の魔女の台詞をパロっています。同時にそれは「リチャード三世」冒頭の独白の雰囲気を連想させもします。恐らくこれは1970年代の主義主張をやたらに問うた時代の薄っぺらさに反発したものかも知れませんね。そのどちらかであることに、特別な意味があるわけではないのです。しかし、あれから約50年の歳月が経って、平和な時代なのかそうでない(戦さの)時代なのか、その境目(差異)が溶解してよく分からず・そのくせ閉塞感だけは一層募って来る現在(2024年)の状況に、「三世次のブルース」が妙にフィットする感じであるのは、まことに奇妙なことだと思いますねえ。役者さんは皆さん芸達者で、活き活きとやっていらっしゃいます。

(R7・1・7)


 

 

 


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