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六代目勘九郎・初役の俊寛

令和6年10月22日・鹿児島県三島村硫黄島:「平家女護島〜俊寛」

六代目中村勘九郎(俊寛)、二代目中村七之助(丹左衛門)、四代目片岡亀蔵(瀬尾太郎兼康)、三代目中村勘太郎(丹波少将成経)、三代目中村いてう(平判官康頼)、二代目中村鶴松(千鳥)他

(十八代目勘三郎十三回忌追善、三島村歌舞伎)


1)硫黄島での「俊寛」上演

本稿は令和6年10月22日に鹿児島県三島村硫黄島の野外特設ステージで行われた、勘九郎・初役の俊寛による「十八代目勘三郎十三回忌追善・三島村歌舞伎・平家女護島〜俊寛」の上演映像の観劇随想です。

十八代目勘三郎は、平成8年(1996)5月29日(当時は五代目勘九郎)、平成23年(2011)10月22日の二回、鹿児島県三島村での野外特設ステージで「俊寛」を上演しました。勘三郎自身は「出来れば70歳を過ぎたらもう一度ここで俊寛をやりたい」と言っていたそうです。勘三郎70歳と云うと来年(令和7年・2025)5月と云うことなのだが、残念ながら勘三郎は平成24年(2012)12月5日に57歳で亡くなってしまったので、今回の三島村での三度目の「俊寛」は、息子の勘九郎が亡き父の十三回忌追善と銘打ち上演したものです。前日は荒天でフェリーが欠航して・上演が危ぶまれたようですが、幸い当日は晴れて無事に上演が出来ました。企画の実現のための心労は並大抵のものではなかったと思います。成功は人気役者であった父の遺徳でもありますが、二人の息子(勘九郎・七之助)はよく頑張ったと思いますね。

「平家物語」覚一本に拠れば、俊寛・成経・康頼の三人は平家打倒の密議に加わった罪によって「鬼界嶋」に流されました。鬼界嶋がどこなのかは史料が少なくて、諸説があるようです。しかし、最も有力な説としては、鹿児島県鹿児島郡三島村(竹島・硫黄島・黒島の三島から成る)の硫黄島がその鬼界嶋ではないかとされているようです。硫黄島には地元の人たちが俊寛堂と呼ぶ侘しい庵などの史跡が残されています。映像でちょっと見ただけでも、都会で暮らす我々には想像も付かぬ厳しい環境が察せられます。

ところで野外特設ステージでの歌舞伎の上演と云うことであれば、大抵は夜の上演になるので効果は限定されるでしょうが、周囲の風景を取り込む感覚で芝居が現地のなかに溶け込むと云うこともあろうかと思います。吉之助が平成8年当時・第1回硫黄島公演の・NHKによる制作ドキュメンタリーを見た時に、舞台予定地の背後の海に切り立つように聳える断崖絶壁が圧倒的で、この景色を背景に「俊寛」の芝居をしてみたいと思った勘九郎(当時)の気持ちは分かるなあと思ったものでした。今も噴煙が立ち上る硫黄岳が借景出来るのならば迫力満点で尚良いなあなどと思いました(硫黄岳は特設ステージの向きとは真逆の方向に位置するようです)。しかし、放送された公演映像は夜の上演であったので、舞台の向こうは真っ暗になって断崖絶壁などが見えるはずもなく、この点だけは惜しいことをしたなと思いました。もちろん映像として残すことを考えるならば、周囲が明るくて・見えなくてもいい現代的な建物などが背後に写り込んでしまうよりは、舞台の向こうが真っ暗な方が良いと云うのは分かるのだけれど、せっかく伝説の俊寛の地まで来ているのだから、硫黄島の風景を目いっぱい取り込めば面白いものになったかなと思ったのです。これはまあご協力を下さった三島村役場など諸事情があることだから難しいことなのでしょうが、今回(令和6年11月の三回目)も夜7時からの上演なので舞台の向こうは真っ暗でしたね。

しかし、「俊寛」幕切れで成経・康頼・千鳥の三人を載せた(ライトアップされた)御赦免船が岸壁を離れて次第に暗闇のなかに小さくなっていく光景、海に浸かって必死で船に向かって手を振る俊寛の姿は、まるで映画でも見るような気分にさせると云うか、芝居を越えたリアリズムなんだけど・歌舞伎の衣装や様式がリアリズムに負けることは決してないんだと云うことを確認出来て嬉しかったですねえ。(この稿つづく)

(R6・12・1)


2)勘九郎初役の俊寛

平成8年の一回目の十八代目勘三郎の俊寛もなかなか面白かったですが、岩上で船を見送った後は茫然自失に見えた俊寛でした。まことに勘三郎らしい俊寛ではありましたが、最後はちょっと熱過ぎたところがあったかも知れません。まあ幕切れの俊寛は役者の持ち味によって色々な見せ方があるものです。どれが良いの悪いのと云うことはありません。

一方、今回(令和6年11月の三回目)の勘九郎初役の俊寛は、角度によって姿が「これほど父に似ていたか」と思うところがあって、そこがとても興味深い。しかし、これは勘九郎の個性から来るものですが、感触としては父よりもちょっと時代の方に寄った趣があって、これが俊寛を作品のなかで程よい位置に納めていたと思います。幕切れの「俊寛」の感動は、自己犠牲によって(つまり自らの意思によって)独り島に残るところにあり、悲劇としては「互いに未来で、未来で」までで一応の結末が着く、「思い切っても凡夫心」のところはもちろん大事な箇所ではあるが、後ろはエピローグであると考えるべきと思います。悟ったつもりでも・その場になるとやっぱり取り乱してしまう、その愚かしき有様が何とも「あはれ」であると云うことだと思います。勘九郎の俊寛は、そこの塩梅がなかなかいい感じでありました。ここが俊寛の伝説の地であることも深く関連していると思います。

他の面々も一生懸命勤めて、気持ちが良い出来です。勘太郎(13歳・成経)も随分大きくなったものですねえ。神妙に勤めていて感心しました。勘三郎も喜んでいることでしょう。

たまたま当月(10月)歌舞伎座での「俊寛」(菊之助主演)とかち合ったので・比べて見てしまいますが、特に前半の芝居の流れが平板で重ったるく・感情の浮き沈みをもう少しきめ細やかに描いて欲しい不満は共通しており、ここらに令和歌舞伎の義太夫狂言の課題がありそうです。まあそんなところもありますけれども、今回の「俊寛」は十八代目勘三郎への良き追善になったと思います。

(R6・12・8)


 

 

 


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