初代鴈治郎の佐々木盛綱
昭和3年6月大阪中座:「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋」
初代中村鴈治郎(佐々木盛綱)、二代目実川延若(和田兵衛)、四代目市川市蔵(母微妙)、七代目嵐吉三郎(早瀬)、初代中村魁車(篝火)、嵐厳笑(北条時政)他
本稿で紹介するのは、初代鴈治郎の佐々木盛綱による「盛綱陣屋」の断片映像です。この映像は鴈治郎の長男・林長三郎(後の林又一郎)が撮影し、三回忌(昭和12年・1937)に記録映画「鴈治郎 舞台の俤(おもかげ)」として編集公開されたものの一部です。映画はすべて無音声の断片で、11の舞台が収められています。このうち「盛綱陣屋」は14分ほどですが、映画のなかでは一番長く収録された演目です。無声映像ではありますが、鴈治郎の盛綱のあらましは十分伺うことが出来ます。
なお別稿「六代目菊五郎の娘道成寺」映像でも触れた通り、当時の8mm機械は現代と速度が微妙に違っているようで、映画で見ると動きが早く気忙しく感じられます。そこで吉之助は速度を調整して・大体15%ほど速度を遅くして見ています。正確ではないかも知れませんが、これならば役者の動きがずっと自然に見えます。
初代鴈治郎と云うと、令和の現在ならば・まず思い出される当たり役は「頬かむりの中に日本一の顔」と云うことで「河庄」の紙屋治兵衛になろうかと思いますが、ガンジロはんは和事だけやおまへん。役どころは幅広く、義太夫狂言の時代物でも当たり役は数多くありました。本稿で紹介する佐々木盛綱もそのひとつです。この映像を見ても、その押し出しの大きさは見事なものですね。下の写真は、二代目延若の和田兵衛と対峙する鴈治郎の盛綱。鴈治郎が素晴らしいと思うのは、一挙手一投足がどこも形がビシッと決まってカッコいい。しかも動きがまったく型臭く見えないのです。息が詰んでいるということですね。無声映像だけど三味線の撥の音が聞こえてくるようです。
下の写真は、竹本の詞章「必ず気強う遊ばせと渡す一腰・・」で盛綱が人質となった小四郎を殺してくれろと脇差を母微妙に内々に差し出す場面。現行ここのところは客席に正面に構えて・左手で刀の鞘を持って微妙へ差し出す役者が多いようです。このようにすれば確かに形は大きく見えて・見栄えはいいかも知れないが、母親に向けて左手で刀を渡すのが横柄に見えて、吉之助にはどうも釈然としません。鴈治郎のを見ると、盛綱は母親の方にぐっと身を寄せて・頭を下げて・右手で鞘を持って刀を母親に差し出します。こうすると右手・右肩が身体に被るから形的に損なことになりますが、「この件はくれぐれもご内分にお計らいください」と念を押す盛綱の気持ちと同時に、母親への情がしっかりと見えます。鴈治郎はこういう演技が出来る役者なのです。
鴈治郎の「盛綱陣屋」の特徴は、二杯道具にして回り舞台で奥の座敷での首実検へと転換することです。昔の上方ではよく見られた型でした。これについては、これじゃあ「盛綱陣屋」じゃなくて「盛綱屋敷」だと云うので・歌舞伎では昔から評判が宜しくないようですが、これは文楽でも同じようにやるのです。奥座敷だから薄暗いという理屈で燭台を右手に持って首実検をするのも珍しい。鴈治郎の盛綱で面白いのは、「オヤこの首は何だか変だぞ」と身を前のめりに首を覗き込むところです。(下の写真をご覧ください。)これだと後ろの大将時政から盛綱の考えていることが丸分かりですが、こういう風に心理描写をこってり細密に見せるところが鴈治郎流と云うことなのではないでしょうかね。
下の写真は盛綱の「(小四郎を)褒めてやれ、褒めてやれ」の場面ですが、形容が大きくて、如何にも時代物役者としての鴈治郎らしいところです。
(R6・1・11)