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六代目児太郎再演の雪姫

令和5年9月歌舞伎座:「祇園祭礼信仰記」〜「金閣寺」

六代目中村児太郎(雪姫)、五代目中村歌六(松永大膳)、六代目中村勘九郎(此下東吉後に真柴久吉)、五代目尾上菊之助(狩野之介直信)、六代目中村児太郎(慶寿院尼)、四代目中村歌昇(十河軍平実は佐藤正清)、初代中村種之助(松永鬼藤太)他


令和5年9月歌舞伎座秀山祭の「金閣寺」の雪姫は児太郎と米吉のダブルキャストでしたが、吉之助が見た当日の舞台は米吉の雪姫でした。米吉の舞台については、別稿「五代目米吉初役の雪姫」で取り上げました。本稿では、舞台映像により児太郎の雪姫について書くこととします。なお児太郎が雪姫を初役で演じたのは平成30年9月歌舞伎座のことで、今回が5年ぶりの2回目となります。

このところの児太郎は団十郎一座での出演が多く、演じる役どころが限られているように思います。現在の児太郎(29歳)はとにかく芸の経験を多く積むことが大事な時期なのに、これではちょっとマズい。そのせいか歌舞伎座中心に見ている吉之助には、このところ児太郎の印象が薄いように感じていました。先日(5月)の弥生(若き日の信長)も7月のお舟(神霊矢口渡)も神妙に勤めて決して悪い出来ではないのだが、ちょっと陰りがある感じで・もう少しパアッとした華やかさが欲しい。やはり若女形にとっては華やかさは大事なことなのです。

そこで今回(令和5年9月歌舞伎座)の雪姫ですが、先ほどお舟について「ちょっと陰りがある感じ」と悪口を書いたけれども、それが雪姫ではしっとりと落ち着いた色気に見えて、これはなかなか良い出来であると安心しました。特に爪先鼠が良いですねえ。児太郎はラグビー好きだと聞きました。吉之助的には女形とラグビーはなかなか結び付かないのだが、ただしスクラム組んで下腹に力を込めてぐっと踏ん張るところなど、もしかしたら技芸的に共通点が見い出せるかも知れないなあと思いました。と云うのは、児太郎の爪先鼠での雪姫の台詞がよく下腹に力を込めていて素晴らしかったからです。例えば、

「ヘエあの大膳の鬼よ蛇よ、人に報ひがあるものか無いものか、喰ひ付いてもこの恨み晴らさいで置かうか」

「喰ひ付いてもこの恨み(ここまでを床が取り)晴らさいで置かうか」と台詞など、息が詰んでいて、とても良い出来です。「置かうか」は多くの女形が「おこう、カア〜」と泣きを入れて末尾を長く弱く引き伸ばすところですが、児太郎は「置かうか」できちっと息を止めています。だから雪姫に恨みの念・怒りの念があって、大膳に対しこれを晴らさんとする強い気迫を感じます。久しぶりに納得出来る雪姫を見たなと思いました。ここで泣きを交えてしまうと気合いが弱くなります。これでは爪先鼠の奇蹟が引き起こせると思えません。

「オオ誠に思ひ出せし事こそあり、自らが祖父の雪舟様、備中の国、井の山の宝福寺にて僧となり、学問はし給はず、とにかく絵を好き給ふゆゑ師の僧これを戒めんと、堂の柱にまっこのやうに縛り付けて折檻せしが、ひねもす苦しむ涙を点じ、足をもって板縁に画く鼠縄を喰ひ切り助けしとや」

ここでも児太郎は息が詰んで、二拍子のリズムテンポともに申し分ありません。この台詞では多くの女形がヒナヒナしてしまって難儀しますね。児太郎は息を詰めて腹からの発声が出来ているので・床(義太夫)との掛け合いが面白く、言葉のリズムの打ちが観客に確かに伝わります。義太夫の稽古をしっかりやっていると思います。このような発声を女形で聞くことは近頃珍しく、他の役者・立役にも見習って欲しいくらいのものです。(その多くが喉からの発声で・腹から声が出ていないのです。)児太郎の雪姫は、爪先鼠の場面を見るだけで価値が十分あると申しあげておきましょう。

(追記)児太郎の雪姫以外の役については、別稿「五代目米吉初役の雪姫」をご覧ください。

(R5・11・5)


 


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