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二代目猿翁追悼の「千本桜・忠信篇」

令和5年10月立川ステージガーデン:「義経千本桜・忠信篇」

初代中村鷹之資(佐藤忠信実は源九郎狐)、三代目市川笑三郎(源義経)、二代目市川笑也(静御前)(以上鳥居前)

五代目市川団子(佐藤忠信実は源九郎狐)、二代目市川猿弥(逸見藤太)、初代中村壱太郎(静御前)(以上吉野山道行)

二代目市川青虎(佐藤忠信実は源九郎狐)、三代目市川笑三郎(源義経)、初代中村壱太郎(静御前)、九代目市川中車(横河覚範実は能登守教経)(以上川連法眼館)


1)「千本桜・忠信篇」の根幹とは

立川ステージガーデンでの「義経千本桜・忠信篇」を見てきました。忠信(実は源九郎狐)を、鷹之資(鳥居前)・団子(吉野山道行)・青虎(四の切)と三人の役者に振り分ける趣向です。去る9月13日に二代目猿翁(三代目猿之助)が亡くなりました。期せずしてこれが追悼公演ということになってしまったわけです。

云うまでもなく「千本桜」の狐忠信は三代目猿之助(以下吉之助は猿之助と書かないと気持ちが乗りませんので・こう書きますが)の当たり役で、もしかしたらこれをベストワンと称しても差支えないものです。一体猿之助は狐忠信で何回宙乗りをやったのですかねえ。猿之助は「千本桜」の三役(知盛・権太・忠信)を何度も勤めました。そのなかで自己の通し狂言の手法で以て狐忠信を縦糸にして「千本桜」をコンパクトな演目に仕立てることを思い付いたのが、「義経千本桜・忠信篇」でした。初演は昭和58年(1983)11月歌舞伎座・夜の部のことでした。吉之助はもちろん生(なま)で見ました。

*「義経千本桜・忠信篇」初演
昭和58年(1983)11月歌舞伎座チラシ

今回(令和5年10月立川ステージガーデン)の「千本桜・忠信篇」はこれを三人の役者に振り分けています。これは事情が事情であるから・そのことはどうでも宜しいのですが、今回の上演場割であると、実質的にこれは鳥居前・吉野山・四の切の三場の見取り上演であって、本来の猿之助の通し狂言「千本桜・忠信篇」のコンセプトに嵌(はま)らないと云うことなのです。「忠信篇」を名乗るとすれば、そこのところがちょっと気になります。

別稿二代目猿翁(三代目猿之助)歌舞伎の思い出〜同時代的歌舞伎論」のなかで、「猿之助歌舞伎の柱は「通し狂言」にあったこと、通し狂言のダレ場を引き締めるための技法のひとつとしてケレンがあった」と書きました。このことは世間では「ケレンを生かすための通し狂言であった」と逆に理解されています。だから今回の「忠信篇」の眼目も、荒事の狐忠信(鳥居前)・舞踊の狐忠信(吉野山)・ケレンの狐忠信(四の切)を鮮やかに仕分けることだ・それだけ見せれば十分だと思われていることでしょう。まあシアトリカルな側面から見ればそんなところかも知れませんが、そうすると「三場の見取り上演」したのと何も変わりません。猿之助が「忠信篇」としたのは、ただ狐忠信三役をまとめて演じたいがために通し狂言の体裁を掲げただけなのか?今回初めて「忠信篇」を見る若い方には、そう云う風にしか見えないと思いますねえ。

しかし、「忠信篇」初演をドラマティカルな視点から眺めれば、猿之助は「忠信篇」のなかで全体をしっかり纏める根幹を設定していたことが見えて来ます。その根幹とは狐忠信ではなく、初音の鼓のことです。実は狐忠信は、初音の鼓に付き添って姿を様々に現れる幻影に過ぎません。猿之助はそのことを踏まえたうえで通し狂言「忠信篇」を創ったのです。このことが分かるのは、まず猿之助が序幕に、ダイジェスト版ではあるけれど、大内の場・堀川御所の場・塀外の場を置いて、これを鳥居前の場へと繋げたことです。お目当ての猿之助が登場しない場面を長々やるわけだから・シアトリカルな側面から見れば「不要」ということになりそうですが、猿之助はここをカットしませんでした。もちろんドラマティカルな意味を持つからに他なりません。(今回上演ではカットされています。) もうひとつは大詰で、丸本と全然異なる猿之助歌舞伎の締め方ですけれど、いつもの四の切(狐忠信の宙乗り)に続けて、奥庭・吉野花矢倉・蔵王堂の場を見せたことです。(これも今回上演ではカットで、中車が勤める能登守教経のために数分を付け足して終わり。実は初演では吉野花矢倉での本物の忠信の大立ち回りが凄かったのです。)

つまりどう云うことかと言うと、兄頼朝を討てという謎を込めて・院宣として初音の鼓が義経に与えられた、これをきっかけに義経は次々と苦境に立たされることになるが、最終的に義経は本来それを持つべき主(狐忠信)に初音の鼓を与えてしまいます。これは義経が院宣を拒否したことになるわけですが、そうすると義経の行く末はどうなるのかというドラマティカルな流れを、例えダイジェスト版であったとしても、最初から最後まで筋を通しているということです。つまり「忠信篇」とは、「初音の鼓の物語」なのです。猿之助は通し狂言の骨法を踏まえて「忠信篇」を創っています。ただしそのために「休憩時間込みで5時間」という上演時間が必要になるわけです。

別稿二代目猿翁(三代目猿之助)歌舞伎の思い出〜同時代的歌舞伎論」では、昭和末から平成前期に成立した猿之助歌舞伎は、どれも「休憩込みの上演時間で凡そ4時間半から5時間」で設計されている、このためこれらを今後上演する為には、1時間程度のカット(場合によってはそれ以上)が避けられないと云うことを指摘しました。これは猿之助歌舞伎に限ることではないのですが、これが今後の歌舞伎の通し狂言上演にずっと付き纏う問題になります。枝葉の整理では足らず、もはや芝居の頭や胴体を切り裂かねばならない事態なのです。「上演時間の制約があるから仕方がないデ〜ス」でナアナアで済ませているうちにここまで来てしまったのです。残念ながら、今回の立川歌舞伎版「千本桜・忠信篇」も休憩込みの上演時間で3時間50分なので、上述の通り、実質的に鳥居前・吉野山・四の切の三場の見取り上演に過ぎないのです。

そこで今回は「それじゃマズいよね」という内々の話になったのかも知れませんが、開幕前の壱太郎と団子の解説コーナーで、「鼓を打つ=兄頼朝を討つ」の謎掛けの話が確かに出ました。人気若手役者が素顔でしゃべるので客席も沸いていました。しかし、本来芝居でやるべきところを言葉で説明したって仕方がありません。そんなことに貴重な十数分を費やす暇があるならば、その時間を序幕「鳥居前」の前半部に使って筋を補った方が良かったのではないか。

「鳥居前」のドラマはどこにあるのでしょうか。義経は兄頼朝に恭順せんと・拝領の初音の鼓を打たず慎んでいたのに、義憤に駆られた弁慶が鎌倉方(土佐坊)の挑発に乗って・これを蹴散らしてしまいました。このため義経のこれまでの我慢は水の泡となり、義経は都落ちを余儀なくされました。「鳥居前」は、弁慶の忠義を重々理解しながら・それでも打擲せねばならなかった義経の悔しい苦しい心境を描いています。それもこれもみんな「初音の鼓のせい」なのです。序幕の三場をカットせねばならぬと云うならば、以上の線で補綴者は「鳥居前」前半の筋を補ったって良かろうにと思います。それでも二十分までは要らぬと思います。義経が辛い思いで弁慶を打擲し・「決して泣かぬ」弁慶が悔し泣きする場面こそ「鳥居前」のクライマックスです。それに比べれば後半の狐忠信の立ち回りは、ホントは付け足しみたいなものです。そこを今回上演では、義経は弁慶を打擲せず、「以後はきっと気をつけよ」で終わらせちゃうのだから、まあ義経は随分優しいお人だと呆れると云うか、この都落ちが義経の、大物浦〜吉野〜安宅〜平泉へと続く長い逃避行の始まりだと云うことを補綴の方はお分かりなのかと思ってしまいます。

今回の大詰めの吉野花矢倉のカットについては、実質的なドラマは義経が初音の鼓を源九郎狐に与えたところで終わったとも云えるので「四の切」宙乗り引っ込みで終わらせても良いくらいだと思いますが、それでは中車の出番がなくなってしまう。如何にも取って付けた結末だけども・今回はまあこれでも仕方ないかと思います。しかし、「鳥居前」の出し方には一考あるべきと思います。(この稿つづく)

(R5・10・28)


2)三人の狐忠信

今回(令和5年10月立川ステージガーデン)の三人の狐忠信について、若干の感想を付け加えます。

「鳥居前」の鷹之資の狐忠信は、隈取もよく映えて・荒事の発声も良く・若さ溢れるフレッシュな狐忠信であったと思います。今月初めの「翔の会」での「矢の根」の五郎の発声に注文を付けましたが、あの時もこんな感じでやってくれれば良かったのです。「矢の根」はちょっと考え過ぎたようですね。角々の見得では父(五代目富十郎)を彷彿とさせて懐かしいことでした。ここでもひとつだけ注文を付けますが、荒事の発声はこれで結構ですが、義経或いは静御前に対する時は狐忠信の気分は沈静しているのですから、そこをはっきりカラーで示すことです。どこでも荒事発声では演技が平板になってしまいます。沈静のカラーを見せるには、二拍子のリズムの打ちの速度を落とすこと、声のトーンを落とすことなど、色々やり方はあるでしょう。危難の場面ではムクムクと感情が激して荒事発声に変わる、そこの変化が大事なのです。

「吉野山」の団子の狐忠信も、若さ溢れるフレッシュさで魅了されますねえ。体形としては背が高く・手足が長い、したがって踊りとしては腰高であるわけですが、団子の踊りの良い点は長い手足を大きく使えていることです。だから棒立ちの印象が余りしません。(別稿「続・踊りの身体学」をご参照ください。)跳躍が高いのは、祖父(三代目猿之助)譲りだなあと思います。今は若いから身体の線が細いですが、これから身体が出来てくれば団子はスケールの大きい踊り手になる期待が持てます。

ところで今回の公演では壱太郎の静御前に密かに期待をしていたのですが、春風駘蕩たる雰囲気がある静だとは思いますが、(まあ情が深いと云えば・そうも云えるのかもしれないが)思いの外のっぺりした印象で、フレッシュさ溢れる団子の狐忠信に今一つ対抗出来ていない不満が残りますね。「吉野山」については、こう考えれば如何でしょうかね。狐忠信が思いを寄せるのは静が持っている初音の鼓なのだが、静は何となく「この人私に気があるのか知らん」と思っているのです。もちろん義経という人がいることだし・主従の一線はあるわけだが、女心にも悪い気はしない。「吉野山」とはそんな勘違いの・ウキウキした気分の舞踊なのです。団子とのバランスも考えれば、もっと若い女性の・二十代前半の女性の感覚を盗ってもらいたいですねえ。そのウキウキ気分を引き継いだ感じで「四の切」の静もお願いしたいと思います。例えば「あの人のじゃらじゃらとてんがうなことばっかり。(中略)アレまた真顔で騙すのか」という台詞などは、こんな感じで冗談交えて道行中ふたりがさぞ愉しい会話をしていたであろうことが想像出来る感じでやったらどうかと思いますが、歌舞伎でそんな静御前を見たことがないですが、見たいな見たいな。壱太郎ならば出来るだろうと思うのですがね。

「四の切」の青虎の狐忠信は、派手さはないけれど堅実な出来です。後半、義経から初音の鼓を受け取ってからの喜びの表現は、観客にもしっかり伝わっていたと思います。宙乗りは、歌舞伎座よりも高さも距離も長くて大変なことですが、よく頑張りました。笑顔がなかなか良かったですね。

(追記)

当初四代目猿之助主演で企画発表された公演でしたが・休演のため、狐忠信を鷹之資(鳥居前)・団子(吉野山道行)・青虎(四の切)と三人の役者に振り分けて行う公演に変更となったものです。

(R5・10・28)


 


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