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十三代目団十郎襲名巡業の「毛抜」

令和5年10月15日市川市文化会館:「毛抜」

十三代目市川団十郎(粂寺弾正)、三代目市川右団次(八剣玄蕃)、六代目中村児太郎(腰元巻絹)、六代目片岡市蔵(小原万兵衛)、四代目中村梅玉(小野春道)他

(十三代目市川団十郎白猿襲名披露巡業)


市川市文化会館での、十三代目団十郎襲名披露巡業を見てきました。演目は歌舞伎十八番の内「毛抜」です。昨年(令和4年)11月・12月歌舞伎座で十三代目団十郎襲名披露興行を終えてから、ほぼ1年が経ちました。本人も団十郎と呼ばれるのがやっとしっくり来るようになった今日この頃ではないかと思います。しかし、まあこれはご本人だけのせいでなく・コロナ以後の歌舞伎のムードがどうも宜しくないせいもあるのだが、歌舞伎のなかでの新・団十郎の存在感がちょっと希薄なように感じますね。「そう云えば新・団十郎の襲名興行もやっているんだったねえ」みたいな感じがある。こういう不安定なご時世であればこそ・お家芸の睨みで瘧(おこり)を吹き飛ばしてもらいたいものだと思いますが、新・団十郎はちょっと奥に引っ込み過ぎではないでしょうか。

他の役者の襲名披露だとこの機会に今までやりたくて出来なかったあの役に挑戦してみたいと意欲的な演目を並べるところなのに、新・団十郎の襲名披露演目を見ると、歌舞伎十八番とその周辺に自らの領域を限定するかのような印象を受けます。(まあどうしても「勧進帳」や「助六」が要望されるのは理解はしますが。)本年(令和5年)に新・団十郎が演じた役は、襲名関係以外では5月歌舞伎座の織田信長(若き日の信長)と7月歌舞伎座のめ組辰五郎(め組の喧嘩)しかないわけです。これでは新・団十郎で大々的に押し出そうとするタイミングではかなり物足りない。九代目絡みならば松王だって熊谷直実だって出せるはずです。義太夫狂言は新・団十郎にとっての未開拓領域だと思いますが、まだ若いのであるから、この機会に自分の役の可能性をもっともっと押し広げることをして欲しいですね。

まあそんなことであるので、今回(令和5年10月15日)の襲名巡業も「また歌舞伎十八番か」と云う気分があり、上演時間も休憩含む2時間ちょっとでお値段の割に短いし、何だか物足りないプログラムだとは思いましたが、吉之助が結局これを見たのは、演目が昨年歌舞伎座の新・団十郎の襲名披露になかった「毛抜」であったからでした。あの時の襲名で「毛抜」を演じたのは息子の新之助であったわけで・これはなかなか感心した舞台でしたけれど、今回は父親がそれを演じる・と云うことは、やはりそれなりのものを見せて頂かないといけないと云うことです。そう云う期待があったから、市川まで駆け付けたのです。当日の客席から新之助くんも・ぼたんちゃんも見ていたそうですから、本人もひときわ気合いが入ったと思います。

新・団十郎の課題は、一にも二にも、発声と台詞回しと云うことになると思います。7月歌舞伎座のめ組辰五郎を見たところでは「また自己流の発声に戻ってきたなあ」と云う印象でしたが、今回の襲名披露口上を聞くと、9月博多座での襲名披露興行を経て今日と云うことで・口上慣れして喉の状態が良いのか、自然に伸びやかな発声が出来ていてホウと云う印象でありましたね。「毛抜」の粂寺弾正の台詞も、気負いのない発声で客席に声がよく通っていました。幕外花道での弾正の最後の「サテお開きといたしましょう」は声が上ずる癖が出てしまって・そこはチト惜しかったですが、全体としては二拍子のタンタン・・というリズムも軽やかに取れて、こちらの心配を吹き飛ばす出来であったと思います。

歌舞伎十八番と云うと荒事の演目・荒事と云うと怨霊(御霊)だと云うことになりますが、「毛抜」の粂寺弾正はちょっと色合いが異なります。「カラッと明るく」で宜しいと思いますし、そういう感じに仕上がっていたと思います。角々の見得が大きいのはさすが団十郎ですが、見得をする時にガーと唸るのは控えて欲しいとは思いますね。周囲の顔ぶれはいつものメンバーですし・纏まりの取れたアンサンブルであったと思います。芝居がトントン・・と小気味よく運んで、これまで何度か団十郎で見た「毛抜」のなかでも一番出来が良かったように感じました。これなら新之助くんに見せるに足る舞台であったと思います。

ところで千葉県市川市は「市川」とはあるが・代々の成田屋に格別ご縁がある土地ではなかったようですが、団十郎の発案で急遽「市川」絡みで市川姓の一門15名が口上の舞台に並んで、和気藹々ムードの一門で結構なことであるなあと思いました。

(R5・10・17)


 

 


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