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二代目七之助と初代虎之介による「天守物語」

令和5年5月姫路城・平成中村座:「天守物語」

二代目中村七之助(天守夫人富姫)、初代中村虎之介(姫川図書之助)、四代目中村橋之助(朱の盤坊)、二代目中村鶴松(亀姫)、三代目中村扇雀(薄)、六代目中村勘九郎(舌長姥・近江之丞桃六)他

(坂東玉三郎演出)

(姫路市姫路城内三の丸広場・平成中村座)


1)玉三郎の富姫のことなど

本稿で取り上げるのは、先日(5月)の平成中村座・姫路城公演での「天守物語」の映像です。ご存じの通り歌舞伎での「天守物語」の富姫は、昭和52年(1977)12月日生劇場での初演以来、玉三郎が持ち役としていたもので、長らく「玉三郎以外の富姫は想像すら出来ない」という状況であったわけです。玉三郎の後の「天守物語」はどうなるのかと云う心配もうっすらあったなかで、今回(令和5年5月)平成中村座が世界遺産である姫路城内三の丸広場で公演するに当たり、ご当地狂言として泉鏡花の「天守物語」が上演されて、富姫が玉三郎から七之助へとバトンタッチされることになったのは、目出度いことであると思います。

ちなみに泉鏡花が「天守物語」を書いたのは大正6年(1917)のことでした。鏡花自身は「この戯曲を上演してもらえるなら、こちらが費用を負担してもよい」旨の発言をしていたほどで、心底大切に感じていた作品であったようです。しかし、生前には上演されることがありませんでした。幻想的なレーゼ・ドラマの印象がするので上演が難しいと思われたのでしょうかね。特に幕切れの桃六の扱いは解釈が分かれそうな気がします。本作が舞台に掛かったのは、戦後の・昭和26年(1951)10月新橋演舞場での新派公演が最初のことでした。配役は花柳章太郎の富姫・初代水谷八重子の亀姫、伊志井寛の図書之助でした。歌舞伎では六代目歌右衛門が昭和30年(1955)2月歌舞伎座で初めて取り上げて(この時の図書之助は十四代目勘弥でした)、その後数回富姫を演じました。歌右衛門の富姫は見てみたかった気がしますね。

ところで別稿「愛する理由」で触れましたが、鏡花の女の場合には、「弱い男に女が惚れて・女がこれを擁護する、その弱い男に正義がある、いわば女は正義に惚れたも同然」というところを押さえなければなりません。吉之助が玉三郎の富姫に覚える若干の不満は、富姫が図書之助が「いい男だから好く」ように見えたことでした。恐らくこれは玉三郎のなかに見える愛嬌(あるいは媚態)が観客にそう感じさせたのでしょうねえ。玉三郎ファンはこれに好意的に反応するわけですが、多分「富姫が図書之助がいい男だから好くように見えた」ところが、往時の玉三郎人気の秘密の側面であったかと思うのです。ただしそれは玉三郎本人が意図した結果ではなかったので、本人からすると些か心外であったように思えるのです。

そう云えば玉三郎の富姫では、本来そうあるべきでないところで・いつも観客から「ウフフ・・さあ始まったワ」みたいな含み笑いが起こる場面があったと思います。もちろんそれは好意的な笑いではあるのですがね。それは図書之助との第1回目の出会いの時に、彼の言うことに対し富姫が「・・すずしい言葉だね」と返す場面です。ふたつめは第2回目の出会いの時に、図書之助の言うことに富姫が「ああ爽やかなお心・・」と返す場面です。もうひとつは、蝋燭の燈(ともしび)を図書之助に渡す時、彼の顔を見て、富姫が「・・帰したくなくなった」と呟く場面の、以上3箇所です。本来これらは富姫の心境の変化を示す大事な台詞で、むしろ観客はこれらの台詞をじっと聞かねばならぬところです。しかし、いずれの場面でも観客からウフフ・・と含み笑いが起こる。これは玉三郎本人からするとちょっとガッカリの反応ではないかと心配に思ったものでした。本人としてもそこは抑え込みたかったが、如何ともし難かったのだろうと思いました。これは往時の玉三郎人気の表面と裏面であったと思います。人気役者ならではの悩みと云うことですね。このことは、いずれ吉之助が「坂東玉三郎論」を書く時のための材料として取っておくことにして、これ以上は追わぬことにします。

話が脱線したかに思われたかも知れませんが、今回(令和5年5月姫路城・平成中村座)の「天守物語」では、上に挙げた3箇所の場面において、いずれも客席から含み笑いは起こらなかったと云うことを言いたかったのです。姫路のお客様がお行儀良かったこともあったと思います。別に七之助が意識して・そこを抑えたということではないけれど、客席から余計な含み笑いが起きなかったことで、結果的として富姫の本来の感触が垣間見えて来たのです。それは富姫が図書之助に惚れるのは、図書之助が正義だったからだと云うことです。もちろん初役の富姫ですから、今後の課題はまだあります。しかし、七之助は初役にして十分な成果を挙げたのではないでしょうかね。(この稿つづく)

(R5・6・28)


2)七之助の富姫

七之助の富姫の台詞回しは、目を瞑って聞いていると玉三郎が浮かんで来そうなほど口調がよく似ていますねえ。癖までも正確に写し取っており、何もそこまで真似しなくても・・と思わず笑ってしまいそうです。まあ何事もまずは模倣から始まるわけであるし、富姫は玉三郎の十指に入ろうかと云う当たり役ですから、そっくりに演らないとファンが承知しないかもと云う不安があるかも知れませんが、七之助は七之助なりの富姫像を作ればそれで宜しいかと思います。

前述の通り玉三郎の富姫は、(もちろんとても素晴らしいものですが)持ち前の愛嬌(あるいは媚態)が若干邪魔をするところがあって、「愛する男を庇護して毅然と立つ、この正義の男を私が守ってあげるのヨ」という女伊達なところがちょっと弱いように感じられます。誤解ないように付け加えますが、性根としてはもちろん正しいところを掴んでいるのですが、ちょっと色気があり過ぎに感じられるのです。「夏祭」で釣船三婦がお辰に吐露する心配と同じことです。だから「図書之助がいい男だから好く」ように見えてしまうのです。

七之助は、芸質としては凛として怜悧なところがあると思います。そこが玉三郎とはちょっと異なるところだと思います。(色気が薄いと読まないで下さいね、そう云うことを言っているのではありません。)富姫の場合、そこが七之助の芸質にぴったり嵌まる可能性があると思います。つまり七之助は富姫を「風の谷のナウシカ」のクシャナのような感覚で処理した方が、七之助の芸質には似合うと云うことです。今後の再演では、そのことを踏まえた役作りをしていけば宜しいかと思います。

工夫としては台詞の末尾を強く押さえることだと思います。この点は新歌舞伎の台詞の様式とまったく同じです。と云うか、鏡花の戯曲を新歌舞伎様式で捉えて欲しいですね。これは二代目左団次の新歌舞伎と同じ時期に生まれた戯曲なのですから。例えば図書之助に対する富姫の台詞に、

「何しに来ました。」

「二度とおいででないと申した私の言葉を忘れましたか。」

とありますが、ここを疑問形に捉えて台詞の末尾を心持ち上げる(玉三郎もそのようにしています)のではなく、末尾を下に強く押した方が宜しいのです。「何しに来ました。(=ここに来てはならぬのだよ。)」、「私の言葉を忘れましたか。(=よもやそれをお忘れであるまい。)」なのです。これらは相手(図書之助)に尋ねる台詞ではありません。富姫に疑問はないのです。このような箇所を甘くしてしまうと、凛とした富姫の造形がボヤけます。何故ならば富姫はその昔・人間であった時に・あわや陵辱されようとした時に舌を噛んで自害したという高潔な女性であって、個人の尊厳を重んじ・理不尽なことを個人に迫る状況を誰よりも憎む「正義の」女性であるからです。(この稿つづく)

(R5・6・29)


3)虎之介の図書之助のことなど

鏡花の戯曲を歌舞伎で上演する場合、これを新歌舞伎様式で捉えることは大事なことです。これらは二代目左団次の新歌舞伎と同じ時期に生まれた戯曲であるからです。同じ時代の空気を取り込んだところで、それらは或る共通した様式感覚(新歌舞伎様式)を持ちます。それは、心持ち早めの二拍子でタンタンタン・・と畳み掛ける、急き立てるリズム感覚です。つまり20世紀初頭のノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の感覚です。(これについては別稿「左団次劇の様式」で詳しく論じました。)

今回(令和5年5月姫路城・平成中村座)の「天守物語」の舞台で、そのようなリズム感覚を一番感じさせたのは、虎之介の図書之助であったかも知れません。これは恐らく、初めての鏡花の台詞に虚心で対した結果であっただろうと思います。それは鏡花の文体のなかにあるリズムです。汚れのない真っすぐな図書之助の性格がよく表われていました。無垢な真っすぐさが俗世ではなかなか受け入れられない・そこから生じる彼の憤(いきどお)りが台詞のリズムの刻みのなかに沸々していれば(そこに富姫は惹きつけられるのです)さらに良かったと思います。そのためにはリズムの打ち(台詞の息)を深く取ることです。そこは今後の課題としても、虎之介は初役にして十分頑張ったと思います。

今回の舞台は、むしろそれ以外のところで若干の不満を覚えますねえ。まず舞台前半(図書之助が登場する以前)において、誰がどうのと云うことでもないが、全般的にテンポが若干間延びしているようです。前半が長く感じられる。「歌舞伎らしさ」の重ったるい感覚が染み付いているように感じますね。もう少し軽やかに・・・サラリと明るく処理して欲しいと思います。吉之助が思うには、ここでの観客は妖怪たちと一緒に天守に遊ぶような気分なのであって、その意味に於いて、ここでは観客も妖怪なのです。妖怪たちの視点になって・下界(姫路城の階下)から迷い込んで来た図書之助の話を聞けば、観客も富姫同様に「まったく人間というのは愚かしく、仕方がない生き物だねえ・・・」という嘆息する気分になろうかと思います。前半は観客をそのような軽やかで自由な気分に誘うことが大事だと思います。

もうひとつ、幕切れの工人(こうじん)桃六の扱いがちょっと気になります。脚本には「六十(むそ)じばかりの柔和なる老人」とありますが、勘九郎の桃六は竹取翁みたいでいささか枯れ過ぎに思われますね。さらに台詞にエコーがかかるので、益々印象がボヤケます。この不思議な老人は舞台中央に鎮座する獅子頭の作者ですが、獅子頭の制作年代から推してもかなり以前に亡くなった人物です。恐らく桃六は何かの理由で成仏できず妖怪となり・獅子頭のなかに潜んでいたものと思われます。富姫は天守に住みながら・桃六の存在にずっと気が付いていなかったのです。

『そりゃ光がさす、月の光あれ、眼玉。(鑿を試み、小耳を傾け、鬨のごとく叫ぶ天守下の声を聞く) 世は戦(いくさ)でも、胡蝶(ちょう)が舞う、撫子も桔梗も咲くぞ。・・・馬鹿めが。(からからと笑う) ここに獅子がいる。お祭礼(まつり)だと思って騒げ。(鑿を当てつつ) 槍、刀、弓矢、鉄砲、城の奴ら。』

富姫も図書之助も(その他天守の妖怪たちも)桃六の掌(てのひら)の上に在る存在です。実は桃六がこの物語の隠れた語り部であったと言えましょうか。桃六の年齢のことはあまり考えなくてよいと思います。城下で武器を振り回して叫んでいる人間どもを見て「何やらつまらんことをワイワイと騒いでおるなあ」とカラカラ笑う。桃六には軽やかさと、或る種の洒脱さが欲しいわけです。あとは富姫と図書之助のふたりだけの世界です。外には何もない。「・・・そして・ふたりはいつまでも幸せに暮らしましたとさ」と、それが「天守物語」の幕切れであると思います。

(R5・7・2)


 

 

 


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