妻麗子の幻影〜映画「憂国」
三島由紀夫(武島信二中尉)、鶴岡淑子(妻麗子)
監督:三島由紀夫、演出:堂本正樹 (昭和41年・1966)
1)映画「憂国」の背景音楽
新潮社発行の「新版・三島由紀夫全集」の補巻として、待望久しい三島由紀夫監督・主演の映画「憂国」のDVDがやっと出ました。これは三島未亡人の意向もあって・長らく封印されていて、幻の映像となっていたものです。生前の三島由紀夫は、「いずれ私の全集が出るだろうが、その時は最終巻に映画「憂国」を入れてもらいたい、これは私の大事な作品だから」と言っていたそうです。まだ家庭用ビデオ がこれほど普及するなどと想像もできなかった頃の話です。三島は一体どのような形で全集に映像を加えることを考えていたのかなと思いますが、そういうわけで吉之助には映画「憂国」の映像はずっと気になっていたことでした。ところで、この映画で演出を担当している堂本正樹先生が次のように書いています。
『三島所蔵のフルトヴェングラーの「トリスタン」のレコードを流し、三島個人がストップウォッチで計りながら、読み合わせをした。するとこれが予想外にピッタリと進行に合致する事が分かり、その偶然に驚いた。レコードは針の音がするが、それが大正時代の古びになると私が演出意図に加えた。』(堂本正樹:「回想 回転扉の三島由紀夫」・文春新書)
吉之助は堂本先生のこの文章を三島没後30年に当たる平成12年(2000年)11月の雑誌「文学界」に掲載された時に読みました。映画「憂国」のこと以外にも貴重な証言がいっぱいあ って興味深い本です。当事者の堂本先生の証言でありますから・なるほどフルトヴェングラー指揮の録音を使ったのかと文章を読んだわけですが、文章を読んでいて・引っ掛かる点がありました。
ひとつはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」はフルトヴェングラーには有名なオペラ全曲録音が存在しますが、どうやら映画の音楽は歌入りではなく・管弦楽のみのようであったからです。とすればフルトヴェングラーには管弦楽のみの「前奏曲と愛の死」の録音があるので・それを使ったということになりますが、そうすると曲の長さが映画の長さ(28分)に合わない。読み合わせが音楽にピッタリ合致したという証言に合わないのです。また曲の起伏進行が「憂国」のストーリー展開に合わないように思われました。フルトヴェングラーには それ以外の管弦楽編曲版の録音は存在しないのです。それで映画「憂国」の録音はフルトヴェングラーのものではないのではないかというのが吉之助の長年の疑問でありました。映画では背景音楽の演奏者はクレジットされておらず、資料にも36年の古い録音としか記載がされていないので、演奏者は不明 のままです。( 演奏者名が伏せられたのはおそらく著作権の関係であったかと思います。)いずれにせよその時点では映画を見たわけでないので、この疑問を6年間ずっと引きずっていたわけです。
結論を申しますと、このたび音源を照合した結果、映画「憂国」で使用された背景音楽は「トリスタンとイゾルデ」の歌唱部分を取り去り、第2幕の「愛の夜」と第3幕フィナーレの「イゾルデの愛の死」の音楽を巧みにつなぎ合わせた特殊な管弦楽編曲版でして、米の名指揮者レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮して録音した「Symphonic Synthesis 」(=交響的統合)であることが分りました。なお、ストコフスキーは「トリスタン」管弦楽版を1932年・35年・60年に、それぞれ異なるヴァージョンで録音しています。吉之助はその3種類の録音とも所持していますが、映画で使用されたものは、そのうち1932年に米RCAに録音された音源(恐らく日本での発売が36年であったと思われます)で全曲は約35分ですが 、この第1幕前奏曲をカットした後半部分の録音(第2幕の音楽〜愛の夜・愛の死)がそっくりそのまま映画に使用されています。(以上の件については、音楽評論家山崎浩太郎氏のご指摘とご協力により判明しました。録音データについては、ここをご覧ください。)
こうした件は音楽オタクのこだわりで・どうでも良いことだとお思いかも知れませんが、吉之助は堂本先生が書いているような「映画の本読み合わせが音楽と偶然にピッタリ合致した 」なんてことはあり得ないと思うのです。つまり、三島はストコフスキーの録音を聴きながら映画の流れを構築したに違いないと吉之助は想像するのです。したがって、ストコフスキーの録音が三島にインスピレーションを与えた ・映画「憂国」の場割りにおいてこのストコフスキーの録音が強い影響を与えていることが考えられることと思います。以下はそのことをベースに映画「憂国」を考えていきます。
2)歌のないオペラ
別稿「近松心中論」において、近松門左衛門の心中劇と・ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の音楽との・心情的な類似点を考えました。もちろん日本語とドイツ語の文法が違うのと同じくらい・近松とワーグナーの語法は異な りますが、その情念の表出においては実に似通ったものがあるのです。まったくトリスタンとイゾルデの心情は「かぶき的心情」だと言ってよろしいものです。そして、三島由紀夫の「憂国」の夫婦心中も同じことが言えます。
「トリスタン」においては他のオペラと比べてオーケストラの響きが格別な意味を持っています。オーケストラはたんなる歌手の伴奏ではなく、時に歌手の歌声を圧倒し ・歌以上に雄弁にイメージを・思想を語ります。このことについて有名なレコードプロデューサーであったジョン・カルショウ(世紀の録音とも言うべきショルティとの「リング」録音のプロデューサー)がこう書いています。
『「トリスタンとイゾルデ」は「現代音楽の始まり」(何であれ「現代」と呼ばれるようなもの)と言われる。そして恐らく、それ以前の何ものにも似ていない。その音楽は、ほとんどあらゆる状態の心と、両極端の感情とを表現している。そして声楽よりもむしろオーケストラの方が、いま何が起きているのかを雄弁に伝えている。このため、「トリスタンとイゾルデ」の多くの部分はオーケストラのみでもほとんど修正することなく演奏会で演奏できる。他の曲ではこうした試みは概して退屈だ。その理由は単に声楽が省かれているからではない。(中略)ワーグナーは言葉による説明が必要なところへ来ると、すぐにオーケストレーションを薄くして、声の旋律線が苦もなく聴こえるように書いている。しかし、文学的な意味よりも音楽全体の効果の方が重要な場面では、ためらうこともなく声を響きのなかに埋没させているのだ。』(ジョン・カルショウ:「レコードはまっすぐに:あるプロデューサーの回想」・山崎浩太郎訳・学習研究社)
これはまったくカルショーの指摘の通りです。しかし、「前奏曲と愛の死」の録音ならば・それこそ巷に数え切れぬほどありますが、「トリスタン」管弦楽版と言える録音はストコフスキーのほかにあまり見かけないのは、考えてみれば不思議なことです。そのストコフスキーの演奏ですが・管弦楽の色彩感が素晴らしいのと、フィナーレの「愛の死」に向けての段取りが十分取れている編曲で・楽劇のハイライト版としても優れており、なかなか説得力がある編曲だと思います。この編曲を聞いた後だと・いつもの「前奏曲と愛の死」というのはまさに最初と最後を 単純につないだだけで・中間がすっぽり抜け落ちているということがよく分かります。つまり、「移行の過程」・ワーグナーの言うところのハンドリングが抜け落ちているのです。ストコフスキーの編曲にはそれがあって とても納得できます。三島がストコフスキーの録音を所有していたのはたまたまのことだったかも知れませんが、結果としては映画「憂国」はこの録音の存在なしでは誕生しなかったと思えます。
三島の映画「憂国」には台詞はなく・背景音楽だけの無言劇でドラマは進みますが、音楽がドラマの進行に何となく合っているということではなくて・それ以上に音楽が雄弁に登場人物の心情を語っているのです。 まったくストコフスキー指揮の演奏が映像と一体になっていると感じられます。第3幕の有名な「愛の死」において、イゾルデは「みなさん、ご覧になれますか?彼、トリスタンが微笑む姿を」と歌います。 映画「憂国」においては・もちろん歌はないわけですが、管弦楽の響きがイゾルデの心情を伝えています。むしろ言葉がないゆえに・その心情が言葉のように心のなかで強く響くのです。
3)妻麗子の幻想
映画「憂国」を見ますと、原作小説より・はるかに妻麗子の方に重点が置かれていることに驚かされます。小説の方は「切腹ごっこ」が好きだったという三島の嗜好が出ている面が あるので・、映画の方もそういう三島の自己満足が強く出るものと勝手に想像をしていましたが、とんでもない。映画は夫の自決と言うよりも・妻の殉死の映画だと言っていいほどです。
妻麗子役の鶴岡淑子は清楚で美しく、原作のイメージをよく体現しています。主演とは言え武島中尉役の三島は素人ですから・やっぱりその域を出ない演技です。三島ご自慢の肉体美はもちろんそれなりでありますが、映画の方は三島にそれ以上のものを求めず・夫はいわば良い意味で木偶(デク)に徹しています。そして、映画が妻麗子の心理描写に焦点を当てたのは賢明な策であったと思います。しかし、これは単に三島の演技力不足をカバーするということではなくて、もっと本質的なところで小説「憂国」の核心が現われてきたように思われました。そして、どうやらそのことはワーグナーの音楽(ストコフスキーの演奏)から引き出されているようにも感じられました。
「近松心中論」において触れましたが、近松の心中劇と「トリスタン」には重要な相違点があります。近松の心中劇では男が女をまず殺し・男はその後を追うわけです。 例えば「曽根崎心中」では徳兵衛はまずお初を刺し殺してから、その後を追います。このようにふたりが愛に死すという願望を完璧に遂行しようとするなら、トリスタンはまずイゾルデを殺し・その後に自害するという過程を取らなければなりません。ところが「トリスタン」(そしてその影響下にある三島由紀夫の「憂国」)は男が先に死に・女がその後を追って男の死に殉じる形になっていることです。
ちなみに明治45年(1912)9月13日・明治天皇の御大葬の日に殉死した乃木希典将軍夫妻の場合、松田十刻著・小説「乃木希助」(PHP文庫)に拠れば・ 夫妻は並んで座り・夫が腹に刀を突きたてるのと同時に静子夫人は自らの胸を突いたのですが・死に切れず、見かねた夫が手を貸したようです。夫人の死を見届けた後、乃木将軍は改めて切腹の作法を取ったようです。やはり、夫としては妻の死を確かめないまま・先に死んでしまうわけにはいかなかったでしょう。いずれにせよ「憂国」で武島中尉が妻を残して先にさっさと死んでしまうのは、妻を突き放しているようで・武人の夫にしてはこれは不自然に思われます。現実場面においては、こうはならないのではないかという気がします。しかし、その不自然なところがまさに「憂国」の核心なのです。
事実、武島中尉の切腹(=これは三島の切腹と言ってもいいものです)ですが、これは完全に「見られている」ことを意識しています。「自分が切腹するのを見られていないならば意味がない」という切腹です。これを三島のナルシシズム の表現だと見ること はもちろんできますが・そう言っちゃうと作品が別の方向に行くような気がします(それは作品の正しい見方とは思えません)ので、もう少し別の角度で見たいのです。武島中尉は、本質的なところで「私が・・私が・・」という思いが非常に強くて・ある意味で身勝手だということです。つまり、「彼女が自分のために死んでくれる」という確信があるからこそ・武島中尉は先に死ねるわけです。逆に言えば、夫婦の絆・「・・と(und)」の証明を貫徹するという重い責務が与えられたまま、妻麗子はひとりで残されたわけです。夫の方は涅槃でそれを待っている・・という構図です。
この点において、1983年バイロイト音楽祭の「トリスタン」演出でジャン・ピエール・ポネルがイゾルデの死は死に際のトリスタンの幻影であるとした解釈が、そのヒントを教えてくれます。トリスタンの心情のなかで「私が・・私が・・」という思いが一方的に強く、そこにイゾルデが問いかけているところの「・・と(und)」の要素が若干欠けている ということです。そのくせトリスタンは「彼女 (イゾルデ)が自分のために死んでくれる」という願望がこれまた一方的に強いのです。逆に解すれば、これもトリスタンに「私が・・私が・・」が非常に強いことの裏返しです。(この詳細については「近松心中論」をご参照ください。)
「だけどあの「・・と(und)」という結びの言葉、それがもし断ち切られたら、イゾルデがひとり生きていて・トリスタンは死んだということに他ならないのじゃありません?」(第2幕第2場:イゾルデ)
そこに男と女の微妙な感性の違いが歪みとなって現われています。このイゾルデの問いかけを、ポネルはちょっぴり皮肉も込めて・最終場面に生かした のです。映画「憂国」の場合にも同じような歪みが見えます。ただし、三島はポネルとは違うアプローチで同じ問題に対処しています。妻麗子の殉死はまさにイゾルデの 問いかけを払拭し・自らの死によって「・・と(und)」を証明しようとする行為です。これはまさに「かぶき的心情」であると言えます。
『苦しんでいる良人の顔には、はじめて見る何か不可解なものがあった。今度は自分がその謎を解くのである。麗子は良人の信じた大義の本当の苦味と甘味を、今こそ味わえるという気がする。』 (「憂国」)
「みなさんには感じられませんか?私にしかこの奇跡にあふれた厳格な調べは聞こえないのですか?」恍惚状態のなかでイゾルデはこう歌いながら死んでいきます。「憂国」の麗子の場合も「私にしかこの苦味と甘味は味わえないのよ」というところにまで行くのです。
大事なことは、ひとりで自害する麗子の場合も「見られている」自分を意識しているということです。ただし、彼女を見ているのが何者であるのかは判然としません。見ているのは死んだ夫であるかも知れないし・またそれを見ている自分がいるという感じがあるということで、それらが混然一体になっているようです。ここでは自己と他者との境目がなくなっているのです。 三島演じる武島中尉が良い意味で木偶(でく)であると書きましたが、そのことがここで生きてきます。それにより映画「憂国」は、この夫婦殉死の物語が麗子の心のなかで作り出された 幻影であったかのようにも感じられるのです。
(H18・10・8)
(後記)映画「憂国」の背景音楽の録音の演奏者が明らかになったことは、三島文学研究者にとって貴重な情報であると思っています。なお、このことは上記にも書きましたが、山崎浩太郎氏のご指摘とご協力がありまして判明したことです。改めて御礼を申し上げます。氏のサイト「はんぶるオンライン」の「可変日記」(06年7/9, 7/13, 9/2)の項をご覧ください。