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四代目鴈治郎の忠兵衛

令和4年12月京都南座:「恋飛脚大和往来〜封印切」

四代目中村鴈治郎(亀屋忠兵衛)、三代目中村扇雀(傾城梅川)、六代目片岡愛之助(丹波屋八右衛門)、四代目片岡亀蔵(槌屋治右衛門)、六代目中村東蔵(井筒屋おえん)


ご存知の通り上方の和事は江戸の荒事と対照される歌舞伎の様式ですが、現在の和事はどちらかと云えば、「柔い・ナヨナヨした」つっころばしの感覚で理解されています。こうなったことについては・それなりの理由があるわけですが、何だか脆弱な芸のように思われて、これだと現代に和事芸が生き残るのはちょっと苦しいなあと思います。和事芸の背後にある熱い・シリアスな要素がなかなか感知されなくなっているのです。「文芸作家」としての近松門左衛門の評価は今も健在だと思いますが、近松の世話物の上演頻度は、近年ますます落ちています。ですから現代大阪の観客に支持されるためにも、これからの上方和事はもうちょっとシリアスな熱い方向に向かわねばならぬと思います。和事の芸とは「やつし」の芸、それは滑稽な要素とシリアスな要素が背中合わせに交互に出てくるものです。(別稿「和事芸の多面性」を参照ください。)

「封印切」の忠兵衛を鴈治郎で見るのは、吉之助にとって大阪松竹座での襲名興行(平成27年・2015・1月)以来のことです。このところの鴈治郎は、その福々しい体型とちょっと丸みを帯びた柔らかい印象で、なかなか重宝な役者になって来ました。吉之助もいくつかの好演を挙げることが出来ます。そんなわけで、今回(令和4年12月京都南座)の・久しぶりの忠兵衛を期待して見ましたが、思いがけず真摯で熱い印象がしたので、吉之助もちょっと驚きました。八右衛門との口論・そこから封印切を経て・梅川を伴い井筒屋を立ち去るまで、満座で罵倒された忠兵衛が体面から封印を切って小判をばらまく心情とその後の罪への怯えを、シリアス・タッチで描いて、基本線において納得できる忠兵衛でした。今後の上方歌舞伎はこの方向でなければならぬと吉之助も同意しますが、強いて言うならば、その真摯さがやや生(なま)に出過ぎていたかも知れませんねえ。忠兵衛の・その真摯な熱いところを、鴈治郎の持ち前である・柔らかさのオブラートで包み込むことが出来れば、良い忠兵衛になると思います。そこの加減が難しいことになるわけですが。

思えば「封印切」は玩辞楼十二曲(初代鴈治郎が選んだ成駒屋のお家芸)であるからして・真摯になるのはこれは当然のことですが、歌舞伎役者にとって「家の芸」の重圧は格別なものであるなあと改めて感じました。或る意味において必要なのは、心の余裕というか・芸の遊びかも知れませんねえ。しかし、鴈治郎の忠兵衛はいいところまで来ていると思います。

(R5・1・26)



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