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二代目吉右衛門の大石内蔵助

平成15年4月・歌舞伎座:「元禄忠臣蔵〜大石最後の一日」

二代目中村吉右衛門(大石内蔵助)、五代目片岡我当(堀内伝右衛門)、七代目中村芝雀(五代目中村雀右衛門)(乙女田娘おみの)、三代目中村歌昇(三代目中村又五郎)(磯貝十郎左衛門)、四代目中村梅玉(御目付荒木十左衛門)他


1)吉右衛門の内蔵助

本稿で取りあげるのは、平成15年(2003)4月歌舞伎座での、二代目吉右衛門の内蔵助による「大石最後の一日」の舞台映像です。言うまでもなく吉右衛門は、平成の優れた内蔵助役者の一人でした。なかなか味わい深い内蔵助を見せてくれました。

吉右衛門が演じる内蔵助は、もちろん赤穂浪人四十六名を率いる指導者であるわけですが、指導者とて迷いもすれば・悩みもする、そう云う弱さを自覚しており、部下に決して上から目線で対することがありません。甘くはしないけれども、部下に常に優しさを以て対する内蔵助という印象がします。例えば磯貝十郎左衛門に対し

『イヤ恥じ入ることでもない、男業(おとこわざ)に係わることでもない。今日は、有体にいうてみぬか。(中略)はははは。これ十郎左、叱っているのではないぞ。心やすく話してみよというのだ。』

と言う時の、その優しい口調。他の内蔵助役者がそうでないと云うのではありませんが、この時の吉右衛門の口調は慈愛がこもった感じがしますねえ。或いは、男姿に身をやつしたおみのに対し、事の真相を訊ねる時の、

『誰か一人、わけて近寄りたい者があるのではありませんか。(中略)お叱りは申さぬ。申してお見やれ。誰じゃ、誰に近寄りたいのじゃ。』

と言う時の口調にも、実娘に対する父親のような優しさが感じられます。そこが吉右衛門の内蔵助の特長と云うべきです。決して偉ぶるところがない、部下たちの目線に立とうとする指導者なのです。

ところで、真山青果の戯曲の主人公にはみなその傾向がありますが、「元禄忠臣蔵」の内蔵助も、あれやこれやと言葉を並べ立て・自問自答を繰り返す理屈っぽい人物、哲学者みたいなイメージがすると思います。これは内蔵助の傑出した人物像を裏書きする感じはありますが、史実の内蔵助を見ると、浅野内匠頭刃傷事件以前・つまり平和だった時代の浅野家中では、内蔵助は周囲から「昼行灯」と揶揄されていたらしい事実とは、俄かに結び付かないかも知れません。恐らくぼんやりした・無能な振りをしながら、内蔵助は普段から把握すべきところはしっかり見ていたのでしょう。それでなければ、あれほど見事な城明け渡しは出来なかったと思いますが、まあ青果が「元禄忠臣蔵」で描いた内蔵助は、いささか立派に過ぎるかも知れませんね。

吉右衛門の内蔵助は、そんな立派過ぎる青果の内蔵助像に、ちょっぴり風穴を開けた感じがするのです。近寄り難い内蔵助がちょっと親しみやすくなった、そんな感じがします。そんな吉右衛門の内蔵助の真骨頂は、最後の場面だろうと思います。

「どうやら皆、見苦しき態(さま)なく死んでくれるようにございます。はははは。これで初一念が届きました。はははは。」

と低く笑った後に、調子を軽く変えて、

「どれ、これからが私の番、御免くださりましょう」

と言うその感じが、「どれ、ちょっとそこまでお使いに行ってまいります」とでも云うような軽く洒脱な口調であって、映像でもここで観客が思わず(もちろん好意的な感じで)笑う声が聞こえますが、そういう暖かい気持ちを呼び起こす最後の台詞でありました。「大石最後の一日」もいろんな役者で見たけれども、この場面の吉右衛門の内蔵助は独特のものではないかと思いますね。これから切腹の場に向かう内蔵助の締めの台詞ですから、ここは厳粛に締めても良い、多くの内蔵助役者はそんな感じですが、それも良し。これに対して、吉右衛門の内蔵助は、「大事を成し遂げたぞ」と気負うことなく、さりげなく去って行きます。この内蔵助には、昼行灯のふりしていた、あの時代の内蔵助が垣間見えるような気がします。(この稿つづく)

(R4・10・12)


2)内蔵助の内心の動揺について

第2場:細川邸詰め番詰所での内蔵助とおみのとの対話は、「元禄忠臣蔵」の他の場面に於いては、沈着冷静で・決して足取りを乱さない感のある内蔵助が、この場では内心かなり動揺もし・追い込まれるところが興味深いと思います。

この場においても吉右衛門の内蔵助は、優しさに満ちた態度です。伝右衛門が赤穂義士助命嘆願の動きがあると長々言い始めます。青果のト書きには「(内蔵助は)迷惑そうに(これを聞く)」とあります。しかし、吉右衛門はそれらしき表情は見せず、口元にわずかに笑みを含み・外の紅梅を眺めて・静かにソッポを向くと云う感じでありましょうかね。ここはこれで良いと思いますが、ところで、吉之助には一箇所だけ引っ掛かった場面がありました。実に些細な箇所ですが、上述の「内蔵助の動揺」に係わる・肝心なところであるので、本稿でちょっと検討を加えておきたいと思います。

志津馬と名乗って内蔵助に近づいた小姓が・実は女性(乙女田の娘おみの)であったことを咎められ、伝右衛門がおみのを邸内に内密に引き入れた・その深い事情を語ります。それに拠れば、十郎左衛門が乙女田家に婿入りする話が出た時、おみのの父・杢之進が十郎左衛門に事情を糺(ただ)したというのです。赤穂浪士有志のなかに仇討ちの企てありとも聞く、大事の義挙に馳せ参じず、われら娘に婿入りとは合点がゆかぬ。この時、十郎左衛門は・・・

『なるほど仇討ちの申し合わせもござりましたが、一味の者が大黒柱とも頼む大石どののこの頃の行状・・・島原伏見の遊女に溺れて、もはや他愛もなき為体(ていたらく)、あの分にては武士の一分も捨ておりましょう。肝腎の大石どのがその始末ゆえ、われわれ若年者は何を申しても忠義の筋目は立ちませぬ。一味の同志も散り散りばらばら・・・』

と返事したと云うのです。だから自分は仇討ちを諦めて・乙女田家に婿入りを致したい。この伝右衛門の語りを、吉右衛門の内蔵助は、口元にわずかに笑みを含んで、「イヤハヤ十郎左めは、そんな悪口を言いおったか、ヤレヤレ・・」と苦笑するかのように聞き入ります。ここの吉右衛門の表情は解釈として如何なものかと吉之助は思うのです。その理由を以下に申し上げます。

吉之助は、伝右衛門のこの話しを、内蔵助はただ黙って・俯(うつむ)いて聞くしかなかっただろうと思います。苦笑することなど出来るはずがないと思うのです。あの時の伏見橦木町での遊興三昧、この噂を、江戸で内蔵助の指図を待つ同志たちが聞いた時の失望・苦しみは如何ばかりものであったか、そのことを内蔵助は思わざるを得ません。あの時の十郎左衛門もまたそうであったのだと、内蔵助は改めて思うのです。

あの時に十郎左衛門が杢之進に語った言葉は、結果として、嘘になってしまいました。今となっては、計略のために、十郎左衛門が乙女田親子を騙したことにならざるを得ません。結果論ですが、誰が見ても、もはやそうとしか見えないのです。しかし、実はあの時の十郎左衛門は、正直に彼の気持ちを杢之進に対してしゃべったのです。十郎左衛門は、おみのを欺くつもりなど毛頭ありませんでした。彼は、一旦は仇討ちを諦めたのです。心底、乙女田家に婿入りするつもりでした。だから「おみのと一緒に暮らしたい」のが、その時の十郎左衛門の「初一念」であったのです。だから十郎左衛門には、「亡君の無念を晴らすんだ」という初一念と、「おみのと一緒に暮らしたい」という初一念と、二つの初一念があったのです。(それじゃあ「一念」じゃないじゃないかとお思いの方は、別稿「内蔵助の初一念とは何か」をお読みください。) このことに内蔵助が気が付かないはずがありません。

もうひとつ、内蔵助には人知れず気付いたことがあったはずです。内蔵助の遊興三昧を聞いて十郎左衛門は心底失望し、別の人生を歩む決心をした(乙女田家に婿入りすることを決めた)。ということは、十郎左衛門にそのような選択をさせてしまったのは、これは内蔵助のせいだと云うことです。内蔵助の嘘の遊興三昧に翻弄されたのは、吉良方だけではなかったのです。討ち入りの仲間たちもまたそうでした。十郎左衛門も大いに苦しんだし、怒って仇討ちの企てから離脱した同志も少なからずいたのです。と云うことは、今ここでおみのが訴えるような事態に乙女田家を巻き込んだ発端は、そもそも内蔵助にあるのではないか。戯曲では誰もそんなことは言っていません。仇討ちが成功した今となっては、もう誰もそんなことは言わないのです。しかし、これはホントは俺が悪かったのだという考えが、チラと内蔵助の脳裏をかすめたと思います。その内蔵助の動揺は、その後の、おみのに対する内蔵助の言葉を聞けば分かります。

『十郎左が、こなた様親子を欺いたは悪い。が、彼にとっては当時、遁(のが)れがたき場合であったろう。権宣(いつわり)も時の方便と・・・後先思わずなりたる事。』

『偽りは憎むべきものじゃ。が、偽らねなばらぬ時もある。(中略)何事も方便。その時次第なものじゃ。』

おみのに対して十郎左衛門のことを弁護しているようだけれども、吉之助には内蔵助が自分に対しても言い聞かせているように思います。「あの時(伏見橦木町での遊興三昧で)仲間を欺いたのは俺が悪かった。しかし、仕方がなかったのだ、当時の俺にとって遁れがたき場合であったのだ」と言っているように聞こえます。そこに内蔵助の動揺がはっきりと見えます。だから内蔵助はおみのを説得することが出来ません。おみのは執拗に食い下がります。おみのは次のように言います。

『一端の偽りは、その最後に誠に返せば、偽りは偽りに終りますまい。実(まこと)のために運ぶことも、最後の一時を偽りに返せば、そは初めよりの偽りでございましょう。(中略)十郎左さまにさえお目にかかれば、やがて必ず誠に返してお目にかけます。十郎左さま方便の偽りも、おみのは 誠に返してお目にかけます。どうか、どうか十郎左さまに、お引きあわせを願い上げます。』

「人はただ初一念を忘れるな」と云うのは、細川家嫡子内記に「自分の一生の宝となる言葉の餞(はなむけ)はないか」と問われて、内蔵助が語った言葉でした。青果が「元禄忠臣蔵」連作を書くに当たり・その根本に置いた主題が、「初一念」と云うことでした。「おみのに会えば十郎左は動揺し切腹に際し未練なところを見せるかも知れない・おみのは十郎左の真意を聞いて自害することになるかも知れない・だから二人を合わせることは出来ない」と考えて、世間一般の大人の常識に終始していた内蔵助が、おみのの言葉によって、「初一念」のことを思い出すのです。二人がお互いの「初一念」を如何にして通すかと云う問題に、内蔵助は向き合わざるを得なくなります。これは内蔵助が自ら導き出したものではありません。これはおみのから教えられたことです。

以上のことから、伝右衛門が内蔵助の遊興三昧を語る時、内蔵助はそれを苦笑しながら聞くことはないと云うことが、ご納得いただけるかと思います。まあ過ぎちゃえば忘れるような些細な箇所ですが、青果が綿密に戯曲を構成していることに驚かされませんか。

芝雀のおみのは、心情がビンビン伝わって素晴らしい出来ですねえ。吉之助が見る限り、これは父・四代目雀右衛門のおみのよりも良いように思えます。我当の伝右衛門も素晴らしい。実は今回(平成15年4月・歌舞伎座)の舞台のなかで、いちばん新歌舞伎らしい台詞をしゃべっているのは、我当だと思います。しかし、(吉右衛門も含めて)周囲が台詞を自然体でしゃべるので、若干浮いた感じに聞こえるかも知れませんが、いちばん新歌舞伎らしいリズム感覚を持っているのは、実は我当です。特に乙女田家の経緯を内蔵助に語る長台詞は、心情こもったところを聴かせました。

吉右衛門は、全体的に台詞を自然体でしゃべっています。これは気負うところがない印象の吉右衛門の内蔵助には、よく似合っているのではないでしょうか。吉右衛門の工夫は、恐らく、芝居のクライマックスを詰所に於ける十郎左衛門とおみのの再会の場面に想定して、十郎左衛門に「懐に琴の爪を隠し持っているであろう、その爪見たい」という台詞を、ここだけはたっぷり朗々と引き伸ばし、ここで歌舞伎らしさを聞かせる設計に賭けたということかと思います。おかげで二人の再会が感動的な場面に仕上がりました。

(R4・10・13)



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