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内蔵助の 「初一念」とは何か

〜「元禄忠臣蔵・大石最後の一日」をかぶき的心情で読む


1)内蔵助の本意とは

「大石最後の一日」は真山青果の連作戯曲「元禄忠臣蔵」の第1作です。青果は赤穂義士のドラマをその最後の部分から書き始めたのです。本作は昭和9年2月・東京劇場で二代目左団次らにより初演されました。その初演は大好評でしたが、実はこの時点で青果にはこれを連作にする構想はなかったのです。松竹社長・大谷竹次郎と左団次の懇請により赤穂義士の討ち入り事件を発端から終結までを描く連作戯曲にすることを青果が決意したのは、その初演から半年くらいたってからのことでした。

本作は恐らく大正6年に発表された芥川龍之介の小説「或る日の大石内蔵助」あたりを意識したものでしょう。磯貝十郎左衛門の遺品のなかから紫縮緬(ちりめん)の袋に入った琴の爪が出てきたのは有名な史実です。磯貝は歌舞音曲を愛した人で・また非常な美男であったそうです。そのような史実から十郎左衛門には密かに想っていた女性がいたかも知れないという想像を織り交ぜて・ そのエピソードから内蔵助の心中を描こうとしたのが本作です。しかし、劇中の十郎左衛門の婚約者「おみの」の存在は史実ではありません。

こうした経緯で「元禄忠臣蔵」を書き進める場合に、全編の結末・あるいは全編を貫くべき主題は最後の「大石最後の一日」に既に出来てしまっているわけですから、その全編を書き綴っていく時に常にそのことを踏まえなければならなくなります。しかし、「元禄忠臣蔵」10編を読み通してみても、最後の本作が浮いて見えるということはありません。つまり、それだけ本作は主題がしっかり押さえられた・優れた作品であると言うことが言えます。

「大石最後の一日」の主題は「初一念」ということです。(実はそれだけが主題ではないのですが、そのことは本稿をお読みいただければわかります。とにかく「初一念」は本作の主題のひとつには違いありません。)これはまた「元禄忠臣蔵」 全体を貫く主題でもあります。内蔵助がお預けになっている細川家の嫡男・内記が部屋に入ってきて、内蔵助に生涯の宝ともなるべき言葉の「はなむけ」が欲しいと言います。内蔵助は次のように言います。

『当座のこと、用意もなく申し上げます。人はただ初一念を忘れるなと・・申し上げとうございます。とっさに浮かぶ初一念には、決して善悪の誤りはなきものと考えまする。損得の欲に迷うは、多く思い多く考え、初発の一念を忘るるためかと存じまする』

さらに切腹に向かう直前に同志に向かって内蔵助は次のような心情を吐露します。世間は我々を義人の義士のと言っておるようだが・もし我々が上野介を討ち漏らして引き上げたとすれば・世間の評判はいかがであったろうか。あの夜にもし上野介が屋敷にいなければ・もし炭部屋に隠れている上野介を見つけることができなかったら、我々は末代までも慌て者・腑甲斐なし者と笑われたであろう。その境はまことに危うい一線で・今考えても背筋が冷やりとする。恐ろしい危ないことをよくも考えたものだと身体がわななく思いである。こう考えてみると、すべては天祐(てんゆう)であったのだと内蔵助は言うのです。

『神仏の冥加によって運良くも仕遂げたと思う外はござりません。たとえ初一念がいかに強く鋭くとも、この冥加なくては所詮本望は遂げ得られませぬ。われわれが今日義士となり義人となるも、決してわれわれ自身の働きのみとは存知られませぬ。ひと口に言えば仕合わせよく、運が良かった、それが天祐でござります。武士冥利でござります。』

この後に切腹の場に向かう内蔵助の前に自害したおみのの件あり、先に切腹に発つ十郎左衛門を見送って内蔵助は最後にこう言います。

『どうやら皆、見苦しき態(さま)なく死んでくれるようにござりまする。ははははは。(低く快く笑って)これで初一念が届きました。はははははは。どれ、これからが私の番、御免くださりましょう。』

ところで昭和9年の「大石最後の一日」初演は好評でありましたが、当時の劇評を見ると岡鬼太郎が内蔵助が「ひと言聞けば十の理屈」を言い返し・理屈ばっかりで大いに反感を持ったと書いているのには笑えました。確かに青果の登場人物というのはどれも議論好きなのですね。吉之助は青果劇のそんなところが好きなのですがね。また、伊原青々園はおみのについて「大石に向かって議論する、随分新しい女に書いているが、磯貝が自分の琴爪を大事にしているのを知って、満足して自害する、即ち後半では月並みな古い女である」として、磯貝に対しても「いくら忠義のための策略でも、婚意のない婚約をするのは、今の見物が同情すまい」とも書いています。おみのの犠牲(自害)に対する内蔵助の苦悩が描かれていないという批判もあるようです。どうも本作は技巧的に過ぎると見られているようで劇評家連の受けは必ずしもよろしくないようです。

しかし、吉之助は断言しますが、そう云う批判はまったく的外れで・本作の登場人物の心情を正しく読んでいない批判であると思います。そこで、青果の名誉のために・「大石最後の一日」における・内蔵助とおみのの本意はどこにあるのか、本稿において考察をしたいと思います。


2)偽りを誠に返す

まず内蔵助の「初一念」について考えてみます。内蔵助は自分の初一念が何かを本作のなかで語っていません。「人はただ初一念を忘れるなと・・申し上げとうございます。とっさに浮かぶ初一念には、決して善悪の誤りはなきものと考えまする。損得の欲に迷うは、多く思い多く考え、初発の一念を忘るるためかと存じまする」と語っているのみです。

「初一念」とは何でしょうか。初一念は人それぞれに違うものですから、それは何であってもいいのです。自分の初一念を忘れるなと内蔵助は言っているだけです。どうして内蔵助はそう言うのでしょうか。それは本作にも十分描かれているのですが、「元禄忠臣蔵」全編を読んでいけば更によく分かるはずです。「元禄忠臣蔵」 のすべての作品は、最初の作品「大石最後の一日」の主題を底流に持っていて・その流れのなかで出来ているのです。

切腹直前の内蔵助の言葉を思い返してください。こんな恐ろしい危ないことをよくも考えたものだ、今から思えば冷や汗が流れ・身体が震える思いだ。ただ初一念にすがって・それだけでやってきた我々であるが、思えば運が良かったのだ。命冥加なことだというのです。

「人はただ初一念を忘れるな」という内蔵助の言葉はもちろん事を成し遂げた後であるからこそ出る言葉です。内蔵助と・その同志たちだけが、その言葉の重みを知っているのです。なぜならば彼らは じつは「初一念」だけで・それだけで・ただ一心に・禁欲的に・まっしぐらに生きていたわけではないからです。事を成す過程で、彼らは初一念に苦しみ・悩み・迷い、時にこれを疑い、時には逃げようともし、泣きもしたでしょう。そのような彼らが、事を成した後に、自分たちはやはりこれがあったからこそやり抜けたのだと思うものが「初一念」です。そして、歩いてきた道を眺めて・自分たちのやってきたことの危うさに改めて驚いているのですが、そこに天祐というものがあったことに内蔵助は心底感謝をしているのです。内蔵助のその態度はどこまでも謙虚であると言わねばなりません。

この初一念あり・なおかつ天祐があって事が成るという心境に内蔵助は切腹の直前になって至るのです。じつは当の内蔵助自身が迷い・悩みしていたのです。伏見撞木町での内蔵助の遊業三昧、それは今となっては「敵を欺くための計略であったか」と言われているが、内蔵助自身の初一念への迷いを現したものでありました。浅野家再興を願い出たのも、内蔵助一生の不覚と言っているけれど、もしかしたら「この再興の願いが通ったならば・仇討ちはしなくていい」という心から出たものかも知れず、それは内蔵助の初一念への迷いを示すものであったに違いありません。そうした迷いの果てに内蔵助は初一念と言い・天祐と言っているのです。

「大石最後の一日」の磯貝十郎左衛門・おみのの件は、内蔵助の心を試し・そうした内蔵助の心情を抉り出すために仕組まれているのです。劇の粗筋を検証していきましょう。十郎左衛門は乙女田杢之進の娘おみのと婚約をしましたが、結納の直前に姿をくらませてしまいます。やがて、赤穂の討ち入りの列のなかに十郎左衛門がいることが分かり・その真意は知れるのですが、おみのは十郎左衛門の自分に対する本心が知りたいと男姿になって内蔵助のもとにやって来ます。

『わたくし今日、お出入りのかなわぬお屋敷へ推参いたしましたのは、怨みでもない、恋でもない、また世間評判につられて・・・級にその人尊しと見る、浮気心でもございませぬ。今のわたくしにはただひとつ、女としても、人としても、知って置きたい・一事(いちじ)があるのでございます。(中略)わたくしは計略のためばかりに使われて、本心十郎左さまに嫌われているのでござりましょうか。それともに大望のために心ならずも、わたくしをお厭いなされたのか、それが知りたい、その御本心が・・・知りとうございまする』

内蔵助は動転し・最初は世間一般の常識で以ておみのに対します。おみのの話から十郎左衛門の本心を知りながらも、なおも「十郎左がこなた様親子を欺いたは悪い、が彼にとっては当時遁れがたき場合であったろう。偽りは憎むべきものじゃ、が、偽らねばならない時も ある」と言ってみたりします。しかし、おみのは執拗に食い下がります。そして内蔵助はおみのが問うていることの意味とその決意の強さをついに悟るのです。おみのはこう言います。

『一端の偽りは、その最後に誠に返せば、偽りは偽りに終りますまい。実(まこと)のために運ぶことも、最後の一時を偽りに返せば、そは初めよりの偽りでございましょう。(中略)十郎左さまにさえお目にかかれば、やがて必ず誠に返してお目にかけます。十郎左さま方便の偽りも、おみのは 誠に返してお目にかけます。どうか、どうか十郎左さまに、お引きあわせを願い上げます。』

切腹直前の内蔵助の述懐『たとえ初一念がいかに強く鋭くとも、この冥加なくては所詮本望は遂げ得られませぬ。』が、おみのとの対話のなかから引き出されたものであることを知らねばなりません。劇冒頭で内蔵助は細川家の嫡男に「人はただ初一念を忘れるなと・・申し上げとうございます」と語ったのですが、実はそれだけではまだ何かが足らなかったのです。まだこの時点では内蔵助の心境は完璧なものではなかったのです。「初一念が大切だ」だけならば、おのれの一念の強さを誇るだけなのかも知れません。何かがまだ足りない。足らないものが何かを内蔵助はおみのから教えられたわけです。

それでは、十郎左衛門が乙女田杢之進の娘おみのと婚約をしたのは何故でしょうか。当時の一味の同志たちは散り散りバラバラ、身代稼ぎに疲れ果てていました。彼はその時、内蔵助の心を疑い・これ以上仇討ちの志を貫くのも無益と感じていました。そのような時に会ったのが器量のいいおみのという娘であった。十郎左衛門はおみのを好いていたし、一度は仇討ちを諦めて結婚をする気になったのです。しかし、結納の直前になって十郎左衛門は内蔵助の本心を知ります。武士としての自分を取るか・恋しいおみのを取るか、十郎左衛門は苦しみます。たまらなくなった十郎左衛門は何も言えずに・おみのの元から突然姿をくらましてしまいます。だが十郎左衛門はおみののことを決して忘れていないし・すまないと思っているのです。それで懐におみのの琴爪を隠し持っていたわけです。

内蔵助は十郎左衛門が琴爪を隠し持っているのを前から知っており、それを十郎左衛門の「未練・迷い」であると見ていました。それで内蔵助と同じ上の間に同居していたのを・下の間に下げさせたりもしていました。しかし、内蔵助はおみのとの話で、そこに十郎左衛門の「初一念」があることを悟ったのです。

だから十郎左衛門の初一念はふたつあったのです。それじゃ「一念」じゃないじゃないかと言われるかも知れませんが、そうではないです。人にはその時・その時の心情があり、その時 ・その時の初一念があるのかも知れません。それはそれでいいのではないでしょうか。「仇討ちに加わり・吉良を討ちたい」というのが最初の初一念、そして十郎左衛門の もうひとつの初一念が「おみのと添い遂げたい」というものです。どちらもその真実において十郎左衛門の初一念であることに変わりはないのです。

おみのとの対話のなかで 内蔵助はそのことを悟ります。そうなると内蔵助は細川家の嫡男に「人はただ初一念を忘れるなと・・申し上げとうございます。とっさに浮かぶ初一念には、決して善悪の誤りはなきものと考えまする」と言ったのですが、十郎左衛門とおみのに対して・どうアドバイスをしたらいいのかが内蔵助自身が分からなくなってしまうのです。だから「十郎左がこなた様親子を欺いたは悪い、が彼にとっては当時遁れがたき場合であったろう。偽りは憎むべきものじゃ、が、偽らねばならない時もある」などと月並みな世間一般常識から来る大人の言葉しか言えなくなってしまいます。

しかし、おみのは食い下がります。「一端の偽りは、その最後に誠に返せば、偽りは偽りに終りますまい」という・おみのの言葉は、内蔵助にとって「あなたが初一念だと言っているものを私は問うている・それにあなたは自分の誠を以て応えないのか」と問うているのに等しいのです。これはさすがの内蔵助も咽喉元に短刀を突きつけられた思いであったでしょう。

その初一念の内容は違えども、初一念を貫き・その初一念に殉じようという覚悟があることでは、おみのと内蔵助の心情に何の違いもないのです。その意味でおみのは内蔵助の「同志」です。そのことに気がつけば、内蔵助はおみのに誠の答えを返さなければなりません。結局、内蔵助はおみのに十郎左衛門を合わせるのですが、それは「十郎左さまにさえお目にかかれば、やがて必ず実に返してお目にかけます。十郎左さま方便の偽りも、おみのは誠に返してお目にかけます」というおみのの言葉に彼女のただならぬ決意を見たからに違いないのです。

内蔵助の初一念がどんなに強くとも、もし討ち入り当夜に上野介が屋敷にいなければ・内蔵助は世間の笑いものになり・伏見での遊業はただの愚か者の放埓になり・浅野家再興の願いは優柔不断の愚考となるのです。討ち入りが成功したから、伏見での遊業は本心を隠す計略となり・浅野家再興の願いは忠義の家臣の細心の配慮となったのです。その一線は紙一重です。何がその境を決めるのでしょうか。内蔵助はそれが「天祐」だと後の場面で言っています。(実はまだそれが内蔵助の最終結論ではないのです。その結論は劇の最後にあるのですが、続きをお読みください。)おみのが十郎左衛門に再会する時点では、まだ十郎左衛門が一時的に心迷って乙女田親子を騙した・あるいは計略で婚約したということに世間ではなっています。この「偽り」を誠に変えて見せようと、おみのは言うのです。それでは、おみのはどうやってすべての偽りを誠に変えようというのでしょうか。

「仇討ちに加わり・吉良を討ちたい」という初一念・「おみのと添い遂げたい」という初一念はたしかに矛盾します。この矛盾した初一念をひとつにして・誠にする方法はただひとつ、十郎左衛門が乙女田家の婿として死ぬしかない、そして、おみのが十郎左衛門の嫁として死ぬしかないのです。そうなれば十郎左衛門が一時的に心迷って乙女田親子を騙した・あるいは計略で婚約したなどという 風聞・偽りを誠に返すことができます。十郎左衛門はその時間違いなく心底おみのを愛したという初一念が届くことになるのです。その誠を証明するためにおみのは自害するのです。それは赤穂義士である夫・十郎左衛門が未練なく切腹ができるようにするためでもあります。

だから、劇終幕において・おみのが自害した時に内蔵助が思ったのは、「やはりそうであったか(おみのは死ぬ気であったのか)」ということに違いありません。その直前の場面で内蔵助は、初一念の行為も偽りとも誠にもなり得る・それを分けるのは天祐(天の力・神の力)だと言いました。しかし、おみのは内蔵助の力の はるかに及ばないところで、この天祐の働きをしてみせたのでした。十郎左衛門が一時的に心迷って乙女田親子を騙した・あるいは計略で婚約したなどという偽りを自分が自害することによって見事に誠に変えてしまったのです。

内蔵助はその最後の最後に至って・さらにもう一段階、その心境を深めるのです。青果は台詞には書いていないけれども、これは間違いありません。内蔵助自身がその直前に「天祐であった」と言ったけれども、それだけではなかったということなのです。彼らを武士冥利にさせたものが他にもあったということです。それは大石ら赤穂浪士たちを影で支え・犠牲になった人たち・その人たちの力ではなかったでしょうか。そうなれば、おみののために・あるいは彼らを支えてくれた人々のために、内蔵助や十郎左衛門がしてみせなければならないのは、未練なく・立派に切腹してみせること・ただそれだけです。

『十郎左。時刻ぞ。おくるるな。・・・いや、おぬし行け。内蔵助は最後の一瞬時のその時まで、一同四十六人の歩調(あしどり)を見届けなければならぬ役目だ』

十郎左衛門に悲しみの間さえ与えない・非情の台詞に聞こえるでしょうか。しかし、ここまで本稿をお読みいただけば、終幕において・おみのの「犠牲・いけにえ」に対する内蔵助の苦悩が描かれていないなどと、そのような批判がまったく見当違いであることがお分かりいただけましょう。おみのの死に対して十郎左衛門や内蔵助の心にこの時点において苦悩やら懺悔やらがあるはずがないのです。あるならば、それは「感謝」でなくて何でありましょうか。「有難う。これで我々は未練なく死んでいけます。すぐ後から参ります」、それだけでしょう。だからこそ、何も言わずに・内蔵助は心地よく笑うのです。

『どうやら皆、見苦しき態(さま)なく死んでくれるようにござりまする。ははははは。(低く快く笑って)これで初一念が届きました。はははははは。どれ、これからが私の番、御免くださりましょう。』

ここでお分かりのように、「大石最後の一日」において内蔵助の心境は三つの段階を経て深化しているのです。第一段階は「初一念がすべてである」、第二段階「それだけではない・天祐があればこそ」、そして第 三段階は「それだけではなかった・我らを支えてくれた人々の力があったればこそであった」となるわけです。最後のふたつの段階がおみのとの対話・おみのの自害から引き出されているのです。


3)青果の真意・内蔵助の真意

このような内蔵助の心情・おみのの心情は、かぶき的心情においてのみ説明ができます。(別稿「かぶき的心情とは何か 」をご参照ください。)かぶき的心情とは社会・世間に対する個人的心情の発露であり・アイデンティティーの主張であります。その心情は純粋に個人的な感情から発するものであって・理屈ではありません。また、個人の損得勘定から出るものではなくて・ひたすらに無私な心情なのです。

おみのの心情を考えて見ます。おみのは男姿に身を変えて内蔵助の元に来た心情を、「怨みでもない、恋でもない、また世間評判につられて・・・級にその人尊しと見る、浮気心でもございませぬ。今のわたくしにはただひとつ、女としても、人としても、知って置きたい・一事(いちじ)があるのでございます」と言っています。彼女の心情は十郎左衛門が自分をただ計略の道具として使ったのか・それとも自分をひとりの女性として愛したのかだけを問うているのです。もし計略だと分かれば・それを屈辱であるとして・彼女は自害したでしょう。それが誠の愛だと知ったとしても劇の通りやはり彼女は死なねばなりません。つまり、その問いを発したら・もはや自分の命を掛けてその答えを受け取らねばならないという覚悟を以て、その問いは発せられているのです。それを問われた以上は、答える方もまた命を掛けなければならないのです。

そのような場面は浄瑠璃・歌舞伎に非常に多いことは言うまでもありません。しかし、十郎左衛門が琴爪を隠し持っていることを知って満足して死んでいくおみのは古臭い・月並みな道徳に縛られた女性であるのでしょうか。そうではないと思います。おみのは「女としても、人としても、知って置きたい・一事(いちじ)がある」と主張しています。その心情はかぶき的心情なのですが、同時にストレートに自分のアイデンティティーを主張していて・非常に現代的であるとも言えます。そして、「十郎左衛門と添い遂げたい」という初一念を貫き、自分の力で以て・自分と夫にからまる偽りを誠に変えてしまうのであるから、非常に能動的・意思的な女性であるとも言えます。自身の尊厳を掛けて・これに殉じる、これこそ新歌舞伎のヒロインなのではありませんか。

内蔵助も同様です。内蔵助の心情を考えて見ます。「大石最後の一日」では内蔵助は自分の初一念が何なのかを明確に語っていません。さて、内蔵助の初一念とは何でしょうか。

「最後の大評定」において、瀕死の井関徳兵衛に対して内蔵助は「天下の御政道に反抗する気だ」とその心情を語っています。あるいは「仙石屋敷」において、内蔵助は仙石伯耆守に対し、「我々四十七人が、こたび御城下を騒がしましたは、ただ内匠頭最後の一念、最後の鬱憤を晴らさんがためにござります。三寸足らざりし小刀の切っ先を、われら四十七人の力にて、怨敵吉良どのの身に迫っただけにござります。あともござりませんぬ。先もござりませぬ。」と言っています。

それでは内蔵助の初一念とは「天下の御政道に反抗する」ことでしょうか・それとも「主君内匠頭の鬱憤を晴らす」ことでしょうか。そうではありません。それは自分の行動を正当づける理論あるいは主義主張であって・心情ではないのです。「初一念」というのは 個人の心情からストレートに出たものでなければなりません。初一念というものには損得勘定はなくて、それゆえ純粋でひたすらに無私なものでなければなりません。

「我ら浅野家中をこのような離散の憂き目にあわせたものに一矢報いずには置くものか」、内蔵助の初一念とはそれでしょう。それ以外のものであるとは思われません。 「浅野家中」には広義には亡君内匠頭も含まれるかも知れませんが、多分そこでは主君内匠頭のことも飛んでしまっています。内蔵助が気にかけているのは自分とその仲間たちの・その心情だけです。その初一念はかぶき的心情から発するものです。

この心情は「武士である自分・浅野家の武士である自分」というアイデンティティーから発するのです。浅野家が断絶した時に彼らのアイデンティティーの拠り所は失われました。そのことに対する強い憤り・やり場のない怒り、それが「我ら浅野家中をこのような離散の憂き目にあわせたものに一矢報いずには置くものか」という初一念になって固まるのです。彼らをそのような境遇に追い込んだすべてのもの(その運命・政治的状況、その他彼らを取り巻くすべてのもの)に対して彼らは怒っています。この場合はその怒りの矛先が吉良に向けられたに過ぎないのです。

このことは別稿「個人的なる仇討ち」においても考察しました。主君に仕え・録を食む我が身がその録を失って・路頭に迷ってしまった時、つまり武士が武士ではなくなってしまった時に、武士である自分はどう生きるべきか・自分が自分である続けるために、どうすれば自分を貫き通すことができるのかという問題を、仇討ちという題材を借りて追及したのが、青果が「元禄忠臣蔵」で描きたかった・本当の内蔵助の真意なのです。それはかぶき的心情であると同時に、現代でも通じる普遍的な主題なのではないでしょうか。

「待ってろよ、戦争が終ったらもっとはっきり書いてやる。内蔵助の真意を書いてやる。楽しみにしてろ。」

昭和14・5年頃のことだそうですが、青果は娘の美保さんにこう言ったそうです。時勢へのはばかりもあって・青果は「元禄忠臣蔵」に自分の言いたいことをストレートには書けなかったの かも知れません。青果の体力的な問題もあってか、結局、戦争が終っても「元禄忠臣蔵」の続編が書かれることはありませんでした。しかし、かぶき的心情で読むならば現存の「元禄忠臣蔵」からでも青果の真意・内蔵助の真意をはっきりと読むことができると思います。

田辺明雄:「真山青果―大いなる魂 (作家論叢書)(沖積舎)

(付記)

「歌舞伎の雑談」の記事:「言わずに・聞かずに・・」もご参考にしてください。

(H16・4・25)



 

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