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六代目歌右衛門晩年の傾城阿古屋

昭和59年12月国立劇場:「壇浦兜軍記〜阿古屋の琴責」

六代目中村歌右衛門(傾城阿古屋)、十代目市川海老蔵(十二代目市川団十郎)(秩父庄司重忠)、五代目中村富十郎(岩永左衛門致連)、八代目中村福助(四代目中村梅玉)(榛沢六郎成清)他


本稿で紹介するのは、昭和59年(1984)12月国立劇場で、歌右衛門が「一世一代」として演じた「阿古屋」の映像です。「一世一代」と云うのは「この役を演じるのはこれを最後として、以後は演じません」と云う意味ですが、実は歌右衛門の阿古屋はこれが最後ではありません。結果としては・この2年後の昭和61年(1986)4月大阪・新歌舞伎座での舞台(十二代目団十郎襲名披露公演)が最後になりました。しかし、東京でのことに限れば、これが最後の「阿古屋」の舞台です。吉之助はこの舞台は生(なま)で見ました。ちなみに一世一代としたはずの演目が・その後の様々な事情により再演になることはままあることで、同じ昭和末であると十三代目仁左衛門が「廓文章」の伊左衛門を一世一代で演じた後に再び演じた例もあります。

歌右衛門の阿古屋を論じるのであれば、気力体力技芸のバランスから見て、昭和50年(1975)1月歌舞伎座での舞台映像を取り上げるのが適当であろうと考えますが、それは別の機会に譲ることとします。本稿で考えたいことは、人間誰でもいつかは体力・気力が下り坂になる時期が必ずやって来る、そのような事態に直面した時、役者は如何にして・芸の最後の実りを見せるべく努めるかと云うことです。その時、役者は最も大事にしてきた演目(役)にどのように対するかと云うことです。

今回(昭和59年12月国立劇場)の映像を見直して改めて感銘を受けたのは、このようなことは当時吉之助が遠くの席から見た時にはしかと判別できなかったことですが、恐らくは「一世一代」であることを強く意識したからでしょうが、阿古屋が三曲を奏でる場面において、歌右衛門が思いのほか感情を表情に出しながら演奏していたことです。特に胡弓を弾く時、遠くを見つめる阿古屋が艶然と微笑む場面などあって、あたかも眼前に景清がいるかの如くに見えたことでした。

重忠は阿古屋に景清との馴れ初めを語らせて、琴・三味線を弾かせて、それだけでも阿古屋の心は千々に乱れているのに、さらに「景清とはその後も何度も逢っているだろう」と問います。これに対して阿古屋は、

平家御盛(さか)んの時だにも人に知られた景清が、五条坂のうかれめ(遊女)に心を寄すると言はれては弓矢の恥と遠慮がち、ことさら今は日陰の身、(中略)目顔を忍ぶ格子先、編笠越しにまめにあつたか、アイお前もご無事にと、たつたひと口言うが互いの比翼連理。』

と差し俯いて答えます。そこを狙ってすかさず重忠は「次は胡弓を弾け」と命じます。重忠は拷問なんてことをしない情けある人物だと云われます。それは事実ですけど、決して手加減しているわけではないのです。女心を底から揺さぶって白状させようと云うのですから、これはなかなか食えない男なのです。重忠の狙いは、阿古屋をホロリとさせて、阿古屋が奏でる三曲を故意に乱れさせ、そこから「景清の行方を知らぬ」という阿古屋の主張の綻びを見出そうと云うのです。従って、もし阿古屋が手を乱そうものならば、そこを重忠に付け込まれて、あらぬ疑いを掛けられると云うこともあり得ます。(別稿「知らないことの強さ」をご参照ください。)「内面の乱れを演奏に出さぬ」と云うのはノーミスで弾くと云うのと必ずしも同義ではないでしょうが、三曲を弾く場合には、景清のことなど心を乱すことを考えず・心を平静に保って弾くのが、まあ安全であろうと云うことになります。昭和50年1月歌舞伎座映像での阿古屋では、歌右衛門も「景清への思いを肚に持ちつつ・それは肚の奥にグッと押し込めて・表には決して出さず・・」という行き方に思えます。「内面の乱れを演奏に出さないように勤めよう」ということになると、普通はそうなるものかと思います。

しかし、今回(昭和59年12月国立劇場)の映像を見ると、歌右衛門はそこの行き方を変えてきたのですねえ。何と云われようが阿古屋は景清の行方は知らぬ、知らないことは事実ですから、これほど強いものはない。つまりあえて心の揺れを表に出すことを厭わず(と云うことは演奏が少々乱れたとしても構わないということである)、「私(阿古屋)の景清に対する思いのたけ(真実)をたっぷりお聞きいただきましょう」という感じになっているのです。後ろで聞いている重忠の存在は、阿古屋のなかで消えているということなのでしょう。これはやろうとしてもなかなか出来る境地ではないと思いますが、そう云う境地に晩年の歌右衛門は至ったということなのですね。だから情味のある濃密な演奏になっていたと思います。

海老蔵の重忠は、なかなか興味深いところがあります。重忠は情けある人権派の検事に違いありませんが、それが強過ぎると役の印象が柔くなってしまいます。そうなると重忠が最初から阿古屋の無実をお見通しだったみたいに見えかねません。ところが海老蔵の重忠は、無骨な時代物の役どころの重さがあるおかげで、そのような柔い印象が全然ないのが良いです。この重みが晩年の歌右衛門の阿古屋に妙にマッチするのですねえ。富十郎の岩永はキチンと演っていて文句付けるところがない出来なのですが、芸風が明解で粘ったところがあまりないせいか、歌右衛門と海老蔵の間に挟まると、もう少し感触が重めの方が良いかなと云う気もします。

(R4・4・23)



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