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十五代目仁左衛門襲名の「助六」

平成10年2月歌舞伎座:「助六曲輪初花桜」

十五代目片岡仁左衛門(片岡孝夫改め)(花川戸助六実は曽我五郎)、五代目坂東玉三郎(三浦屋揚巻)、五代目中村富十郎(鬚の意休)、七代目尾上菊五郎(白酒売新兵衛実は曽我十郎)、五代目片岡我当(くわんぺら門兵衛)、四代目市川左団次(朝顔仙平)、三代目中村鴈治郎(四代目坂田藤十郎)(母満江)、五代目中村時蔵(初代中村萬寿)(三浦屋白玉)他

(十五代目片岡仁左衛門襲名披露)


1)玉三郎の揚巻のことなど

本稿で紹介するのは、平成10年(1998)2月歌舞伎座での、孝夫改め十五代目仁左衛門襲名の「助六」の舞台映像です。孝夫は平成5年(1993)に大病を患い・一時は生命も危ぶまれたとのことですが・その後見事に回復して、十五代目仁左衛門襲名に至ったのは、嬉しいことでした。東京・歌舞伎座での襲名披露興行は、平成10年1月から2か月に渡って行なわれました。この「助六」は2月の舞台です。当時の吉之助は仕事が忙しかったので・この舞台は生(なま)では見ていませんが、映像を見て感心したことは、吉之助が見た「助六」(映像含む)のなかでも、これは出来の良い舞台のひとつだなあと思えたことです。主役二人(助六・揚巻)の出来はもちろんですが、脇の役のすみずみに至るまで、それぞれの役者がきちっと嵌って見えました。

「助六」のような二時間を超える長丁場となると、登場人物も多いことだし、普通はどうしてもどこかにダレる場面が出てしまうものです。しかし、今回(平成10年2月歌舞伎座)の「助六」にはそう云うところがなく、芝居がトントン小気味良く運んで、緊張が途切れることがありません。これは芸格・年齢などに的を射た配役を得て、芝居のバランスがとても良いからです。平成も10年が経過して・平成歌舞伎を担う世代が順調に成長したからこそ、これだけのレベルの「助六」が造れたということです。そこに昭和から平成への技芸の引継ぎが予想以上に上手く行ったと云うことが実感できた気がしました。これは20世紀末には歌舞伎は消えているのじゃないかという危機感のなかで昭和50年代の歌舞伎を見て来た吉之助にとっては、なかなか感慨深い光景でありました。仁左衛門はホントに良い時期に襲名披露を行なうことが出来て幸せであったと思います。

玉三郎の揚巻は、昭和58年(1983)3月歌舞伎座の時が初役であったと記憶します。あれから15年経った平成10年の玉三郎の揚巻は、花の盛りの真っ只中。花道から登場した瞬間から、まさに平成の立女形の貫禄十分です。気力充実した立派な揚巻で、向かうところ敵なし、自信満々に見えますねえ。と云うことで長年の玉様ファンからすれば言うことはないのだけれど、平成の立女形たる玉三郎の新しさについて、ちょっと触れておきたいと思います。歌舞伎の女形の感覚であると、意休に対する悪態の初音などは無表情に近く・あまり表情を動かすことをせず・台詞も生(なま)な感情を迸(ほとばし)ることをあまりせぬのが本来であろうと思います。玉三郎は意休に対する怒りを表情にはっきりと出しており、時に意休を睨みつけたりして、台詞を言っています。そう云う意味では演技がちょっと生過ぎで、女形本来の感覚から若干離れるところがあるようです。ところが玉三郎の場合は、まさにそう云うところが良いのですねえ。「花魁はお人形じゃないんだよ、花魁だって生きているんだ、人間なんだ、女なんだ」というヴィヴィッドな感覚になってくるのです。そう云う肚があって、意休にストレートに生な怒りをぶつけて行きます。もちろん意休に斬られる覚悟でです。そこが玉三郎の新しさであり、そこに玉三郎人気の源泉があるのです。

このような玉三郎の「新しさ」は、従来の女形芸の感覚を踏まえたところから出て来るわけです。(「否定した」とは書いていませんので、そこのところご注意ください。「踏まえたうえで超える」と云うことです。)だからそこの「踏まえたところ」を分からないまま・玉三郎の美しさに酔いしれていると、いつしか玉三郎の「新しさ」が当たり前になってしまって、歌舞伎の女形の感覚があらぬ方向へ向いてしまう、そう云う危険もなくはないわけです。令和の現在(2022年)の状況を見ると、どうお感じでしょうかね。伝統とは不思議なもので、どこか揺り戻しみたいな調整機能が働くものです。大体30年か40年位の周期で様式感覚が波のように揺れるのです。まだそのような兆候はまだはっきり見て取れないようですが、現在の20代・30代の若手女形に、この玉三郎の芸を踏まえて超えるということ(揺り戻し)を期待したいですね。つまり玉三郎の芸を、或る意味において批判的に・醒めて見ると云うことです。

吉原のなかで、太夫・花魁は権勢を誇る存在ですが、裏を返せば、売り物・買い物の「囲われもの」に過ぎないのです。どれほど華やかに見えようが、それは歪(ひず)んだ存在です。廓詞(くるわことば、里詞・ありんす詞とも)が吉原の標準語として使われたのは、関東・東北など各地から集められた女の子たちの地方訛(なまり)を消す為であったと云われます。そのようにして吉原の遊女は人工的な売り物・買い物として育成されました。選りすぐられた遊女は、さらに芸や教養を仕込まれて、太夫・花魁に仕立てられました。揚巻の悪態の初音は、「無表情に近く・あまり表情を動かすことをせず・台詞も生(なま)な感情を迸(ほとばし)ることをあまりせぬのが本来である」と書きましたが、まさにそのような・或る意味で生気のない・型べったりの言い回しのなかに、廓に押し込められた女たちの非人間的状況が反映されていると見ることが出来ます。これを「花魁はお人形じゃないんだよ、花魁だって生きているんだ」と云う魂の叫びで描くことは、別の意味においてハッと気付かされるところがあって新鮮に違いありませんが、これもあくまで在来の遊女の非人間的感覚を「踏まえたうえ」のことです。

玉三郎は、「悪態の初音」をハーツーネーーェと超高音で極限まで長く引き伸ばします。こう云うところは他の役者は真似したくても出来ないと思いますが、真似しようとしない方がよろしい。これは玉三郎であるからこそ許されることです。ここも女形本来の感覚であれば、低めに抑えるべきところです。この超高音は、腹に力がはいっていないと、浮いて聞こえてしまうものです。(昭和58年の初役の時は、玉三郎にもそんな感じがありました。)平成10年当時の玉三郎は芸も体力も充実していますから、超高音がまことに実(じつ)がこもった芯がある響きに出来ています。吉之助には、まるで絶頂期のマリア・カラスを見るような心地がしますねえ。カラスが超高音で絶叫すると、生な感情が迸って、肌に鳥肌が立つような感覚が走って、楽譜から逸脱しようが何だろうが・その名人芸に思わず魅了されてしまいます(録音で聴いての話です・吉之助はカラスを生で聴いたことはありません)が、この玉三郎の揚巻もそのようなものです。後続の若手女形諸君は、何が玉三郎の揚巻を現代的・かつ魅力的なものにしているか考えながら、この映像を見て欲しいと思います。そうすると玉三郎の揚巻が安直に真似出来るようなものでないことが分かって来ると思います。(この稿つづく)

(R4・4・13)


)仁左衛門の助六のことなど

揚巻について、もう少し考えます。揚巻は「間夫(まぶ)がなければ、女郎は闇」と言い切ります。これは助六のことを揚巻が本気で好きと云うことですが、別視点から、廓における男女関係を冷静に眺める必要があると思います。花魁とは、吉原と云う閉鎖された空間のなかで、バーチャルな権勢を与えられて男たちに弄ばれるだけの、「囲われもの」に過ぎないのですから、女郎と間夫は健康的な恋愛関係では在り得ないということです。それは遊女にとって空虚な日常を忘れるため憂さ晴らしを求めているようでいて、実は別の形の隷属状態なのです。このため遊女はしばしば詰まらないヒモ男の虜(とりこ)となります。「籠釣瓶」で八つ橋が惚れる栄之丞などが、それです。助六とて例外ではなく、ですから意休が「あいつ(助六)の喧嘩の仕様を見ろ、喧嘩といえばすぐ人の腰のものに手を掛ける、あれが巾着切りの証拠だ、そのような者と心安うしていると、ついにはわれも真っ裸」と悪態を付くのは、実はそう云うことなのです。助六は「江戸一番のいい男」と云うことになっていますが、裏を返せば「ならず者」に過ぎないということです。

こう云うことは歌舞伎十八番の「助六」を楽しむ分には余計な知識だと思うかも知れませんが、「助六」があまり江戸一番のいい男といい女のカラッと健康的な芝居になり過ぎると、やはりマズいことになります。「遊郭いいとこ・江戸のワンダーランド」では芝居はリアリティから離れてしまいます。荒事のなかに秘められた鬱屈した要素・イライラした感覚を感知出来なくなるからです。誤解がないように付け加えますが、今回(平成10年2月歌舞伎座)の仁左衛門と玉三郎のコンビの「助六」がそういう感じだと言っているのではないのです。ご当人たちもそんなつもりで演じていないはずです。しかし、お二人が見た目にあまりにいい男といい女過ぎますから、そのように見たいお客は当然多いことと思います。まあお楽しみは人それぞれのことですから・そう云う楽しみ方を否定はしませんが、歌舞伎の舞台から古(いにしえ)の芸の心を学ぼうとする方は、このことをちょっと心の片隅に留めて舞台を見ていただきたい。このことが「助六」のドラマに実(じつ)を授けるのです。したがって、仁左衛門の助六についても、或る意味において批判的に・醒めて見ることが必要です。

仁左衛門の助六も昭和58年(1983)3月歌舞伎座の時が初役でしたが、当時の仁左衛門(孝夫)は痩せぎすで・線があまりに細くて、貧相に見えるきらいがあったと記憶します。しかし、大病から回復して数年経過した平成10年(1998)の仁左衛門は、恰幅が良くなったとまでは云えないが・少し太くなって・細すぎる印象がなくなって、いい感じに引き締まったところを見せているのではないでしょうか。花道での出端の踊りでは、角々の決まりで溌剌としたところを見せて、まさに若さの・花の盛りのイメージです。「ここまで回復して思う存分芝居が出来るんだ」という喜びが実感として観客と共有される場となっています。これが舞台を一層華やかなものにします。

今回(平成10年2月歌舞伎座)の映像を見ると、この20年後になる平成30年(2018)10月歌舞伎座での仁左衛門の助六は、(この時は共演の勘九郎に教えるという意味合いがあっただろうと思いますが)出端の踊りを下半身に力を入れて・随分律儀に腰を落して形を決めていたことに改めて思い当たりました。この時は台詞もゆっくり目にリズムをしっかり刻んでしゃべっていて、基本に還ったと云う印象が強いものでしたね。一方、平成10年の助六の映像であると、そこまで腰を落とす感じはありませんし(だからと云って腰が高いわけでなく・まあちょうどいいところと言っておきます)、ツラネの台詞も早めにテンポ良く飛ばしています。したがって、若さ溢れると云うか・溌剌として勢いがある助六に仕上がっています。スッキリとした男振りで仁左衛門に並ぶ者はいませんから、まあ「スカッとカッコいい助六」ということならばベストと云うことになるでしょう。しかし、上述の通りカッコ良過ぎると云うことになると、上限スレスレの助六ではありますね。

仁左衛門だから許しちゃうけれども、ここは若手役者にあまり真似して欲しくないなあと思うところは、玉三郎と同様のことになりますが、台詞が高調子に過ぎるところですねえ。荒事の台詞は高調子には違いありませんが、始終高調子と云うことではないのです。声の低いところがあるから高いところが際立つわけです。仁左衛門は始終高調子なので、ツラネが一本調子の気配が若干あるようです。まあそこが派手な印象にもなって、仁左衛門人気の源泉でもあるわけですがね。

冒頭に記した通り・今回(平成10年2月歌舞伎座)の「助六」は配役バランスが良くて・見応えがします。なかでも菊五郎の白酒売りは、ふんわりとした和事の味わいに、クスッと笑ってしまいそうな愛嬌が加わって、とても良いものです。富十郎の意休は明晰すぎる台詞廻しに人物の古怪さを損なうところがあるかも知れませんが、立派な大きさを持つ意休です。

(R4・4・15)



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