十八代目勘三郎に捧ぐ助六〜十五代目仁左衛門の助六
平成30年10月歌舞伎座:「 助六曲輪初花桜」
十五代目仁左衛門(助六)、二代目中村七之助(揚巻)、五代目中村歌六(意休)、六代目中村勘九郎(白酒売)、五代目坂東玉三郎(満江)
1)十八代目勘三郎に捧ぐ助六
仁左衛門が助六を初めて演じたのは、昭和58年(1983)3月歌舞伎座(揚巻は玉三郎)でありました。思えばもう35年も前のことですねえ。あの時には「江戸歌舞伎を代表する助六を、選りによって上方の役者に演じさせるとは何事か」と抗議した人がいたとかいなかったとか。さすがに今時はそんなことを言う方はいないと思います。今や仁左衛門(当時は孝夫)も押しも押されぬ歌舞伎の大看板役者となりました。しかし、当時の仁左衛門の助六を思い返すと、優美ではあるけれども、いささか描線が脆弱に感じられた助六であったかなと思います。当時も仁左衛門の台詞廻しの巧さは定評がありました。もちろん助六の台詞も流麗なものでした。しかし、台詞の意味や感情を細やかに表現すればするほど、その上手さのために却って荒事としての助六の骨太さ・力強さが損なわれるように感じられたのです。それより役の本質を大きく掴んで、細かいところにこだわらず、大らかに役を演じた方が、やはり助六はうまく行くのです。その辺に江戸と上方の芸風の微妙な差異ということもあるのかなということを、当時は思ったものでした。
このところの仁左衛門の役々は流麗さが増している印象で、そこに近年の仁左衛門の円熟があると吉之助は理解をしています。そういうわけで今回(平成30年10月歌舞伎座)の仁左衛門の、久し振りの助六については、吉之助のなかに35年前の記憶が残っていますから、まあ優美な助六ではあろうけれどどんなものかな?と云うところで、さほど大きな期待をせずに舞台を見たということを、まず最初に告白しておきます。千秋楽の舞台を見ると、もちろん予想通り優美な助六ではあったけれど、仁左衛門がその優美な印象を意識的に内に押し込んで、本格の「荒事の助六」を演じようとしていたことに、素直に感動すると同時に、いささかびっくりもさせられました。仁左衛門がこれだけ腹に力を込めて台詞のリズムを刻むように言い、下半身に力を入れて 腰を落として荒事の形をしっかり決めるということは、普段の仁左衛門の役々ではそうないことです。前半の助六は実直な印象さえしました。無理して助六を勤めているということは、よく分かりました。実際74歳で助六を勤めたのは、仁左衛門が最年長記録になるそうです。
インタビューで仁左衛門が語ったことに拠れば、仁左衛門が初演時(35年前)の助六を教わったのは十七代目勘三郎からであったそうです。息子の十八代目は、いつか自分が助六をやる時は仁左衛門の兄さんから教えてもらいたいと言っていたとのことです。 残念ながら十八代目が助六を勤める機会は永遠になくなってしまったわけですが、今回、十八代目勘三郎七回忌追善で助六を演じるに当たり、勘九郎・七之助に十八代目の思いを伝えたいと云う、仁左衛門の気迫が伝わって来る舞台になりました。(この稿つづく)
(H30・10・31)
2)仁左衛門の助六
仁左衛門が名乗りの長台詞で聴かせる歯切れの良いリズム感、緩急の良さ、或いは「抜かねえか」で意休に受けてグッと腰を落として決める形は荒事の骨法を律儀なくらいしっかり踏まえたものでした。(勘九郎だけでなく、海老蔵にもこれをよく見ておいて欲しいくらいのものです。) 前章で吉之助が「実直な印象」と書いたのは、そこのところです。本来ならば助六に「実直」という評言は似合わないはずです。助六は若衆の芸で、相手を有無を云わせず唐竹割りにぶった斬る力強さと単純さが売りだからです。その若さ・単純さ 或いは大らかさは、或る意味で役の薄っぺらさにも通じると思います。当然のことながら、そういうところは仁左衛門の助六にはない。一方、仁左衛門の助六は肚がある印象がします。思うところがあって遊里で喧嘩三昧を仕掛けているという肚です。その肚で意休に突っかかって行く。助六なんて理屈でやる役じゃないと思ってましたが、これはこれでひとつの助六の在り方を見る気がしました。そんなところに仁左衛門らしさが出ているのかも知れませんね。
七之助の初役の揚巻は、仁左衛門の助六の横に立つと太夫の貫禄に不足するのは仕方ないところですが、楽日に見たせいか大分練れてきて健闘している印象ではありました。しかし、太夫としてはもっと濃厚な色気と憂いが欲しいところです。声がよく通るのは七之助の良い点ですが、サラッとした綺麗さで硬く感じられるのはそのせいもあります。もう少し声を落として台詞廻しに粘りを付ける工夫が必要だろうと思います。(同じ月の「義民伝」のおさんの世話女房も、その辺の工夫でもっと良く出来ると思います。)勘九郎の白酒売りは、これも真面目な印象がしてまだ硬いところはありますが、一生懸命柔らかさを出そうとしていて好感が持てます。
それにしても舞台で七之助と勘九郎、仁左衛門・玉三郎(満江)と四人並ぶと、何だか十八代目勘三郎のことが自然と思い出されて、故人のために良い追善の舞台になったと云う気がしました。
(H30・11・5)