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六代目歌右衛門の最後の「隅田川」

平成3年10月国立劇場:「隅田川」

六代目中村歌右衛門(班女の前)、十七代目市村羽左衛門(舟人)

*比較映像:昭和56年1月歌舞伎座・「隅田川」


本稿で紹介するのは、平成3年(1991)10月国立劇場での、六代目歌右衛門(当時74歳)の班女の前による「隅田川」の舞台映像です。結果的に、これが歌右衛門の最後の「隅田川」の舞台となりました。残念ながら吉之助は、この時期は仕事が忙しかったため、この舞台は生(なま)では見ていません。ちなみに歌右衛門の「隅田川」と云えば、セットで記憶されるべきは清元志寿太夫の伸びのある高音ということになります。志寿太夫はこの時が93歳でした。ここでもその高音は健在です。ちなみに平成9年(1997)4月歌舞伎座で四代目雀右衛門が「隅田川」を踊った時(歌右衛門監修による)も志寿太夫が勤めたのですから、矍鑠(かくしゃく)たるものでしたね。(志寿太夫は平成11年に100歳で死去。)

歌右衛門の当たり役はいくらも挙がると思いますが、とりわけ「隅田川」は重要な演目であったことは云うまでもありません。もしかしたらベスト5・或いはベスト3であっても、「隅田川」を入れるべきかも知れません。歌右衛門の「隅田川」は、歌舞伎公演データベースでは18件がヒットしますが、この他に舞踊会やNHKの古典芸能鑑賞会など単発上演があったので、実際の上演回数はもっと多くなります。実際吉之助も「隅田川」は歌右衛門のなかで最も見た回数が多い演目で、その時は「また隅田川か・・」などと思ったものでしたが、今考えれば・チラとであっても・まったくトンデモナイことを思ったものです。「隅田川」こそ歌右衛門の芸の特質が最もよく表れた演目であったと思います。

歌右衛門の芸ですが、内に沸々と湧きあがるバロック的な感情を様式の枠のなかに押し込めて・造形の細部まで入念に描き込もうとするところに、その特質があったと思います。自分のなかのイメージを、息を詰めてトレースしていくような作業なのです。別稿「六代目歌右衛門の最後の政岡」では、このことを「カラヤンが創り出すレガート」に例えましたが、どんな役においても・自分が演じるからには・この役が持っている情念をとことん描き出さずには置くべきかという緊張感が、歌右衛門を特別な役者にしていたと思います。このことはバロック様式と古典的様式との芸のせめぎ合いという観点でも捉えることが出来そうです。

歌舞伎をバロック的な芸能・能を古典的な芸能と考えるならば、例えば舞踊「隅田川」は、元々は能の題材ですが、松羽目の舞台面を採用せず・視覚的には写実である。これは様式的な感覚を壊して歌舞伎の方向を志向しているということです。しかし一方で、舞踊という様式的な技法を採り入れることで、「隅田川」はどこかしら古典的・つまり能的な感覚へ引き戻されるとも云えます。そこのところで志寿太夫の情感豊かな高音が寄与するところは実に大きいものがあります。そこで歌右衛門の芸の在り方と作品の在り方とが、まさにぴったり重なって来るわけなのです。それゆえ歌右衛門の「隅田川」は、まさに「バロック的であると同時に古典的」、或いは「歌舞伎的であると同時に能的」な感覚になってくるのです。そのような相反した要素がせめぎ合う感覚が立つ。このことを吉之助は「引き裂かれる感覚」としばしば評しますが、この感覚の表出において歌右衛門は卓越したところを見せる役者でした。そのような観点から歌右衛門の「隅田川」を語るならば、手元にある昭和56年1月歌舞伎座での「隅田川」(舟人は十七代目勘三郎)辺りの映像を材料にするのが、こちらの方が歌右衛門も体力気力共に充実していますから、妥当なところであるのは間違いありません。

しかし、本稿で歌右衛門最晩年(平成3年10月国立劇場)の「隅田川」を取り上げるのは、吉之助の記憶に残る昭和末期の歌右衛門の舞台とはひと味違う、「隅田川」の別の様相がそこに見えるからです。ひと言で云えば、舞踊というよりも芝居の方へいくらか寄った感触の「隅田川」ではないかと思いますねえ。様式的な縛りがいくらか弱まっている。それがこの時期の歌右衛門の体力的な衰えから来ていることは確かでしょう。しかし、その代わりに様式の縛りの隙間から母親の生(なま)な感情が溢れ出るようです。以前であると静謐な・それゆえどこか冷涼な感覚がありました。一方、今回の舞台では静かではあるけれど・温かい感覚が漂っているようです。母親の悲しみはもちろん深いものであるけれども、その悲しみは沈滞することなく、むしろ母親の深く温かい愛のなかに梅若が包まれるような感触がします。そのことが舞台を能的な感触から歌舞伎的な感触の方へ引き寄せています。それはまた芝居的な・バロックな感覚でもあるのです。このことは歌右衛門の最後の政岡の舞台でも感じますけれども、この「隅田川」映像では、最晩年の歌右衛門の芸の有り様がよりはっきりと確認が出来ます。今回の映像を見て吉之助は、ああ歌右衛門は「隅田川」でもここまでの境地に達したんだなあと感じ入るところ大でありました。

ところで十七代目羽左衛門の舟人についても触れておきたいのですが、羽左衛門は最晩年の歌右衛門の玉手御前にも合邦道心で共演しており、大事な役者であったと思います。失礼ながら踊りと云うことであると羽左衛門の名が思い浮かばぬと思いますが、この歌右衛門最晩年の・芝居の方に寄った「隅田川」には羽左衛門の舟人がよく似合います。別にことさら芝居味を指向しているわけではありません。そこは淡々とした演技なのですが、何だか味わい深い。そう云うさりげないところに味を醸し出すことが出来る貴重な役者でありましたね。

(R3・12・31)



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