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七代目菊五郎78歳の勘平

令和3年5月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵〜六段目」

七代目尾上菊五郎(早野勘平)、五代目中村時蔵(初代中村萬寿)(お軽)、六代目中村東蔵(おかや)、二代目中村魁春(一文字屋お才)、四代目市川左団次(不破数右衛門)、三代目中村又五郎(千崎弥五郎)


1)菊五郎78歳の勘平

山城少掾が武智鉄二に「仏芸(ほとけげい)」と云うことを語ったそうです。表現がひとつに定まって、いつやっても同じ表現になると云うのは、それが完璧に見えたとしても実は死んだ芸、そういう表現を仏芸と云うそうです。「だから自分は、語る度に、常にどこかを変えて語ります」と、山城少掾は武智に語ったそうです。山城少掾にとって正しい解釈はひとつなのだけれど、表現の可能性はいっぱいあると云うことです。

もうひとつ言えることは、表現がひとつに凝り固まってしまうと、いつしか前にやったことをなぞるみたいになってしまう、だから意識的にどこかを変えて、凝り固まったものを壊すことも時には必要になる、これで表現は生きたものになっていく、そのような試行錯誤が大事であるということでしょうかね。まことに芸の道には果てがありません。

そんなことを先月(令和3年4月)歌舞伎座の白鸚の弁慶で思いましたが、今月(令和3年5月)歌舞伎座の菊五郎の勘平においても同じことを痛感させられました。云うまでもないことですが、どちらも長年に渡って演じ込んで、世間にとっても役者と役とのイメージが混然一体となっているようなものです。そのような不動の評価を得ている役においても、以前とは違う・もっと良いものをと試行錯誤を繰り返す姿勢には頭が下がります。

菊五郎の勘平については、前回(平成28年11月国立劇場)・或いは前々回(平成25年11月歌舞伎座)において、一応の完成形を得たと云う風に吉之助は考えていました。それは「丸みのある古典的な勘平」という印象です。「もうちょっと早く真相が分かっていれば、勘平は死なずに済んだのに・・・でも最後に連判の仲間に加えてもらえて良かったなあ」と云うところで「然り」という感覚に納まった六段目と云うことです。音羽屋型の六段目の段取りは、このような意図のもと綿密に練り上げられたものなのです。ですから五・六段目(通常この形で上演されます)の1幕3場のドラマに完結した印象が強くなって来ます。

そんなわけで、実は今回(令和3年5月歌舞伎座)の勘平については、コロナ緊急事態宣言下での時間的制約から五段目を割愛した六段目のみの上演でもあり、前回までの菊五郎の勘平の流れを考えるならば、恐らくドラマとしての六段目の完結感覚(閉じた感覚)が一段と強く出たものになるかなという予想を吉之助はしていました。ところが吉之助の予想とは違って、今回の菊五郎の勘平は、これまでの流れとひと味違う工夫を新たに加えて来たようです。

前回上演の菊五郎の勘平については、音羽屋型の六段目が一幕物の世話物として完結した「然り」と云う感触が強くなることは仕方がないことだが、「忠臣蔵」という時代物浄瑠璃・仇討ち狂言の一幕であることを考えれば、時代の方向へ鋭い斬り込みを入れていくことも出来るのではないか、そうすれば「然り、しかし、これで良いのか」という懐疑を含んだ幕切れに出来るかもということを吉之助は書きました。(別稿「古典的な勘平」をご参照ください。)今回の菊五郎はまさにこの方向で、六段目の完結感覚を意識的に崩そうとする方向に斬り込みを入れて来たと感じるのです。これには、吉之助もちょっと吃驚させられました。試行錯誤を繰り返す姿勢には頭が下がります。イヤまことに芸の道には果てがありません。(この稿つづく)

(R3・5・30)


2)ウキウキした気分

今回(令和3年5月歌舞伎座)の「六段目」で、菊五郎の勘平が登場してちょっと吃驚したことは、前回(平成28年11月国立劇場)と比べて、菊五郎が若返ったように感じられたことです。ひとつには、声のトーンを若干高めに取っているからです。例えば勘平が登場してお軽が乗った駕籠を止めて言う「狩人の女房がお駕籠でもあるめえじゃねえか」とか・「モシ母じゃ人、昨夜の雷がナ、五作の納屋に落ちました」などと云う台詞(これらは歌舞伎の入れ事で本文にはない)もサラッとして明るい言い回しでした。ちょっとウキウキした感じがあるのです。これまでであると声のトーンを落して世話に仕立てたところを、今回はこれを意識的に高めに持ってきている。これが今回の菊五郎の試行錯誤のひとつであったようです。

音羽屋型では普通ここは低めのトーンで世話に持っていくものです。吉之助は一瞬アレッ?と思いましたが、菊五郎が今回このように変えた意図は十分理解出来ます。今回上演では、五段目が省かれて・六段目だけの上演であることが、ひとつの理由であったであろうと思います。この場面での勘平は、ウキウキしているのです。思いがけなく「良いこと」があったからです。勘平はおかやに「チトこっちにも良いことがござりましてナ」と言っています。しかし、それは前段・五段目で人を殺して五十両の大金を奪ったことなのですが、誰を殺したのかは勘平には分からぬ、このことは誰にも知れることではないと勘平は思っています。勘平がこのことを「良いこと」だと言うのは、五十両の大金が思いがけず手に入ったことで、これを由良助の手元に届けて・勘平の不忠は許され・仇討ちの仲間に入れてもらえる・自分はやっと武士に戻ることが出来ると勘平はそう思っているから、勘平はこれを「良いこと」だと思っているのです。だから勘平は気分がハイになっています。自分が悪いことをしたという罪の意識はこの時の勘平にはありません。と云うか勘平にはそれが見えていないのです。本来は五段目でその経緯を説明して・観客は勘平が置かれた境遇を知るわけですが、今回は事情により五段目が省かれましたから、菊五郎は勘平の境遇をその明るいウキウキした気分によって一瞬で見せたわけです。これは良い工夫でしたね。

つまり今回の菊五郎の勘平は、或る事情により不本意にもそれが認められないでいるが「自分は武士である」という意識が勘平に非常に強いと云うところを、いつもの六段目よりも、くっきりと明瞭に見せています。その結果、いつもの六段目であると「もうちょっと早く真相が分かっていれば、勘平は死なずに済んだのに・・・でも最後に連判の仲間に加えてもらえて良かったなあ」と云うところで勘平の冥福を祈るかのような古典的な感覚になりやすいところに、意識的に懐疑の斬り込みをかけることに成功しました。今回の菊五郎の勘平には、腹に刀を刺して死ぬる時に「コンチクショウ」という気持ちが垣間見えました。「自分は武士である」という意識が勘平を破滅に追いやったのです。これによって六段目に「然り、しかし、これで良いのか」というバロック的な感覚が加わりました。(この稿つづく)

(R3・6・2)


3)バロック的な感覚

「自分は武士である」、もっと厳密に云うと「自分は塩治家に奉公する武士である」という意識が、失態(大事の勤務中にお軽とデート)を取り返そうと焦る勘平を追い込み、それで勘平は故意ではなかったにしても・人を殺して五十両を奪うという罪を犯してしまうのです。六段目では、舅を殺したというのは勘平の早合点であった、勘平が殺したのは定九郎で・だから勘平は舅の仇を討ったことになる・だから勘平は死ぬ必要はなかったと云う展開となりますから、六段目とは自分が舅を殺したと早合点してしまった勘平の悲劇であるかのように思う方は少なくないと思います。しかし、本当は何とかして不忠を取り返し武士に戻りたいと焦ったことこそ勘平の悲劇の核心なのです。

このことは芝居の間尺のバランスの問題にもなりますが、大抵五段目と六段目はセットで上演されます。これは当然そうでなければなりませんが、そうすると勘平が殺したのは舅与市兵衛ではないという真相を五段目で承知したうえで、観客は六段目を見るわけです。しかし、今回のように六段目だけの上演であると、勘平が殺したのが誰なのかは分からない。しかし、勘平が人を殺して金を奪ったことだけは確かなことで、この事実が舞台全体に圧し掛かって来ることになるのです。結末では勘平が舅を殺したのでなかったことが明らかとなり、勘平は最後に連判の一味に加わることが出来ましたから、勘平は死ぬことにはなっても・そこにちょっぴり救いが見出せるだろうと思います。しかし、勘平が人を殺して金を奪ったという事実だけは厳然として残ります。この点に関しては、今回のような特例の六段目だけの上演の時の方が、観客に強く突き刺さって来る気がしますねえ。これは思わぬ発見でした。

だからと云って吉之助は六段目だけの上演を勧めるつもりは毛頭ありませんが、しかし、昨今の五・六段目は「与市兵衛を殺したのは勘平か」というところにドラマの関心が行き勝ちで、勘平の悲劇が本来とはちょっと違うところに行ってしまっているのかも知れないということは考えて見なければならないことです。音羽屋型は綿密に練り上げられていると感心するところが多いですが、多分そこのところが音羽屋型の弱みなのでしょうねえ。吉之助が、前回(平成28年11月国立劇場)での菊五郎の勘平を音羽屋型の完成形として高く評価しつつも、通し狂言としての「仮名手本忠臣蔵」全体との連関性がちょっと弱く見えると書いたのは、そこのところです。(別稿「古典的な勘平」を参照ください。)

一方、今回の菊五郎は、まさにこの点へ斬りこみを入れて来たと感じるのです。菊五郎の勘平がやっていることは確かにいつもの音羽屋型ですが、ホントにさりげない工夫で、感情をリアルに生々しく見せています。これがバロック的な方向への斬りこみになるというのは、ちょっと分かりにくいプロセスかも知れませんが・説明すると、例えば勘平が手元の茣蓙をたぐりよせ普通は「飛んだことをしてしまった・・」と呻くのが型であるところを、「飛んだことを・・・」と小さく呟いて済ませるとか、幕切れの落ち入りで自分の死をお軽に伝えないでくれと云うところを、「お軽・・」と呟いてあとは身振りで見せるとか、こういうところを菊五郎はアッサリしすぎなくらいにさりげなく自然に見せるのですが、これらの工夫の積み重ねによって、菊五郎は型がルーティーン(仏芸)に陥ることをさりげなく拒否しているわけなのです。これが表現をバロック的な方向へ向ける力となるものです。勘平の成仏を願うかのような古典的に落ち着いた印象を意識的に壊そうとするところから「コンチクショウ、死んでたまるか、魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する」という勘平の気持ちの表現が生まれると云うことです。

もちろん誰でもそう云うことがいきなり可能になるわけではありません。我々は78歳の菊五郎のこの時点の勘平だけを見ているのではなくて、そこに菊五郎が長年積み上げて来た数々の勘平の舞台の俤(おもかげ)をも重ねて見ているからです。観客はそこに菊五郎の芸の「生き様」を見るのです。イヤまことに芸の道には果てがなく、いつでも新たな発見があるものです。

(R3・6・4)

追記:コロナ緊急事態宣言による行政(東京都)からの要請により、歌舞伎座5月興行は、当初3日初日であったのを11日まで休演とし、初日を12日として28日千秋楽まで興行を行なうこととなりました。




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