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弁慶の「肚の大きさ」

平成15年(2003)3月・歌舞伎座・歌舞伎十八番の内・「勧進帳」

九代目松本幸四郎(二代目松本白鸚)(弁慶)、七代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)(義経)、五代目中村富十郎(富樫)


1)新しい歌舞伎のシンボル

「勧進帳」には ふたつの相反した表現意欲があることを別稿「勧進帳のふたつの意識」で触れました。ひとつは初代団十郎以来の荒事の「かぶきの心」を受け継ごうという表現意欲、もうひとつは当時の式楽であった能的な表現に近づいて高尚 化していこうという表現意欲です。初演者の七代目団十郎と九代目団十郎の両方の弁慶を見た古老が、「七代目は勇者の弁慶、九代目は智者の弁慶」と評したそうです。「勧進帳」は九代目団十郎によって明治以降に急速に高尚化していきます。

九代目団十郎が明治20年(1887)天覧歌舞伎で「勧進帳」を演じた時、明治天皇のお付きの者は「能より下品なものをお見せしては」と心配をしたようですが、天皇は「近頃珍しいものを見た」・「能よりよく分る」と仰せでありました。こうして「勧進帳」はこうして明治以降の「高尚で芸術的な新しい歌舞伎」のシンボルとなりました。郡司正勝先生が次のように語っています。

『「勧進帳」というのは最も歌舞伎的でないものですよ。それが一番浮上して第一線を占めているという、つまり歌舞伎の歴史始まって以来の事件ですよ、これは。』(郡司正勝・合評「三大歌舞伎」・「歌舞伎・研究と批評」第16号)

近年において「勧進帳」を最高の人気作品にしたのは、九代目団十郎の高弟・七代目幸四郎の功績です。七代目幸四郎は「勧進帳」を千回以上も演じて、「勧進帳」の弁慶ならば七代目幸四郎 と言われるほどのものでした。そして、当代・九代目幸四郎(以後、本稿で幸四郎と書く場合は当代を指します)もまた「勧進帳」を本公演で七百回を演じることになるということで、これを最大の当り役としています。

思慮分別があり教養もあって・義経がすべての判断を任せて・信頼し切っている頼もしい弁慶、こうした弁慶のイメージは謡曲「安宅」の弁慶とはじつはちょっと異なるものです。「安宅」の小書きでは、弁慶は勧進帳を読み終わった後・巻物の表が見えるように・わざと逆に折り返して持って不動の見得(「勧進帳」では元禄見得)をします。つまり、わざと白紙の巻物を見せておいて「これには何も書いてないんだぞ、さあどうする」と威嚇するのです。それで『関の人々肝を消し恐れをなして通しけり』という のですから、「安宅」と「勧進帳」の弁慶のイメージはかなり違います。

荒事ということを考えれば・歌舞伎でもこの「安宅」の豪胆な弁慶の行き方を採ってもよかったように思うのですが、七代目団十郎はそれを敢えて採りませんでした。そこに七代目の仕掛けがあ りました。恐らく「勧進帳」の場合は智者の弁慶の「史劇風のもっともらしい重み」が何となく謡曲の格調の高さに相通じるところがあるのです。今では「勧進帳」のドラマが史実だと思っている人が結構いるくらいのものです。その「高尚で芸術的な勧進帳」の方向の延長線上にあるのが幸四郎の弁慶なのです。九代目団十郎・七代目幸四郎の系譜になる「正統の・勧進帳」を継承するのは自分であるという強い自負が幸四郎にはあると思います。


2)「肚の大きさ」

幸四郎の歌舞伎の演技は、その心理主義的なバタ臭さをしばしば言われます。 「勧進帳」でも富樫に通行を止められ・義経打擲に至る場面において幸四郎は杖を振り上げてから「もはやこれまで・御主人様申し訳ない、もったいなくも是非に及ばず・杖で打たせていただきます」という無念の表情で目を閉じ・頭を下げてから、義経を打ちに掛かります。これは心理主義的・説明的なバタ臭い演技であると言えなくもありません。しかし、幸四郎の「御主人大事の肚」はここにあるわけですし・そこに演じるご本人の誠があるのだから、吉之助はまあ幸四郎がやるならば・これはこれでいいだろうと思っています。

全体として幸四郎の弁慶は「御主人大事・義経を何としても守らねばならない」という肚(はら)においては随一の弁慶だと言えます。例えば花道での弁慶の第一声・「ヤアレ暫く、御待ち候え」などは、幸四郎はその声の深さ・重みがいつ聞いても素晴らしいと思います。関を破って通ろうと勇み断つ仲間たちをグッと押し止めて・心を落ち着かせるだけの「肚の大きさ」のある弁慶の声です。この「肚の大きさ」が終始一貫するならば素晴らしい「勧進帳」になると思うのですが。

幸四郎の弁慶は後半はよろしいと思います。幸四郎の弁慶には、「写実」というのとは違うのですが、実録物みたいな「もっともらしさ」があるのです。本物もこんな弁慶だったのかなと思えるような頼もしさです。しかし、前半の勧進帳読み上げから山伏問答までの演技は問題が多い。残念ながら、幸四郎の場合は弁慶の「肚の大きさ」の意識が妙な方向へ行っちゃうのです。「偽の勧進帳をでっちあげて・問答をするくらい・教養のある俺にとっちゃ朝飯前のことだよ」という感じに処理しようとしています。だから読み上げ・問答を手の平で扱うように軽く 処理する方向に演技が行ってしまうのです。どうしてこうなっちゃうのでしょうか、この辺がよく理解できないのです。富樫に勧進帳を読めと言われて「ふーん・何だ、こんなこと」という感じが読み上げた巻物を巻き上げる時の表情・態度などに露骨に表れています。それがかえって弁慶の人物を小さくしてしまっていることに気付かないのでしょうか。

しかし、何と言ってもこれは直してもらいたいと思うのは「天も響けと読み上げたり」で元禄見得をした後に・弁慶がさっと踵(きびす)を返して座に戻ろうとして、「勧進帳聴聞の上は疑いはあるべからず、さりながら事のついでに問い申さん」という富樫の台詞を背中で受けることです。これはいけません。関守である富樫を軽く見た・無礼千万の行為だと言わねばなりません。弁慶は全身全霊の英知を以て富樫の納得を得て・安宅の関を無事に通らなければならないというところに弁慶の覚悟があるのではありませんか。弁慶は富樫に真剣に正対せねばならないのです。

「勧進帳」の文句など決まりきったものでデッチ上げることくらい簡単なことだというのは理屈ですが、ここは富樫の要求・問いかけに対して一難去ってまた一難・果たして弁慶はこの危機を切り抜けられるかと観客をハラハラさせるのが本筋でありましょう。この芝居の題名は「勧進帳」と言います。その勧進帳を軽く扱って何となりましょうか。

富樫に富十郎という口跡では定評のある役者を配しているにもかかわらず、山伏問答の出来もよろしくありません。富樫の問いに対して、幸四郎の弁慶の答えはまるで解答を準備していたかのように・ サラサラと流れるような早口の弁舌です。「おおその来由いと易し」と弁慶は確かに言っているけれども、弁慶は富樫の問いを軽く受け流しているわけではありません。幸四郎の弁慶の問答を見ていると、富樫をまるで舐めて掛かっているようにさえ見えます。これではさすがの富十郎も腕の振るいようがありません。

音楽劇という観点から見てもこの山伏問答はよろしくありません。最初はゆっくりした速度から・次第に速度を増し、「そもそも九字の真言とは・いかなる義にや、事のついでに問い申さん。ささ何と何と」において最高速度に至るのが山伏問答のテンポ設計 なのですが、幸四郎は富樫の問いを最初から一貫した快速テンポで答えてしまっています。山伏問答のテンポは富樫が作るものです。富樫の吹っ掛ける難題を弁慶がバッサバッサと斬り返す痛快さを幸四郎がここで意図しているのならばお間違えでしょう。繰り返しますが、弁慶は富樫に真剣に正対することをしなければ「勧進帳」のドラマが回りだすことはありません。

さきほど書きましたように、義経が弁慶を許す場面から・酒に酔って舞う延年の舞・幕切れの飛び六方までの後半はよい出来です。命を捨ててなすべきことをなしたというさわやかさがあります。しかし、後半がよろしいだけに、前半の弁慶の「肚の大きさ」の表出の方向性に再考を強く願うものです。


(H16・8・1)


 

 

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