二代目白鸚の大蔵卿
平成31年1月歌舞伎座:「鬼一法眼三略巻〜一條大蔵譚」
二代目松本白鸚(一條大蔵卿)、二代目中村魁春(常盤御前)、五代目中村雀右衛門(お京)、四代目中村梅玉(鬼次郎)他
*本文中で初代白鸚と二代目白鸚が交錯する場面がありますが、「白鸚」とだけある場合は二代目のことを指します。
白鸚が大蔵卿を演じると聞いて、「ハテ写真をどこかで見たような」と思ったけれども思い出せず調べてみると、初役は昭和47年(1972)12月帝国劇場(30歳)でのことでした。白鸚が大蔵卿を演じるのはそれ以来で、実に46年ぶりの再演です。もともと大蔵卿は高麗屋に縁が薄い演目でした。初代吉右衛門(播磨屋)の娘婿でその芸を継承した初代白鸚も、大蔵卿は演じませんでした。( ただし鬼次郎は演じています。)二代目白鸚も祖父の当たり役ということで一度演じてみたけれども、長くこれを演じないでいたわけです。現在は弟の二代目吉右衛門が大蔵卿を継承して当たり役としていることは、御承知の通りです。どうして今回白鸚が大蔵卿を再演する気になったか理由は分かりませんが、もしかしたら昨年(平成30年)2月歌舞伎座の襲名披露で 息子の十代目幸四郎が大蔵卿を演じたのを見て、俄かに興味を覚えたか、或いはムラムラと対抗意識が湧いたかということでしょうかね。
白鸚が大蔵卿を演じるならば、線の太い大蔵卿が出来ることは 容易に予想が出来ます。しかし、実は吉之助にはどうもピンと来なかったのです。大蔵卿と云うと、本気と阿呆をカチャッと切り替えて見せる技巧的な役だというイメージが吉之助にもありました。時代物のキャラクターとしてはやや軽めです。骨太い時代物の大蔵卿と云うと、ちょっとそれは違うのではないかな?という気がしたのです。しかし、今回(平成 31年1月歌舞伎座)白鸚の大蔵卿を見て、目から鱗(うろこ)が落ちる思いがしたことを吉之助は告白せねばなりません。
大蔵卿が正体を見顕わす場面では、まるで高綱物語(鎌倉三代記)を見る気分でした。北条時政に近づく為にそれまで道化の藤三郎を偽っていた佐々木高綱が正体を見顕わす、あの場面のような壮大な時代物の風格を覚えたのです。「元の阿呆へ」返ると云っても、正体を明かした今となっては、小賢しい技巧を弄することはもはや虚しいと云うかの如く、白鸚の大蔵卿は完全な阿呆に戻ることがありません。白鸚は、ここを正気で押し通します。これだと変化が出ないので地味で面白くならないのじゃないかと思いましたが、太い筆致で描き切った大蔵卿が何とも心に迫って来ます。阿呆を装うことは平家全盛の世の中に背を向けた逃げの行為ではなく、これこそ横暴を尽くす平家に対する先鋭的なレジスタンス行為だ云う俺の真意を納得させずにおくべきかと云う大蔵卿の熱い思いを感じます。鬼次郎もお京も、大蔵卿の心情を理解し畏れ入ずにはいられません。なるほどこれならば「奥殿」は、確かに「鬼一法眼三略巻」の四段目の位取りであるなあと実感しました。
但し書きを付けますが、これは吉右衛門の大蔵卿の素晴らしさを決して貶めるものではありません。吉右衛門の大蔵卿は、作り阿呆と正気の区別が付かなくなっているのです。どちらが真か嘘だか分からない、どちらも真かも知れないし、どちらも嘘かも分からないと云う、阿呆と正気との狭間に引き裂かれた悲劇的状況を、吉右衛門ほど見事に体現して見せた大蔵卿はいません。
一方、白鸚の大蔵卿は、阿呆はあくまで作り物だとして、大蔵卿の性根を正気の線で太く押し通した点で、或る意味でクラシカルな(古典的な)大蔵卿だと云えます。しかし、白鸚の大蔵卿は作り阿呆を装うことを痛快なことだとはしていません。それは大蔵卿が心ならずも取らねばならなかったポーズなのです。阿呆を装うことは、大蔵卿にとって不本意であり、苦しいことである。「今自分がやっていることは、本当に私がしたいことではない」、これがかぶき的心情です。そこに歌舞伎の大蔵卿ならではのバロック的要素があります。白鸚の大蔵卿は、鬱屈した心情を内に秘めつつも作り阿呆のポーズを取り続けますが、「奥殿」の見顕わしで遂にその心情を爆発させます。まさしくこれが時代物の四段目の位取りです。技巧的な軽めのキャラクターだとばかり思っていた大蔵卿が、正真正銘の重厚な時代物のキャラクターとなって立ち現れたのです。これにはまったく感嘆させられました。
ここで別稿「(十代目)幸四郎が進む道」で書いたことを再び取りあげます。若い頃の白鸚は細身でしたから、何となく大蔵卿の柄が合わなくて、それでしばらく役から遠ざかることになったと思います。白鸚も歳を取るにつれて骨太い時代物役者の風格に変化して来ました。弁慶や熊谷あるいは実悪の仁木などを家の芸とする高麗屋からすれば、あまり軽めのキャラクターは似合わない。大蔵卿を技巧的なキャラクターだと見るならば、当然そうなります。だから白鸚が大蔵卿を演じるためには、骨太い高麗屋のイメージに相応しい設計図が出来あがるまで待たねばならなかったのです。
設計図は慎重に書かれています。一般的な大蔵卿のイメージは、例えば初代吉右衛門から引き継いだ(弟である)十七代目勘三郎の大蔵卿のように、作り阿呆と正気をパッと鮮やかに切り替えて、声色を駆使して、派手に愉しく見せる大蔵卿だろうと思います。勘三郎の大蔵卿(幸い映像が遺されています)は、 役者の愛嬌が生きて、歌舞伎ならではの面白さが横溢していました。現在の大蔵卿の多くは、役者によって差違はあれど、大方この線に沿って構築されています。そのような既存の大蔵卿のイメージを基準に取るならば、大蔵卿の性根を正気の線で太く押し通すやり方は、理屈では可能であっても、舞台でこれをやってみると派手さと面白味が欠けるようで観客にあまり受けない危険があるわけです。実は吉之助も当初白鸚が大蔵卿を演じると聞いた時にはピンと来ませんでした。観客のなかに在る役の既存のイメージの変更を迫る演じ方を試みることは、とても勇気が要ることです。
十代目幸四郎に父・白鸚の大蔵卿をよく見てこの「衝撃」を受け留めて欲しいと思うのは、そこのところです。弁慶や熊谷や由良助など骨太く重厚な時代物、仁木など実悪のキャラクターを持ち役としてきた「高麗屋」が大蔵卿を演じるならばこれだというところを、白鸚は指し示しているのです。この方法論を学んでもらいたいわけです。その取っ掛かりは、昨年(平成30年)2月の幸四郎の大蔵卿のなかにあります。「俺がこの阿呆のポーズを取り続けるのは俺にとっても結構辛いんだよ」と云うところを見せて、これはこれで悪くない出来でした。だから幸四郎もいいところを突いてはいるのです。しかし、まだまだ線が細いですねえ。意識的に描線をもっと強く太くして行くことで、「高麗屋の大蔵卿」に仕上げて行かねばなりません。そうすれば弁慶や熊谷を演じる時にも決して狂いは生じません。これが出来れば幸四郎が演じる立役全体の印象が変わって来るはずです。
(H31・1・24)