「大川端」の難しさ
平成30年10月歌舞伎座:「 三人吉三巴白浪」〜大川端
二代目中村七之助(お嬢吉三)、二代目坂東巳之助(お坊吉三)、二代目中村獅童(和尚吉三)
1)十八代目勘三郎のお嬢吉三のこと
今月(平成30年10月)歌舞伎座は十八代目勘三郎七回忌追善ということで、「三人吉三〜大川端」では勘三郎の次男・七之助がお嬢吉三を勤めました。勘三郎の「三人吉三」と云うと、吉之助にとってはコクーン歌舞伎での和尚の印象が強烈です。(勘三郎はコクーンで 平成13年・平成19年と和尚を二回勤めました。)それは兎も角、よく考えてみると勘三郎の仁からすれば 和尚よりもお嬢の方がもっと本役だと思えるのに、どうして勘三郎は当たり役になりそうなお嬢をあまり勤めなかったのですかねえ。勘三郎は平成6年2月明治座でお嬢をたった一回だけ勤めました。残念ながら吉之助はこの舞台を見ていませんが、さぞかし勘三郎のお嬢は良かっただろうと思います。勘三郎は七代目梅幸からお嬢の型を教わったそうです。梅幸のお嬢については別稿「七代目梅幸のお嬢吉三〜三人吉三の古典的な感触」で取り上げましたが、要するに勘三郎にとって祖父に当たる六代目菊五郎の系譜です。杭に足をかけて決ま るところから「月も朧に・・」のツラネまで芝居の一連の手順を流れのなかで淀みなく見せて、ツラネを独立したシーンとしてあまり突出させるところがない、或る意味において これは芝居っ気がちょっと薄いお嬢なのです。しかし、生世話の骨法と云うのは実はこういうところにあるということを感覚で分からせてくれるお嬢でもありま した。つまり「当てに行くのではなく、こういうところをサラッと流すのが粋なのだよ」と云う役者の心意気なのです。
まあこれは「月も朧に・・」のシーンを「大川端」の芝居のなかでどう位置付けるかという考え方(演出)の違いであるので、どちらが正しいとか・間違いだとか云うことではないのです。「月も朧に・・」は感情が高められた台詞などではなく、 その前後の芝居の流れのなかで乖離したシーンであり、決して埋もれることがあってはならぬという考え方ももちろんあります。むしろこの行き方を取ることの方が多いと思います。これはバロック的な考え方なのですが、この行き方が魅惑を発するためには前後の流れが正しく写実に(つまり世話の様式に)取れていなければなりません。それでないとシーンの印象が屹立してこないからです。実際やってみると「大川端」で十全な出来の舞台が あまり見られないのは、結局、「月も朧に・・」前後の生世話の感覚が舞台上で正しく表出されていなかったからに違いありません。つまりお嬢だけのことではなく、これは全体の世話のアンサンブルの問題なのです。
コクーン歌舞伎で勘三郎が和尚を勤めたことについては、いくつか背景があったと思います。勘三郎がお嬢を勤めても面白いものが出来たに違いないですが、当時和尚を本役で勤められる役者が他にいなかった。一方、お嬢については福助と云う適任がいたと云うことだと思います。福助のお嬢は六代目菊五郎の系譜とは異なりますが、まったく別の行き方として興味深い側面を見せたお嬢でした。(これについては別稿「黙阿弥の因果論・その革命性」をご覧ください。)それにしても祖父六代目菊五郎を尊敬し・その芸を現代に蘇らせることを心底願っていた勘三郎ならば、もう何度かお嬢を演じて本役として極めて欲しかったと、そこは残念に思いますねえ。(この稿つづく)
(H30・10・16)
2)「大川端」の難しさ
今月(平成30年10月)歌舞伎座の「大川端」はお嬢に七之助・お坊に巳之助・和尚に獅童という配役で、将来20年後くらいの歌舞伎の行方を想像しながら見ましたが、ちょっと物足りない出来です。もっとももう少し上の世代の「大川端」も似たような出来でしたから、彼らだけが特別に物足りないわけではないですが。
七之助のお嬢吉三は、見たところでは平成26年6月コクーン歌舞伎の時と印象が さほど違いがないように思われます。七之助は地声が太くないので、女から男へ変わるところがきっぱりしないのはまあ仕方ないとしても、問題はそこにあるのではないです。七之助の芸質は父・勘三郎の立役の兼ねるお嬢とは異なりますから、 中村屋と云っても必ずしも父と同じやり方を継ぐ必要はないですが、世話の骨法は守ってもらいたいのです。前述した通り「月も朧に・・」をアリアとして「大川端」のなかで屹立した位置に置くという行き方はあるのです。その行き方を取るにしても、そのためには前後の段取りをしっかり世話に取らねばなりません。そこを地道に世話で整えてこそアリアが際立つのです。それでないと中村屋の芸ということにならないと思いますがねえ。そこのところをしっかり考えてやって欲しいと思います。台詞の息の緩急を、七五調の揺れるリズムに乗せることで、七五調の台詞を写実に聞かせることが出来るのです。台詞をサラサラと調子良く流しているように聞こえるけれども、これでは早いテンポのダラダラ調です。多分本人はこれで歌っているつもりだと思いますが、そもそも黙阿弥の七五調が歌うものだという思い込みに問題があります。「大川端」全体をこの感覚で一様に通しているから、アリアが際立って来ないのです。
「大川端」が物足りないのは、もちろんお嬢だけのせいではありません。お坊にも和尚にもそれぞれ問題があります。大和屋は伝承がしっかりした家系だと思っていますが、巳之助の台詞廻しも七之助によく似た印象なのも、ちょっとがっかりですねえ。十代目三津五郎のお坊の良い映像が残っていますから、これを見て巳之助もよく研究して欲しいと思います。一方、獅童の和尚の七五調も、勢いがあるように 聞こえるけれども、こちらはパサパサの散文調で、他の二人と違った意味でこれも大いに問題があります。台詞のテンポが早くなることは現在の平成歌舞伎の傾向としてあるもので、テンポが遅かった昭和50年代からテンポが揺り返しているということです。そこに間延びしてしまった台詞を活性化させたいという意図が働いていることは事実ですが、台詞の息ということを考えないでテンポだけを早くしてみても、様式的にはますます写実から離れて形骸化してしまいます。これを解決するためには、台詞の緩急を体現する抑揚の研究が必要です。
三人三様それぞれ「大川端」は様式美で見せる芝居だと云う決め込みがあるように思います ねえ。逆に、こういう芝居こそ形骸化しないように、しっかり人間を描くように心掛けないと、黙阿弥物はますます現代から縁遠いものになってしまうと思いますがねえ。「大川端」は本来歌舞伎役者なら当然出来て然るべき基礎問題とでも云うべきものですが、今やこれが最も難しいものになってしまったようです。
(H30・10・18)