芸の受け渡しについて〜五代目菊之助の政岡
平成29年5月歌舞伎座:「伽羅先代萩・御殿」
五代目尾上菊之助(乳人政岡)、五代目中村歌六(八汐)、二代目魁春(栄御前)、四代目中村梅枝(六代目中村時蔵)(沖の井)、二代目尾上右近(松島)他
1)玉三郎の政岡のこと
菊之助の政岡は平成20年11月新橋演舞場が初役で、今回(平成29年5月歌舞伎座)が再演になりますが、玉三郎から指導を受けたと聞いています。舞台を見れば、なるほどそのことははっきり分かりますが、今回の再演において、吉之助が感心したのは、菊之助が玉三郎からの教えをよく咀嚼すると同時に、自分の芸質も考慮に入れて、自分なりの政岡像を作り上げているなあと感じたことでした。そこに型を受け継ぎ、これを自分のものにして行く過程を見る気がしたので、本稿ではそこのところをちょっと書いてみたいと思います。
まず玉三郎の政岡については、平成27年9月歌舞伎座での所演を、玉三郎の、ひとまずの結論と見ます。この舞台には菊之助も沖の井で出演していました。恐らく玉三郎から菊之助への芸の伝授という意味合いがあったでしょうから、今回の菊之助の再演に向けて大きな意味を持つものであったと思います。この時の玉三郎の舞台については別稿「女形芸のリアリズム」で取り上げました。女形の写実(リアリズム)ということを深く考えさせる政岡でした。
別稿「女形芸のリアリズム」で吉之助が述べたことを繰り返しますと、玉三郎の本領は傾城・遊女というところにある、つまり「実のなさ」というところが玉三郎の芸のポイントです。女形の実のなさとは、女形芸が持つ装飾的・技巧的な要素です。そう考えると、玉三郎の本領からすると、政岡のように・時代物の捻じれた実の重さを持つ役は必ずしもぴったり来ない役だということになるわけですが、そこを玉三郎はリアリズム(写実)という因数で見事に解いて見せたと云うのが、吉之助の見方でした。その結果、もしかしたらこの玉三郎の政岡の行き方を延長するならば女優の政岡さえ可能かも知れないと思える真実味が生まれて来たのです。もちろんこの政岡は丸本離れしていると云う批判もありえると思います。事実そういう劇評も出ました。しかし、玉三郎の政岡はそのリアルな美しさによって、女形の実が捻じ曲げられたものであること、それゆえそれが本来的なものではないことを逆説的に訴えていると、吉之助は積極的に評価したいと思いました。こういうことを考えさせてくれるのは、玉三郎ならではのことなのです。
ただし、別稿「女形芸のリアリズム」では触れませんでしたが、吉之助は一抹の不安もちょっと感じてもいたのです。それはこの玉三郎の政岡を見てこれを手本とする若手役者たちが、玉三郎のこの問題提起をどのように捉え、この芸を受け継ぐのかなということでした。玉三郎の政岡は女形のリアリズム(写実)を追求したその究極のところを見せています。女形芸の標準からすると、玉三郎の政岡は 写実の方向へかなり寄ったものです。それは玉三郎の芸質から来る必然なのですが、そこを若手役者たちがどのように受け取っているかということです。歌舞伎の若手女形が玉三郎の政岡の表面的なところを安直に真似してしまって、サッパリと歌舞伎離れした女優の政岡が出来てしまわないか、そのような不安です。吉之助は本物の女優が政岡に挑戦する時に玉三郎の政岡は大いにヒントになると書いたまでのことで、もちろんこれは歌舞伎の若手女形に女優になって欲しいと云う意味ではありません。ここの違いが分かってもらいたい。歌舞伎の若手女形たちは玉三郎の芸の心を学んで、自分の芸質に沿わない要素は置き、自分の芸のために必要なものを取り入れる方法論を持っているか。そういうことをちょっと危惧したのです。
しかし、結論から先に云えば、少なくとも菊之助に関しては、それが杞憂であったことが、今回の舞台を見て吉之助にもよく分かりました。菊之助は、玉三郎の教えるところを自分の芸質においてよく咀嚼し、自分のものにして受け継いでいると思いました。菊之助は、玉三郎と自分の芸質の違いをしっかり認識していますね。いやホントに安心しました。芸は正しく受け渡しがされたと思います。
2)芸質の違い
型の伝授については、教えてもらったら一度はその通りに演じなくてはならない約束があるとよく云われます。そういうこともあるかも知れませんが、多分教える役者にも拠ると思います。七代目三津五郎は他人に型を教える時には、「○○郎はああやった、△△助はこうやった、自分は自分の柄を考慮してここを工夫してこういう風に変えて演じている」と云う風に教えたそうです。こういう親切な教え方をする役者は少ないと思いますが、型が強制されたものであるならばそれは型とは呼べないのであって、まずその型の心を学び、そこから型の成り立ちを読み取って行く、その方法論が身に付けば型の手順はおのずからそのようになるものだと思います。
菊之助は芸質として女形のエグ味を感じることはあまりありませんが、代わりに美しさのなかに凛とした強さを感じます。これは立役を兼ねるところから来るのかも知れませんが、真女形によく感じられる嫋々としたところが、菊之助にはあまりありません。そこが吉之助が菊之助の女形を好ましいと評価するところです。同時にそこが玉三郎との芸質の違いということになるでしょう。
菊之助の政岡ですが、手順において玉三郎の教えるところをよく写していますが、受ける印象が異なります。玉三郎の政岡は写実の方向へかなり寄ったものですが、菊之助の政岡はこれを様式の方へ引き戻した感があります。これは玉三郎と菊之助の芸質の違いから来るものであると同時に、世代の感性の違いから来るものでもあるでしょう。ともあれ、これは菊之助が自分の芸質において玉三郎の政岡をよく咀嚼した結果であり、行き方として正しい判断であったと感じます。付け加えますと、吉之助はここで「芸質」と書いていますが、これはもちろん歌舞伎の用語で「ニン(仁)」と書いてもよろしいのですが、敢えてこのように記しているのは、吉之助がそこに現代的な感性の働きを読み取りたいからです。
吉之助が菊之助の政岡を評価したい点は、菊之助が玉三郎の台詞の高調子を採っていないことです。菊之助は太い声と云うわけではないですが、ここでは声のトーンの基調をやや低めのところに置いています。普通だとここは玉三郎の声のトーンを似せて高調子に置きたくなるところです。昨今の歌舞伎の若手女形を見てください。まるで玉三郎の声色してるものばかりでしょう。これは玉三郎を尊敬して玉三郎みたいに演じたいと思うと、誰でも自然とそうなるのです。歌右衛門が全盛の時代にも歌右衛門の真似が流行ったものでした。これも自然とそうなってしまうものです。特に当たり役を受け継ぐ場合には、そのくらい強い呪縛があるものです。付け加えますと、菊之助がいつも玉三郎の真似していないわけではなく、例えば先日(平成29年2月歌舞伎座)の「梅ごよみ」の芸者仇吉は玉三郎の真似だったと思います。しかし、今回の政岡では、菊之助は玉三郎の真似はしていません。よく考えて演じられています。このことをまず評価したいと思います。
玉三郎の台詞の高調子は、玉三郎の芸質において考え抜かれて編み出されたものです。台詞の調子だけでなく、それに伴う様々な工夫があるわけですが、これについては別稿「女形芸のリアリズム」をお読みください。しかし、もし菊之助が玉三郎の台詞の高調子を採ったならば、政岡の演技が虚の方向(実のない方向)へ浮いたでしょう。声のトーンをやや低めに置いたことで、菊之助の政岡は、実の方向に向けて構築できることになります。菊之助はもともと理知的な芸風ですから、演技が落ち着いて、抑制が利いた印象になるのです。これが後半のクドキの場面で効いてきます。
3)歌舞伎の様式化の方向性
菊之助の政岡が声のトーンをやや低めに置いたことが、後半のクドキの場面に至って効いてきます。葵太夫の竹本の語りとの調和が取れて、聴きやすい、分かりやすいクドキに仕上がりました。
クドキで竹本の音楽的効果をどう利用するかについては、役者の芸質、あるいは役者と竹本とのバランスなど微妙な要素が絡みます。クドキで役者の言葉が素になり過ぎて竹本から離れると、印象が散文的になって淡くなって来ます。玉三郎の政岡には確かにそのような感触があって、だから丸本歌舞伎離れした演技だという批判も出てくるわけです。しかし、これをリアリズム (写実)の基準をどこに置くかという型の「心」の問題と捉えるならば、玉三郎が政岡をこうしなければならなかったという必然は、十分納得できます。吉之助が別稿「女形芸のリアリズム」で書いたことは、そういうことです。ただし、これは玉三郎の芸質において許されることです。
ですから菊之助が玉三郎の政岡の型を「心」で受け取るならば、それは菊之助の芸質を通して、別の様相で現れることもあるはずです。もちろんそれで良いわけです。玉三郎と菊之助では、リアリズムの感覚が微妙に異なるからです。吉之助はそこにリアリズムに対する感性の世代の違いも感じます。同時に、これは平成の現在から未来へ向けての、歌舞伎の様式化の方向を予感させるものです。
クドキで役者が竹本の拍と音程を合わせて行けば、言葉は歌い・演技が踊る感覚となって、全体の印象が様式の方へ傾いていきます。実際、義太夫狂言では、竹本と絡む時には調子を低めに取った方が上手く行く場合が多い。少なくとも「それらしく」はなるのです。これは義太夫が音曲であり、基調を竹本が取ることを考えれば、当然のことです。今回の菊之助の政岡は、この段階にあると思います。
ただ吉之助が思うには、現在の菊之助ならばこの政岡のクドキで十分だと思いますが、さらに芸の上の段階を目指すならば、次回は竹本に付かず・離れずの感覚にトライしてもらいたいものです。次の段階としては役者の方から竹本を押したり・引いたりするところが欲しいと思います。菊之助のクドキは「糸(リズム)に乗っている」とまでは云いませんが、やはり糸に乗せる方向に意識が行っています。おかげで政岡の嘆きを理知的にコントロールできていて、これが政岡のクドキを様式の方向へ引き戻した古典的な印象を生んでいます。今の段階では、これで良いです。しかし、演技を義太夫に頼ってしまうならば役者は木偶と同じであって、人形浄瑠璃を人形に替えて役者が勤めるだけのことになり、歌舞伎役者が義太夫狂言を演る意義はないのです。「糸に乗る演技はいけない」という教えは、歌舞伎が異ジャンルである人形浄瑠璃の骨格をそっくりそのまま取り込んだことによるある種の無理(不自然さ)を強く意識するもので、これが歌舞伎の義太夫狂言をバロック的な方向に引っ張る力として働くものです。聡明な菊之助ならばこのことは理解できると思います。次回の政岡の舞台が楽しみになってきました。
(H29・5・25)