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「四の切」の程のよさ

平成12年(2000)7月歌舞伎座・「義経千本桜・川連法眼館」

三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)(源九郎狐・佐藤忠信、二役)、七代目中村芝翫(静御前)、九代目沢村宗十郎(源義経)


1)「四の切」の程のよさ

「四の切」と言えば今や猿之助の専売特許の感があります。ケレン味たっぷりの澤瀉屋型でないと「四の切」は 詰まらない・音羽屋型は地味で面白くないと世間に思わせてしまったのだから大したものです。猿之助の狐忠信はもう何回見たことか・数えてはいませんが、初めて「四の切」を見た時は三階席の宙乗りの忠信の汗が飛んできそうな席で見て大感激したのを今でも覚えています。それから昭和55年7月歌舞伎座の「義経千本桜」で・立役の博士論文とも言われる知盛・権太・忠信三役を通しで演じた時の「四の切」の熱気も思い出されます。思えばあの頃が猿之助歌舞伎のピーク時期であったのではないでしょうか。猿之助は若かったし、もちろん吉之助も若かった。これでもか・これでもかというようなエネルギッシュな舞台で、幕切れで忠信が宙に吊り上ると客席の興奮はピークに達して万雷の拍手でありました。

ところで、昭和55年7月の上演の時は通し上演でしたから「四の切」でお終いではなくて・この後に大詰「奥庭・吉野花矢蔵の場」が付いておりました。これがまた派手な立廻りで見せてくれました。それから昭和58年10月歌舞伎座・「義経千本桜・忠信篇」というのもあったな。これは「千本桜」の忠信の件だけをつなぎ合わせたダイジェスト版で、これにも「奥庭・吉野花矢蔵」が付いていました。しかし、「四の切」の後に「奥庭」とつながると立廻りが続くので、何と言いますか、これはフルコースの料理をいただいた後でカツ丼がデザートで出てきたようで、ちょっとゲップが出る感じでありましたね。良くも悪くもサービス過剰なわけです。「忠臣蔵」通しでも「十一段目」が出てくると同じように「もう十分だよ・・」と思うものですが、切符がもったいないからもちろん席は立ちませんけど、正直申し上げると「四の切」で打ち出しにしてくれればどんなに気持ちよく帰れることかと思ったものでありました。

そこで平成12年7月歌舞伎座での猿之助の「四の切」(今回は「奥庭」はなし)は吉之助にとっては久しぶりでしたが、これは吉之助が見た猿之助の「四の切」のなかで最も出来がよいものだと思いました。それはなぜかと言うと、どうも猿之助が動かなくなってきたからであるようでした。あれほどにサービス過剰で・これでもかと言うほどに身体を動かしてきた猿之助が動きをセーブしているようでした。身体の動きにかつての斬れが若干欠けていたようです。さすがの猿之助も年を取ってきたということなのでしょうか。しかし、そうだとしても猿之助は伊達に年を取ったわけではないようです。動きを抑えたその代わりに、源九郎狐の姿に親狐を慕う子狐のいじらしさがそこはかとなく伝わるようになってきました。これまでですと「ねっ、いいでしょう、ここは。親子の情を描いているんですよ、さあ感動してください。感動してください」という感じがなくもなかったですね。義経に初音の鼓を与えられて喜ぶ場面もこれまでのような車輪の動きではないけれど、動きを抑えたなかに喜びの情が暖かく伝わってきます。いい源九郎狐であります。ばかしの立廻りも派手な動きは抑えていたように思われました。

こうやって見ると、ちょうどこのくらいが「四の切」本来の大きさ・程のよさなのかな」と思われたのでした。宙乗りの忠信が飛び去った後、この「四の切」ならば「奥庭」が見てみたいものだと吉之助は初めて思いました。それほどに腹もたれがしなくて・さわやかで後味が良かったのです。


2)「四の切」の・その大きさ

「千本桜・川連法眼館の場」は歌舞伎の通称を「四の切」と申します。「四の切」とは四段目の切場という意味です。しかし、歌舞伎で上演されるあの場面は本当は四段目切場ではないのです。

延享4年11月竹本座で初演された人形浄瑠璃の時の場割を見ますと、川連法眼館は三つの部分に分けられます。本物の佐藤忠信が亀井駿河に引っ立てられて奥に引っ込むまでが「口(前半部)」であって・この部分が錦太夫が勤めました。「中(中間部)」は静御前が鼓を取り出して詮議を始めるところからで・ここから狐忠信が鼓を持って去るまでです。この「中」は政太夫が勤めています。すなわち、この場面までが歌舞伎で上演される「 四の切・川連法眼館」に相当します。さらに「切(後半部)」は歌舞伎では「奥庭」と呼ばれる場面に当りますが、横川覚範が実は壇ノ浦で死んだと思われていた能登守教経と知れるという場面です。この「切」は島太夫が勤めており、ここにおいて「千本桜・四段目」が完結するのです。

歌舞伎で言う「四の切」というのは本当は「切場」ではなくて・「大端場(おおはば)」と言われる部分です。もちろん政太夫が勤めている(同じく「千本桜」では二段目切・大物浦を担当)くらいですから、軽い場であるはずがありません。重さにおいては切場と変わり はないのですが、しかし、切場へつなぐ場面としての「程のよさ」が求められるのです。「義経千本桜」の場合は、知盛・維盛・教経の三人の首が偽であったというのが全段の謎であるわけですから、四段目切場は教経の正体が分かるクライマックスであるわけです。狐忠信の件はどれほどに面白かろうが、あくまでも切場への「つなぎ」なのです。郡司正勝先生がこんなことを言っています。

『「(千本桜)四段目」で親子の情だの何だのと言うのは、私は違うと思うんだ。化かされのああいうものが面白いんだから、どこまでもケレン芝居で、もう眠くなる時刻なんだから、あそこまでくれば浮かせて見せないと。狐がいくら人間の情を見せたって、人間はそんな同情するわけにはいかないんだよ。(狐が擬人化されていると 言うが)それは見ている方がそういう風に理屈をつけているわけなんでしょうけど、そうでもして見なきゃ見られないということになっちゃうから、一応、人間の情を写して見せるんだけど、それには限度というものがあるから、あんまりリアルにその情を見せると興醒めしてしまう。程度の問題ですけどね。』(郡司正勝:合評「三大名作歌舞伎」・歌舞伎・研究と批評・第16号)

郡司先生がこういう直言をしていただけるのは大変に有難いですね。 時代物浄瑠璃の上演というのは一日掛かりでして、大序が朝から始まって・五段目が終る頃にはもう周囲が暗くなってきます。四段目の頃には、観客もだいぶ疲れているのです。だから「四の切」の場面で観客の気分をリフレッシュさせようという意図が確かにあるでしょう。しかし、本当のクライマックスは「奥庭」なのですから、ここで観客が盛り上がり過ぎてはマズイのです。観客を疲れさせず・奥庭への興奮の余地を残しておかねばなりません。

鼓の皮になってしまった親を慕う源九郎の情愛はもちろんお芝居のスパイス・かくし味なのですが、それが「千本桜」の本筋なのではありません。「人間の醜い争いに比べて・狐の親子の情愛は何と清く美しいことよ」というのがこの芝居の主題にも見えますし、あの狐の姿に虐げられた階層の人々の悲しみを重ねて見ることができるかも知れないとも考えられますが、それは現代人から見た「恣意的な読み方」 なのかもしれません。もちろんそれが間違いというのではなくて・現代人にとっては大切な読み方なのですが、当時の観客はさほど深く考えていたわけではないのです。もちろん、いつもの通り「四の切」だけを見取りで演じている限りにおいてはそれはどうでもいいことなのかも知れません。しかし、「千本桜」の構造を読もうとする時にそうした恣意的な見方をすると全体のデッサンが歪んで見えてしまいます。

猿之助の「義経千本桜・忠信篇」(昭和58年10月歌舞伎座)は世間では好評であったようですが、吉之助には「鳥居前・道行・川連館」と猿之助お得意の忠信の名場面をつなぎ合わせた以上の意味があるようには思えませんでした。(これについては別稿「義経と初音の鼓」において考察をしましたのでそちらをご参照ください。)「千本桜」の構造を明らかにするものとは思えませんでしたし、何よりも「四の切」の位置付けが肥大化していました。

どうしてそれが問題であるかといえば、それは狐忠信は「四の切」の主人公ではあっても・「千本桜」の主人公ではないからです。狐忠信は狂言回しに過ぎないのです。だから郡司先生の「親子の情だの何だのと言うのは、私は違うと思うんだ・あんまりリアルにその情を見せると興醒めしてしまう」というご指摘は、まったくその通りなのです。しかし、これまでの猿之助の「四の切」は親子の情愛を前面に押し出そうとするものでした。そして義経に鼓を返してもらった 源九郎狐の喜びを全身で表現しようとするものでした。ケレン芝居の正当性を主張するかのように、「いいでしょう、ねっ、この場面、いいでしょう」という感じがありました。

芸というのは不思議なもので、身体が動けばそれでいいというものでもないようです。年をとって・あるいは大病を患って・身体が思うように動かなくなって、それからの方が芸がぐっとうまく 見えるということが現実にしばしば 起こります。演っていることは同じことを演っているつもりなのだろうけれど、年取った時の方が、余計なものを描かなくなっていく・不要なものを削ぎ落とすことができるようになるからでしょうか。猿之助がそういう時期に差しかかっているのかどうかは分かりませんが、久しぶりに見た猿之助の今回の「四の切」はそうした芸境の変化を感じさせるものであったかも知れません。動き過ぎでもなく・適度に動きを抑えたなかに狐の情愛がほんのりと感じられる、この大きさが本来の「四の切」の大きさであります。この程のよさならば、押し付けがましくなく・狐の情愛が芝居のかくし味として効いてくるのです。この程のよさならば、「奥庭」に無理なくつなげられます。宙乗りの猿之助の飛び去った上空を見上げながら、吉之助は見られなかった「奥庭」での猿之助の幻の奮闘シーンを想像しました。

(H16・3・7)


 

 

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