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義経と初音の鼓

〜「義経千本桜」

本稿は昭和五十八年十月歌舞伎座での猿之助の「義経千本桜:忠信編」を見た時のノートを再構成したものです。


1)「千本桜」の主人公は忠信ではない

昭和五十八年十月歌舞伎座において、三代目市川猿之助は半通しで「義経千本桜:忠信編」の上演を行ないました。「千本桜」は古今の名優たちが演じさまざまな型や芸談を残してきた名作ですが、歌舞伎のその長い歴史のなかでも狐忠信の件だけを、すなわち「鳥居前」〜「吉野山」〜「川連法眼館」と続ける半通しは初めての試みなのだそうです。

狐忠信の件だけを通すというのは素人でも思い付きそうなアイデアですが、それがこれまで試されたことがなかったというのは意外でした。しかしそれが今まで実行されなかったとすると、何か理由があるのではないかと考えた方が良いのではないでしょうか。「さすが猿之助は着眼点が良い」と感心する前にまずそれを冷静に検討してみたいと思います。

大序冒頭において「忠なるかな忠、信なるかな信」と「忠信」の二字を読み込んでいるように、狐忠信(源九郎狐)のイメージは「千本桜」の主題にかかわっています。作者が、肉親への情愛を忘れない狐忠信に人間の本来あるべき理想の姿を見ていることは確かです。そのせいか歌舞伎の解説書を見ると「千本桜」の真の主人公は狐忠信であると書いてあるのが少なくないありません。なるほどお説の通りなら狐忠信の半通しによって「千本桜」の根本思想は手軽に理解されることになるのでしょう。しかし繰り返すと、今までに狐忠信の半通しが試みられなかったのはなぜなのでしょう。

答えは簡単, 狐忠信は「千本桜」の主人公ではないからです。狐忠信には真の主人公が作品に占めるべき決定的な重みが不足すると私は思います。「千本桜」の主人公はその題名が示す通り、源義経なのです。このような当たり前のことでさえ当たり前でないらしいのが歌舞伎の不思議なところです。

確かに「千本桜」において大活躍するのは、知盛であり権太であり忠信なのです。その持ち場においては彼らはもちろん主人公然としていて良いのです。しかし「千本桜」全体を見れば彼ら三役の影は薄らぎます。改めて浮かび上がってくるのは義経の姿なのです。


2)義経の清めのイメージ

歌舞伎において義経物は、「義経千本桜」を始めとして「勧進帳」、「鬼一法眼三略巻」、「御所桜堀川夜討」、など数多く、一大ジャンルを築いていますが、いわゆる「主役」は義経ではありません。歌舞伎だけでなく、能においても義経がシテとして扱われているものは少なく、例えば「船弁慶」、「鞍馬天狗」など、ツレまたは子方として扱われるものが多いようです。

このことは義経の役に特殊なイメージがまつわりついていることを示しています。それは義経に「世の無常を知り人生のはかなさを理解でき、それを清められる男」というイメージが与えられているということです。

おごる平家を自らの手で討ち滅ぼし、栄華の果てのありさまを目のあたりにした義経。華々しい戦歴にもかかわらず、兄頼朝にうとまれ、ついに報いられることのなかった義経。戦いに生きた義経は戦いのなかで滅びていきました。世の無常、運命のはかなさを体現する男として源義経以上の人物が他にいるでしょうか。これこそが判官びいきといわれる日本的心情の根源なのです。人々は義経を愛するのではなく、義経の滅びゆく運命を愛するのです。

例えば「勧進帳」において、心ならずも主人を杖打つ破目になった弁慶の嘆きを義経はやさしく救い上げます。「熊谷陣屋」においても熊谷直実が一子小次郎を敦盛の身代わりにするという行為を義経が暖かく包み込みます。義経にその真実が理解されていればこそ、熊谷は思い残すことなく出家ができるのです。なぜなら弁慶の嘆き、熊谷の悲しみを全身で受け止め清めることができる人物は義経しかいないからです。能や歌舞伎における義経は、まさに生ける菩薩の如き存在なのです。

江戸時代における義経人気というものは現代人の想像を越えたものでした。一日の芝居のなかに一度は義経が登場しないと観客が納得しなかったというのです。

例えば「野崎村」のような義経と全く関係がない芝居でも、その中だるみの部分で竹本が「その時奥の一間より現れ出でたる義経公」と語るとゆっくりと奥から義経が登場する、と言っても義経は芝居をするわけではなく、「さしたることもなかりせば、そのまま奥にぞ入り給ふ」で奥に入ってしまうのです。それだけでも当時の観客は拍手喝采で大騒ぎであったといいます。

それはおそらく義経に清めとか慰めのような宗教的な役割が与えられていたことを意味するのでしょう。そうした江戸時代の人々の心情を理解して初めて「千本桜」の構造が見えてくるのです。


3)「千本桜」の構造

思うに狐忠信の件は「千本桜」の縦糸であり、知盛、権太の件は横糸なのです。そしてその糸で織りなされた模様こそが義経なのです。

知盛の件(渡海屋〜大物浦)、権太の件(椎の木〜小金吾討死〜鮓屋)は「千本桜」の独立したエピソードといえるから見どり上演が多いのは当然です。権太の件にいたっては義経は顔さえ出さないのだから独立した狂言という感触は一層強まります。

一方狐忠信について考えると作品に占める役割が他の二役とはやや異なることに気がつくはずです。すなわち狐忠信は初音の鼓を媒介として、つねに義経とその代理である静御前につかず離れず現れるという点です。このことは狐忠信は一見主人公然として振舞えるのも義経の存在あればこそなのであって、狐忠信は完全な意味では主人公とは言えないことを示しています。

「川連法眼館の場」は「四の切」と通称されます。これは「四段目の切場」という意味ですが、正確にはこの場は切場ではなく立端場です。つまり重さにおいては切場と変わりないのですが筋のうえでは決着がついていない場なのです。静御前が道中連れ添ってきた佐藤忠信は実は親である初音の鼓を慕って化けていた狐でした。そして狐は義経から鼓をもらって喜んで去っていくという筋はそれ自体は完結していますが、作品全体から見ればそれは脇筋にすぎないということなのです。

四段目は義経が横川覚範を能登守教経と見破り彼に安徳帝を預けることで決着がつきます。すなわち大序で義経に突きつけられた謎、壇ノ浦で討ったはずの知盛、維盛、教経の三人の首が偽首であったという謎に解答がなされるのです。これが四段目の本筋なのです。このことからも狐忠信は「四の切」の主人公であっても「千本桜」全体の主人公ではあり得ないことが分かります。

さらに「千本桜」の構造を検討していきましょう。「千本桜」は一方に肉親の因果応報に苦しみあがき、ついには滅びる知盛と権太を置き、もう一方に肉親を慕い美しい心を忘れない狐忠信を置きます。義経は幼少より肉親に離れ、兄弟に裏切られる苦しみを知っているからこそこの二極の判定者として立ち得るのです。

義経によって理想のイメージを与えられた狐忠信は義経なしでは存在しないのです。「千本桜」の主人公の名は、知盛の死を深い同情をもって見つめ、また深い哀れみをもって狐忠信に接することのできる男、義経にこそ与えられるべきだと思います。

そのようなことは、いつも通り「四の切」だけ見どりで演じられている分には観客にとってどうでもいい事なのかも知れません。しかし「千本桜」を通しで出す場合にはやはり義経こそ真の主人公であることを観客に明確に示す義務があると思います。


4)義経と初音の鼓

「千本桜」を狐忠信の線で通そうとするならば「仙洞御所」は決しておろそかにできない場です。なぜならここで狐忠信に因縁の深く、「千本桜」のライト・モティーフとなる「初音の鼓」が登場するからです。

法皇は初音の鼓を義経に与えるのですがそれは「この鼓の裏皮は義経、表皮は頼朝、鼓を打てとは頼朝を討てとの院宣」なのでした。義経はこれを拒否すれば朝敵となり・とはいえ兄頼朝を討つことは思いもよらず、結局「拝領申しても打ちさえせねば義経が身のあやまりにならぬ鼓」と言って受け取ることになるのです。

さすれば初音の鼓には人間界の醜い権力闘争が象徴されていると見てよいのです。「打ちさえせねば」などと甘い考えで鼓を受け取った義経にさっそく災いが降りかかります。義経が平家の娘を妻にしたと頼朝に責められ、そのため卿の君は自害せねばならなくなり、また義経も都落ちを余儀なくさせられるのです。

ところが人間にとっては災いの種である初音の鼓が、狐忠信にとっては懐かしい親であり暖かい愛の象徴なのでした。この初音の鼓の持つ二面性が「仙洞御所」と「川連館」で対照的に提示されなければなりません。

また「川連館」でなぜ義経が狐忠信に鼓を与えるのかも考えておかねばなりません。法皇の院宣にたいして返事を保留し鼓を受け取った義経には、おそらく心のどこかに世間一般的な成功への未練があったと思います。義経には兄頼朝を討つ野心もなかったが、兄の家来として服従していく覚悟もありませんでした。人間的なジレンマのなかで義経は苦しんでいました。

その義経が初音の鼓を狐忠信に与えたということは、義経がこうした人間的苦しみから解放されたことを意味するのです。いわばこの時、義経は世俗的な権力闘争に意識的に背を向けたのです。義経の行く手には平泉の死しかなかったでしょう。しかしそれは義経には覚悟のことであったと思います。

(H13・1・22)


 

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