昔おとこありけり〜半世紀ぶりの「競伊勢物語」
平成27年9月・歌舞伎座:「競伊勢物語」
二代目中村吉右衛門(紀有常)、六代目中村東蔵(小由)他
1)半世紀ぶりの「競伊勢物語」
今月(平成27年9月)歌舞伎座・秀山祭は歌舞伎座では昭和40年6月以来、実に半世紀ぶりの上演となる「競伊勢物語」が注目でした。(国立劇場では平成15年10月に猿之助らにより上演されています。)この「競」ですが・これは宛て字で・今回は「だてくらべ」と読み下していますが、いろんな読み方があって・吉之助などは「はでくらべ」で覚えたものでした。しかし、これは初演の時にはどうも「はなくらべ」と訓んだようです。ホントは「花競・・」と書くべきところだが、そうすると六字になってしまう。昔は 狂言名題は奇数にする約束があったので、「花」の字を取ったということのようです。そうすると「競」だけだと読み方が判然としなくなる、分からないなら何でも良いことになって、それで他にも「たけくらべ」・「あだくらべ」 ・「すがたくらべ」とかの読み方も生まれました。字が違うようですが、「翻伊勢物語(とりあえずいせものがたり)」というのもあったそうです。これなど如何にも適当っぽさが溢れていて、笑っちゃいますね。本作は初演当時なかなか評判が良くて ・特に上方では盛んに上演されたものですが、これだけ外題で色んな読み方が出るということは、要するに定本ができていないというか、まだまだ作・演出としてイメージが固まっていないということかと思います。本作が名作と云われるわりに近年の上演が少ないのは、そういうところもあるかと思います。
滅多に上演されない作品・あるいは場面というのは、いかに名作と云われようが、ひとたび舞台に掛かった時に、ある種の違和感(「こんな芝居じゃあ長く上演されなかったのも 道理であるなあ」と嘆息するというような)を感じさせることがままあるものです。まあこれはクサい匂いも頻繁に上演されれば慣れてしまって感じない、久しぶりのことだと クサさを特に強く感じてしまうというところもあると思います。「寺子屋」や「熊谷陣屋」で見る忠義には慣れてしまっている我々が、今回の「競伊勢物語」ならば豆四郎・信夫夫婦の身替り死をどう受け取るかというところで、作品への感じ方は相当変わってくると思います。そのために主人公紀有常の肚の持ち方がとても大事になります。これは昨年国立劇場の「伊賀越道中双六・岡崎」の唐木政右衛門の赤子殺しも同様です。この難しい仕事に再び取り組んでくれた吉右衛門には感謝・感謝です。舞台に掛けてみないと見えて来ないこともあるものです。(この稿つづく)
(H27・9・23)
2)「春日村」の問題点
「競伊勢物語」は技巧的な作品で筋も入り組んでいるし、脚本だけ読むと面白さが分かりにくいところがありますが、実際に舞台を見てみると歌舞伎の世界(ここでは「伊勢物語」の世界・あるいは位争いの世界)を江戸の風俗と倫理観のなかにごちゃまぜにして筋を作り上げて行く手法になかなか興味深いものを感じます。作者初代奈河亀輔にとってもこれは自信作であったと見えて、本作はもともと歌舞伎脚本として書き下ろされたものですが、作者の注文ですぐに丸本(人形浄瑠璃)として出版されました。現行の歌舞伎脚本はそちらをベースにしているわけです。
史実とはちょっと違うようですが、「競伊勢物語」 の紀有常は天皇の寵愛を受ける身分でありながら・謀反の疑いを受けて地方に流され百姓となり、その後都へ戻されますが、なお猜疑の目で見られ公家の身分から武官の列に落されます。平安の時代には武士は殺生をするという理由で、公家から見ると 穢れた身分とされていました。有常は政治の波に翻弄されて公家・百姓・武士と身分が変転する波乱万丈の生涯を送りました。そしてさらに井筒姫の首を差し出せと申し付けられて、監視の役人に付き添われて春日村の小由の家へ来ているというわけです。これが三段目・「春日村小由住居の場」(通称:はったい茶)で有常が置かれている状況です。小由夫婦はかつて有常が百姓・太郎吉として暮らしていた時の隣同士で(ただし夫六太夫はすでに亡くなっており・今は小由は娘信夫とふたりで暮らしている)、有常と小由は久しぶりの再会を喜びあって、小由は手作りの焼米のはったい茶でもてなす、この場で有常が久しぶりに太郎吉に戻って世話のくだけた会話を交わすところがまず最初の見どころになります。
史実の有常は性格は温和で心優しく・礼をわきまえた人であったようです。「競伊勢物語」 の有常も有為転変の生涯を送りながら、艱難辛苦をじっと耐え、しかもなお品格を失わない高潔な人物です。これが有常という役の大きさにつながるわけですが、そこで改めて考えたいことは豆四郎・信夫夫婦の身替り死についてです。有常がふたりの死をどう感じているか、その肚の持ち方のことです。
「春日村」の作劇のひとつの問題点は、身替りという行為が登場人物の愁嘆を引き出すための装置に過ぎず・ドラマの中核にないと見えることにあるでしょう。「家来が主人の為に命を差し出す」という忠義の論理が形骸化しており、登場人物の愁嘆を描くことにドラマの重点があるようで、身替りという行為への葛藤・懐疑があまり見えない。有常が豆四郎・信夫夫婦の死を悲しんでいるのは親として当然としても、ドラマが技巧的に過ぎて有常の悲しみの深さがよく見えない。そこが現代人が「春日村」に共感できるか・そうならないかという分かれ目になると思います。辛抱立役という役どころの核心は降りかかる災難をひたすらじっと耐えると云う点にあるのではなく、抑えつけられた内心にたぎる 怒り・憤懣や葛藤にあるのですから、どんな状況においてもなお品格を失わないというのはまあそれで的を外しているわけではないですが、それだけだと「春日村」の有常の肚の持ち方としては十分でないと吉之助には思われます。だから「春日村」のドラマをもう少し読み直す必要があると思います。(この稿つづく)(H27・9・27)
3)紀有常について
「春日村」の場で有常は十六年ほど前に信夫を手放したことについて、『母は産後に空しくなり当歳子足手まとい、これなる小由夫婦は隣同士、これ幸いと養子に遣わし、都へ上り・・』と語 っています。これに対して小由は『コレ有常様、イヤサ太郎助殿、こなたはなかなかよい口なこと云わしゃんすな。・・今の今までなしの礫。そっちの勝手が良いからと、今また連れて帰ろうとは、ようまア、云われた事じゃのう 』と反論します。この場面の小由の台詞は、実は安永4年の初演脚本ではかなり長いものでした。そこから今回(平成27年9月歌舞伎座)の上演ではよく分からなかったことが見えてきます。
小由に拠れば、太郎吉(百姓時代の有常)は小由夫婦とは壁ひとつ隔てた隣にひとりで住み、乳飲み子を抱えながら人に雇われ畑仕事をする厳しい生活でした。ある日、夫婦が壁越しに声を掛けても返事がないので変に思って行ってみると、部屋に書置きがあって、「子供を捨てて上方へ上る、くれぐれも頼む」と書いてあった。夫婦は後を追いかけて、「子供を捨てて帰るとはよくよくのことであろう、子供はわたしら夫婦が貰うから気遣いするな」と声を掛けると、太郎吉は土辺に食らいついて泣いたというのです。有常が信夫を手放した背景はそう生易しいものではなかったのです。
小由の証言から、いくつかのことが察せられます。まず信夫の母親は誰かということです。これについては有常も小由も言及がないですが、有常が都から連れて来た女ではなく、恐らく現地妻というか、名もない百姓女だったのでしょう。女は信夫を生んで間もなく死んだので すが、女が生きていたとしても妻子を都に連れ帰るわけに行かなかったと思います。もうひとつは、太郎吉が乳飲み子を置き去りにして逃げるように上方へ去ったというところに、太郎吉が子供と分かれることの辛さ・嘆きが強く感じられることです。太郎吉は心を鬼にしないと子供と分かれることができなかったのです。だから太郎吉は敢えて人でなしの汚名を着る覚悟で、子供を捨てて逃げたのです。小由夫婦が子供を貰うと言ってくれたので太郎吉は安堵すると同時に、自分のしたことの罪悪感に責められて土辺に食らいついて泣いたということです。これは、どんな時でも温和で品格を失わなかったと云う有常のイメージからかけ離れたものです。太郎吉が子供との別離にどれほど苦しんでいたか、これで分かります。16年間このことを有常は決して忘れることはなかったと思います。
それともうひとつ、地方での生活はその日暮らしの厳しいものであったとしても、太郎吉(有常)は都へ帰るのが心底嫌だったに違いありません。「都へ帰れ」という恩赦が出た以上これに抗することが出来ずに、仕方なく子供を置いて都へ帰ったのです。太郎吉にとって、都での生活は権謀術数が渦巻き・駆け引きと猜疑心が交錯する冷たい政治の世界でした。そんなところへ太郎吉は戻りたくなかったのです。事実、都に戻った有常はなお猜疑の目で見られ、公家の身分から武官の列に落され、さらに今度は井筒姫の首を差し出せと命令されて、有常はその身替りに娘信夫の首を渡そうと心に決めて、この春日村へ赴くわけです。久しぶりの娘との再会が、娘の首を斬る時です。都での約16年の生活とは一体何であったのかというのが、有常の気持ちではなかったでしょうか。
「春日村」を見ると、幕切れにおいて娘を身替りにした有常の父親としての気持ちが十分に描かれていないと不満に思う方は少なくないでしょう。例えば「寺子屋」の松王のように、「陣屋」の熊谷のように、有常の嘆きの場面をもっと描き込んでいれば・・ということは、誰でも感じると思います。しかし、上述の小由の証言からすると、身替りになって死んだ娘夫婦の首を抱えた有常の気持ちは、それこそ土辺に食らいついて泣きたい気分だったはずです。そのような感情をぐっと抑え込んでなお品格を失わないところに有常という人間の大きさがあるということです。(この稿つづく)
(H27・10・1)
4)どうして「伊勢物語」なのか
ところで「春日村」はどうして「伊勢物語」なのでしょうか。在原業平や紀有常(いずれも「伊勢物語」中の人物)が出て来るから「伊勢物語」なのでしょうか。信夫(「しのぶもじずり」・・初段)・豆四郎(「かのまめ男」・・二段)あるいは井戸(「筒井筒」・・二十三段、今回の上演では井戸が出て来ませんが、「春日村」では本来井戸に重要な役割があります)が出てくるから「伊勢物語」なのでしょうか。しかし、吉之助が思うにはそういうものはみな符号に過ぎないのであって、「春日村」が深層的あるいは精神的に「伊勢物語」と呼応するところが見えないのならば、「春日村」を「伊勢物語」だとするわけに行かないのです。
「春日村」は歌舞伎の身替り物、封建主義の忠義の思想が芯にあるものです。これは一見すると「伊勢物語」の世界から大きくかけ離れたドラマです。ですから改めて問いますが、どうして「春日村」が「伊勢物語」になるのでしょうか。そのためには和歌の本歌取りのことを考えて見なければなりません。「春日村」とは江戸期のかぶき的感性による「伊勢物語」の本歌取り なのですから、「伊勢物語」の思想なり風情なりを何か取っ掛かりにして展開を付けているに違いないのです。「伊勢物語」、あるいはこれを基に世阿弥が書いたとされる謡曲「井筒」はどちらもあまりにも有名ですから優れた論考もとても多いのですが、本稿ではそれらと関係なく吉之助のかぶき的感性で考えてみたいと思います。「伊勢物語」は「昔、男ありけり・・」で始まる短い物語の連続です。この「男」には在原業平がイメージされており男の一代記のようにも読まれますが、別に男は誰であっても良い・男というのはそんなものだと思えば良いのです。「二十三段・筒井筒」は幼馴染の男女が成人して夫婦になるが、やがて男には別の女が出来て、しかし男は女の心を知ってまだ戻ってくるという物語です。井筒の女は幼女の時から男をずっと変わらず慕い続けています。だから井筒の女には実があり、男は女 の心を愛おしいと思います。一方、ライバルとして高安の女が登場します。高安の女は結局男と疎遠になりますが、別に高安の女に非があるわけでもないのです。高安の女も男を変わらず慕い続けており、実があると云えます。つまり女には実がありますが、男の方に実がないのです。
注釈を付けると、「実がない」というのは不誠実だとか・真実でないということではありません。その時々の心情としては誠実であり真実なのです。しかし、それは一時だけのことで、移り気で一定することがない。だから後の時点から見れば不実と見えますが、むしろ時を経るにつれて否応なく心情が変化してしまう、その男の心移りの止むに止まれぬところに「あはれ」があると云うべきなのです。これは多分「筒井筒」の本来あるべき読み方でないと思いますが、これが江戸的な感性による「筒井筒」の読み方です。江戸という時代の、アンバランスで・どこか満たされない心情(つまりかぶき的心情ということですが)をそこに重ねれば、そのように読めるのです。一方、謡曲「井筒」では 帰らぬ夫を待ち続けた女の霊が、幼い頃に夫と遊んだ思い出の井戸のことを語り、夫の形見の衣装を身にまとい、夫への思いを募らせながら舞を舞います。秋の風情と女の慕情が重なり、世阿弥が「申楽談義」のなかで「上花也」としたほどの自信作です。前シテ は自らの妄執を語りひたすらに仏の救いを求めます。ここでの井筒の女は思い出を忘れず夫をじっと待ち続ける「伊勢物語」の貞女のイメージとはちょっと違います。「井筒」では女の霊の心変わりする夫 の実のなさに対する恨めしさと嫉妬の感情と、夫への思慕が入り乱れて苦しむ様が描かれます。そこに世阿弥の室町期的感性が光るわけで、そこに「井筒」の本歌取りのポイントがあるのですが、さらにとても興味深く思われる箇所が、後シテが夫の形見の衣裳を身にまとい・つまり男装して、それが女としての自分であるのか、恋する男であるのか、自分でも分からなくなってしまう場面です。
『さながら見見えし、昔男の、冠直衣は女とも見えず、男なりけり、業平の面影、見ればなつかしや、われながらなつかしや』(謡曲「井筒」)
ここには恋する男と一体化しようとする女の心情の倒錯状態が見られます。そうなることで女の一生が幼い頃に夫と遊んだ思い出のなかに溶け込んで行きます。この場面は世阿弥が江戸のバロック的感性を先取りしているかのようにも思われ、まことに凄いと思います。
「伊勢物語」と・これを本歌取りした謡曲「井筒」を、江戸的感性で改めて読めばそこに共通して浮かび上がってくるのは、「昔、男ありけり・・」というキーワードです。それは「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」という思い出に発し、すべての思いはいつもその思い出に戻ろうとするのですが、決してそれは実現されることはなく、思いは常に裏切られ、夢のなかでしか果たされないということなのです。(この稿つづく)
(H27・10・4)
5)有常の決意とは
昔、太郎吉(有常)という男がありました。太郎吉は故あって乳呑み児の娘を置いて都へ帰らなければなりませんでしたが、娘のことを片時も忘れることはありませんでした。しかし、十六年という歳月は太郎吉の状況をすっかり変えてしまいました。太郎吉は或る決意を以て娘のもとへ赴かねばならなかったのです。その決意とは・・・というのが「春日村」のドラマ だということです。
ここで大事なことは、有常を取り巻く朝廷の「位争い」の醜い政治状況は有常に理不尽かつ非情な行動を迫り、彼はそれを職務として貫徹せねばなりませんが、彼は昔のこと(幼くして別れた娘のこと、小由夫婦との人情溢れる心の交流)を決して忘れたことはなく、彼の心の故郷はいつもそこ(過去)にあったということです。これが有常にとっての実です。はったい茶の挿話はそのような実の、束の間の瞬間を表すものです。しかし、16年の歳月は否応なく彼の外面を変えてしまって、久しぶりに娘(信夫)・小由と再会しても、彼はもはやまったく同じ彼ではありません。彼はもはや再びあの時に戻ることは出来ません。彼が故郷に戻りたくても、現在の非情な状況によって彼の思いは潰されて実現されることはなく、それは夢のなかでしか果たされません。故郷には実があるけれど有常に実はない、と外見にはそのように見えますが、もちろん有常は実をしっかり持っています。しかし、その悲しみを内に秘めながら有常は凛と立つのです。ここにおいて「伊勢物語・筒井筒」の挿話が「春日村」と重なることになります。だから「春日村」が「伊勢物語」になるのです。「春日村」は謡曲「井筒」を踏まえた上での、江戸的な感性による「伊勢物語」の本歌取りです。「春日村」は分類すれば身替り物ということになります。有常がどうしても娘信夫を殺さなければならない状況は詳しく描き込まれています。信夫が身替りする井筒姫は有常の養女ですが、井筒姫は実は天皇の御胤、つまり「熊谷陣屋」の敦盛と同様な事情が設定されています。有常は井筒姫を守らねばなりません。一方、娘信夫の方には身替りにならなかったとしても別の理由で死なねばならぬ状況が設定されています。信夫は夫豆四郎のために 禁断の池に入ってそこに沈んでいた神器の鏡を取り戻しますが、その罪のため簀巻きにして池に沈められなければなりません。16年の歳月のなかで父有常の状況も変わったけれども、娘信夫の状況も変わってしまっています。豆四郎にとって業平は恩義ある人ですから、豆四郎・信夫夫婦は業平・井筒姫の身替りとなることにもとより異存はない。このようにして作者は忠義を芝居のプロットとしてしまいました。
「春日村」の作劇のひとつの問題は身替りという行為が登場人物の愁嘆を引き出すための装置に過ぎず、身替りという行為への葛藤がよく見えないことだと思いますが、恐らく作者(初代奈河亀輔) がそこにドラマの重きを置いていないのです。有常が娘を身替りにしなくても、どのみち信夫は死ななければならないわけで、どうせ同じ死ぬならばお役に立った方が良いという程度にしか忠義に重さが持たされていないように見えます。そこに「春日村」の問題があるかも知れませんが、娘を身替りに殺す有常の葛藤・苦しみは父親として当然のこととして、作者が本当に描きたかったことは有常の16年の歳月、その時間の流れのなかで否応なく様相を変えてしまう状況の重さということなのです。そこから万象は常ならずという「もののあはれ」の感情が醸し出されます。(この稿つづく)
(H27・10・10)
6)「春日村」の幕切れ
「春日村」のクライマックスは、信夫が琴を弾き・これが娘との最後の別れと知らない小由が衝立のかげで琴に合わせて砧を打つ、琴歌が終わると同時に有常が信夫の首をはねるという 箇所です。 音曲が感情を高める歌舞伎らしい趣向を凝らした場面です。この場面は実は安永4年の初演脚本では信夫が三味線を弾き・小由が琴を弾く形式になっていました。この場面は、その後、丸本に書き換えられた時に信夫と小由の琴を連弾きに替わり、歌舞伎でもその形式でしばらく上演がされていましたが、いつ頃からか歌舞伎では信夫が琴を弾き・小由が砧を打つように替わったということです。小由が砧を打つのは、音曲の嗜みのない田舎の婆さんが娘 が都へ上る晴れの日のために・有り合わせの砧を手に持って信夫の琴に合わせようとする、小由の情愛と哀れさがにじみ出る歌舞伎の優れた工夫であるなあと思います。 この哀れさがあるから、後に娘が殺された時、小由が「ヤッこりゃなんで殺したのじゃ、これが何で立身出世、元のようにして返しゃ」と有常に必死で挑みかかる哀れがが効いてきます。今回(平成27年9月歌舞伎座)の上演の東蔵はよく頑張ってましたね。貴重な婆役だと思います。
吉右衛門の有常は小由とはったい茶を飲む前半がなかなか良いと思いますが、後半に信夫の首を斬って小由に挑みかかる肝心の場面が涙もろい感じでいまひとつです。しかし、これは台本のせいが大きいようです。今回上演のように、有常が泣きながら平伏して「尤もじゃ、道理じゃ、いつわりし段々真っ平御免下されかし。二人の最後は得心のお身替り。これもすなわち天下のためでござるぞ」と言うのでは、どうも柔い。ここは「オオその恨みはもっとも至極。ふたりが最後も得心の上、井筒姫業平のお身替り。これぞ即ち四海のためでござるぞ」(*)と有常が 強い口調で言う方がはるかに良い。土辺に食らいついて泣きたい気分をぐっと抑え込んで「これぞ即ち四海のため」と毅然として言い切るところに有常という人間の大きさがあるのです。それでこそ「春日村」の時代物の風格が出る。「春日村」はいくつか台本を参照してもいろんな箇所が微妙に違いますが、きちんとした定本が出来ないと作品や役のイメージも固まって来ませんね。ともあれこういうことも実際にやってみないと分からぬことですから、吉右衛門には感謝感謝なのですが。
*「競伊勢物語」上演台本・歌舞伎学会・現行レパートリーを考える会編による(歌舞伎 研究と批評〈31〉に所収)
幕切れに信夫・豆四郎を演じる役者が井筒姫・業平の姿に替わって登場するのは、初演の時もたいへん評判になったそうです。これは無残に死ぬ役を演じた役者が幕切れに綺麗な役で再登場する歌舞伎のお約束に乗っ取っているわけですが、何だか芝居が古(いにしえ)の「伊勢物語」の世界に還ったような気分にさせられますねえ。或いはギリシア神話の最後で「・・そして主人公は天に昇って星座になりました」とでもいうような。
(H27・10・27)
名作歌舞伎全集〈第5巻〉丸本時代物集(「競伊勢物語」所収)