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引き裂かれた状況

〜「伽羅先代萩・御殿」


1)純粋無垢な存在

歌舞伎では身替り・子別れなど子役が活躍する芝居が多くあります。例えば主人の身替りになって死んだ「寺子屋」の小太郎です。小太郎 は父親(松王)の気持ちを思いやり・自らのアイデンティティーを守るために父親とともに戦う意志を以て身替りに赴いた ものと吉之助は思っています。源蔵が「若君菅秀才の御身代りと言ひ聞かすと小太郎は潔く首差しのべ「ニッコリ」と笑ったというのは小太郎の覚悟の程を示しているのです 。しかし、そういった理屈は抜きにしても「寺子屋」の幕切れの感動・観客を泣かせる要素というのは「子供は純粋無垢なもので・それが親の言うことを信じて健気にも親の代わりに死んでいった」というところにあるのは間違いないようです。

話が変わりますが、少し前のことですが、アメリカに駐在した日本の商社マンの奥さんが現地になじめないのと・育児疲れで、子供を道連れに自殺を図ったという悲しい事件がありました。「子供を道連れに 自殺する」という・この事件は欧米人には大変にショックだったそうです。日本人の心理では「親だけが死んだら・残った子供は可哀相だ・一人ぼっちで路頭に迷うかも知れない・だから 子供と一緒に死ぬ」ということになるのです。しかし、欧米人ならば「親と子供は別人格である・子供には生きる権利がある・子供は親の所有物ではない・親の都合で子供を殺すのは許せない」となるのです。

「子供は親の所有物である」というのはもちろん正しいとは思いません。しかし、日本人の子供の概念には「子供の人格は発達途上であり・純粋無垢であり・その段階においては子供は親によって保護されねばならない」というようなところも確かにあるように思われます。子役が活躍する歌舞伎作品は、そういう日本人の親の心情を巧みに突くようにできているのです。だからこそ、身替り・子別れが「泣かせる芝居」として人気狂言になるので しょう。

そうした子役の活躍するお芝居のなかでも・「伽羅先代萩」の乳母政岡と千松の物語は、 ひときわ強烈かつ・重い印象を観客に与えるものです。 どうしてかと言えば、千松がただ「主人の窮地を救うために殺された」ということだけではなくて、その前の飯焚きの場面において・お腹が減っても食べさせてもらえないで( 幼君・鶴喜代も同様ですが)忠義という大義のもとで「たっぷりと苦しめられる」という・その過程をじっくり描いている、そのことにあるようです。「飯焚き」での有名な千松の台詞を見てみま す。

「コレ母様、侍の子といふものは、ひもじい目をするが忠義ぢや、また食べる時には毒でも何とも思はず、お主のためには喰ふものぢやと言はしやつた故に、わしや何とも云はずに待つている。その代り、忠義をしてしまふたら早う飯を喰はしてや。それまでは明日までもいつまでも、かうきつと座つて、お膝に手をついて待つてをります。お腹がすいても、ひもじうない、何ともない」

これは千松自身がそう信じて言っている台詞であると本来は取るべきですが、母親・政岡に言わされている(思い込まされている)台詞であると見ることもできます。もちろん、我が子にそんなことを言わさねばならない母親の悲しい気持ちを思いやらねばなりませんが、子供は 「純粋無垢な存在」であるから・なおさら母親の悲しみが際立つわけです。

千松が殺された後、ひとり残った大広間で政岡は我が子の死骸を抱きしめて最初は「コレ千松、よう死んでくれた、出かしたナ、其方の命は出羽奥州五十四郡の一家中、所存の臍を固めさす誠に国の礎ぞや。」と言うのですが、しかし、「・・・・とは言ふものの可愛やなア」から次第に政岡から 別の言葉が漏れ始めます。「三千世界に子を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食べなと云ふて呵るのに、毒と見へたら試みて死んでくれいと云ふ様な胴欲非道な母親が又と一人あるものか。武士の胤に生れたは果報か因果かいじらしや、死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」となるわけです。ここが観客の泣かせ所であります。

ここでちょっと極論的なことを考えてみたいと思います。歌舞伎ではこの有名な政岡のクドキで・役者が義太夫の三味線の糸に乗って・リズムに乗って踊り出す、それが「非常に面白い」ということが起きるのです。例えばかつての七代目宗十郎や三代目時蔵の演じる政岡は、そういう政岡であったようです。「所存の臍を固めさす誠に国の礎ぞや」で両手を開いて上を見上げる、その仕草がちょっとバンザイをしているようで・まるで我が子が死んだのが誇らしいか・嬉しくてならないような感じでもあって、「三千世界に子を持つた親の心は皆一つ・・」では「私は可愛いわが子を失ってしまったんです・私は悲劇の母親なんです」と悲しみを観客に華麗に訴える、そうした古風で派手な演技を見せたものでした。そういう箇所で客席がワッと湧くのです。

もちろんこの場面での政岡は子を失った悲しみを表現しているのですが、同時に政岡の心理のなかに・どこかにマゾヒスティックな被虐の喜びが潜んでいるようにも感じられるのです。これは政岡に対して少々意地悪い見方であるかも知れません。しかし、それは 確かに 幼君の乳母であり母親でもある・政岡という女性の「引き裂かれた状況」を象徴しているのかも知れません。


2)引き裂かれた状況

「飯炊き」は役者にとって持ちこたえるのが難儀な場ではありますが、やはりこの場はなくてはなりません。まずはこの場で、政岡と千松親子が直面している状況がはっきりと示されねばなりません。幼君・鶴喜代のお傍にある限りは、政岡は千松の母親であっても・母親ではないのです。また千松も政岡の息子であっても・息子ではないのです。ふたりはこのことを自覚して動いております。

「コレ母様、侍の子といふものは、ひもじい目をするが忠義ぢや、また食べる時には毒でも何とも思はず、お主のためには喰ふものぢやと言はしやつた故に、わしや何とも云はずに待つている。その代り、忠義をしてしまふたら早う飯を喰はしてや。」

「忠義をしてしまふたら早う飯を喰はしてや」とは辛い言葉です。「忠義」をしてしまったら・その時にはもう千松の命はないのです。ここでの「忠義」というのは死ぬことなのです。千松にはそういうことがまだよく分かってい ません。(あるいは母親からそう思い込まされているのかも知れません。)しかも、その忠義をする時がいつ来るかが分からないのです。ということは、こういうひもじい目をするのが・際限なく続くということです。そういう状況に政岡は我が子を置いているわけです。

別稿「曽我狂言のやつしと予祝性」において、「いつかは分からないが・いつかは時節が来るであろう・その時こそは大願成就の時である・その時を思えば今の苦しいことも耐えられる・ならば目出度い」という心理こそが、行方の知れない仇を追い求める討っ手に艱難辛苦を耐えさせるということを考察しました。もちろん「先代萩」は仇討ち狂言ではありませんが、政岡・千松の親子の忠義はそうした「予祝性」を連想させます。

自分たちの周囲が敵か味方か分からない。いつ若君に暗殺の謀略が降り掛かるかが分からない。その謀略を自分が楯(身替り)になって・未然に防ぐのが千松の役目で、それが千松の「忠義」です。「忠義」を果たせば・天晴れじゃと褒められる。千松は、いつ来るか分からない・その時をひたすら待って・ひもじさに耐えなかればならないのです。千松を耐えさせているのは、そこに予祝性があるからです。(もちろんその時は千松の命はないのですが、そのことはあえて無視されているのです。いや、正確に言えば「そういうことは考えたくない」ということです。)この状況は政岡も同様であって、可愛いわが子にそのような辛い目を強いていることで・政岡は同様に苦しんでいます。

とすれば、政岡・千松親子の「予祝性」にはふたつの意味があると考えられるのです。ひとつはその忠義がなされれば、天晴れ・忠義の鑑じゃと満天下から賞賛されるということです。これは 世間常識からみて当然のことですが、もうひとつ重要な意味があると思われるのです。そして、これこそが「先代萩」の真の主題かも知れません。それは忠義がなされた暁に政岡・千松 親子は晴れて普通の母子の関係に戻ることが出来る・この辛い・果てしない苦しみから解放されるのだということです。何度も言いますが・その時は千松が死ぬ時なのですが、それでもなおかつ目出度い。それほどにこの苦しみが辛いのです。

政岡は千松の死骸を抱きしめて、「コレ千松、よう死んでくれた、出かしたナ、其方の命は出羽奥州五十四郡の一家中、所存の臍を固めさす誠に国の礎ぞや。」と言います。「・・・・とは言ふものの可愛やなア」から次第に政岡から別の言葉が漏れ始めます。「三千世界に子を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食べなと云ふて呵るのに、毒と見へたら試みて死んでくれいと云ふ様な胴欲非道な母親が又と一人あるものか。武士の胤に生れたは果報か因果かいじらしや、死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」となるのです。

それでは前半の「よう死んでくれた、出かしたナ」は乳母政岡が語る建前の言葉で・後半の「死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」は母親政岡の本音の言葉 ということになるのでしょうか。前半の封建主義の非人間的な建前の台詞を・やがて人間の肉声が否定し去っていくのだと考えてよろしいのでしょうか。

それも解釈としてあり得ると思います。それが「先代萩」の一般的な解釈でしょう。しかし、本稿ではそのどちらもが政岡の本音であると考えてみたいと思います。「よう死んでくれた、出かしたナ」も、「死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」 も、そのどちらもが政岡の本音なのです。政岡の心のなかに・どちらの思いも が錯綜するのです。そのどちらもが政岡親子の「予祝性」の実現であるからです。その錯綜した心理状態に政岡の幼君の乳母であり母親でもある・政岡という女性の「引き裂かれた状況」が現れているのです。


3)政岡の至福

八汐に千松が刺殺された時の政岡の反応を考えてみます。政岡の表情を観察していた栄御前は政岡にすり寄り、「年ごろ仕込みし其方の願望、成就してさぞ喜び」と言います。政岡が驚くと、「もしやと思ひ最前から窺ふて見る処、血縁の子の苦しみを何ぼ気強い親々でも、耐へられるものぢやない。若殿にしておく我子が大事、其方の顔色変らぬは取替子に相違はない、スリヤ皆心は同腹中、刑部殿とも内談しめ諸事わが夫の差図あらん、まづ今日は立帰り病気の様子申上げん、必ず何事も人に悟られまいぞや」と栄御前は謀(はかりごと)を政岡に明かしてしまうのです。

これは政岡が取替え子したと一人合点した栄御前が浅はかであったということですが、もう少し深く考えてみたいと思います。「もしやと思ひ最前から窺ふて見る処・・」と言っているように、千松が殺される時の政岡の表情の変化を栄御前は注意深く・あるいは疑い深く観察していたはずです。その栄御前が政岡が自分の子供を若君と取替え子したに違いないと思ったのです。それには何かそう思わせるような根拠があったのではないでしょうか。

栄御前は「血縁の子の苦しみを何ぼ気強い親々でも、耐へられるものぢやない。若殿にしておく我子が大事、其方の顔色変らぬは取替子に相違はない」と言っています。八汐に千松が刺殺された時、政岡は無表情であったのでしょうか。息子が殺される悲嘆・怒りの感情を政岡は押し殺し・ひたすら耐えたであろうと、そう考えるのが普通であろうと思いますが、そうすると栄御前が 「取替子に相違はない」と判断するのにはちょっと飛躍があるようです。栄御前を早合点させる積極的な根拠が何かあったように思われます。栄御前は政岡の表情のなかに尋常ならざるものを見て取ったに違いないのです。

吉之助は政岡がその瞬間に歓喜の表情をフッと微かに浮かべたのではないかと想像するのです。台本にはそんなことは書いてありません 。しかし、そうでなければ、子供が殺される瞬間の政岡の表情が栄御前に「取替子に相違はない」と確信させるまでには至らないと思うのです。

それではどうして政岡は歓喜の表情を浮べたのでしょうか。それは「待っていたその時がついに来た・忠義の時が来た」という喜びだろうと思います。それは「予祝性」がまさに実現される瞬間です。待っていた忠義の瞬間・母子が普通の関係にやっと戻れる瞬間・いつ果てるとも知れなかった苦しみから開放される瞬間です。それは可愛い我が子が死ぬ瞬間でもあるのですが。その時に思わず喜びとも・悲しみとも区別がつかないような感情で政岡の身体がゾクゾクと震えるのです。その表情を栄御前は見て取って「取替子に相違はない」と決め込んだのです。そこに政岡という女性の「引き裂かれた状況」があるのです。

それは異常な緊張状態に長く置かれた政岡の精神が、その「予祝性」の実現に至ってプツンとはじけて、ある種の錯乱・恍惚状態を引き起こしたとも考えられましょう。 「よう死んでくれた、出かしたナ」と、「死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」 という、そのふたつの思いが政岡の心のなかに爆発的に湧き上がり・錯綜するのです。そのどちらもが政岡の思いなのです。

千松の死骸を前にして政岡が「三千世界に子を持った・・」で両手を開いて上を見上げる、そのキッパリと決まった仕草がバンザイをしているようでもあって・まるで我が子が死んだのが誇らしいのか・嬉しくてならないような感じでもあったという・七代目宗十郎や三代目時蔵の政岡は、今ではあまり見られない昔の役者気質丸出しの演技の代表例のように言われます。現代人からみれば、いささか時代遅れで邪道な解釈に見えるかも知れません。しかし、実はそうではないのかも知れません。「先代萩」の作者は政岡の心理プロセスを芝居のなかで綿密に段取りしているように思えるのです。その段取りは政岡の引き裂かれた状況と・そこから来る自虐的な深層心理を見事に抉り出していると思わざるを得ません。

「先代萩」の後日談として・小芝居に「老後の政岡」という芝居があるのをご存知でしょうか。もうおばあさんになった政岡がお暇をもらって故郷に帰ることになり、殿様にご挨拶に上がります。殿様は伊達綱村公、つまり、あの時の鶴喜代君の成長した姿です。綱村は、政岡に「千松に会っていけ」と言って千松の位牌を持ってきます。位牌を前にして政岡の回想となり、あの有名なサワリになった後、綱村は「そちが昔よく歌ってくれた歌を歌ってくれ」と所望します。そこで政岡は「一羽の雀の言うことにゃ ・・」と歌い、綱村も童心に返って一緒に歌を歌うというお芝居です。観客・とくにご婦人方の涙腺を刺激するように・なかなか良く出来たお芝居であります。

「 忠義」のその後の政岡を想像してみたいと思います。果てしない苦しみから解放されて・やっと千松と普通の親子の関係になれたと思った時には、もう千松はいない。ご飯を欲しいだけ お腹いっぱい食べさせてあげようと思っても、もう千松はいない。しかし、「忠義の予祝性」をあれほど待ち続けた時には思ってもいなかったものが見えてくるのです。政岡の心のなかで千松は八歳の 姿のままで生き続けています。政岡の心のなかで時間は止まってしまったのです。もしかしたら、これが政岡の「至福」であったのでしょうか。いや、これが至福でないならば観客の我々は救われないのではありませんか。

(後記)

歌舞伎の雑談:「政岡の引き裂かれた状況」、写真館「宿命の母子」・写真館「七代目宗十郎の舞台」もご参考にしてください。

(H16・5・9)



  

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