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「合邦庵室」の劇的構造

〜「摂州合邦辻」


1)演劇の「局面性」

歌舞伎研究の権威・郡司正勝先生が中国へ行って、中国の古い演劇をいろいろ調べているうちに、こんなことを考えたと語っておられます。

「本質的には大体同じだということが分かったのね。構成というか、世界構造が。それはつまり歌舞伎と同じように、部分をつないでいくものですよ、向こうは。ストーリーが出来てから上演するのではなくて、上演しているうちに、部分と部分を組み合わせて作るものだということ、それは中国へ行って気を強くしたの。あっ、ここにはまだ残っている姿があると。」(郡司正勝インタビュー「刪定集と郡司学」:「歌舞伎・研究と批評」第11号・1993年)

これは演劇の原初形態というものを考えさせます。これは学生時代の学芸会の芝居などの経験からも思いますが、恐らく演劇というものは最初は脚本などというものはなくて、簡単な打ち合わせでアドリブで進めるような寸劇(コント)的なものであったのです。当然ながら芝居はごく短いものであったろうと思います。それがやがて 配役も増えて、寸劇がいくつも繋がる形で複雑な筋を形成していきます。しかし、そのようにして出来上がった芝居は、もともとバラバラのものをブロック的に積み上げたような構成になっています。もちろん中心となるものはあるわけですが、すべての局面が必ずしも有機的に関連しあうわけではなく、そのなかに断層や矛盾を孕んでいることもあり得るのです。

演劇・音楽など時間芸術の場合は、作品のなかに断層や矛盾があるからと言ってその作品の出来が悪いということには必ずしもなりません。局面・局面が面白ければ、それはそれで「慰み」にはなるわけですし、その局面の集合体の織り成す印象が人に感動を呼び起こすものならばそれは名作と言えると思います。時にはある部分だけが異常に肥大した芝居もあり得ます。それでも見るに耐えるのはその役者の「芸の力」という ことももちろんありますが、演劇というものが本来的に持つ「局面性」というものに拠るのです。

これは歌舞伎に特有な現象ということではなくて、どの国の演劇でもその原初形態においては持っているものだろうと思います。いつ頃までそういう形態を引きずっているかということの違いだけだと思います。京劇においても、かつて名優・梅蘭芳(メイ・ランファン)は「貴妃酔酒」などで楊貴妃が酒を飲むシーンだけで一時間以上もたせたそうですが、今は筋を通すことが優先で、こういう芸を見ることは京劇でもなかなか出来なくなっているそうです。これは歌舞伎でも同じです。あの歌右衛門の長い・ながーいお岩の「髪梳き」 ・あるいは「尾上の引っ込み」を、今の役者がやることはもはや許されないことかも知れません。

「昔の腹切りはもっともっと長かった。たとえば権太が腹を切るのは今は簡略過ぎますよ。合邦のお辻も同じこと。梅玉(三代目・・・玉手を得意とした名女形)なんてのは、胸を突いて息を引き取るまでが長いんですよ。そのためにストーリーが前に付いているという感じですよ。モドリになってからが長い。戯曲の構成というものはそれが眼目であったなということが分かるんです。中国に行ってきて、改めて気がついた。昔はそうだったなあ、ということが。今はストーリーを通すために満遍なく平均して筋がならされていくわけですね。だから演出が変わってくる。そうするとかえって矛盾が目立ってくるんです。」(同掲書)

このことは「義経千本桜・鮓屋」において権太がどの時点で改心するのかを考えた時にも触れました。(別稿「モドリ」の構造」をご参照ください。)劇の最後で権太が死の直前に本心を告白するモドリの場面を考えると、ここで権太はこういう心理の揺れを見せなければならない・ここでちょっと本心を匂わせなければならないなどと考えていると逆に芝居の局面・局面がなんだか小さくなっていくのです。

これは「そう言えばあの時が変わり目だったのか」と観客があとで芝居を巻き戻してみれば済むことなので、やはり局面はその局面なりの位置をめいっぱい主張し ないと芝居は面白くなりません。それによって芝居は本来の間尺に合ってくるということなのです。しかし、これが今の役者にはなかなか難しいらしいのです。良くも悪くも心理主義的で、一貫した人物造形の考え方に慣らされていることもあります。また見る方も同じで、局面優先の芝居はなかなか受け入れないせいでもあります。

あそこで権太が鮓桶を間違えなければこの悲劇はなかったのかとか、自分の妻子を売ってあんなに平然としていられるはずはないとか、腹を切ってからあんなに長くしゃべっていられるはずがないとか考えればいろいろ疑問は出てくるものですが、そうしたところで筋は逆に平坦になってくのでしょう。不思議なことですが、古老の話を聞くと間違いなく昔の芝居の方がテンポが早くて上演時間は今より短かったようです。目いっぱい腹切りを引っ張っても今の芝居より時間が短い。ということは他の部分のテンポが早かったということで す。場面・場面のテンポのメリハリがついていたということだと思います。


2)モドリの構造

前置きが長くなりました。本稿では「合邦庵室」の構造を考えます。郡司先生のおっしゃる通り、「合邦庵室」においては玉手御前が胸を父親に刺されてその本心を吐露するところが眼目なのです。そして、その告白の段取りのために前に「玉手御前の恋狂い」などのストーリーが付いているというのがこの作品の基本構造なのです。モドリを効果的にするには、その「狂い」の場面において玉手御前は道ならぬ恋の情熱・不道徳の香りを目いっぱい発散させねばなりません。その意味において玉手御前の恋はまさに「真」に迫っていなければなりません。

しかし現代人というのはどうしても、「玉手御前の恋が真実であるならばそのモドリの場面において玉手御前は俊徳丸への愛をどこかに匂わせて死なねばならない」、あるいは「玉手御前の恋が偽ならばその狂いの場面においてどこかに罪の意識が見えねばならない」などと考え始めます 。すると「狂い」と「モドリ」のどちらの場面でも局面性が際立たなくなってきます。「玉手の恋は真か・偽か」ということは別にしても、このように一貫した劇構造を求めようとすると、却って局面の矛盾があちこちに目立ってきて玉手御前の人物像がうまく定まらずに混乱してしまうことにな るわけです。

「庵室」においては「モドリ」を眼目にしており、その段取りとしての・局面としての「狂い」が前に置かれていると考えるべきです。また端場としての「万代池」で合邦道心が道化て踊る祭文踊りも「庵室」での合邦道心の重い人物像とかけ離れているという指摘がよくされますが、 それは作品自体の弱さということではなくて、軽い感じの合邦道心の人物もそこに端場たる「万代池」の位置付けがまずあってそれに応じた重さが与えられていると考えるべきと思います。

局面から作品を読もうとする場合には、時々作品から距離を置いてみて全体を見渡すことをして、そしてまた局面に戻るようにしませんと、「木を見て森をみない」ことになってしまいます。 と言って・森ばかり見ていると木は見えてこない。そういう意味で「合邦」という芝居はなかなか難物の芝居であります。


3)「庵室」における二つのカット

「摂州合邦辻」というのは浄瑠璃でも全盛期を過ぎた頃の作品でありますし、作品のなかに同じ説経オリジンとはいえ「しんとく丸」と「愛護の若」という異なる題材を無理やり詰め込むところに 若干作者の力量の問題があったりしますが、それでも作品を読んでいくと作者はやはり作者なりによく考えて書いていると思います。実は「庵室」は歌舞伎や文楽で現在見られる舞台では最後の場面で若干のカットがされていて、原作(丸本)とは趣がすこし異なっています。 しかも、このカットされた部分に重要な意味を作者が与えているのです。

それはまず、玉手御前の母親が「寅の年寅の月寅の日寅の刻」というひょんな月に産まれた娘の不運を嘆くあとにある玉手御前の台詞です。「手負いは顔を振り上げて 、かねて覚悟の今の最後、未練に嘆いてくださるほど、結句私が身の迷い、この様子をわが夫、つぶさに頼むは俊徳さま・・・」となり、不義の言い訳が立ったことの喜び・次郎丸の命を助けて欲しいとの願い・そして腰元の賤しい我が身がお主のために命を捨てるのは武家に仕える者の誉れであると言って、これを夫・高安左衛門 通俊に伝えるように俊徳丸に伝言を頼みます。この台詞により玉手御前の覚悟がはっきりと示されて、モドリの意味がさらに重いものになっていることが理解されると思います。

さらに普通の「庵室」は「仏法最初の天王寺、西門通り一筋に、玉手の水や、合邦が辻と、古跡をとどめけり」で締められていますが、丸本ではこのあとに主税之助に連れられて次郎丸が縛られて登場し、玉手御前の遺言通りに命を助けられる件があります。そして「治まる御威勢高安の、俊徳丸の物語、書き伝えたる筆の跡、千歳の春こそめでたけれ」で 下の巻全体が締められます。

玉手御前が不義の汚名を着て・命を捨てたのは、お家騒動のなかで義理の息子・俊徳丸を助けるためだけではなかったことを忘れてはなりません。もうひとりの妾腹の息子・次郎丸を守ることも玉手御前の 強い願いであったということです。次郎丸が助けられなければ、玉手御前の死は無駄になってしまうのです。果たして遺言通りに次郎丸は助けられて大団円となります。

「主人公の玉手御前が死んだあとの長々しい芝居は不要だよ」というのがこの部分のカットの理由でありましょう。しかし、局面性の芝居においてはその考えは通用しません。この大団円によって こそ玉手御前の奇跡は完成するのではないでしょうか。これで安心して玉手御前は成仏できるのではないでしょうか。そのために蛇足に見えるこの「局面」が必要になるのです。

これら最後の場面での二箇所のカットを読むと、「庵室」で引っ掛かっていた部分がすんなりと納得できるような気がします。そしてこれならこの芝居が本来あるべき間尺に納まるということを感じます。「作者は作品をいい加減な態度では決して書いていない」ということを改めて感じます。

(後記)

別稿「女武道としての玉手御前〜菊之助初役の玉手御前」もご参考にしてください。

*折口信夫:「玉手御前の恋」(折口信夫全集 第18巻 藝能史篇2 (中公文庫 )に収録。)

(H14・8・18)



 

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