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「モドリ」の構造

〜「義経千本桜・鮓屋」


1)どこで権太は改心したのか

「鮓屋」は人気狂言でたびたび上演されるにもかかわらず権太の悲劇が十分に理解されていないと感じます。その原因の一端は「義経千本桜」の本筋と脇筋との関連をごっちゃに考えているからだということは別稿「放蕩息子の死」によって論じました。もうひとつは、現代人の眼からこの芝居を見直した時に「権太はいつから改心して、どのように大博打の工作にとりかかったのか」というその課程がよく分からない 。だから作者に感動をこじつけられたような気がしてどこか釈然としないということにあるようです。

確かにそういう疑問が出てくるのも仕方がない気がします。芝居を見たあとで、筋を思い出してみるとどうも辻褄が合わなくて釈然としない箇所がこの「鮓屋」には多くあるからです。

例えば権太が「父弥左衛門がかくまっているのは維盛ではないか」と疑うきっかけですが、本文を読むと、「椎の木」で権太が小金吾の荷物をわざとすり替えて持っていった時に権太が荷物のなかにある重盛の絵像を見つけたということになっています。「この重盛の絵姿が弥助に似ているので ・もしやと思った」というのが、これは手負いになった後の権太の告白に出てきます。弥左衛門・権太親子にとって因縁浅からぬ重盛は、また平家一門にあって「情の人」と呼ばれた人物です。この重盛の絵像がなにか権太の心のなかに不思議な作用を起こしたのかも知れないと感じさせるような(本文では明言してはいませんが)仏教説話的な伏線を「千本桜」の作者は設定しているのです。

しかしこの伏線はどうも効いていない感じがします。権太が小金吾の荷物の中身を開いて絵像を見たことが、「万一紛失の物あると許さぬが合点か、中あらためて受け取らん」と言って荷物を真剣に調べる小金吾にどうして分からなかったのであろうかと思わざるを得ません。いや、小金吾でさえ分からぬように注意深く荷物の結び目を元のように縛ったのだということでしょう。しかし、これを「椎の木」のなかで観客に納得できる伏線として見せるのは難しいようです。(二代目延若の型では、小金吾が荷物を開けて調べるのを心配そうに後ろから覗くという演技をしたようですが。)

大抵の場合はこの部分がやりにくいので、歌舞伎の「鮓屋」では権太が維盛の手配書をどこかから持って現れて弥助としげしげと見比べて確かめるという改変がされています。こうならざるを得ないのも理解できないことはないですが、しかし、この入れ事を認めるとすると権太の改心のタイミングがますます遅くなることになり、いったいどこで権太が改心して大博打を打つに至ったのかがさらに理解できなくなってきます。

「椎の木」で権太が改心するきっかけがないと確かに後の「鮓屋」がやりにくくなると思います。かと言って権太が「椎の木」でその改心を見せる演技をどこで見せるかと言ってもこれも難しいと思います。善太を背負って小せんと花道を入る時に深刻な思い詰めたような顔をしていた権太役者(役者の名前はあえて伏す)も見たことがあります。これは恐らくこの時点で既に「家族を犠牲にする大博打」を考えているつもりであったでしょうが、まるで場違いで「底を割る」にも至っていなかったように思いました。ここは一瞬でも幸せそうな家族のシーンを観客に植え付けておいた方が「鮓屋」終幕での哀れが どれだけか生きるに違いありません。


2)「重盛の絵像のお導き」なのか

「鮓屋」では権太は金の入った鮓桶と間違えて小金吾の首の入った鮓桶を持って家を飛び出します。ここは後での手負いの権太の告白によれば、維盛夫婦をどこか安全な所へ出立させるための路銀にしようと母親のところへ無心に来たが鮓桶を取り違えてしまい、「あけて見たればなかには首、はっと思えどこれ幸い」と、この首を利用して権太は「一世一代の大博打」を考えるわけです。ということになると、もし権太が鮓桶を取り違えずに金の入った鮓桶を持って帰ったとしたら、この芝居はなかったことになるのかというのも頭をよぎる疑問で す。

この権太の告白からみると、最初から権太は身替わりを考えていたわけではなく、生家に押しかけたのはせいぜいが母親をだまして維盛の路銀を調達しようという程度であったらしいのです。(これでホントに父親に褒められるとでも思っていたのかという疑問も湧きますが。)鮓桶に入った首を見た時から「大博打」の構想が権太の頭のなかで具体化していったと考えるべきでしょう。こういう偶然の出来事の積み重なりがドラマの必然の流れとなっていくのは芝居にはよくあることですが、現代人には納得がいかないところです。しかし、ここは余り深いことは考えずに「鮓桶を取り違えたのは重盛の絵像のお導きであった」とでも思っていたほうがよろしいように思います。

・・そう書きますと、細かい事にこだわっているような当「歌舞伎素人講釈」がこんな肝心な場面でえらく寛容ではないかと思われそうです。確かにそうかも知れません。しかし、これはお芝居であり「慰み」でありますから、理屈で理解できないところは理屈を飛び越えないと楽しめないと素直にそう思うのです。

権太のような役どころを「モドリ」と称します。最初は悪人のように見えますが本性は善人であって、後で本心を隠して悪人をかたっていたのだと知れる役どころです。こうした役はその事実が明らかになるまでは悪に徹するのが正しい演じ方であると言われますが、それはその通りだと思います。むしろ、「モドリ」の事実が明らかになってから観客が「あっ、自分は騙されていたのか」というショックが鮮やかなほど芝居は面白いというものです。

もっとも現代人というのはそういう風に芝居を見たがらないようです。悪事を働いている時にもその人物の善人としての心の綾・心の揺れがあるものだ、そこに人間の真実があるはずだという風に一貫した人物像を求めたがります。これは確かに「歌舞伎素人講釈」好みの見方です。が、そういう見方にはまらない役というのもやっぱりあるよう です。権太などはまさにその好例と言えそうです。権太の場合は手負いになったその事実から巻き戻していく形で、その行為の意味を後付けしていく方が正しい役の理解ができるようです。「権太はここで改心したのだ、ここで身替わりを決心したんだ」と考えてそこから結末への道程を見ていこうとすると、どうしても解釈が行き詰まるという感じがします。

これは現代人の目から見れば脚本の欠陥であるとも見えると思います。しかし、「鮓屋」がいわゆる「ウェルメイド・プレイ」、すなわち偶然の積み重なりがドラマを形作っていき、後からみればそれがすべて必然であったと感じられるような作為的なドラマであるならば、やはりそれなりの見方でこの芝居を読まねば なりません。例えば家のお宝が右に行ったり左に行ったりする黙阿弥作品などもそうです。いかにも歌舞伎らしい芝居味のある作品にはこの種のものが意外と多いのです。

そういう意味で現行の六代目菊五郎型の「鮓屋」の型はやはりよく出来ていると思います。これはお客さんは権太は「モドリ」であると先刻ご承知であるという前提に立っています。そして前半の「いがみの権太」を悪らしく愛嬌たっぷりに演じ、「モドリ」になってからはたっぷりとお客さんの涙を絞らせます。悪と善とのチャンネルの切り替えが実に鮮やかです。だからこそ芝居の興趣が引き立つのです。

したがって「鮓屋」で権太が鮓桶を間違えて花道を駆け込む時、観客の「正しい見方」というのは「ああ、こんなところで鮓桶間違えなければ死ななくて済むのに、是非もなや」とハラハラドキドキ嘆息して権太の行く末を思いやる、ということだと思います。いわば、何でもお見通しのお釈迦さまの心境です。権太は 鮓桶を間違えねばならぬ、そして死なねばならぬ。そこで、観客が見なければならないのは権太の運命(芝居の筋)ではありません。そこに精一杯に描かれた権太の生き様を見るべきなのです。それが死んでいく権太に対する供養というもので す。

(H13・11・4)


 

 

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