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「葛の葉子別れ」を考える〜四代目梅枝・初役の葛の葉

令和6年1月新国立劇場中劇場:「芦屋道満大内鑑〜葛の葉子別れ」

四代目中村梅枝(葛の葉・葛の葉姫ニ役)、五代目中村時蔵(安倍保名)、四代目河原崎権十郎(信田庄司)、二代目市村萬次郎(庄司妻柵)他


1)説教「信太妻」のこと

本稿は令和6年1月新国立劇場中劇場での初春歌舞伎「芦屋道満大内鑑〜葛の葉子別れ」の観劇随想です。三宅坂の国立劇場が建て替えで閉場中の為、本公演から当分の間、初台の新国立劇場・中劇場での開催となるそうです。梅枝の葛の葉は初役、時蔵の保名は二回目であるようです。例によって本作の周囲を逍遥しながら話を進めます。

陰陽師・安倍晴明は狐の子だという言い伝えは、かなり昔からあったようです。晴明の不思議な能力は常の人のものではあり得ない。それは異界の・例えば狐である母親の能力を受け継いだものに違いないと考えたものでしょう。狐が人間と交わり・やがて我が子と悲しい別れをするという「信太妻」(しのだづま、信田妻とも)の話は、芸能で取り上げられて中世の民衆に広がりました。「信太妻」は、竹田出雲の「芦屋道満大内鑑」(あしやどうまんおおうちかがみ、享保19年・1734・10月・大坂竹本座)によってほぼ固定しますが、これ以前にはもう少し違う形で語り伝えられていたようです。説教節の「信太妻」は、正本は伝わっていませんが、五説教のひとつとして大事なものとされていました。これについては折口信夫が「信太妻の話」(大正13年4月)のなかで取り上げています。

『ある日、葛の葉が縁側にたって庭を見ていると、ちょうど秋のことで、菊の花が咲いている。それは、狐の非常に好きな乱菊という花である。見ているうちに、自然と狐の本性が現れて、顔が狐になってしまった。傍に寝ていた童子が眼を覚まして、お母さんが狐になったと怖がって騒ぐので、葛の葉は障子に「恋しくば」の歌を書いて、去ってしまう。子供が慕うので、保名が後を慕うて行くと、葛の葉が姿を見せたといふ。』(折口信夫:「信太妻の話」・大正13年4月)

説教「信太妻」は、大体こんな話です。「大内鑑」のように信田庄司は出て来ません。「信太妻」では夫婦の破局の経緯がとても自然だと思いますが、このままだと舞台化がし難そうな気もします。そこで出雲は「大内鑑」を二人葛の葉の趣向に変えたのかも知れません。

説教「信太妻」で大事な点は、保名夫婦の破局のきっかけに童子(幼少期の安倍晴明)が関わっていることです。母親が狐になったと童子が騒がなければ、夫婦の破局はなかったのです。「大内鑑」にはこの件がありません。この相違は歌舞伎の「葛の葉子別れ」を見る分には関係ないと思われるかも知れません。芝居では童子が葛の葉狐が信太の森に戻ることのきっかけを作ったわけではなく、童子は「母さまなう」と泣くばかりなのです。しかし、「信太妻」の系譜を踏まえるならば、童子が感じた深い喪失感に自然と思いが至ることと思います。まして意図するでもなく・そのきっかけを自分が作ってしまったとすれば、「お母さん、僕を捨ててどこへ行ってしまったの?もしかしたら僕が悪かったの?」という罪悪感のようなものを抱えながら童子はこれから生きていかねばならないことになります。このことはとても大事なことを暗示していると思うのです。(この稿つづく)

(R6・1・25)


2)「見るな」の禁止に子供が係わること

「信太妻の話」のなかで折口信夫は、こんなことを書いています。

『父と母との間に横たはつてゐる秘密を発(あば)く役を、子どもが勤める事に就て、もつと臆測がゝつた考へを、臆面なく述べさせて頂く。よその部落と部落、尠くとも非常に違つた生活条件を持つて居るものと、てんでんに考へ相うて居る部落どうしの間に、結婚の行はれた時には、事実子どもを無心の間諜と見ねばならぬ場合も、起りがちだつた事と思はれる。併し一方、夫と妻とが別々に持つ秘密が、子どもの為に調和せられてゆく事もある。此が、社会意識の拡がつて行く、一つの道でもあつた。子どもが発くまでもなく、かうした結婚の、破局に陥らねばならぬ原因は、夫々の話に潜む旧生活の印象が、其を見せてゐる。其は、其母が異族の村から持つて来た、秘密の生活法の上にあつたのである。
(中略)
村々の生活を規定する原理なる庶物は、てんでんに違うて居た。尠くともお互に異なる原動力の下に在るものと考へて居た。かう言ふ時代の村と村との間に、族外結婚が行はれるとすれば、男の村へ連れて来られた女は、かはつた生活様式を、男の家庭へ持ちこむ事になる。ほかの点では妥協しても、信仰がゝつた側の生活は、容易に調子をあはせる訣にはいかなかつたであらう。其に、神とも精霊とも、名をつける事は出来ないでも、根本調子となつてゐる信仰が、一つ家に並び行はれて居る場合、妻の信仰生活は、いつも亭主側からは問題として眺められた訣であらう。事実はそんなにまで、極端ではなかつたらうと思はれるが、其俤を伝へる物語は、この秘密の尊重と言ふ点に、足場を据ゑてゐる。此に、信仰の段々純化せられて来た時代の考へ方を入れて、説明すると訣り易い。妻が其「本の国」の神に事へる物忌みの期間は、夫にも窺はせない。若し此誓ひを夫が破ると、めをと仲は、即座にこはれてしまふ。見るなと言はれた約束に反いた夫の垣間見が、とんだ破局を導いた話は、子どもが家庭生活をこはした物語同様、数へきれない程にある。』(折口信夫:「信太妻の話」・大正13年4月)

異族婚姻が信仰生活の違いから破局すると云う物語は、例えば木下順二の「夕鶴」の元になった民話「鶴女房」などにも見られるものです。ここで「決して覗いてはならぬ」というつうとの約束に背いて与へいがつうのいる機屋を覗いてしまう、これは確かに約束を破った与へいが「悪い」(と云うか破局の責任がある)でしょう。しかし、もしそれを覗いてしまったのが頑是ない子供であったとしたら、これを「子供が悪い」と云えるでしょうか?けれども子供が覗いてしまったことで、母の秘密が暴かれて、父に知られてしまう、子供がまったく予期しないところから夫婦の諍いが始まり、その結果、母が家から出ていかねばならないことになる、そのようなことが大昔には数多く起こったのかも知れぬ、そのようなことを想像します。

民話・伝説に「見るな」の禁止の物語は古今東西少なくありません。けれど説教「信太妻」のように、その秘密の暴露に頑是ない子供が係わってしまった場合、とても「切ない」ことになると思います。母子別れの原因を子供自らが作ってしまったことになるからです。「子別れ」であると同時に「親別れ」なのです。母を失った子供の悲しみは如何ばかりであろうか、そんなことを考えてしまいます。その別れはその後の陰陽師・安倍晴明の成長に決定的な影響を及ぼしたであろう、説教「信太妻」を聞きながら涙を流した中世の民衆は、そんなことを想ったに違いありません。前述した通り、この件は「大内鑑」にないわけですが、この件を欠落させたことで、芸能のなかでの「信太妻」ものはその後の展開を止めてしまったように思われますね。「見るな」の禁止に子供が係わる件は、それほど重大な意味を持つと思われるのです。(この稿つづく)

(R6・1・27)


3)「浄瑠璃は人情が第一」

播磨少掾の弟子である順四軒が師の口伝を記録した「音曲口伝書」のなかに「葛の葉子別れ」に関する逸話が出てきます。順四軒が25歳の時のこと、或る晩、播磨少掾が順四軒に「葛の葉子別れの段」を語って欲しいと言ったそうです。芝居では大和掾が持ち場として語ったもので・播磨少掾の語り物ではなかったのですが、師はこれを語れと云う。師に望まれたことゆえ順四軒は心うれしく語りました。しかし、聞き終わった後、播磨少掾はフウとため息をついたばかりで何も言わない。不思議に思った順四軒が「なにゆえ私にこの子別れを語れと仰ったのですか」と師に尋ねたところ、播磨少掾はこんなことを言ったそうです。

『今年の春、愚妻が東山高台寺の御開帳に参詣した時そなたが同道せられたが、帰りの伏見街道で雨に遭い、しばらく休んでいたところに、歌比丘尼の子供が雨に濡れながら歩いているのを見て、そなたは、私にも去年生まれた娘がいるが、もし私が死んだりすればあの子もみなし子となり、あのように迷い歩くことでしょうなあと申してポロポロ涙をこぼしたとの話を愚妻から聞いた。そうであるならばさぞかし親子の情もうつるであろうと思うて・子別れの段を所望したのであるが、おもしろく聞こえて気の毒。』(順四軒:「音曲口伝書」〜播師深切(はりまのしょうじょう・しんせつ)の事、吉之助の現代語訳です。)

播磨少掾はそう言って、「浄瑠璃は何よりも人情を語ることが第一である」との口伝を順四軒に説いたそうです。「音曲口伝書」には播磨少掾が「葛の葉子別れ」について語った口伝がもう一箇所記録されており、それには、

『子わかれの段、めつたになき、語りにあらず。一雫(しずく)づつなみだをぬぐひては名残をいふ心なり』

とあります。ところで「浄瑠璃は人情を語ることが第一」とはよく云われることですが、それでは「葛の葉子別れ」で人情を語れとは、具体的に何をどのように語れば人情を語ったことになるのか?そこのところをじっくり考えてみなければならぬと思います。播磨少掾の言を吟味するに、それはこう云うことであろうと吉之助は思っています。

「子別れ」に於いて、愛する子供を置いたまま・故郷へ去らねばならぬ母親としての「私」の悲しみ・辛さはもちろんあります。それがなければ始まりませんが、それだけがすべてではないのです。この私がいなくなってしまったら、この子はどんなに嘆き悲しむであろうか、どれほど寂しがるだろうか、ちゃんと良い子に育ってくれるだろうか、親なし子じゃ狐の子じゃと苛められはしまいか等々、そんなこんなを思うと我が子が不憫で・可哀そうでならぬと云う、「子供の悲しみ・辛さを思いやる情」、そこを細やかに語ってこそ・初めて「人情第一」となると云うことかと思います。子供の悲しみを思いやることで「大内鑑」の子別れはどこかで説教「信太妻」の遠い記憶を思い出すと云うことでしょうか。そのような詞章を床本で探せば、それは

『庄司殿御夫婦をまことの祖父様祖母様、葛の葉殿を真実の母と思うて親しまば、さのみ憎うもおぼすまじ。悪あがきをふっつと止め、手習ひ学問精出してさすがは父の子ほどあり、器用者と誉められよ。なにをさせても埒あかぬ道理よ狐の子ぢゃものと、人に笑はれ誹られて、母が名迄も呼出すな。常々父御前の虫けらの命を取る、碌な者にはなるまいとただ仮初のお叱りも、母が狐の本性を受継いだるか浅ましやと胸に釘針刺す如く、なんぼう悲しかりつるに、成人の後迄も小鳥一つ虫一つ、無益の殺生ばしすなえ必ず必ず別るるとも、母はそなたの影身に添ひ、行末長く守るべし、とはいふものの振捨てて、これがなんと帰られう、名残りをしや、いとほしや、放れがたなや…』

という箇所ですかね。これは「千本桜・四の切」の狐忠信にも通じることです。(この稿つづく)

(R6・1・30)


4)梅枝初役の葛の葉

順四軒の「葛の葉子別れ」を播磨少掾が「おもしろく聞こえて気の毒」と評したのは痛烈な皮肉ですけれど、ともすれば「子別れ」という演し物はそう云うことになりやすいのでしょうねえ。(同じことは「四の切」についても云えます。)本物の葛の葉姫との早替り・狐詞(きつねことば)や狐手(きつねで)の所作・曲書きなど、ケレンがどうしても浮き上がってしまう。これをドラマのなかに無理なく組み込み、人間以上に情が深い葛の葉狐の「あはれ」を描き出さねばならないのです。しかし、ケレンとドラマの理想的なバランスを見出すことはなかなか難しい。

そこで梅枝初役の葛の葉のことです。梅枝が義太夫狂言に相性が良いことは承知していますが、梅枝の古風な・どこか陰を帯びた趣がこの「葛の葉子別れ」には特にマッチするように思われますね。はるか古(いにしえ)の説教「信太妻」の感触を思い出させるものがあります。「大内鑑」はそう云うものを欠落させたように見えますけれど、そこまで遡らないと、やはり葛の葉狐の「あはれ」は十全に描き出せないようです。と云うか、「大内鑑」初演(享保19年・1734・大坂竹本座)当時の大坂の観客には説教「信太妻」のことが常識(前提)としてあったわけですから、そこでケレンとドラマの理想的なバランスが自ずと成立するというのが出雲の設計であったのかも知れませんね。説教の世界から遠くなってしまった現代人には難しいことになりました。

*上の写真は、大阪府和泉市にある葛の葉神社の「姿見の井戸」。井戸は、保名に助けられた白狐が、葛の葉に身を変えた時に、鏡に代えて自分の姿を写して確認した井戸だと云われています。また葛の葉が無事にこちらの森に帰りついたことから、旅に発つ前にこの井戸に姿を写しておけば無事に帰って来ることができると云われているそうです。こちらの記事をご覧ください。

「帰ろうやれ、元の古巣へ」というのが、葛の葉ものには付き物の小唄の文句であったそうです。この文句は「大内鑑」では道行の場面に出てきます。その詞章は、

『ここに、哀れをとどめしは、安倍の童子が母上なり。元よりその身は畜生の苦しみ深き、身の上を、語り明して夫にさへ、添ふに添はれず住みなれし、我古里へ、帰ろやれ。我住み捨てし一叢(ひとむら)の、仮のやどりは秋霧に立ちまぎれたる、いろいろ菊も、この身知るかと恥かしく、足つま立て、ちょこちょこちょことつまだてて、所体乱るる萩すすき・・』

と云います。「我古里へ、帰ろやれ」、ここに哀しい「妣が国」(ははがくに)の記憶がはるかに聞こえて来ます。しかし、葛の葉狐は喜んで故郷に帰るわけではないのです。それは「私はもうそこに帰ることはない」と一度は決めた場所です。夫婦が破局して・子供とも別れて・泣く泣く戻らなければならない場所です。しかし、自分を受け入れてくれる場所はそこしかないのです。

梅枝の古風な・どこか陰を帯びた趣は、そのような葛の葉狐の哀しみに相通じるところがあるようです。これは現代的なスッキリした美しさの女形では出そうとしてもなかなか出せない味わいですから、当世これは貴重です。梅枝が初役で無心虚心で勤めたからでありましょうが、型がそのまま意図するものを素直に表現できています。ケレンがケレンとして浮き上がることがなく、ドラマのなかに自然に溶け込んで、とても後味の良い「葛の葉子別れ」でありましたね。

(追記)

興行中の1月22日・都内での記者会見で、本年(2024)6月歌舞伎座で時蔵が初代中村萬壽(まんじゅ)、梅枝が六代目中村時蔵をそれぞれ襲名することが発表になりました。

(R6・2・1)


 

 


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