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京都顔見世の十五代目仁左衛門・七段目の由良助

令和5年12月京都南座:「仮名手本忠臣蔵〜七段目」

十五代目片岡仁左衛門(大星由良助)、初代片岡孝太郎(遊女お軽)、八代目中村芝翫(寺岡平右衛門)、初代中村莟玉(大星力弥)他


京都南座・師走顔見世の仁左衛門の由良助による「七段目」を見て来ました。南座では令和元年12月以来ほぼ同じ顔触れで5年ぶりの上演となります。また仁左衛門は東京でも昨年(令和4年)9月に「七段目」を出しました。傾向としては前々回・前回と同様、「俺は遊びたくて遊んでいるのではなく、実は俺には深い考えがあるのだよ」と云うところをはっきり押し出した割り切れた由良助です。「口ではああ言っていても・実は由良助の本心はそうではないんだよ」と云うところがよく分かるので、観客は「七段目」のドラマ細部まで余裕を以て味わうことが出来ます。これは仁左衛門の芸のひとつの特長と云えると思いますが、仁左衛門は現代の観客に分かりやすい義太夫狂言の演じ方の工夫を重ねて来ました。例えば「鮓屋」のいがみの権太はそうした成功例のひとつだと思いますが、「七段目」の由良助もこの路線に沿ったものであると理解しています。

仁左衛門のことですから、もちろん肚の座った由良助になっています。そこに如才はありません。しかし、仁左衛門の意図を重々理解しつつも・吉之助が感じるささやかな不満は、これでは「七段目」の乖離感覚は表現出来ず、かぶきの「七段目」にはならないのじゃないの?と云うことです。史劇っぽいとでも言いましょうかね。(別稿「誠から出た・みんな嘘」をご覧ください。)かぶきの「七段目」は万華鏡の如く華やかなものであって欲しいと思います。和事芸を得意とし、「遊興三昧は本気か嘘か」という演技が出来る仁左衛門さんであるからこそ勿体ない気がしますがねえ。このような観点から今回(令和5年12月京都南座)の「七段目」を見ると、仁左衛門の由良助はここ数年ますますシリアスな渋い方向に向かっているようです。幕切れ近く九太夫を打擲する場面の長台詞にしても、もっと朗々と出来るであろうに敢えてそれをしない。このため仁左衛門にしてはかなり抑えた印象がしました。

ところで今回の仁左衛門の由良助ですが幕切れにこれまでとちょっと違うところがあって、九太夫を打擲した後三段を上がって(お軽は上に上げず)、由良助は蝋燭が灯った燭台を左手に持ち、右手で扇子を広げて・これを高く掲げて決まると云う終わり方でありました。仁左衛門に限らず・これまでの「七段目」でこういう終わり方は初めてのような気がしましたが(吉之助も歳取ったから忘れただけかなあ?)、別に悪い形ではなかったけれど、珍しいやり方でありましたね。(付記:映像で確認すると、昭和61年11月国立劇場での「七段目」で十三代目仁左衛門の由良助が燭台を左手に持って決まる幕切れでありました。今回は当代がそれを踏襲したようであります。)

さて平右衛門・お軽の兄妹ですが、孝太郎が世話女房タイプで実(じつ)の方に向きますから、愁嘆場はそれなりに実のあるものになりました。これは仁左衛門の由良助のコンセプトに沿ったものと云えますが、しかし、ちょっと地味には見えますね。

芝翫の平右衛門は、前々回とあまり変わらない感じです。どこがどう悪いと云うでもないのだけれど・何となく重ったるく、ただいつもの通り「らしく」やっている印象です。それにしても困るのは全然足軽に見えないことです。三人侍よりも偉そうに見えます。時代と世話の押し引きが出来ないと、先月(11月歌舞伎座)の佐々木高綱のように本来芝翫に向きであるはずの役も生きてきませんから、その辺よっく学んで欲しいと思いますね。

(R5・12・19)


 


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