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京都南座の十三代目団十郎・助六

令和5年12月京都南座:「助六由縁江戸桜」

十三代目市川団十郎(十一代目市川海老蔵改め)(花川戸助六)、初代中村壱太郎(三浦屋揚巻)、六代目中村児太郎(三浦屋白玉)、六代目市川男女蔵(髭の意休)、三代目中村扇雀(白酒売新兵衛)、四代目中村鴈治郎(通人里暁)、八代目市川門之助(曽我満江)、四代目中村歌昇(朝顔仙平)、初代中村隼人(福山かつぎ)、八代目市川染五郎(口上)

(十三代目市川団十郎白猿襲名披露)


1)十三代目団十郎襲名の助六

京都南座顔見世での十三代目市川団十郎白猿襲名披露興行の「助六由縁江戸桜」を見てきました。結論から先に言ってしまうと、発声もなかなか良くて・安心して見ていられる良い助六であったと思いますね。昨年(令和4年)11月・12月歌舞伎座での襲名披露の「助六」よりも全体的な出来は良かったのではないかと思います。

新・団十郎の発声に関しては常に不安のタネで、前に良かったからと云って・次にも良いとは限らない、今度の舞台は大丈夫かなとツイ不安になってしまうのですが、今回は襲名披露口上も含めて、随分と喉の調子が良いようでした。「団十郎」の名跡も1年が過ぎて・ご本人も次第に緊張が取れてきたと云うことでしょうかね、喉に無理な力が入ることなく・自然な発声が出来ていたと思います。こんなに自然な発声の団十郎はここ十数年来聴いたことがない気がしました。

ただし団十郎の声はちょっと細めの繊細な響きであるようで、これが荒事向きの声かと云えば・必ずしもそうではないとは思います。芯の力強い響きの・甲の声が遣える喉ではないようです。まあそれは仕方のないことで、団十郎はそれを「自分の声」として、自分なりの荒事芸を作り上げていけば宜しいことです。思えば団十郎は恐らく「荒事らしい声」を作ろうと自分なりのイメージを追って・試行錯誤を重ねて来て、それで随分喉に無理をしてきたと思います。声が出なくなるトラブルもありましたが、やっと迷いが吹っ切れてきたかなと感じました。この方向を維持出来れば、団十郎は他の役においても良い結果が期待できると思います。

この変化は今回(令和5年12月京都南座)の助六の印象に大きく関わってきます。昨年11月歌舞伎座での助六は台詞をテンポを遅めにして・リズムをしっかり踏んだ発声を心掛けた印象でしたが、今回は台詞に心持ち滑らかさが出てきたようです。まあもう少しリズムの刻みを意識して欲しい感じはしなくもないですが、発声に無理した感じはなくなったようです。その結果以前のような突っ張ってギラギラした印象は後退しました。かつてはこれが団十郎の助六の魅力であると言われていたものです。やんちゃなカブキ者の助六、そのような印象は後退しましたけれども、代わりに優美さが勝ってきたようです。芸の余裕が出てきたとも云えましょうか。助六に関しては、この変化は良い方へ作用しました。助六というキャラクターはもともと上方が発祥で、京都に住む助六と島原の遊女揚巻が心中した話を芝居にしたもので、それが江戸に伝わってカブキ者の主人公に変化したものです。その変遷は入り組んで容易に解き明かせないもので、現行の「助六」のどこにそのような要素が見られるかと云えばマコトに心許ないものではありますが、例えば出端にそんな優美さが現れると言えば・これは何となく分かって貰えるかと思いますね。今回は台詞の滑らかさだけでなく、出端の振りのなかにもそういうものが見られて、そこに団十郎の成長が確認できて嬉しいことでありました。

とは云え新・団十郎の最大の魅力といえば、やはり目力(めぢから)と云うことになるでしょう。襲名披露口上での睨(にら)みでもそうでしたが、助六がカッと目を見開いて見得をすると客席のあちこちでオオ・・という唸り声が聞こえる、やはりこれがないと団十郎じゃないと云うことですね。見得が突出することなく・芝居のなかに良く溶け込んでいました。これもとても良いことです。(この稿つづく)

(R5・12・15)


2)壱太郎の揚巻・男女蔵の意休

今回(令和5年12月京都南座)の「助六」は、揚巻に壱太郎(児太郎とのダブルキャスト)・意休に男女蔵と、若い顔触れでの上演であることも話題だと思います。配役発表の時はちょっとエッ?と思ったのは事実ですが、これについては記者会見で団十郎が「この襲名披露興行の後、次にいつ「助六」が出来るかと考えると(しばらく間が開きそうに思うので)、今先輩たちに習えることをやっていただき、次の世代・新之助の時代の揚巻や意休を育てていくことも大事だと考えた」と云う趣旨の発言をしたそうです。なるほど壱太郎も男女蔵も抜擢によく応えた成果を見せてくれたと思います。

壱太郎の揚巻は、現代女性のヴィヴィッドな感覚を取り入れ・生身(なまみ)の生きた揚巻を創ろうとしていたようです。いつもの揚巻であると内輪にゆっくりめの台詞を平坦にしゃべる・そこに様式的な雰囲気が出るものですが、悪く見ればあんまり生きた感じに見えません。壱太郎の場合は心持ちテンポが早めで・抑揚も強めにして、花魁だって生きているんだ・人形じゃないんだと云う気分を前面に押し出しているようです。吉之助は基本的にはこの行き方に賛成で、事実観客(主としてご婦人客)の反応は宜しかったように思いました。

ただし悪態の初音に関しては、例えば「あちら(助六)は立派な男伊達・・」でうっとりとした声を出し、「こちら(意休)は意地の悪そうな・・」で一転声を低めて表情を品なく歪めるようなことは、観客はよく反応して喝采してはいましたが、生(なま)に過ぎて・あんまり褒めたこととは申せません。確かにこの箇所では玉三郎でも似たような生な感じがありました。これも良いことと言えませんが、まあそれでも様式が崩れる寸前で留めてはいたと思います。そもそも揚巻の悪態の初音は助六の名乗りのツラネに当たるもので、これをツラネとは呼ばないにしても・悪態の確たる形式を持つものです。この様式感覚は守ってもらいたいのです。様式の決めるべきところはかつきり決めて欲しいと思いますね。この箇所を除けば、初役にしてなかなか堂々とした揚巻ではなかったでしょうか。

男女蔵の意休は見る前は想像が付かなかったし、確かにスケールの大きさでは未だしと云うところはあるにしても・まあそのようなものは年季を経れば次第に備わってくるもので、シャープに引き締まった印象の・予想以上に良い意休でありました。台詞が明瞭でリズムがしっかり取れた安定した出来でしたね。無理に声を低くしたり・台詞をゆっくりしゃべって「らしく」見せようなんて小細工をしなかったのは良いことです。等身大の意休に仕上がったと思います。本年7月歌舞伎座での頓兵衛(神霊矢口渡)も頑張ってましたが、このような役どころで男女蔵に今後期待されるところは大きいと思います。

「助六」は元禄歌舞伎の様式美を濃厚に残した芝居という見方をされ勝ちですが、それだけであると絵みたいな感覚になって芝居が死んでしまいます。「助六」が描いているものは江戸庶民の生活に根差した生(なま)な気分です。この熱い気分を様式の枠組みのなかに封じ込めることで、「助六」は現代に「生きる」と思いますね。今回(令和5年12月京都南座)の若手揃いの「助六」からはそのような気分がちょっと垣間見えた気がしました。

(追記)

この公演の揚巻は1〜12日を壱太郎・14〜24日を児太郎が勤めて・白玉に交代と云うダブルキャスト制でした。

(R5・12・16)


 

 

 


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