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十四代目勘弥の安倍保名

昭和49年9月国立劇場:「保名」

十四代目守田勘弥(安倍保名)


本稿で紹介するのは、昭和49年(1974)9月国立劇場での、14代目勘弥による舞踊「保名」の舞台映像です。残念ながら吉之助は勘弥の舞台を生(なま)では見ていないのですが、戦後昭和歌舞伎の舞台映像を見直す作業のなかで、この時期の名優は数多あれども、勘弥もその一人であるなあと云う認識を新たにしました。勘弥はすっきりした容姿で・柔らかな二枚目を得意としたことは周知の通りです。よく役名が挙がるのは、例えば「籠釣瓶」の繁山栄之丞ですが、他にも風姿がいい栄之丞はいますが、勘弥の栄之丞だと「次郎左衛門もさすがにこの男が相手だと黙って引き下がるしかないなあ」と思ってしまうような・これは根っからのヒモなのだなあ。そう云う退廃した魅力を持つ栄之丞は、やはり勘弥しかいなかったと思います。切られ与三郎や直侍なども独特の味わいがあるものでした。しかし、舞踊の分野では勘弥の名前をあまり聞かない気がしますねえ。そこでちょっと珍しい勘弥の「保名」の映像を見つけたので、勘弥のニンならば保名もさぞ良かろうと云うことで、この映像を取り上げることにしました。

舞踊「保名」は時間にして二十数分の小品ですが、踊り手にとってなかなか手恐い作品であるようです。「誰でもやるけれども、誰でも良いわけではないのが「保名」です」と言われるそうです。技術的なことより、やはり役の気持ちの表出が難しいのだろうと思います。逆に観客の立場からすると、菜の花が咲き誇る舞台面はとても美しいけれど、踊りが風情本位に傾いて何だか起伏が少なく平板に感じることが多いような気がします。

そこで「保名」の成り立ちを調べてみると、その始まりは文化15年(1918)3月江戸都座での「曽我梅菊念力弦」(そがきょうだいおもうのはりゆみ)の大切所作事として、三代目菊五郎の四季の七変化「深山桜及兼樹振」(みやまのはなとどかぬえだぶり)のなかの春の一役・「小袖物狂い」として踊られたものが元になっています。今日まで残ったのは七役のなかで・この保名一役のみだけだそうです。つまり保名は変化舞踊の一役なのです。変化舞踊は文化文政期に流行したもので、いくつかの小品を続けて踊って早替わりや目先の変化を見せる演目でした。保名は妖怪変化ではありませんが、変化舞踊のなかに「保名」が取り入れられる背景は、やはり狐との関連なのでしょうねえ。「保名」には狐が出てこないのですがね。

「保名」の典拠は、「芦屋道満大内鑑」の二段目の景事「小袖物狂いの段」です。恋人榊の前の死を悲しむあまり、安倍保名は気が狂ってしまい、恋人の小袖を抱きしめながら野原をさまよい歩き、やがて信太の森に迷い出ます。これが「小袖物狂い」で、保名が白狐と出会う以前の物語なのです。(その後、白狐は葛の葉姫に化けて保名の前に現れて、二人の間に童子丸が生まれます。その子が後に陰陽師となる安倍晴明です。)「保名」は現在の形に定着するまでに様々な変遷を経ているようです。歌詞は多くは元の浄瑠璃「小袖物狂いの段」から取り入れてますが、例えばクドキのなかで、

「〽主(ぬし)は忘れてござんしょう、しかも去年の桜時、植えて初日の初会から、会うての後(のち)は一日も、便り聞かねば気もすまず、うるらうるらと夜を明かし、昼寝ぬほどに思いつめ、たまに逢う夜の嬉しさに、酒事(ささごと)やめて語る夜は、いつよりもツイ明けやすく・・」

歌詞に「初会」・「桜時」などの用語を交えて、吉原の遊女との色模様が挿入されています。「桜時」の件、「保名」初演が3月のことでしたから、ちょうどその頃吉原の夜桜で賑わっているので、このことを歌詞に取り込んだものだそうです。このように吉原の賑わいと、平安時代に春の野原とが何の不思議もなく同居するというのが、この時代の舞踊の妙なところです。天明歌舞伎の「関の扉」の廓噺などもそうですが、こういうところは軽いウィットで処理するようにしないと、全体の情感がベターッとしてくるように思いますが、如何なものでしょうか。

吉之助が思うには、現行の「保名」は、原典である「芦屋道満大内鑑」の景事「小袖物狂いの段」からちょっと離れて、一遍の詩情溢れる、バレエのヴァリエーション(ソロダンサーのための小品)のような近代的な完結した感覚に仕上がっているのです。まあそれはそれとして結構なものですが、元の「小袖物狂い」が単独の舞踊作品ではなく・あくまで芝居のなかの音楽的なシーンであること、その原点に立ち返ってみることも大事ではないかと云う気もするわけです。

そこで勘弥の「保名」のことです。勘弥の「保名」は、通し狂言「芦屋道満大内鑑」のなかの一場として挿入してもすんなり嵌るのじゃないかとさえ思える、芝居の感覚に近い踊りなのです。何だか動きのなかに余白があるのです。「保名」の踊りだけで完結するのではなく、その前と後にも語られていない物語(余白)があると云うような。上手く踊ってやろうとする踊りではなく、あくまで芝居と連続した役者の振り事、そう云う感じがするのです。したがって、勘弥の「保名」で見るのは、「保名」と云うよりも、「小袖物狂い」の方にいくらか立ち戻った印象がします。それは勘弥が保名の性根をしっかり掴んでいるからだと思います。こう云う「保名」も悪くないと思いますね。

(R5・4・18)



 

 

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