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七代目梅幸の「枕獅子」

昭和52年12月国立劇場:「枕獅子」〜英獅子乱曲

七代目尾上梅幸(傾城弥生)、五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)(新造若菜)、岡村清太郎(七代目清元延寿太夫)(新造梅ヶ枝)


本稿で紹介するのは、昭和52年(1977)12月国立劇場での、七代目梅幸の傾城弥生による「枕獅子」の舞台映像です。ご存知の通り、梅幸は「鏡獅子」の小姓弥生を当たり役にしており、幸い吉之助も生(なま)の舞台を拝見することが出来ました。歌舞伎データベースで検索すると梅幸の「鏡獅子」が17回ヒットしますけれど、「枕獅子」を踊るのはこれが最初で最後のことであったようです。

ところで梅幸と歌右衛門は戦後昭和を代表する名女形でしたが、吉之助には「獅子」物舞踊に関しては、梅幸は「鏡獅子」・歌右衛門は「枕獅子」で棲み分けたような印象が何となく残っています。しかし、改めて調べてみると、歌右衛門は「鏡獅子」は1950年代に集中して5回踊っていますが・その後は踊らず、「枕獅子」も5回しか踊っていないようで、「歌右衛門は獅子物とあまり縁がなかった」と云う方が正しいようです。多分、吉之助のなかで歌右衛門最期の「枕獅子」(昭和55年・1980・1月歌舞伎座)の印象が強烈であるせいでしょう。これは触れなば落ちんと云う風情の・たおやかな遊女の「枕獅子」であったと記憶しています。

一方梅幸は、養父・六代目菊五郎が九代目団十郎譲りの「枕獅子」を得意として・家の芸同然にしたこともあって、「鏡獅子」をとても大事なものにしていました。女形であったために菊五郎の立役の多くを引き継がなかった梅幸としては、「鏡獅子」は養父との芸脈を確認する演目でもあったと思います。実際梅幸の踊りの「かつきりと折り目正しい」印象は、菊五郎そのままでした。しかし、何といっても梅幸の「鏡獅子」が素晴らしかった所以は、小姓弥生(前シテ)と獅子との印象のバランスが理想的に良かったことです。(別稿「真女形の獅子の精」をご参照ください。)

ところで「鏡獅子」は、明治26年(1893)に九代目団十郎が長女実子(二代目翠扇)が「枕獅子」を稽古するのを見てインスピレーションを得て創作したものでした。「枕獅子」の前シテは太夫(遊女)で、後シテは獅子の扮装をした遊女が優雅に踊るものです。団十郎の発想は、可愛い女のお小姓に獅子の精が憑依して勇壮な(つまり男性的な)獅子に変身して毛を振り回すという筋にすれば・立役の俺(団十郎)が踊れるものに出来るということだったと思います。しかし、これは立役からの発想で・もちろんそれが間違いと云うことではありませんが、本来女形舞踊である「獅子」物舞踊の系譜からするとこの発想は若干異質だと云うことは認識しておかねばならないことです。

したがって吉之助としては、「獅子」物舞踊の代表作として、本来「枕獅子」(あるいは「英執着獅子」)の名が挙がることが望ましいと思うのです。しかし、現在は獅子ものとして「鏡獅子」が真っ先に思い浮かぶ状況で、後シテが毛をブンブン勢いよく振り回して獅子の勇壮さをアピールすることばかり横行しています。このため女形諸君はもっと積極的に「枕獅子」を踊ることを心がけてもらいたいと思うところです。たおやかな獅子の狂いが見たいのです。その方が女形の柄に似合うでしょう。玉三郎も無理して「鏡獅子」を踊ったりしないで・「枕獅子」を踊ってくれた方がどれほど良かったことかと思いますが、今更言うても詮無いことです。まあそう云うわけで、「鏡獅子」を得意とした梅幸が、たった一度だけでも「枕獅子」を踊ってくれたことは、いろんな意味で意義深いことです。梅幸が「枕獅子」を踊ることで、前シテと後シテのバランスがどう変化するかも興味あるところです。

ところで今回(昭和52年・1977・12月国立劇場)の梅幸の「枕獅子」は、梅幸が六代目藤間勘十郎(二代目藤間勘祖)に依頼して新たなコンセプトで振付してもらったものであるそうです。サブタイトルに「英獅子乱曲」(はなぶさししのらんぎょく)と付したのは、そのせいだと思います。ちなみに歌右衛門の「枕獅子」も勘十郎振付ですが、それとは振付も衣装もまるで異なるものです。

舞踊の変遷を辿ることは、なかなか難しいことです。寛保2年(1748)春・江戸市村座で、名女形・初代瀬川菊之丞が「富士見里栄曽我」の二番目として「英獅子乱曲」を踊り、これが後に「枕獅子」となったとされています。しかし、現行の「枕獅子」とまったく同じものであったかどうかまでは分からぬそうです。踊りに疎い吉之助にはよく分らぬところがあるけれども、勘十郎の・新たな振付のコンセプトは、全体の印象としては、同じく菊之丞初演の「相生獅子」なども参考にしながら、「英獅子乱曲」の復元みたいなことを試みたのだろうと感じます。歌右衛門の「枕獅子」よりもおっとりと古風な印象を受けるのが、梅幸の持ち味に似合うところです。ただし前シテ弥生が獅子頭を持つと獅子の精が憑依して・それに引っ張られるように花道から揚幕に入る辺りは、いささか「鏡獅子」に突くきらいがします。

梅幸の「枕獅子」の特徴は、太夫の風格があると云うことです。嫋々とはしていないけれども、ふくよかな風情があって・それが古風さにも通じるということかと思います。前シテ・後シテ共にこのイメージで一貫しており、如何にも立女形が踊る「獅子」物らしい踊りに仕上がったのではないでしょうか。若き十八代目勘三郎・延寿太夫(ともに六代目菊五郎の孫)が新造を神妙に踊っているのも懐かしい。

(R4・12・29)



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