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十七代目勘三郎の伊左衛門

昭和54年1月国立劇場:「廓文章(吉田屋)」

十七代目中村勘三郎(藤屋伊左衛門)、五代目坂東玉三郎(扇屋夕霧)、五代目中村富十郎(吉田屋喜左衛門)、五代目片岡我童(十四代目片岡仁左衛門)(吉田屋女房おきさ)


1)十七代目勘三郎の伊左衛門

本稿で紹介するのは、昭和54年(1979)1月国立劇場での、十七代目勘三郎が伊左衛門を勤めた「廓文章(吉田屋)」の舞台映像です。勘三郎の「廓文章」では七代目梅幸が夕霧で付き合うのが定番の組み合わせでしたけれど、今回の映像は玉三郎の夕霧と云う組み合わせが新鮮です。

御存知の通り勘三郎は六代目菊五郎の娘婿であり、菊五郎の当たり役を多く引き継ぎましたが、なかでも「廓文章」の伊左衛門はとりわけ重要な役のひとつでした。「廓文章」はもともと上方和事の演目ですが、上方系の型と東京系の型があります。昭和21年(1946)11月東京劇場で、菊五郎が新演出を試みたのが、現在、菊五郎型と呼ばれるものです。(この時に夕霧を勤めたのは三代目梅玉でした。)これは従来の型から、前半部の伊左衛門のジャラジャラした箇所をカットして、これをスッキリした色模様の舞踊劇に仕立てたのです。恐らく菊五郎は上方芝居の、じゃらじゃらした冗漫な要素があまりお好みではなかったのでしょう。一時は「廓文章」と云えば菊五郎型のことを指すような時期もありましたが、平成になると上方系が再び盛り返した感がします。これは四代目藤十郎(さらにこれを引き継いだ当代鴈治郎と)と当代・十五代目仁左衛門と、上方系の伊左衛門役者が輩出したことが大きかったようです。逆に現在では菊五郎型の影が薄くなってしまいました。近年では幸四郎の伊左衛門が菊五郎型です。

ところで十七代目勘三郎は芸域の広い役者で、上方での修業経験もあったので和事も出来ました。そんなところからすると、勘三郎ならば上方系の、上方和事の「廓文章」だって・やろうとすれば出来ると云うことは、誰の目にも明かなのです。吉之助は、もしかしたら勘三郎本人も本音では上方和事の伊左衛門を演じてみたかったかな、きっと持ち前の愛嬌が生きたであろうと云うことを想像したりもします。事実、菊五郎と勘三郎の、両方の伊左衛門を見た人の感想でも、「勘三郎の方が良かった」と言う方は少なくないようです。

しかし、勘三郎は菊五郎の娘婿ですから、岳父から引き継いだ「廓文章」の型をきっちり守ったのです。今回(昭和54年・1979・1月国立劇場)の勘三郎の「廓文章」映像を改めて見直して、吉之助が痛感するのは、そこのところですねえ。

感心するのは、勘三郎が演じる伊左衛門が、彼にとっての楽な方向・つまり伊左衛門を愛嬌で仕崩す方向へまったく向かわないということです。適当な例でないかも知れませんが、「身替座禅」の山蔭右京のような伊左衛門に決してならないと云うことです。恐らく当時の観客の多くが、勘三郎なら愛嬌があって愉しい伊左衛門になると予想したのではないでしょうかね。これは吉之助もそうだったと思います。そのような観客の淡い予想を、勘三郎は見事に裏切るのです。観客の予想を裏切ることが出来るのが、勘三郎と云う役者の凄いところだとつくづく思うのです。(勘三郎の同じような感触がした舞台をもうひとつ思い出します。それは「忠臣蔵・七段目」の由良助でした。)

菊五郎は、「廓文章」の、上方芝居によく在る、じゃらじゃらした冗漫な要素を切り捨ててしまいました。この菊五郎の演出意図(コンセプト)を、勘三郎はきっちり守ったのです。勘三郎は愛嬌で観客を笑わせようなんてことをしません。勘三郎の伊左衛門は、基本シリアスです。勘三郎は「何が面白いのじゃい」みたいな顔をするのです。それじゃあ面白くないのかと聞かれるでしょうが、面白くないはずがありません。しかし、観客がその舞台を面白いと感じるのは、それは勘三郎が笑わせるからではない。それは伊左衛門という役が本質的に持つ「徳(とく)」から来るのです。伊左衛門の育ちの良さ・人柄の良さが、観客の心をほころばせ・微笑ませるのです。勘三郎が見せるのは、そのような「廓文章」なのです。(この稿つづく)

(R4・9・28)


2)六代目菊五郎型の意図

和事の芸とは、「やつし」の芸です。「やつし」とは、身分ある人が落ちぶれて・哀れな様を見せること。「やつし」の芸では、それが滑稽な要素とシリアスな要素として背中合わせで交互に表れます。その背景にある主人公の心情とは、「今ここに在る私の姿は本当の私ではない」という鬱屈した気持ちです。ところが現代に於いては、ひょろひょろしたアホぼんが滑稽な様を見せるような、つっころばしの芸が和事の芸だと云う、表層的な理解がされる傾向にあります。これは長い歳月を掛けてそうなってきたもので・そうなるについては上方的感性が持つ或る種の「しつこさ」みたいなものを考慮せねばなりませんが、ひとつには、それは元禄期の初代坂田藤十郎(その背後にある近松門左衛門)の演技ロジックが、時代が下って次第に受容されなくなったことから来ています。だから観客の嗜好に受け入れられるように和事の芸が変容してきたわけで、その結果がつっころばしなのです。

そこで前述の・上方的感性が持つ或る種の「しつこさ」に戻りますが、東京人から見たところでは、そういうものがちょっと厭らしく映るところがあると思います。東京生まれの谷崎潤一郎は、随筆「いわゆる痴呆の芸術について」(昭和23年・1948)のなかで、嫌悪と憧れが入り混じった自身の気持ちを正直に吐露しました。(詳細は別稿「谷崎潤一郎:東京と上方と」を参照ください。)大阪生まれである武智鉄二が、東京の役者である六代目菊五郎を尊敬して・大阪のシンボル的な初代鴈治郎を否定したのも、「大阪にない要素を求める」と云うか「憧れる」と云うか、これも逆説的な意味において理解が出来ると思います。そう云う吉之助も関西生まれですが、もはや東京人になってしまった吉之助には、谷崎の感じ方がスンナリ腑に落ちます。

そう云う視線で上方式の「廓文章」を見ると、例えば伊左衛門の喜左衛門夫婦との長々しいじゃらじゃらしたやり取りなどは、ドラマ的に絶対なくてはならないものに思えないのです。そのようなあまり必要でなさそうなものが実は芝居の面白さに寄与することも多いのは頭では分かっていますが、東京生まれの菊五郎がここをカットしたくなった気持ちも、吉之助にはよく理解出来るのです。功罪相半ばするところがあるでしょうが、菊五郎型の「廓文章」は、確かにスッキリした印象がすると思います。長い歳月のなかで「廓文章」の表面に塗りたくられた・つっころばし的な要素を剥がしてみたら、伊左衛門と云うのは、こんなにシリアスな要素を持っていたのだということ、それを明らかにするのが菊五郎の意図であったと云うことです。今回(昭和54年・1979・1月国立劇場)の勘三郎の「廓文章」映像を見ると、このことが改めて確認出来ます。

つまり「俺は大店の息子なんだ、ホントは、こんな惨めな格好(紙衣)で、人目を気にしながらコソコソ廓にやってくるような身分じゃないのだ、だから哀れな惨めったらしいところは絶対見せないぞ」と云うことなのです。勘三郎が演じる伊左衛門は別に苦虫を噛み潰したような顔をするわけではありませんが、終始あまり面白くなさそうな・心そこにあらずという表情をしています。しかし、愉しんでいないわけじゃないのです。もちろん愉しんではいるのだが、それに没頭できない何某かの理由が別にあるのです。つまり「今ここに在る私の姿は本当の私ではない」ということです。

例えば夕霧が他の客と一緒にいるのを見て・怒った伊左衛門が帰ろうとして・花道七三でフト立ち止まり、「イヤ喜左衛門夫婦の志(こころざ)し、(夕霧に)逢わずに去んではこの胸が・・」と言います。これを伊左衛門は帰ろうとしたのはポーズで、実は夕霧に会いたい気持ちで一杯、そこを戻るために「喜左衛門夫婦を立てるためだ」と口では言うけれど、それも方便に過ぎないと解釈することはもちろん出来ます。そんな感じの伊左衛門役者は多いと思います。それを間違いだとは決して言えませんが、怒って帰ろうとしたのも・思い直して戻るのも・どちらもポーズ。だから行動が「軽い」(薄っぺらい)ということになると思います。

ところが勘三郎の伊左衛門を見ると、夕霧に会いたい気持ちはもちろん同じですが、伊左衛門は夕霧に対して、本気で怒っているのです。俺という男がいながら・他の客と一緒にいるとは何事か。それが許せない。だから本気で席を蹴って帰ろうとします。しかし、それでは「喜左衛門夫婦に申し訳ない」。これも伊左衛門は本気でそう思うのです。義理を欠いたら商売の道は立ちません。伊左衛門は大店の息子なのです。怒って帰ろうとしたのも・思い直して戻るのも、どちらの気持ちもシリアスなのです。だから伊左衛門の行動は「重い」ものになります。これが菊五郎型の伊左衛門なのです。(この稿つづく)

(R4・10・10)


3)伊左衛門と夕霧

六代目菊五郎型の「廓文章」は吉田屋店先から暗転で奥座敷に繋ぐ演出で、パッと明るくなると、奥座敷のこたつの傍に伊左衛門がいるというやり方です。その後の段取りは上方式とさして変わるわけではありませんが、喜左衛門夫婦とのやり取りが中抜きで省かれたことはやはり大きい。上方式と比べると、菊五郎型は、その後の感触が何となくはんなりしないところがあると思います。そこをどう見るかで菊五郎型の評価は変わって来ると思いますが、ワサビ抜きの刺身みたいで味気ないと云う方も当然いらっしゃると思います。しかし、菊五郎ならば「それは覚悟の上のこと」と言うでしょうね。

その後の段取りが「はんなりしない」ことで、伊左衛門と夕霧の色模様は、シリアスな様相を帯びて来ると思います。ここでの伊左衛門は、自分という男がありながら・夕霧が他の客と一緒にいて・なかなか自分のところに来ないことを怒っていると云うか・拗(す)ねているのです。夕霧がやって来ても、伊左衛門はそっぽを向いたり・炬燵を引き寄せたり・意地悪をしますが、これはポーズで怒っているのではありません。夕霧のことを本気で愛しているからこそ、「夕霧、俺を待たせてひどいじゃないか」と伊左衛門は本気で怒っているのです。もちろん夕霧のことが好きだから手荒なことはしません。夕霧が来てくれて嬉しいのだけれど、「オオ来たか、嬉しいぞ」と伊左衛門は素直に言えないのです。だから伊左衛門の気分はシリアスな色合いを帯びます。恋しい気持ちに怒りが交じり込み、怒れば恋しさが募ってまた許してしまう。だから「今ここで見せている私の気持ちは、本当の私の気持ちではない」ということになるのです。これが和事の本質に通じることは明らかです。(別稿「和事芸の起源」を参照ください。)

したがってほぼ同じことをやっていても、上方式では伊左衛門は夕霧とじゃれている印象が強くなり、菊五郎型ではシリアスな様相を帯びるわけです。これはどちらが正しいとか・間違っているということではありません。もちろんどちらも正しいのです。それにしても勘三郎の伊左衛門が、岳父菊五郎の演出意図を崩さず・まったくその通り出していることに感心すると云うか、感動すらしてしまいますねえ。こう云うところは、勘三郎はホントに驚くほど真面目でした。興に任せて崩れてしまいそうに思うけれども、破目を外していいものは崩しても、崩しちゃいけないものは絶対崩さなかったのです。そこが勘三郎の凄いところでした。

勘三郎の「廓文章」では、夕霧は七代目梅幸が勤めるのが定番の組み合わせで、吉之助もその舞台をよく覚えています。梅幸の夕霧は勘三郎の伊左衛門のシリアスさを、女の実(じつ)で以て受け止める印象で、これもまた忘れられません。

そこで玉三郎の夕霧のことですが、玉三郎の遊女役と云うと、実よりも虚の印象が強くなるわけですが、勘三郎との珍しい顔合わせもなかなか興味深いものがあります。玉三郎の夕霧は、まず立ち姿が美しい。特にこの時代の玉三郎は角々の決めのポーズがホントに美しい。これは当然のこととして、玉三郎の夕霧が興味深いところは、伊左衛門が拗(す)ねて色々意地悪を仕掛けるところを、そういう我儘は男の常だと、ヤンワリ虚の感覚で受け止めることですねえ。度量が大きいと云うか、そうすると伊左衛門の意地悪が夕霧の手の平の上に乗って騒いでいる孫悟空みたいに見えて来て、伊左衛門が可愛く思えて来るのです。そこに夕霧の伊左衛門に対する深い思いが見えるということでしょうかね。

伊左衛門の勘当が許されて目出度し・目出度しになる結末が素直に受け入れられる、正月狂言に相応しい幕切れになりました。

(R4・10・11)



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