(TOP)     (戻る)

十七代目勘三郎の七段目の由良助

昭和48年12月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵」〜七段目

十七代目中村勘三郎(大星由良助)、十四代目守田勘弥(寺岡平右衛門)、七代目尾上梅幸(遊女お軽)、二代目助高屋小伝次(斧九太夫)、二代目坂東弥五郎(鷺坂伴内)、三代目中村梅枝(五代目中村時蔵)(大星力弥)


本稿で紹介するのは、昭和48年(1972)12月国立劇場での「仮名手本忠臣蔵」〜七段目の舞台映像です。注目は、十七代目勘三郎の由良助ということになります。上演記録を見ると勘三郎が七段目の由良助を演じたのは、意外なことに、これが唯一のことであったようです。(また平右衛門も演じていないようですが、これも意外です。)これは恐らく東京で「忠臣蔵」通し上演と云うことになれば、由良助はもっぱら高麗屋三兄弟(十一代目団十郎・八代目幸四郎・二代目松緑)が勤めて、勘三郎は勘平を勤める役廻りが多く、或いは判官か師直を勤めたと云うことで、それで由良助を演る機会がなかったのだろうと思います。しかし、勘三郎の七段目の由良助はさぞかし良かろうという予測は、容易に付きます。それは勘三郎が「廓文章」など和事の役どころを得意としていたからです。これは高麗屋三兄弟と比べても、七段目の由良助を演じる時の絶対的な強みです。そう云うわけで勘三郎の由良助の映像を期待して見ました。

勘三郎の由良助は、なかなか興味深いものがあります。勘三郎は大蔵卿のような虚と実を技巧的に使い分ける技巧的な役も得意としました。だから勘三郎ならば由良助もそんな感じに、お茶屋遊びの酔態をパッと明るくご機嫌に演技しそうなものです。ところがそれをしないのが、勘三郎の名優たる所以です。勘三郎は見る側の予想の裏を見事にかいてしまいました。勘三郎の由良助は、どちらかと云えばムスッとした顔付きでお茶屋遊びをするのですねえ。お茶屋遊びがあまり愉しいように見えないのです。しかし、別段嫌いなわけでもなさそうなのだな。そんな感じで、遊興三昧は敵を欺く計略なのか・それとも天性の放埓か、どちらかよく分からないと云うところを演じた渋い由良助になっているのです。

歌舞伎の由良助の名優の芸談を読むと、「四段目の由良助よりも・七段目の由良助の方がはるかに難しい」としばしば言われています。七段目の由良助は、遊興の酔態の柔らか味(和事味)のなかに仇討ちのギラリとした本心(実事味)を如何にチラつかせるか、そこが難しいとされて来たのです。多くの由良助役者は、和事味と実事味を鮮やかに切り分けると云うか、ふたつの要素の振幅を大きく取ることで勤めを果たそうとして来ました。そこを技巧的にあざとく見えないようにするのがひと苦労であったわけです。しかし、吉之助は由良助には逆の演技ベクトルもあり得ると思うのですねえ。つまり、由良助の仇討ちの大望)を内に秘めて、本心を如何に柔らかく嘘で隠すかという行き方です。由良助は実事をベースに処理すれば、比較的演じやすく出来るだろうと思うのです。(別稿「七段目の虚と実」を参照ください。)勘三郎の由良助を見ると、これはまさに和事味と実事味の振幅を大きく取らず・描線を太く取った実事ベースの由良助と云うべきで、吉之助としては我が意を得たりでした。

もしかしたら高麗屋三兄弟の由良助と比べると勘三郎はスケールが小さいと云う方がいらっしゃるかも知れません。その言い分は分かりますが、多分、勘三郎はその線を狙っていないと思います。むしろ勘三郎の由良助は実直な印象がします。だから終盤に由良助が衣装を改めて(つまり仇討ちの本心を現わして)登場した時、勘三郎の由良助はそれがスンナリ腑に落ちます。七段目を通して由良助の人物に一本筋が通った感じがします。これは結構大事なポイントだと思うのです。と云うのは、七段目は由良助が本心を偽っており・最後に観客に真実を明かすと云うサプライズの構図になっていないからです。七段目の由良助はまったく動かず中心に在って、周囲の者たちの本心をあぶり出そうとしているのです。彼らが由良助の考えを見抜けず、勝手にあれこれ憶測して、仇討ちだ・放埓だと騒いでいるだけなのです。そのような由良助の位置付けが、ここから明確に見えてきます。勘三郎の由良助は一貫してシリアス・タッチであると云えます。

だからお軽(七代目梅幸)とのじゃらじゃらしたやり取りも、勘三郎の由良助では、さほど浮き立つ気分になりません。イヤ由良助とお軽のじゃらじゃらは明るく浮き立つべきだと云う考え方ももちろんあります。その線で素敵な由良助役者はたくさんいらっしゃいます。一方、勘三郎の由良助はむしろそこを抑えた印象がします。それが出来るところが勘三郎の凄さではないですかねえ。勘三郎と梅幸とのやり取りだと、「面白うてやがて悲しき」と云う、しっとりした感じになってくるようです。これもとても興味深い。梅幸のお軽はまだ店に出てそんなに時が経っていない・初心な感覚があって、とても良いですねえ。

勘三郎の行き方に沿ってか、平右衛門(十四代目勘弥)とお軽の兄妹のやり取りも、真実味が勝った印象になっています。勘弥は最初三人侍と一緒に花道から登場しない無精をしていますが、舞台に出て来ると、さすが台詞に感情がこもって・これがなかなか良いのです。決して派手さはないのですが、味わいのある平右衛門を見せてくれました。虚飾の廓の世界のなかで・この兄妹だけが真実の世界に生きている、そんな感じがしますねえ。だから終盤で九太夫を打ち据えて、「四十余人の者共は、親に別れ子に離れ、一生連れ添ふ女房を君傾城の勤めをさするも、亡君の仇を報じたさ。寝覚めにも現(うつつ)にも、御切腹の折からを思ひ出しては無念の涙、五臓六腑を絞りしぞや」と叫ぶ由良助の台詞が、より痛切に響くわけです。三人の名優の行き方が一致して、引き締まった渋い七段目に仕上がったと思います。

(R2・3・2)



 

  (TOP)     (戻る)