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初代孝太郎初役の八重桐〜「嫗山姥」

令和4年7月大阪松竹座:「嫗山姥」

初代片岡孝太郎(萩野屋八重桐)、十代目松本幸四郎(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)、初代中村壱太郎(腰元白菊実は時行妹糸萩)、初代片岡千之助(息女沢瀉姫)、二代目中村亀鶴(腰元お歌)、初代中村虎之介(太田十郎)


「嫗山姥」兼冬館は、通称を「しゃべり」とも言います。これは八重桐が廓噺にかこつけて、別れた夫(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)への恨みつらみを語る場面から来ています。上方和事の名手であった初代坂田藤十郎は「しゃべり」と呼ばれる雄弁術を得意としました。これは立役の「しゃべり」のことですけど、その後人形浄瑠璃に移籍した近松門左衛門が、女は口数が少ないのが美徳とされた時代に、ぺらぺらしゃべる女役をこしらえたと云うのが面白いところです。これは近松が歌舞伎の藤十郎の「しゃべり」を女役に応用したわけなのです。八重桐の仕方噺は、その代表的なものです。このことはその後の女形芸の発展に大きなヒントを与えました。

武智鉄二が、歌舞伎の八重桐の仕方噺は役者が地に取る箇所がやや少なめで「しゃべり」と云うよりも「おどり」の方に近くて、近松がここで試みたかもしれない女形への「しゃべり」への挑戦が十分見えてこないと指摘しています。(注:近松の人形浄瑠璃移籍の原因として、歌舞伎の名女形・初代芳沢あやめとの不仲があったとの説あり。)武智演出では八重桐の台詞を増やして「しゃべり」を強化した仕方噺の工夫をしています。それは兎も角、今回(令和4年7月大阪松竹座)の「嫗山姥」はいわゆる在来の演出ですから、八重桐の仕方噺はそのままですが、まあそれはそれとして在来の演出もなかなか面白いものです。

孝太郎の八重桐は、台詞が明瞭であるので・竹本との掛け合いが際立ち、「しゃべり」が映えました。所作もなかなか良くて、仕方噺を楽しく見せました。幕切れの大立廻りも面白かったですね。ストレス発散出来て楽しかったのではないでしょうか。前半を明るく処理したのも良かったと思います。夫への当てつけでついつい言葉が過ぎてしまったけれど、根に持つところがない・カラッとした八重桐の性格もよく出ました。妻の直言のひとつひとつが夫・時行にグサリと突き刺さります。甘いといえば甘いわけなのだが、時行は彼なりに時節を耐えて自己の目的を果たさんと耐えてきたつもりです。しかし、時行の願望は、妻である八重桐にことごとく論破されててしまいました。そうやって(八重桐自身にそんなつもりは全然ないわけだけれど)時行は少しずつ絶望の淵へと追いやられて行くのです。

幸四郎の時行は、もちろん優男なところに申し分はないとしても、例えばめざす敵を妹白菊が先に討ってしまったと聞いて驚く、そこに通り一遍の驚きしか見えないようですね。この場面の時行は茫然自失の体なのです。妹に先を越されたことで時行の自尊心は踏みにじられ、情報収集さえも儘ならぬ自分の無力さに、時行は愕然とするしかありません。そのような絶望の果てに、自分は自害して・八重桐の新たな子供として自分は強い男に転生せんとする一念が生まれて来るわけですから、八重桐との会話のなかで論理的・かつ段階的に深い絶望へ追い込まれて行く過程をしっかり見せて欲しいのです。幸四郎の時行は、感触がサラリとし過ぎです。演技にもっとタメが欲しい。例えば、妹が敵を先に討ったと聞いて「エッ」と驚き、「・・・信じられん」と云う絶句あって、「それならばこの俺の立場はどうなる」という思い入れあって、「もう俺は生きてはおられぬ」と云う絶望にまで至る、これを一瞬の間のなかで走馬灯の如く見せねばならぬ、それが演技のタメと云うものです。そうすると幕切れで時行の一念が八重桐の胎内に入り込む奇蹟が心情的に腑に落ちると思います。(こうして生まれた子供が、足柄山の金太郎です。だから八重桐の方にも死んだ夫に対する強い悔悟があるのです。)そこのところもう少し工夫が欲しいと思います。

まあそんな不満も若干ありますが、全体として役者も手揃いで・テンポ良く仕上がりました。「嫗山姥」は滅多に出ない時代物ですが、と云うか滅多に出ない演目だからかも知れませんが、みんな真剣に取り組んでいました。時代物に対する取り組みを増やすことが、将来の歌舞伎のために大事なことだと思いますね。

(R4・8・20)



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